ヴィクトルの回想2
ルディローザがスチュアート学園に通うようになって2ヶ月経ったある日、予定通りにパルガーロン国から王太子と王女がやってきた。やってきた、という言葉がぴったりな程、この2人は気軽にこの国へと訪れる。
ピルピノ国に次ぐ友好国で、地理的にも他国に比べて近く、旅路の治安も悪くない。貿易相手国としても非常に重要な相手であるので、若い要人の相手は専らヴィクトルとルディローザが選ばれていた。
そのパルガーロン国の王太子セイロンは、初めて会った時からルディローザにそういった気持ちを抱いているのはすぐに分かった。当の本人は全く気付いていないのはいつものことだ。
パルガーロン国の王族の証である赤髪黒目のセイロンは、ヴィクトルとは違ったタイプの美形だ。雄々しい武人のような鍛えられた身体に、野性的で自信に溢れ、常に片方の口端を持ち上げて挑発的な笑みを浮かべている男。それがセイロンだった。
いつものように弟のエドウィックを回収に向かった時、偶然聞こえてきた会話をヴィクトルは思い出した。
「ルディ義姉様の好きなタイプってどんな人?」
「好きなタイプ、ですか?」
「男性のタイプだよ。ヴィクトル兄様とか僕とか、ジェルバートとか…ルディ義姉様と文通している国外の人でもいいよ」
「父は…」
「え~既婚者以外で! 顔だけだったら? 性格とか考えずにさ!」
「そうですね…う~ん……パルガーロン国のセイロン様でしょうか」
「へぇ、ルディ義姉様ってああいうのがタイプなんだ。じゃあジェルバートもタイプ?」
「そうかもしれませんね。鍛えておられる方は素敵だと思います」
「じゃあ僕も今日から鍛える! ねっ、ヴィクトル兄様!」
心臓が止まる思いで部屋に入ってルディローザを見たが、肝心の彼女は「あら、ヴィクトル殿下。いらしてたのですね」とあっけらかんと言うだけだった。
その日からこっそり鍛えだしたことや、ジェルバートが彼女に必要以上に近付こうものなら鋭い視線を飛ばすようになった話はさておき、とにかくヴィクトルはルディローザがセイロンをタイプに選んだことがずっと気になっていた。
しかも相手はルディローザに一目惚れしている。ヴィクトルと同い年なのに婚約者がまだいないのも、パルガーロン国が「欲しいものは奪え」という考え方が多い国なのも、全てが気にかかる。
パルガーロン国から誰か来ると聞く度に、ヴィクトルはいつも以上に気を張り巡らさなければならなかった。
今回ももちろん例に漏れず、なるべくルディローザとセイロンを2人きりにさせないように気を配っていたが、今回は強敵がいた。
セイロンの3歳下の妹、エミリア王女だ。
このエミリアがあの2人をくっつける為に、ヴィクトルに付き纏うようになったのだ。もちろんセイロンもその意図をすぐに読み取って、ここぞとばかりにルディローザに話しかける。話題はいつも彼女がすぐに食いつく語学――パルガーロン国の流行り言葉や造語だ。案の定釣られまくるルディローザがキラキラとした笑顔をセイロンに見せる度、どれほど歯痒い想いをしたか。
滞在期間の1週間が本当に長く感じた。何度「早く帰れ」と思ったことか分からない。セイロンの熱視線にルディローザが気付かないことだけが唯一の救いだった。
そして最終日。ルディローザが席を外した間に、爆弾が2つ落とされた。
「なあ、どうやったら彼女は振り向くんだ?」
「彼女の婚約者である俺に聞くことではないな」
「固いこというなよ。ま、来年ここに留学するんだし、気長に頑張るか」
「……は?」
「あれ、まだ言ってなかったっけ? 今回の訪問、スチュアート学園に留学することの承認だったんだけど。流石にルディローザ嬢と同学年にはなれなかったから、ヴィクトルよろしくなー」
セイロン自身が留学してくるなんて初耳だ。事もなげに言うセイロンと、その様子を拍手しそうな勢いで見つめるその妹。
ヴィクトルはこめかみを押えたい衝動に駆られた。頭が痛い気がする。
「という訳で、婚約解消準備よろしく!」
「いくらパルガーロン国の王太子だからといって、言っていいことと悪いことがある。下手したら戦争ものだ」
「彼女が自主的に来てくれたら文句ないだろ? お前だって」
「文句大有りだ」
「でしたら、わたくしがヴィクトル殿下の婚約者になりますわ」
「「……は?」」
突拍子もないことを言うエミリアに、ヴィクトルとセイロンの声が被った。兄のセイロンと同じ勝気な美少女は、得意げな顔をしている。
「え、何、お前ヴィクトルが好きだったの?」
「いいえ、特には。でもわたくしもルディ様が大好きですので、同じくらい大好きなお兄様と結婚してくれるのなら我慢します」
「お前ね。可愛い妹にそんな我慢させられる訳ないだろ。俺は自力で振り向いてもらうからいいの」
「そんなこと些細な我慢ですわ! さ、ヴィクトル殿下。わたくしにもお試し御妃教育とやらを受けさせてくださいませ!」
「駄目だそんなこと! こんな腹黒い奴のところに嫁がせてたまるか!」
「かなり失礼なこと言ってるって気付いてる? 2人とも」
本気で付き人にお試し御妃教育を受けられる手配を申し付けたエミリアを見て、ヴィクトルはいよいよこめかみを押えた。頭痛は気のせいではなくなってしまった。
そして本当にお試し御妃教育を受け出し、慌てたセイロンが「俺の矜持の為に止めろ」と言ったことにより終わったが。
念の為、時期をずらして「国外からも御妃教育を受けたいという者がいた」という話にされた。
問題は他にもあった。
ルディローザが入学してから、やたらと彼女に接触しようとしている女子生徒、マリアンナ・ロゼッタ子爵令嬢だ。ルディローザを見つけては令嬢とは思えぬ速さで走り寄り、じっと見つめた後に泣いて走り去るという至極不可思議な寸劇を行っていると、影の者からほぼ毎日報告を受けている。意図が分からずに、ロゼッタ子爵令嬢を調べさせたが特に何も出ず、ロゼッタ家まで調べさせたが特筆すべきものはなかった。
その数ヶ月後、とうとうヴィクトルもその奇妙な寸劇を見ることになった。
雪が舞いそうなほど寒い日に、全速力で走ってきたであろうその令嬢は、鼻の上を赤くしたままこう言った。
「ヴィクトル殿下…! ルディローザ様が酷いんです…!」
その瞬間、ふわりと香る甘ったるい匂い。眩暈が起きたようにぼんやりとする視界と意識。なんて甘美な香りなのか。この香りにずっと包まれていられたら……
風上にいたこともあり、香りは一瞬で消えてしまったが、ヴィクトルたちにはその一瞬で充分だった。すぐに王宮にいる側近たちにさっきの出来事を話し、ロゼッタ子爵令嬢に影を付けさせた。
ところがどこからその香りがするのか中々分からず、仕方なくロゼッタ子爵令嬢含む3人に近付くことを許した。暫くして、それがラムリエ商会で買ったペンダントからだということが分かったが、今度はそれを見張りつつ、そうやって油断させている間に証拠を集めさせた。
ロゼッタ子爵令嬢たちの傍に行かなければならない時は決まって風上にいたので、風がない日や雨の日はほっとした。
内容のない軽い無駄話に付き合わされるのも、ありもしないルディローザの悪口を聞くのも、勝手に馴れ馴れしく愛称で呼ばれるのも、変な噂も。全て嫌だった。貼り付けた笑顔で、ただ黙って聞くだけ。苦行だ。
それと同時に、心の隅で彼女が嫉妬してくれないかと期待した。変な噂を聞いて、自分のことを気にかけてくれたら。
けれど恒例の2人きりのお茶会でも、意地のように送っている手紙でも、そのことについて触れなかった。いや、触れられなかった。
もし無反応だったら。それなら婚約解消しようなんて言われたら。
どうしても、怖くて聞けなかった。
恒例のお茶会をキャンセルしてまで詰めに詰めたおかげで、証拠は綺麗に揃った。国王や宰相にも全て説明し、あとは週末の査問委員会まであのペンダントを見張ればいいだけだ。
証拠が揃った日、ヴィクトルは上機嫌だった。そのこと気付いたのであろうロゼッタ子爵令嬢から、恐ろしく馬鹿げた提案を受けても、表情を崩さないだけの余裕があった。
「あんな酷い人、ヴィー様には合いません! 婚約破棄なさったらどうですか!?」
その言葉に、ヴィクトルはわざと目を細めて微笑んだ。ロゼッタ子爵令嬢が顔を赤らめて嬉しそうにしていることなんてどうでもいい。
校舎の中に見えたルディローザが、少し寂しそうな顔で自分から視線を逸らしたこと。そっちの方が重大だった。胸に広がる熱は喜びだ。この時、ヴィクトルは決めた。
もう止めよう。この気持ちを抑えるのは。これが片付いたら、彼女がこちらを向いてくれるまでゆっくり待つなんてことは止めよう。そう決めた。
あの3人が、ルディローザに婚約破棄を迫るという愚かなハプニングはあったものの、ペンダントも無事確保出来たし、関係者は全員捕らえることが出来た。
あの日を境に、彼女に触れることを解禁した。ずっとずっと我慢していた。ずっと、必要以上に触れないように。それは彼女の為でもあり、自分の為でもあった。
確かに最初は焦りすぎた。けれど、顔を真っ赤にしながらも本気で拒否しない彼女が可愛くて、愛おしくて。たまに仕掛けてくる「これでどうだ」と言わんばかりの反撃にも、そのあとすぐにやり込められて盛大に恥じらいながら悔しそうな顔にも。
それが、卒業パーティのダンスの後から目が合わない。
原因のグレアランは「ヴィクトル殿下を意識していることにやっと気付いたらしいですよ」と言っていたが、それは当然だろう。彼女に「意識して欲しい」とストレートにお願いしたのだから。真面目な彼女のことだから、言えばそうしてくれると分かって言ったのだ。
だけど、ここまで目が合わないのは想定外だ。
露骨に逸らされる訳ではないが、話す時は額や鼻、首元ばかり見ている。傍から見たら目が合っているように見えるだろう。
「ルディ」
「何でしょう、ヴィー様」
恒例のお茶会中である今も、彼女はヴィクトルの首元に視線を向けて話していた。
「最近、目を見て話してくれないよね」
ルディローザは貼り付けた微笑みのままだったが、ヴィクトルには彼女が動揺したのが分かった。黙って彼女を見つめても、やっぱり目が合わない。
「ルディ」
「はい」
「ルディ?」
「……はい」
やっとちゃんとこちらを見た。眉と目尻を下げ、叱られた子犬のような表情。すこしずつ朱色に染まっていく頬。いつもならつい許してしまいそうなその愛らしい姿も、今日はぐっと堪えて彼女を見つめた。
「意識してくれてるのは嬉しい。でも、目が合わないのはちょっと傷付くな」
「すみません…」
暫く言い淀んでいたルディローザだったが、おずおずと口を開いた。
「意識しすぎてるとは分かってはいるのです。でも、どうしてもヴィー様の目を見ると…その…」
「緊張する?」
「緊張もするのですが、その後不安になるのです」
「不安?」
彼女の視線が外れる。名前を呼んで顔を上げて貰おうかとも思ったが止めた。
すぐに、これは正解だったとヴィクトルは思うことになる。
「変なところはないかとか、ちゃんと話せたかとか…嫌われるようなことをしてないか、とか……」
どんどんと小さくなる声。耳まで薄っすらと染めて下を向いた彼女に、今日初めて目が合わないことに安堵した。
彼女は自覚していなくても、恐らくちゃんと好きになってくれている。
緩む頬を隠すように、手で口元を覆った。
「参ったな……」
長期戦も覚悟していたのに。なんて嬉しい誤算。
ヴィクトルは天を仰いで思った。
結婚できるまであと2年。
ああ、なんて長いんだ。




