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4.自信

 夢を見た。

 思い出を上から覗くような不思議な夢を。



 最初に見えたのは、ルディローザがまだ小さく、初めてピルピノ人に自分の言葉が通じた日だ。

 相手はルディローザが婚約者になって初めての外交相手でもあった、ピルピノ国のクラック侯爵だった。子息のクリストフも一緒だったが、初めての外国だったので、クラック侯爵夫人の後ろに隠れていた。


「はじめまして。私は、ルディローザ・アクアティアです」


 たったこれだけ。しかも緊張のあまりたどたどしく、本当にはもっと長い文を練習していたのに、これだけ言うので精一杯だったことを覚えている。

 ルディローザの言葉に、クラック侯爵は満面の笑みと共に頭を撫で、「とても上手だね」と褒めてくれた。

 その横では父と母が嬉しそうにルディローザを見ていて、彼女は喜びのあまり本当に飛び上がり、大笑いされたのだ。そのあと兄とクリストフと3人でブルエーム語とピルピノ語をごちゃまぜにしながら遊んだ。とても楽しい思い出だ。



 強制的に次の場面へと移される。



「聞いた?また殿下の婚約者候補が来てるそうよ。しかも3人も」

「婚約式までしたのに、本当はやっぱりあんな子じゃあ王家も不安なんですよ」

「最初からクリスティーナ様にしておけば、こんなことにならなかったでしょうに」

「全くです。まだ怒られて泣いてるのよ、信じられます?」


 あれは王宮の侍女長たちだ。わざと聞こえるように悪口を言ったり、離れた所でこちらを見ながらクスクス笑うのだ。もちろんそんなことしない侍女の方が多いので、ルディローザは無視していた。それでもやっぱり良い気はしない。



 逃げるように違う場面へと切り替わる。



 あれは初めてのお茶会前に、侍女のマリーに髪結いをしてもらっている時だ。

 アクアティア侯爵家が主催のお茶会で、兄グレアランと最初に少しだけ挨拶をするように言われ、初めてドレスを着た日。大小のリボンがあしらわれた可愛らしい薄ピンクのドレス。薄く付けられた化粧と、結い上げられていく髪。

 家中のそわそわした雰囲気を感じ取ってか、ルディローザも嬉しさ半分、落ち着かなさ半分だった。


「ルディローザお嬢様、いつも以上にとても可愛らしくなりましたよ」

「わあ…!」


 初めて鏡の前に立った時、自分が絵本のお姫様になったような、少しだけ自分が大人になったような気分になった。くるくると回ってみては、マリーに「本当に変じゃない?」と聞く。10歳歳上のマリーは、目を細めて何度も頷いて答えてくれる。


「本当によくお似合いですよ。マリーが嘘をついたことがありますか?」

「ないわ! ありがとう! 大好きよ、マリー!」

「私もですよ、お嬢様」


 2人で顔を見合わせて笑う。どんな時でも自分の味方でいてくれる、彼女の笑顔が大好きだった。今も元気にしているだろうか。



 ぐるりとまた場面が変わる。



 どこかのお茶会だ。

 笑っているのは顔だけ、ギスギスした雰囲気なのは上から見ても分かる。


「ルディローザ様という婚約者がいながら、なぜ王家はまだ婚約者を()()しているのでしょう」

「まさかこんな素晴らしい方がいても不安なんてことないでしょうに」

「わたくしも両親から御妃教育を受けるように言われているんです。ルディローザ様がおられるのに…」

「まあ、わたくしもですわ」


 言い返さないことをいいことに、ルディローザ以外の者は顔を見合わせて笑っている。嘲笑であることくらい分かっているが、表情は崩さない。1人で言う勇気もないくせに、集まった瞬間こうだ。溜息の1つでもつこうものなら、鬼の首でも取ったように大喜びするだろう。そんな隙を少しでも与えてたまるものかと、この無駄な時間が過ぎるのをただ耐えるだけだった。



 その次に見えたのは、ヴィクトルの婚約者候補に選ばれた日だった。

 驚愕する兄グレアランとルディローザ、興奮しながら話す父、口に手を当てて喜ぶ母。


「よくやった、ルディ!」

「貴女は本当に自慢の娘よ」

「ルディ…凄いな、お前…」


 泣き出すルディローザを母が優しく抱き締める。慈愛に満ちた瞳をルディローザに向けて、優しく微笑んでいる。


「もし辞めてしまっても、貴女がわたくしたちの誇りに変わりないわ」


 いつの間にか御妃教育に行く前に、行きたくないと大泣きしていたところに変わっていた。ルディローザはまだ瞳に涙を溜めながらも「…もう少しだけ、頑張る」と小さな声で答えていた。

 母がルディローザの頭を優しく撫でる。


 その瞬間に分かった。



 ああ、()は、誰かに認めて欲しいんだ。



 そう気付いた時、夢が終わった。



 すっかり見慣れた天蓋が目に入った。ルディローザの瞳の色に合わせた藤色のレースが見える。汗でじっとりと濡れた肌着が気持ち悪い。


「目が覚めたのね…!」


 聞きなれたはずの声なのに、その声には焦りの色が強すぎて、誰の声か判断出来なかった。

 ゆっくりと声が聞こえた方に視線を向ける。思いもよらない人物に、ルディローザは幻覚ではないかと疑ったほどだった。


 そこにいたのは、マグラス夫人だった。


「起き上がらなくていいのですよ。すぐに誰か呼んできます」

「…わたくしは、やっぱり不適性だと判断されたのでしょうか」


 立ち上がりかけていたマグラス夫人の動きが止まる。

 いるはずのない人がいるなんて、いつもと違うことが起きているからじゃないのか。

 それこそ、ようやく()()な人が現れたとか、そういったことが。


「何を言うのです」

「いつまでも誰からも認められない、その上体調管理も出来ないような人間です。マグラス夫人が直接伝えに来て下さったのですか」

「落ち着きなさい。とにかくまずは医者を呼びましょう。貴女付きの侍女を…」

「わたくしに専属の侍女はいません。最初からずっと」


 これも夢なのかもしれない。

 あり得ないことばかり起きる。マグラス夫人の驚いた顔が見られる日が来るだなんて。


 それでも誰かに声を掛けに行き、予想に反してそのまま戻ってきた。ルディローザは働かない頭でその様子をぼんやりと見ていた。

 静かな部屋。まるで礼儀作法の授業の前のような。いつの間にこんなに慣れてしまったのだろう、とルディローザは心の中で小さく笑った。


 暫くして入ってきたのは、白衣を着た初老の男性と、知らない侍女だった。医者はてきぱきと触診と問診をし、その間にマグラス夫人と見知らぬ侍女が小声で話していた。荷物を纏めにでも来たのだろうか。

 医者の診断では、ただの風邪。薬を置いて、栄養と睡眠をしっかりとるようにと子供を諭すように優しく言って出ていった。


 マグラス夫人が「もう少し眠りますか?」と気遣う声は、普段からは想像できない程優しい。気付けば声の変化まで分かるようになっていたんだな、とルディローザはぼんやりと考えた。

 小さく首を横に振れば、医者と一緒に入ってきた侍女が夫人の横に並んだ。姿勢の良さや凛とした顔付きがマグラス夫人とよく似ているが、母娘以上に歳が離れている。


「アクアティア侯爵家で、ルディローザ嬢専属の侍女はおりましたか?」

「はい。マリーという侍女がおりました」

「では呼び寄せましょう。それからこのハンナにも貴女専属の侍女になるよう手配します。ハンナはわたくしの()です」

「ハンナです。何なりとお申し付け下さい」


 孫。マグラス夫人の孫。夫人は、彼女のおばあちゃん。


 ルディローザはただ頷いた。

 祖父母というものは孫をでれでれに可愛がるものだと思っていたルディローザは、夫人のそんな姿が全く想像出来ずに戸惑った。ハンナを見る目が、他の侍女や自分を見る時となんら変わりないのだ。


「どうして専属の侍女がいないことを黙って受け入れていたのですか」

「王家の意向でもあるのかと思っておりました。いつ、もっと相応しい婚約者が出てきてもいいようにと」

「どうしてそう思うのです?」

「未だにお試しの御妃教育を受けさせていること、受けたいと思うご令嬢がいることが理由です」


 マグラス夫人は大きな溜息をついた。また減点かな、とルディローザは咄嗟に思った。

 その隣でハンナは少し悲しげに微笑んでいる。


「貴女は、もう貴女自身を認めてあげるべきです」

「自分を認める…ですか?」

「そうです。そもそも、そのお試しの御妃教育ですら、貴女の為でもあるのですよ」


 まだ頭が働いていないのか、全く理解が出来ない。意味が分からなくても、恐らく顔には出ていないはずだ。

 言い出したのは確かに自分だし、代わってくれと思ったことは山ほどある。別に第一王子の婚約者が嫌なのではない。王命でもあり、貴族の義務だと分かっている。


「辞めていく人がいればいるほど貴女の自信になると、ヴィクトル殿下も王妃様もそのように考えてのことです。それに、王家もわたくしたち教育担当者も、皆が貴女こそと思ったから婚約式が正式に行われたのですよ。王家の決定が、そう簡単に覆るとお思いですか」

「それは…いいえ」


「貴女はよく頑張っていますよ」



 その言葉に目を見張った瞬間、詰まった喉の奥からどんどん熱がせり上がってくる。

 マグラス夫人は目を細め、少しだけ口の端を持ち上げた。

 あの時以来の。


「貴女は、()()()()()()()()殿下の婚約者なのです。自信を持ちなさい」


 マグラス夫人の目の前で泣いたのはいつぶりだろう。

 両手で顔を覆っても、涙も嗚咽も止まらなかった。マグラス夫人がそっと背中を撫で、ハンナが濡れたタオルを差し出してくれた。




 いつの間にかまた眠っていたらしい。さっきのことは夢かと思ったが、目元に置いてあった濡れタオルに触れて、夢ではなかったと確信した。


「お目覚めになりましたか? ご気分はいかがですか?」

「もう大丈夫」


 柔らかい笑みを浮かべたハンナが傍に来て、起き上がろうとするルディローザの背中を支えた。部屋にはもう夕陽が差し込んでいる。


「食欲はいかがです? 一昨日の夕食が最後と聞いていますから、食べられそうでしたらすぐに用意します」

「そんなに寝てたのね。体調を崩したのは今朝だと思っていたわ」

「皆様心配しておられましたよ。王妃様もヴィクトル殿下もお見舞いにいらっしゃいましたし、何度も遣いを出しておられますし」

「…熱がぶり返しそうだわ」


 ハンナがふふっと笑う。きりっとした顔はマグラス夫人に似ているが、夫人と違ってよく笑う人のようだ。


「これは内緒ですが、祖母もですよ。あの人が動揺している姿なんて、久しぶりに見ました」

「そうなの? それは少し、見たかったな」

「ふふふ、ではもう1つ、内緒話を。祖母は家でもよく、ルディローザ様のことを嬉しそうに話していますよ。母いわく、王妃様の時と同じだと」

「それは……本当に、嬉しい」




 後日、本当にアクアティア家から侍女のマリーが派遣され、ハンナと共にルディローザ専属の侍女となった。侍女長たちはマグラス夫人による再教育のあと、降格し異動になった。ルディローザに専属の侍女を付けるようという命令に虚偽の報告をしたからだ。また、虚偽の報告が出来てしまうシステムも見直されることになった。

 ルディローザも甘受していたことを咎められたが、それでも彼女はもう、落胆も、歯痒さも、劣等感も持たなかった。


 ルディローザは少しずつだが自信が持てるようになってきた。

 彼女自身をサポートしてくれる人たちを信じること。そして努力し続けている自分を認めること。

 それがようやく出来るようになった彼女は、所作から来る美しさだけでなく、自信というオーラが加わったことにより、更に美しくなった。


 次のシーズンには、誰もヴィクトルの婚約者に取って代わりたいと言う者は現れなかった。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 「貴女は、わ・た・く・し・が・認・め・た・殿下の婚約者なのです。自信を持ちなさい」  マグラス夫人の目の前で泣いたのはいつぶりだろう。 このシーンでまじに泣きました。 頑張って頑張って…
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