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8.お手柔らかに

 ヴィクトルの宣言通り、王宮に着いてからも腰に腕を回されたまま離してくれない。何度か視線で兄に助けを求めたが、その度に「ルディ」と笑顔の圧がかかるのだ。ジェルバートに至っては視線すら合わせてくれない。

 陛下に報告に行くというヴィクトルに漸く解放されたルディローザは、逃げるようにして自室に向かった。




「まあ、ルディローザ様どうなさったのです?」

「顔が真っ赤ですよ! お熱でも…」

「違うの…わたくしじゃなくて、殿下が…殿下が…壊れた…」

「「はい?」」


 今日の出来事を事細かに2人の侍女、マリーとハンナに話す。2人は偶然同い年で、とても仲がいい。

 学園での出来事は真剣な顔で聞いていたのに、馬車の中でのことを話すと途端に笑い出した。


「やっとですか!」

「やっと…?」

「遅いくらいですわ。そういったことに鈍いお嬢様が気付く訳がないのに」

「2人は分かってたの!?」

「「当たり前です」」


 そう、ルディローザは全く気が付いていなかった。けれどヴィクトルは確かに言ったのだ。

「俺がどれほどルディを愛しているか」と。

 思い出しただけでも、羞恥で顔から火が出そうだ。


「分かる訳ないじゃない…! だってそんな言動…エスコートやダンス以外で触れることもなかったし、そういう言葉だってなかったもの!」

「そんなの、殿下の目を見てれば分かるでしょうに」

「そうですよ。うちの祖母が分かってたくらいなのに…」

「マグラス夫人まで…」


 ルディローザはがっくりと肩を落とした。マグラス夫人は絶対に()()()()だと思っていたのに。


「お嬢様、覚悟なさいませ。殿下は有言実行する方でございます」

「早く慣れてしまった方が楽ですよ」


 泣きそうな顔をしても、2人はわざと気付かないふりをして、てきぱきとルディローザを着替えさせていく。王族との夕食はもう慣れたはずなのに、その足取りは異様に重かった。

 落ち着かないルディローザをよそに、ヴィクトルだけではなく国王も夕食には現れなかった。どうやらまだ後処理が終わらないらしい。ルディローザは幾らか安堵して夕食を取ることが出来たのだった。




「おはよう、ルディ」

「おはようございます、ヴィクトル殿下」

「ん?」

「……ヴィー様」

「正解」


 学園に向かう馬車の前で待っていたヴィクトルは、朝から眩しい笑顔で圧をかけてくる。人目もあるのに顔をぐいぐい近付けてくるヴィクトルを見て、マグラス夫人に説教されればいいと、ルディローザは割と真剣に思った。

 護衛のジェルバートも後ろにいるが、彼は今日も目を合わせてくれない。

 一緒に馬車に乗って学園に向かうなんて入学式以来だ。


 いつものように外国語の本を読もうとして、その手を止めた。


「…わたくしの顔に何か付いておりますか?」

「いや? 気にしないで」

「そんなに近くで見られると気になります」

「今日も可愛いなと思って」

「っ!?」


 ルディローザの蜂蜜色の髪を一房手に取ると、ヴィクトルはそっと口付けた。茹蛸のように顔を真っ赤にしたルディローザは、叫ばないようにするだけで精一杯だった。

 ヴィクトルは満足気に微笑んでいる。


「ふふ、真っ赤だ」

「それは殿下…ヴィー様が…! そっ、そもそもなぜ、同じ馬車に乗っておられるのですか!」

「親睦を深める為だよ」

「今まででも充分良きパートナーでいたつもりでおりましたが」

「それだけじゃ足りなくなったんだ。それに…」


 少し拗ねたように言うルディローザに、ヴィクトルはくすりと笑い、わざと言葉を止めた。

 そしてぐっと彼女に近付いて、耳元で囁く。


「覚悟してって言ったよね?」


 わざと音を立てて耳にキスをすると、ルディローザの白い肌が首まで朱に染まる。

 学園に着くまで、彼女はその後一度も顔を上げることはなかった。




 同じ馬車から降り、ルディローザを教室まで送り届けたヴィクトル。それはもう素晴らしく注目を浴びた。


 理由はいくつもある。


 まず、入学式以外で初めて、第一王子がその婚約者を見せつけるようにエスコートしていたこと。

 次に、何度も明らかな熱視線をその婚約者に向けていたこと。

 そして、教室から出て行く前にその婚約者の髪にキスを落としていったこと。

 何より、淑女の鑑と称され、どんなことがあっても顔色ひとつ変えずに微笑みを絶やさなかった()()婚約者が、普通の少女のように顔を真っ赤に染め上げたこと。

 これらはまたたく間に全校生徒に伝わり、昨日の出来事よりも話題になった。


 ヴィクトルの狙い通りに。


 そもそもこれまでの噂も、察しの良い一部の貴族には分かっていたことだった。「第一王子があの子爵令嬢に近付いたのには訳がある」と。

 第一王子をきちんと観察していれば、彼が婚約者に惚れ込んでいるのは一目瞭然だったし、その想いを(つまび)らかにしなかったのも彼女を守る為でもあったということも分かっていたことだった。そして、その婚約者がそれにあまり気付いていないことも。


 一方、ルディローザもこれは昨日までの噂を打ち消す為のパフォーマンスだと分かってはいた。分かってはいたが、どうしても赤面してしまうことを止められなかった。


「ご教授を…マグラス夫人…」


 そんな方法、御妃教育で習ってない。

 教えを乞うたところで眉を顰めて終わるであろうと分かっていても、ルディローザは呟かずにはいられなかった。




 下校時にも迎えに来たヴィクトル(と、一向に目の合わないジェルバート)に、ルディローザは余裕の笑みを浮かべて挨拶をした。もしかしたら来るかもしれないと予想はしていたのだ。


「来て下さって嬉しいですわ、()()()()


 こんな時にもルディローザは負けず嫌いを発揮した。

 教室内が一層ざわついた。彼女が第一王子を愛称で呼んだことなど一度もなかったからだ。

 動揺する顔が見られると思っていたヴィクトルは内心驚きと共に感心し、口の端を持ち上げた。

 顔には出さずとも彼が少しは驚いたことが分かったルディローザは幾らか満足した。本当は皆に分かる程の変化――今朝の自分のような――が欲しかったところだが。


「それは良かった。では帰ろうか、ルディ」

「はい」


 計算された優雅な微笑みで差し出された手を取る。さっさと帰って、また着替えの間にマリーとハンナに愚痴を聞いて貰おう。出来れば赤面しない方法を教えてほしい。そんなことを考えていると、添えられた手が下がっていくのに気付いた。

 同時に、指が絡められる。


「――!」

「どうかした?」

「…何でもありませんわ」

「ふふ」


 平静を装っても、薄く色付いた頬と耳は隠せない。刺さる視線と黄色い声の中を懸命に歩く。

 彼女は今更思い出した。


 彼も自分と同じかそれ以上に負けず嫌いだったことを。




「やりすぎです!」


 馬車の扉が閉まった瞬間、ルディローザは淑女の被り物を捨てて叫ぶように言った。

 ちなみにジェルバートは行きも帰りも御者の隣に行ってしまい、同席してくれない。

 指は絡められたまま、全く離してくれない。彼女とは正反対に、ヴィクトルはとても上機嫌だ。


「そう? これでも俺は抑えてるつもりだけどな」

「な…っ!? とっ、とにかく! 昨日までのことはこれでもう充分流れましたわ!もう普通になさって下さいませ!」

「まさか噂を上書きする為だけにしてると思ってる?」


 額がぴたりとくっつけられる。スカイブルーの瞳に吸い込まれてしまいそうで、ルディローザは息をのんだ。心臓の音が煩い。ルディローザは誤魔化すように視線を背けると、慌てて口を開いた。


「も、もしかして、あの劇薬の効果が残っておいでなのでは?」

「ルディ、それは流石に怒るよ」

「でも、だって、こんな、違いすぎます…」


 なんて頼りなく小さい声なのだろう。今にも消えてしまいそうな涙声に、ルディローザは自分でも戸惑っていた。あまつさえ、気を抜けば本当に泣きそうだなんて。

 ヴィクトルはルディローザを解放した。指と額が離れたのも束の間、今度は抱き締められる。優しく、壊れ物を扱うかのように。


「……ごめん。確かにちょっと、焦ってた」

「焦る、ですか?」

「そう。調査の為とはいえロゼッタ子爵令嬢と一緒にいても、暫く会えなくてもルディは平気そうだし、俺が婚約破棄を肯定してたって聞かされても興味もなさそうだったから」

「平気だった訳では…ヴィー様から直接聞くまで、信じなかっただけです」


 身体が離される。小さく名前を呼ばれて顔を上げると、真剣な眼差しのヴィクトルが見えた。

 目を逸らしてはいけない、と本能が囁く。


「俺はルディが好きだよ。ずっと」


 心臓が一段と大きな音を立てて跳ねる。ルディローザは訳もなく、ただ無性に泣きたくなった。


「ルディが俺をそんな風に見ていないのは分かってる。でも、これからは意識して欲しい」

「そ、それは…政略結婚ですし、尊敬しております。これだけでは不充分ですか…?」


 恋愛結婚に憧れた時もあった。でもヴィクトルから今までそんな素振りを感じなかったし、両親や多くの貴族のように、政略結婚でも結婚してから仲睦まじくなれば良いと思っていた。


「俺はルディからの尊敬も、愛も、全てが欲しい」

「……っ」

「ごめんね、ルディ。俺はもう、逃がすつもりはないから」


 ルディローザは一度ヴィクトルから視線を外し、赤い顔のまま深呼吸をして、絞り出すように声を発した。


「正直申しますと、逃げたくなるくらいドキドキします。でも、その、嫌では、ない、ので……これも、こ、恋の始まり、みたいなものじゃないでしょうか…」


 心臓が壊れそうな程のスピードで早鐘を打っている。恥ずかしくて消えてしまいたい。

 でもなぜか、今は逃げてはいけないと思う。

 きっと、ヴィクトルも同じ様に緊張したはずだと、ルディローザは自分を鼓舞する。

 そして今度は自分から視線を合わせて、しどろもどろになりながらもはっきりと言った。


「これからきっと、もっと、す、好きになると思います、ので、その…お手柔らかに、お願いします、ね?」


 言い終わるや否や、ルディローザは再びヴィクトルの腕の中にいた。言った傍から…とも思ったが、ルディローザは黙って抱擁を受け入れることにした。



 その日から毎日、ルディローザはヴィクトルと共に登下校するようになった。

 毎朝ヴィクトルはルディローザの髪にキスを落として、彼女は顔を真っ赤に染める。

 そして迎えに来たヴィクトルに何とか反撃しようとして、逆にやり込められる。


 多くの生徒が親近感を覚えた。

 今まで雲の上の存在だった2人もこんな可愛らしいやり取りをするのだ、と。


 そんな第一王子と婚約者とのやり取りを見ようと、彼らより先に登校する生徒が増え、下校時間になると彼女の教室前に人だかりが出来るようになるのは割とすぐだった。



 ルディローザはあの日から毎日思う。

 全っっ然お手柔らかじゃない、と。



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