6.イベント(前半)
「ルディローザ・アクアティア、貴様はもうすぐ殿下に婚約破棄されるのだ!」
「おっしゃってる意味が分かりませんわ」
ほとんどの生徒が集まる昼休みの食堂は、いつもと違い静まり返っていた。
事の発端は、ランチを終えて友人の令嬢たちと歓談していたルディローザに大声で話しかけてきた、この男女3人だ。注目を浴びているのに気付かないのか、それともわざとなのか。
野次馬は半数以上、残りは貴族らしく静かに行方を見守っているとルディローザは感じ取った。
「ふん!そうやってしらばっくれられるのも今の内だ!」
「婚約破棄されてから泣いて謝っても遅いんですよ!?今マリアに謝って下さい!」
目の前で煩く喚いている男子生徒2人と、彼らに守られるようにして瞳を潤ませているマリアと呼ばれた女子生徒。
マリアンナ・ロゼッタ子爵令嬢。
薄桃色の真っ直ぐな髪を腰まで伸ばし、同じ色のぱっちりと大きな瞳。形の良い小ぶりの鼻とぷっくりとした唇は彼女の可憐さをより強調している。小柄な身長により上目遣いになる視線と仕草は、同性から見ても可愛いと思う。貴族らしからぬ言動――口を開けて笑ったり、過度な触れ合い、近すぎる距離なども男性心を擽るのかもしれない。
ルディローザの感想はというと、「今日は3人だけなんだな」これだけである。
謝れと言われても、彼女と碌に会話をしたこともない。この1年間、数え切れないほどの寸劇を見せつけられただけだ。まさかその寸劇に付き合わなかったから悪いとでも言うのか。
「そうおっしゃられましても…わたくし、ロゼッタ子爵令嬢に謝るようなことをした記憶はございません」
「とぼけるのもいい加減に…!」
「もういいの、トム。きっと私が悪いの。私はただ、みんなと仲良くしたいだけなのに…!!」
マリアンナの目元を拭う仕草に、男子生徒2名――正確にいうと、宰相の三男トーマス・アイルド侯爵子息と、この国で3番目に大きいラムリエ商会の次男ウィロビーが甘い声で慰めている。
その3人の様子を見て、ルディローザの友人であるセリーナとエマが些か呆れ気味に口を開いた。
「だからと言って、婚約者のいるご子息ばかりと一緒にいるのは如何なものかと思いますわ」
「ルディローザ様はどなたかとは違って、品行方正な方ですわよ」
「酷い! そうやってルディローザ様はすぐ私を悪者扱いなさる…!」
「…わたくし何も申しておりませんのに」
「この2人に指示したことくらい分かっている!」
溜息が出そうになるのを堪え、微笑みを崩さず3人を見つめる。心の中で「馬鹿だなこいつら」と思っていたとしても。
辛くて辛くて辛い御妃教育の賜物だ。
「それがどうしてわたくしと殿下の婚約破棄に繋がりますの?」
聞くべきか聞かざるべきか迷って、結局聞いてしまった。聞かなくとも返答に想像はついた。噂ではこんなに目立つ場所ではなかったが、どうせこの男子生徒2人の時と同じだろう。
「ルディローザ様にヴィー様は相応しくないからです…!」
…やっぱり。
勝ち誇ったようなマリアンナと、よく言ったと言いたげな男性2人。この3人と、第一王子のヴィクトル、ルディローザの兄で側近のグレアラン、殿下の護衛騎士ジェルバートが一緒にいるのを誰もが知っている。 文字通り王子様のヴィクトル、細身で甘いマスクのツンデレなグレアラン、寡黙な男前で王子に仕える程実力のある騎士ジェルバート。揃いも揃って美男ばかりである。
ルディローザは昨日初めてこの6人が一緒にいるところを目撃した。ふと窓の向こうにやった視線の先に、中庭で楽しそうに話すヴィクトルとマリアンナを。目を細めて彼女を見るヴィクトルを見て、ルディローザは慌てて視界から外した。
結局、手紙は来なかった。
そしてこの騒動。しかもその相手は王子を愛称呼び。彼は彼女を何と呼んでいるのだろう。場合によっては慰謝料ものだ。自分のことは学園内ではいつも「ルディローザ嬢」呼びなのに。
ルディローザはもう一度、溜息を胸の痛みと共に飲み込んだ。
「では、ロゼッタ子爵令嬢なら相応しいとおっしゃるのかしら?」
「それは…! 正直にお話したら、また、お怒りになるんでしょう…!?」
「いいえ。ぜひ正直にお話になって」
「私なら…親身になってヴィー様を支えられます…! ルディローザ様よりも!」
セリーナとエマが口を開く前に視線だけで制する。言いたいことは分かる。そもそも自己紹介も交わしていないというのに、貴族としてのマナーがなっていない。この先、こんなことでは相当苦労しそうだ。
マリアンナはうるうると瞳に涙を浮かべながらも強気だ。ルディローザが何か話す度に、彼女に危害を加えられないようにと前に出ようとする2人。そこだけを見れば、見目麗しい男性たちが小動物のような愛らしい女性を守っているように見える。
「貴女が無理矢理婚約者になったって、みんな知ってるんですよ…! 私、私、愛してもいない婚約者に縛られているヴィー様が可哀想で…!」
「あらまあ。それは初耳ですわ」
「ヴィー様は、貴女との婚約破棄を肯定しておられました…! 謝って下さるなら、悪いようにはしないでと、私からヴィー様にお願いしてあげますから…!」
「そちらも初耳ですわ」
ポロポロと涙を零しながら訴えるマリアンナ。演劇の世界に入れば一躍有名になれそうな程の名演技だ。噛み付かんばかりにこちらを睨んでいたトーマスとウィロビーが、優しく彼女の細い肩を包み込んだ。
愛してもいない婚約者。
それはそうかもしれないが、自分だって選別されて今に至るのだ。友人たちの恋の話を聞く度に羨ましくもなったりするが、こちらにはそんな時間も余裕もなかったのだ。
今はそうでなくても、ゆくゆくは愛に変わって欲しいとルディローザは考えていた。ヴィクトルのことは嫌いではないし、どちらかというと好きだと思う。尊敬しているし、信頼しているし、国の為に共に歩くパートナーとして最高の相手だ。自分も相手にとってそう思ってもらえるようにと努力してきた。
「一体何の騒ぎだ」
煌びやかな食堂に、凛としたオーラのある声が響いた。
視線を向けなくても分かる。ブルエーム国第一王子のヴィクトルだ。すぐ後ろにはグレアランと護衛騎士ジェルバートが控えている。すぐさま食堂にいた全員が立ち上がり、頭を下げる。ただ1人、マリアンナを除いて。
すぐさまマリアンナがヴィクトルに駆け寄ると、潤んだ上目遣いのまま彼の腕を取った。
「ヴィー様…! 助けてください…!」
「何の騒ぎだと聞いている。ルディローザ嬢、説明を」
マリアンナからすっと腕を躱すと、温度の感じられない表情のまま、ルディローザを見据えた。ルディローザも同じ様な表情で彼を見つめ返す。
金髪碧眼、絵本の王子様以上の美男子だ。すらりと長い手足には程よく鍛えられており、どんな仕草も絵になると言っては過言ではないくらいに、所作全てが美しい。王族としてのオーラが増すにつれ、その美貌にも拍車がかかった過程をルディローザは知っている。それに伴う努力だって知っている。
並んだ2人を見て、お似合いだとは思う。麗しいヴィクトルと可愛いマリアンナ。
だからと言って、ルディローザは決して劣等感は持っていなかった。彼女にないものが自分にはあると自負している。両親や侍女たちが惜しげもなく自分を磨いてくれ、また自分も自分を磨いてきたと自信を持って言える。
彼女の持つ天真爛漫さは自分にはないが、叩き込まれた礼儀作法なら負けない。それぞれに良さがあると思う。
「ヴィクトル殿下にわたくしが婚約破棄されると、この方たちが教えに来てくださいました」
「それは本当か? トーマス・アイルド」
「その通りです。その前に、これまでマリアに行ってきた極悪非道ないじめの数々を謝っていただこうと…」
睨むトーマスに目もくれず、ルディローザはただ澄ました顔をして微笑んだままだ。
万が一ヴィクトルがマリアンナを信じるというのならそれでもいい。そんな男なんてこちらから願い下げだ。身の潔白はきちんと晴らし、自由になった暁には…
不意に緩みそうになった頬に力を入れる。危ない危ない。
「ほう。ルディローザ嬢、心当たりは?」
「全くございません」
「酷い…! 私はただ謝って欲しかっただけなのに…!」
両手で顔を覆って泣き出すマリアンナだが、ヴィクトルが何も言わないからか、指の隙間から彼を覗き見るのが分かった。それでも彼はルディローザを見つめたままだ。
「ヴィー様もお辛かったですよね…! 優しいヴィー様が婚約破棄まで思い悩まれて…!」
はらはらと涙を流すマリアンナの言う通りだったとしても、ルディローザはヴィクトルから直接婚約破棄をするというまで信じるつもりはなかった。
もしそうなったら。いつかの例え話を実行するだけだ。
ちくりと痛んだ胸には気付かないふりをして、ヴィクトルを真っ直ぐ見る。
こんなことはもう慣れっこだ。
自分に恥ずべきところは何もないし、いつか代わりが現れても堂々と胸を張っていられるだけのことはしてきた。
「わたくしよりもロゼッタ子爵令嬢の方がヴィクトル殿下には相応しいそうですので、アレをお試し頂いてみてはいかがですか?」
でも、ただで代われると思うなよ。