10.卒業式
「まあ。今日が“婚約破棄の日”だったのですか」
「ロゼッタ元子爵令嬢によるとね」
今日は兄たちの卒業式だ。
在校生はその後の卒業パーティにのみ参加することになっており、ルディローザもヴィクトルと共に馬車で学園に向かっている途中だ。
ヴィクトルのタキシードは紺地で金の刺繍、ネクタイやチーフはルディローザの瞳の色である藤色だ。一方のルディローザも紺色のレースのドレスに金の刺繍、ヴィクトルの瞳の色であるスカイブルーの薔薇のコサージュがいくつもつけられており、髪飾りやイヤリングには希少なブルーダイヤモンドと金細工の組み合わせ。ルディローザの蜂蜜色の髪に負けないくらいに輝いており、見ればすぐに2人がペアだと分かる。
「卒業パーティで、俺が全校生徒の前でルディに婚約破棄を宣言するはずだったらしいよ。少し考えれば、そんな愚かなことをする訳がないと分かると思うけど」
「それほどあの劇薬が強力だったのではないですか?」
「そうかもしれない。ともかく未然に防げて良かった」
「そうですね。せっかくの先輩方の卒業パーティが滅茶苦茶になるところでした」
それもあるけどね、とヴィクトルはルディローザの手に自分のそれを重ねた。未だに慣れないルディローザは顔を赤らめて下を向いてしまう。
王宮から出る前、着飾った姿を手放しで褒められた時の照れがやっと引いたばかりなのに。
「そんな馬鹿げた薬のせいで、ルディを失う羽目にならなくて良かった。万が一そんなことがあったら、悔いても悔やみきれない」
「お、大袈裟ですわ」
「大袈裟なもんか。俺が1番欲しいものは君だよ、ルディ。信じてないなら何度でも言おう。俺はルディが好きだよ」
「充分です…ありがとうございます…」
絡められた指に、ルディローザはもう何も言えなくなった。
あの劇薬は偶然の産物らしく、同じ物が2つとしてないらしい。1週間ほどで効果の切れた2人はこれ以上になく後悔し、素直に騎士見習いとして働くことを了承したそうだ。
「それにしてもルディが悪役令嬢って、そこからおかしな話だけど」
「その悪役令嬢とは一体何なのですか?」
「なんでも、無理矢理俺の婚約者になって、俺と仲良くなる彼女に嫉妬していじめ抜く、我儘で頭の悪い令嬢のことらしい」
「それが原因で破棄を?」
「ああ。階段から突き落としたり、私物を壊したりしたことを断罪して婚約破棄。そしてすぐ、相思相愛の2人はその場で彼女と婚約をする話らしい」
「まあ」
聞けば聞くほど不思議な話だ。侯爵令嬢なら自ら手を出さずとも、何とでもできるだろうに。
それになにより…
「それだとヴィー様が堂々と浮気なさっていたことになりますわね」
「だろう? 愚か者しか出てこない物語だ」
可笑しくなって顔を見合わせて笑う。それが一国の王子だなんて、恐ろしすぎて笑える話だ。ブルエーム国滅亡の危機だ。
まだ意識してしまって恥ずかしさの方が強いけど、こうやって笑いながら少しずつ慣れていけば良いな、とルディローザは思った。
馬車が停まる。学園に着いたようだ。
「行こうか」
「はい」
第一王子の顔になったヴィクトルと、その婚約者の顔になったルディローザ。どちらの卒業でもないが、入場は最後だ。誰よりも美しく気高くなければならない。
割れんばかりの拍手に恥じないよう、2人は胸を張って堂々と歩みを進めた。
「本当に綺麗だよ、ルディ。誰にも見せたくないくらい」
「あ、ありがとうございます…でも今はお止め下さい…! 足を踏んでしまいます…!」
「ふふ」
卒業パーティのダンス2曲目。唇が耳に触れるぎりぎり手前で囁くヴィクトルに、ルディローザの頬と耳が薄く染まる。そんな彼女の姿を彼は目を細めて見つめる。
「次はグレアランと?」
「そのつもりです。結婚したら中々踊れないでしょうし」
兄は卒業後すぐに婚約者ダイアナと結婚し、アクアティア侯爵家を継ぐ勉強をしながら外交部で働くことが決まっている。ダンスがあまり好きではない兄のことだ、きっと結婚したらダイアナと3回踊ったらもう止める姿が目に浮かぶ。
ルディローザもヴィクトルも、今日だけは卒業生数名と踊る予定だ。
「あまり無理しないようにね」
「ヴィー様も」
「やっぱり他の人に代わりたくないな。誰かに取られないか心配だ」
「ふふ、ご冗談を」
「本当だよ。君ほど素晴らしい人を、俺は他に知らない」
優しく輝くスカイブルーの瞳を見つめ返す。
誰よりも努力して、羨望の眼差しを常に向けられている人。
誰よりも美しく、気高く、常に輝いている人。
思えば恒例のお茶会だって、自分が励まされたことの方が多い気がする。愚痴を言って慰めてもらうことも。自分には難しいことも、彼はいとも簡単にこなしているように見える。そう見せるのが上手いと知ったのはいつだったか。
彼はいつでも自分の数歩先を歩いているような気になって、私はいつも追いつきたくて必死なのに。
それを言うのは、私の方だ。
「ヴィー様以上に素敵な人なんていません。これ以上、虜にさせないで下さいませ」
ヴィクトルにしては珍しく、誰もが分かる程に目を見開いて驚いた。
そして、甘く蕩ける視線をルディローザに向けたまま、頬を薄く染めた。
「参ったな」
初めて見せる第一王子の照れた顔に、会場は大きくざわめいた。口に手を当てて驚きの声を上げる者、頬を染める者、中には悲鳴をあげて倒れる者までいた。
名残惜しそうなヴィクトルの手を離し、グレアランの手を取る。ヴィクトルも卒業するブライバル公爵令嬢と挨拶を交わしている。
「ルディ、殿下に何て言ったの。照れてる殿下なんて初めて見たぞ」
「殿下以上に素敵な方はいませんので、あんまり虜にさせないで下さい、と」
「はあ!? 本気でそんなこと…」
「ええ、これ以上他のご令嬢を虜にされて、前みたいなことがあったら困りますもの」
「お、お前…」
今にも頭を抱えそうな程に顔を歪ませたグレアランに、ルディローザは首を傾げる。
「はぁ…次はジェルバートと踊るのか?」
「いえ、卒業生とだけ。そもそも最近、ジェルバートは目も合わせてくれないどころか声も聞いてませんわ」
「あいつは危険察知能力が異常に高いから」
「お兄様、さっきから言っていることの意味が分かりませんわ」
「お前ほんとそっちは不得手だよなぁ」
恐らく恋愛系の話だと推察するが、それでも意味は分からないルディローザだった。
だって、と内心ムッとしたままルディローザは自分に言い訳をする。
愛だの恋だの、そんな余裕は自分には全くなかった。精々友人の話を聞いたり、外国語の恋愛小説を読んだりして触れたくらい。ずっと自分のことだけで精一杯だった。
それに比べて周りは凄い。学業に、花嫁修業に、お洒落に。恋をして綺麗に輝きだした友人を何人も見てきた。ヴィクトルに至っては自分よりも忙しかったはずなのに。対象が自分ということは置いておいて。
ルディローザはほとほと自分は不器用だなと落ち込む。
「ちょ、そこまで落ち込むなって…! 俺が殿下に殺されるだろ」
「そんな大袈裟な。見ておりませんよ」
「お前な…殿下がどれほどお前のことを好きか……おいやめろ、今照れるな! 今顔を赤くするな! マジで殺される!」
グレアランがちらりと視線をヴィクトルに向けると、ばっちり目が合った。満面の笑みなのに目が笑っていない。彼は寒気のする背筋をピンと伸ばした。それを見て、ルディローザは苦笑する。
「ほら、笑顔じゃないですか」
「どうしてあれが真っ黒だと分からないんだ…他の人のは分かるくせに」
そんなことはない。ルディローザにもヴィクトルの笑っていない笑顔の圧に悪寒を覚えることはあるのだ。特に最近は。
そう拗ねたように零せば、今度はグレアランが苦笑する番だった。
「漸くルディも殿下を見るようになったか」
「見ておりましたよ?」
「いや、そうじゃない。殿下自身を意識して見るようになったという意味で…今のは俺が悪かった。謝るから今赤くするな! おい頼む! 兄を助けろ!」
意識しては、いる。
ただそれは過剰なスキンシップに慣れていないからドキドキするのだと思っていた。けれどそうではなく、自分がヴィクトル自身へ向けてなのだとしたら。
兄の懇願のような視線と、背中に感じる視線。この曲が終わるまでに、この熱をどうにかしなければならないルディローザは、どちらの視線にも応えることが出来なかった。
私も彼を意識している。
ルディローザがヴィクトルの顔を直視できなくなるまで、あと10分。
お読みいただきありがとうございました。
番外編も出来次第載せたいと思います。




