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9.ニホンゴ

 ルディローザがマリアンナ・ロゼッタ子爵令嬢に面会に向かったのは、査問委員会が開かれた翌々週のことだった。

 宰相の三男トーマス・アイルド侯爵子息は勘当され、ウィロビーと共に騎士見習いに。ラムリエ商会は取り潰しの上、商会の役員は全員絞首刑か禁固刑となった。

 マリアンナ・ロゼッタ子爵令嬢は半年後に僻地の修道院へ送られることが決まっている。


「何で私が修道院に送られなきゃならないのよ…! シナリオ通りに行けば、あんたがそうなるはずだったのに!! そもそも何でちっともシナリオ通りにいかない訳!? しかもなんで半年後なのよ!!」


 牢に入れられたマリアンナが騒ぐ。

 牢の中には簡易ベッドと、ぎりぎり見えない程度のすりガラスのシャワー付きトイレ、それに簡易のテーブルと椅子。罪人の入れられている牢にしては立派な設備だ。

 鉄格子を挟んで向かいにいるルディローザはにこにこと上機嫌だ。彼女の後ろでは、侍女たちがてきぱきと机と椅子を運んでいる。


「あら。それはわたくしがお願いしたからですわ」

「はあ!? あんた私に同情してるつもりなの!?」

「いいえ。ロゼッタ子爵令嬢に聞きたいことがあったからです。前世はニホンという国にいたと聞きましたが」

「そうよ、それが何なのよ」

「どんな言語を使っていましたか?」

「ニホンゴよ。一体何なわけ!?」


 にっこりと深く微笑むルディローザを見て、マリアンナは初めて嫌な汗を流した。

 思わず後退るも、逃げる場所などどこにもない。


「取り調べですわ」

「あ、あのペンダントのことなら全部話したわ。取り調べた奴らにでも聞けばいいじゃない!」

「ペンダント? ああ、そんな物どうでもいいのです」


 言いようのない不安に襲われながら、マリアンナは強気な姿勢を崩さない。


「これを」

「な、何よ…っ」


 鉄格子の中に急に物を差し込まれ、マリアンナは動揺の余り飛び退いた。

 ルディローザの手にあるのは数冊の絵本とノートだ。マリアンナは訝しげな表情をしながらも、慎重にそれを受け取った。


「はあ? 絵本? あんた絶対私のこと馬鹿にしてるでしょ!」

「いいえ。ロゼッタ子爵令嬢…ではなくなるので、マリアンナさんとお呼びしますね。まずその本をニホンゴに訳していただきます」

「日本語に? 訳す? はあ?!」

「全てきちんと訳してくだされば、今夜の食事にデザートを付けますわ」

「はああああ!?」


 侮辱されたと思ったマリアンナはルディローザを睨みつける。けれど彼女の顔は真面目そのもので、マリアンナは些か毒気が抜かれた気分だった。

 むしゃくしゃしながらも1番上の絵本を見る。おはようやありがとうなどの挨拶の絵本だ。


「何で私がこんなことしなくちゃいけないのよ…!」

「あら、半年間牢で聞かれたことは全て答えることも刑罰に含まれていたではありませんか」

「だからって何で日本語が関係あるのよ!」

「わたくしの趣味です」


 あっけらかんと言い切るルディローザに、マリアンナは二の句が継げなくなった。


「……は?」

「ですから、わたくしの趣味です。知らない言語は全て学びたいのです」

「はああ!?」

「いいですか? 貴女が行く予定の修道院はとても厳しいところなのです。デザートなんて早々食べられませんわ。半年間何もせずにここにいるより、わたくしに付き合ってデザートを食べる。貴女にとっても美味しい話でしょう?」


 マリアンナはぐっと悔しげな顔をした。反省する気のない彼女にとって、確かにここは暇なのだ。前世のようにスマホもなければ本すらない。査問委員会が終わってからというもの、まともに話し相手さえいなかった。この2週間、気が狂いそうになるほど長く感じ、話し相手が欲しかったのも事実だ。


 ルディローザの思惑通りに。


「……どれから書けばいいのよ」

「どの本からでも構いませんわ」


 マリアンナが本を開いた瞬間、ルディローザは「勝った」と思った。


「違うわよ。平仮名? 片仮名? 漢字は混ぜて書いていいのって聞いてるの!」

「まあ! そんなに表記の仕方があるのですか!?」

「そ、そうよ」

「子供が最初に学ぶものはどれですか?」

「ひ、平仮名じゃない?」

「ではそのヒラガナを! いえ、やはり3通り書いて下さい!」

「何なのよ、急に…! ちょっと落ち着きなさいよ!」


 突然前のめりに迫ってきたルディローザに、マリアンナは若干引き気味だ。

 はっとしたルディローザは咳払いをして座り直した。


「そうですわね、落ち着きます。まずは文字の一覧表からでしたわ」

「そっちじゃないわよ!!」


 マリアンナのツッコミなどどこ吹く風で、ルディローザは視線だけで表を書くように促した。彼女はブツブツと文句を言いながらも従う。その様子を、目を輝かせながら見つめるルディローザ。


「なんて芸術的な文字なのでしょう…!」

「ま、まぁね。これでも前世では書道で段持ちだったのよ」

「ショドウデダンモチとは何でしょう?」

「綺麗な字を書く試験みたいなもんよ」

「そんな素敵な試験が…!」


 うっとりと眺めるルディローザと、褒められて満更でもない様子のマリアンナ。侍女や護衛は感情を殺して黙って立っている。

 カンジは多過ぎて表なんてないと言う彼女に、ルディローザは喜びの感嘆を上げた。

 マリアンナが書いたノートを受け取り、ひとつひとつ確認しながらブルエーム語で発音を書く。


「では絵本の翻訳をお願いしますね。その後ニホンゴで読んで下さい」

「は? それは読めるでしょ」

「表があれば読めると思いますが、発音もきちんと覚えたいので」

「『お、は、よ、う、あ、さ、だ、よ』ほら、そのままじゃん」

「まさか…ニホンゴはブルエーム語と話す言葉は同じで、表記の仕方が違うということですか? そんな…」

「ちょっとそんなにショック受けないでよ! 私が悪いみたいでしょ!」


 見るからにがっくりと肩を落としたが、すぐに復活した。半年()()ないのだ。まだカンジとやらも聞いていない。


「それなら1日絵本5冊では足りませんね。読めるのですから。ハンナ、明日と明後日分に用意した絵本も持ってきて。今日のところはこの表を覚える必要があるので帰ります。明日同じ時間に参りますので、それまでに全てニホンゴの3表記で書いておいて下さいね」


 マリアンナはまだ半信半疑だっだ。将来王妃になるかもしれないような令嬢が、本気で日本語を覚えるだなんて。今までの仕返しに自分をからかっているのだろうと。

 ルディローザが本気だと分かるのは、その翌日だった。


「はあ?もう片仮名は覚えたぁ!?」

「ええ、覚えました。ヒラガナはまだ『あ』や『ぬ』が上手く書けません。書き順を教えて下さいませ」

「ま、まさか、嘘でしょ?! それなら書いてみなさいよ! 私が言う通りに!」

「分かりました。まだゆっくりお願いしますね」


 ゆっくりながらも本当にルディローザは書けた。マリアンナは驚愕のあまりにドン引きした。


「う、嘘でしょ、あんた……」

「それで、昨日お願いした絵本の翻訳は終わっていますか?」

「し、したわよ! 10冊は…」

「……残りの5冊、今すぐにお願いしますわ」


 恐ろしい程威圧感のある笑顔に、マリアンナは条件反射で何度も頷いた。目が据わっている。

 本能が自身に告げてくる。


 こいつはヤバい、と。



 その翌日にはルディローザは平仮名も覚え、教材も絵本から児童書に替えられた。

 そして児童書が詩集になり、小説になるまでそう時間はかからなかった。

 最初は漢字を書くことにかなり苦戦していたが、独自に書き順の法則を見つけたらしく、そこからはスムーズになっていった。

 それが余計にマリアンナは怖かった。ルディローザの本気度が。



「マリアンナさん、この部分、『野生的』と書かれていますが、『野性的』ではありませんか?」

「…はあ?」

「漢字はどうやら表語文字のようですし、こちらの『生』には生まれるや生きるで使われていますが、こちらの『性』は性質や性格などの本質という意味ですよね? でしたら『野性的』になるのではないですか? 前後の文を考えてもそちらの方が意味が通ります」

「……そうかもね」

「そうかもでは困ります。それからこの『直る』もこちらの『以外』もここの『仮定』も…」

「ちょ、ちょっと! 何なのよ! そんな細かいこと分かんないわよ!!」


 ルディローザが微笑む。死ぬほど冷たい目をしたまま。

 マリアンナは声すら出せなかった。怖すぎて。


「…これまでわたくしが覚えた漢字の意味、確認し直しましょう」

「は……?」

「終わるまで、今日は寝かせませんのでそのつもりで」


 見せられた分厚いノートは、今まで出てきた漢字がびっしりと書かれている。その横には例文と共にルディローザが推測した意味が事細かに書かれている。

 マリアンナは初めて泣いた。恐怖によって。


「いやあああ!! もうお願いだから今すぐ修道院に入れて!!!」

「まだ1ヶ月しか経っていませんよ。さ、始めますわよ」

「助けてえええ!!! これまでのこと謝るからあああ!!! 誰かあああ!!!」



 マリアンナの願いは決して叶わず、約束の日までみっちり問い詰められた。周りにいた侍女や護衛の話では、後半はもうどちらが教えている側か分からなかったらしい。



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[良い点] 骨の髄まで学究肌なルディローザには感服以外の言葉が無いです。 [気になる点] “この世界”では無用の日本語まで覚えてどないすんねん、とは思うところですが……本人が幸せなら良いか…な? [一…
[一言] オタクの本気度がコワい。
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