或る令嬢は父親が怖い
前世の私は勇者に選ばれず、闇落ちして魔王の黒騎士になってしまった。
どういうわけか女として生まれ直してしまった今世だが、今度こそ勇者に選ばれたい。そう思って、私は日夜鍛錬に励んでいる。
……と言っても、今の私は女。娘だから、父からまったく期待されていない。
嫡男じゃないから勇者になれとは言われていない。むしろ令嬢教育を施され、良い婿を迎えて夫に家督を譲るようにと言われている。
冗談じゃない。体は女になったが私の自我は男のままだ。婿など取るつもりはない。
しかし10歳にも満たない女児の私が何を言っても、周囲の大人はまともに取り合ってくれない。
だから私が強くなるには、前世の知識をフル活用して自己流で腕を磨くしかなかった。
屋敷近くの森の中に作った修練場。ここだけが心おきなく木剣を振るえる場所だ。私は時間を見つけてはここに入り浸っていた。
しかし一人で打ち込みや型の練習をしていても、限界がある。基礎ができたら腕を競い合う相手が必要になってくる。
あいにく騎士団の面々は父から、娘の酔狂に付き合うなと言い含められている。父は私が男児のように振る舞うのを好んでいないからな。
父の言付けを破ってまで私に付き合ってくれる相手は――ヒューゴぐらいしかいなかった。
ヒューゴを巻き込むのは誠に遺憾だが……見習いとはいえ騎士団に入団してしまった以上、どう足掻いてもヒューゴは絶対に強くなってしまうだろう。
だったらせめてその力を、私の目的の為に利用させてもらうぞ。
「お疲れ様でした! 今日も稽古をつけていただき、ありがとうございました!」
「おい……それは厭味か?」
「え? どうしてですか!?」
「もうとっくにお前の方が強くなっているじゃないか!!」
誰が見ても歴然だった。元より物覚えの速いヒューゴは、騎士団に入ってからというもの凄まじいスピードで強くなっている。
「私がお前に稽古をつけられる段階はとっくに過ぎた。むしろ私の方が付き合ってもらっている側だ。それなのにその言い方、厭味にも程がある」
「そんなことはありません。俺が強くなれたのはお嬢様のおかげです。それにお嬢様との打ち合いは、俺にとって勉強になることが多いんです」
「勉強? 何の?」
「お嬢様は技が多彩で、動きも俊敏で、騎士団の方々とは違う戦法を好まれます。だから勉強になるんです」
「フン」
なるほど、そういう意味か。
女の体は男に比べると筋肉量が低い。どうしても腕力では劣る。ならどうするべきか? 女特有のしなやかさを活かし、技を磨いていくしかない。
幸か不幸か、私には前世の知識がある。前世ではあらゆる戦い方の型を学んだ。小兵が大物を倒す方法はいくつも知っていた。
だから女の体であっても戦える。女の体でも強くなる方法を知っている。このまま腕を磨いていけば、きっと勇者に選ばれる筈だ。
「ヒューゴは一度食らった攻撃は二度と食らわないからな。よほど私の戦法を研究して対策を練っているんだろう。だから私としても負けてはいられないと思い、日々研鑽して――」
「あ、いえ、体が勝手に動くんです。特に何も考えてないです」
「……」
「お嬢様?」
「お前なんか大っ嫌いだ」
「どうしてですかっ!?」
こいつ、本当に腹が立つ。私はこの体でも戦える方法を必死に考えて修行しているというのに……こいつは……!
脇目も振らず歩き出す。ヒューゴが後からついてきた。何か言っているが聞いてやらない。
森から出てこっそり屋敷に戻る。裏庭に差し掛かったところで、不意に背後から声をかけられた。
「アズール」
「っ、父上!?」
振り向くと夕日を背に、幽鬼のように佇む父の姿があった。
私の心臓が飛び跳ねる。……この世界では娘だからまだマシだが、父はかなり苛烈な性格の持ち主だ。それこそ前世では、何度折檻されたか分からない。私の魂には、父に対する本能的な恐怖が植え付けられている。父を前にすると緊張し、思うように動けなくなってしまう。
「またそのような恰好をして、木剣を振るっていたのか」
「う……」
「剣など握らず、刺繍や詩作、舞踊を習うようにと言ったであろう。お前と同年代の貴族令嬢で、男の真似事をしている娘はいないぞ。――ん? なんだ、その小僧は」
父は私の背後にいるヒューゴに気付き、顎をしゃくる。
「は、はいっ、旦那様! 俺……いえ、私はヒューゴ=オーウェルと申します。先日タウンゼント騎士団に、騎士見習いとして入団しました。日中はお屋敷の雑用を任されております!」
そう。ヒューゴは騎士団に入ったはいいものの、まだ見習いだから給金は出ない。そこでタウンゼント家の雑用を手伝い、小金を稼いでいるのだった。
「小間使いの騎士見習いか。大方アズールに無理やり連れ出されたのであろう。立場があるから仕方ないとはいえ、程々にしておけよ」
「いいえ、俺は無理やりなんて――」
「黙っていてくれ、ヒューゴ!」
「お嬢様……」
声を荒げる私にヒューゴは言葉を失った。……頼むから黙っていてくれ。これ以上、父を刺激しないでくれ。
「アズールよ。明日から木剣を持つことまかりならん。私の許可なく外出することも許さない。分かったな?」
「……」
「返事はどうした」
「……はい」
父は言いたいことを言うと、屋敷に戻っていった。
……相変わらず父は苦手だ。威圧的で厳しい人だ。前世の幼少期から刷り込まれた苦手意識は消えない。
前世の私は父を裏切り、魔王の黒騎士となった。魔王に力を授かった後、密かに父に会いに行ったことがある。
自分の息子が黒騎士になったと知って、父はショックを受けていた。元来精神面で問題を抱えていた父は、その後は一日中壁に向かってブツブツ呟くだけの人になってしまったようだ。
哀れに思う反面、どこか胸がすく思いもした。前世の父は、何かと理不尽な暴言や暴力の絶えない人だったからな……私が病的なまでに【勇者】にアイデンティティを見出すようになったのも、父による影響が大きい。
まるで勇者に選ばれなければ存在価値がないというように、毎日毎日、十数年に渡り刷り込まれ続けてきた。
悲惨な末路を知っていても、やはり私にとって父の存在は大きい。見下されて高圧的な声をかけられると、つい体が強張ってしまう。
「お嬢様……」
くそ。よりによってヒューゴにこんな姿を見られるなんて、屈辱だ。
「……大丈夫です。俺が旦那様を説得して、訓練を続けられるようにしてみせます」
「説得って、お前どうするつもりだ?」
「簡単なことです! 孤児院のみんなとも分かり合えたように、お互い本気で打ち合えば――」
「バカ、絶対に止めろ!!」
「えー」
「えー、じゃない! 絶対禁止! 分かったな!? そんな真似をしてみろ、二度と口を利いてやらないからな!!」
「それは嫌です! 分かりました、他の方法を考えます!」
「もうお前は何も考えるな。どうせロクな案が出てこないから……」
いくら父が怖いとはいえ、大嫌いなヒューゴに親が打ち負かされる姿なんて見たくない。絶対に見たくない。さすがに心が折れるわ。
しかしこのままでは、思うように訓練できないのも事実だ。さて、どうするべきか――。
「……そういえば」
「どうしたんですか、お嬢様?」
「ヒューゴ、一週間後にラナン山に登るぞ。周りの人間には一切秘密で、だ。屋敷を抜け出して山に登る準備をしておけ」
「え? ど、どういうことですか?」
「いいから、行くのか行かないのか?」
「行く、行きますっ! 分かりました、準備をしておきます!」
私の頭の中では、とある計画が練り上げられつつあった。だが、実現するには私一人の力では難しい。ここは癪だが将来の為、ヒューゴの力を利用させてもらうぞ。
ククク……バカめ! 私に利用されているとも知らず、呑気に笑みなど浮かべおって……!
――と、いけないいけない。うっかりすると、つい前世の闇落ち面が出てしまう。今度こそ聖剣に選ばれる為にも、言動には気をつけなければ!
「……おいヒューゴ、今の私は変な顔をしていなかったか? たとえば毒蛇みたいな……」
「いいえ、いつも通りのお美しいお顔でしたよ」
「ふん、そうか。ならば良い」
女の体になったのは厄介だが、この体にも利点はある。
そう――それは私の美しさに磨きがかかったということだ。
前世の男だった私も美しかった。それはもう美少年だった。成長してからは美青年になった。アルスターの美青年大会で優勝した経験もある。それも一度じゃない。参加した時は必ず優勝した。
終いには私が参加すると優勝が決まってしまうので、殿堂入りという名目で参加が禁じられたほどだ。
銀糸の如き流れる髪に、蒼穹を思わせる鮮やかな水色の瞳。肌はきめ細かく、陶器のように滑らかで白い肌。スラリと伸びた手足。引き締まったしなやかな筋肉。
男だった頃も美形だった私が女になったのだ。美少女になるに決まっている。
私は自分の美貌が好きだ。鏡を見ているだけで癒される。満たされる。
そんなわけで、たまに腹が立つことがあっても自分の美しさを見れば自然と気持ちが治まるのだった。
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