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或る侯爵令嬢と孤児の少年

 娘として生まれ直した私には、赤ん坊の頃から【前世】の記憶があった。

 タウンゼント家の嫡男として生まれ、期待されて育ちながらも、家族の期待を裏切ってしまったこと。

 元孤児で幼馴染のヒューゴが勇者に選ばれたことで心を蝕まれ、魔王の囁きに身を委ねてしまったこと。

 魔王の眷属たる黒騎士となり、世界を危機に陥れたこと。

 そこまでしてもヒューゴには敵わず、最後は魔王に裏切られ殺されたこと。


「思えば、ろくでもない人生だったな……」


 領内の散歩道を歩きながら、私は一人述懐する。令嬢として生れ落ちた私はすくすく育ち、8歳になっていた。

 前世――あえてこの表現をする――は、本当に散々な人生だった。何一つ良いことがなかった。

 そしてどういうわけか、私は赤ん坊時代に戻ってしまった。

 いや、戻ったというべきか、生まれ直したというべきか。前世の記憶を持ったまま、女子として生まれ直したのだ。


「最期の瞬間、もう少しまともな生き物に生まれ変わりたいと願ったが、まさか叶えられたのか? しかしコレがまともな生き物なのだろうか?」


 まあ前世に比べればマシ、なのかもしれない。

 少なくとも嫡男としてプレッシャーをかけられることはない。

 前世では、8歳といえばとっくに嫡男としての教育が始まっていた。

 座学に武芸。今回は娘だから一切教えられない。勇者になれと期待されていない。だからプレッシャーもない。父の当たりもだいぶ柔らかい気がする。


「少し寂しい気もするが……ん? あれは?」

「アズールお嬢様ーっ!」

「げっ、ヒューゴ!?」


 ぶつぶつ呟きながら屋敷近くの村を散歩していると、近くの孤児院で暮らすヒューゴが駆けてきた。

 ヒューゴは私より1歳年下だから、現在7歳だ。彼が暮らす孤児院はタウンゼント家が出資しており、私とは既に顔見知りだった。

 私はタウンゼント家の子女として、孤児院や救貧院への慰問を行っている。否、行わされていると言うべきか。

 貴族の夫人や令嬢が、社会的弱者の救済――いわゆる福祉に携わるのは、フィン神聖王国ではよくあることだ。

 これは嫡男の時には行わなかった。やはり嫡男と令嬢では扱いが違う。そのせいでヒューゴとの出会いも前倒しになってしまった。

 前世の記憶では、こいつとの出会いは10歳ぐらいだったからな。


「げ、元気そうだな、ヒューゴ」

「はい、お嬢様もお元気そうですね! 本日もご機嫌麗しゅうございます」

「……お前にはそう見えるのか?」

「はいっ!」

「ふ、ふふふふふ……」


 つい今まで、前世のことを考えて苦虫を噛み潰したような顔をしていたと思うんだがな。

 ……いや待て、怒るな。落ち着け私。ヒューゴとは前世で色々あった。正直、今でも良い感情はまっっったく抱いていない。だが前世の記憶があるからこそ、今世では効果的にヒューゴの邪魔をできる筈だ。

 ふんっ、覚悟しておけよ、ヒューゴ。お前を勇者にしない為に、これから思いっきり妨害してやるからな!


「ヒューゴ。お前は赤ん坊の頃、孤児院の前に捨てられていたそうだな」

「はい」

「ふん、可哀相に。孤児院の職員たちは悪い人間ではないが、孤児の数は少なくない。満足な愛情は注がれず、教育も行き届いていないのだろう」

「……」


 おお、唇を噛み締めて俯いている。その胸に去来しているのが悲しみなのか苦しみなのかは知らないが、とにかく懊悩している筈だ。ふふん、いい気味だ。……が、私の目的はこいつを一時的に傷つけることではない。そんなことよりも、もっと遠大で壮大な計画があるからこその発言なのだ。


「だがどんな環境であっても、道を切り開くのは己の力だ。努力だ。努力さえすれば未来は輝かしいものになる」

「え……?」

「お前がひとかどの人間として身を立てれば、お前の本当の両親と再会できるかもしれないぞ」

「……お嬢様……」


 ヒューゴは仔犬のような濡れた瞳を私に向ける。その瞳は正直言って嫌いだが、今はまあいいだろう。これも計画の一部だ。


「いいか、ヒューゴ。今のこの平和な世の中で身を立てるなら、勉強が一番だ」

「えっ?」

「今時の男児が出世するなら勉強しよう、勉強するべきだ。そうは思わないか?」

「は、はあ……ですが俺は読み書きなんて出来ませんが」

「何だと? まったく、あの孤児院はもう少し子供の教育に力を入れるべきだな。まあいい、お前に関しては私が教えてやろう」

「ほ……本当ですかっ!?」

「私は嘘などつかない。大船に乗ったつもりで安心しろ」

「あ、ありがとうございますっ!」


 ヒューゴは瞳を輝かせて、勢いよく頭を下げた。

 ふん。何も私は伊達や酔狂でこんなことを提案したのではない。

 私が知る青年に成長したヒューゴは、非常に身体能力に恵まれていた。怪力で俊敏性も高く、おまけに成長速度も速いという化け物スペックの持ち主だ。

 前世のヒューゴは娯楽に触れる機会が乏しく、木剣で遊んでいるうちに強くなったという。

 ……なら剣ではなく本でも渡しておけば、こいつは強くならないのでは? 私の地位を脅かさないのでは?

 というわけで私は、ヒューゴをガリ勉に教育することに決めた。


「俺のような孤児がお嬢様から直々に勉強を教えてもらえるなんて、夢のようです!」


 ククク……バカめ! 何も知らずに感謝しているが、すべて私の掌の上だ!

 というわけで、私は空いた時間を使ってヒューゴに読み書きを教えることになった。


***


 あれから一か月が経った。私は暇を見つけては孤児院に通い、ヒューゴに読み書きを教えていた。おかげで今のヒューゴは、この国の文字を一通り読み書きできるように成長していた。


「こんにちは、お嬢様! この前、アズールお嬢様が渡してくれた本を読み終わりました」

「そ、そうか、もう読み終わったのか」


 孤児院を訪ねるとヒューゴが駆け寄ってきた。先日私が渡した本というと、一冊につき300ページ超、全10巻のシリーズ作だったような気がするのだが……こいつ、もう読み終わったのか……?


「はい。貧しい農民の子供から一国の王様まで成り上がった偉人の伝記、とても面白かったです! 俺もあんなふうに立派な人間になりたいと思いました!」

「……ちなみに一番好きな場面は?」

「第8巻の265ページ目ですね。これまで最大のライバルだと思われていた将軍と和解して手を取り合う場面は、涙なしには読めませんでした!」


 ……どうやら本当に読破しているようだ。子供向けの本でもない、大人向けの伝記小説なのに。私ですら前世で初めて読破したのは10歳の時、三ヶ月かけて読んだというのに。

 まあ、いい。とにかく本の虫になっているのなら、私の計画通りだ。ククク……このままヒョロガリの道を進むがいい……!


「彼の人物は貧しいながらも勉学を続け、その知恵が重宝されて大人物に成り上がったんだ。ヒューゴも慢心することなく学び続けるんだぞ」

「はいっ!」


 今のところ私の企みは功を奏しているようだ。ヒューゴの知性は伸びているが、剣の腕はまったく磨かれていない。勇者ではなく賢者なら、私の邪魔にはならないだろう。これで良いのだ。


「……ん? おい、その腕の痣はどうした?」

「あ、これは、転んでしまった時についた痣です」

「そんな痣には見えないが。まるで誰かに殴られたようじゃないか」

「いえ、そんなことは……」


 その時だった。私たちは孤児院の中庭にある四阿あずまやで勉強している。そこに数人の子供たちが駆け寄ってきた。


「おいヒューゴーっ! 先生が呼んでいるぞー!」

「……すみません、お嬢様! 行ってきますね」


 同じ孤児院の子供たちに呼ばれて、ヒューゴはぺこりとお辞儀すると駆けていく。

 体格のいい子供たちは、ニヤニヤ笑いながらヒューゴを見ていた。その様子が気になった私は、こっそり後をついていく。

 少年たちはヒューゴを孤児院の裏へ連れて行くと、突き飛ばした。


「お前、ムカつくんだよ! お嬢様に目をかけてもらえているからって、調子に乗るんじゃないぞ!」

「そんな、俺は調子に乗ってなんか……っ、痛ッ!」

「ウゼェんだよ、口答えするんじゃねえ!」

「そうだそうだ! 先生が呼んでいるっていうのはウソだ! お前は俺たちの仕事を代わりにやっておくんだな!」

「これに懲りたら二度とお嬢様に近付くんじゃないぞ!」


 ヒューゴは殴り飛ばされた上に蹴り飛ばされ、バケツに入った汚水を浴びせられた。そして仕上げと言わんばかりに、孤児の靴底で頭を踏みつけられる。

 ……は? 何してるんだ、あのクソガキども。

 はっきり言おう。私はヒューゴが嫌いだ。私から立場と聖剣を奪い、欲しかったものを横から奪っていくヒューゴが憎くてたまらなかった。ヒューゴという存在を否定する為なら、魔王の手先となるのも厭わなかったほどに奴のことを嫌い抜いている。

 それなのに、目の前でヒューゴが苛められているのを見ると、無性に腹が立ってきた。

 ヒューゴは私が存在のすべてを賭けても、一矢報いることすらできなかった男だ。

 断じてこんなクソガキどもに舐められ、殴られていい男じゃない。

 一度は聖剣に選ばれた男だぞ。私は選ばれなかったのに。

 一度は私を倒した男だぞ。私は奴に傷一つつけられなかったというのに。

 そのヒューゴを足蹴にすることは……前世の私の、ひいては私の夢を、人生を足蹴にするのも同然だ。

 その男に引導を渡すのは私の役目だ。他の誰のものでもない。私はたまらず飛び出していた。


「お前たち、何をしている!?」

「げッ、アズールお嬢様!?」

「いやあの、これは……」

「今すぐその足を退けろ! ヒューゴはお前たちのような者が足蹴にして良い存在ではない! 身の程を弁えろ!」


 血相を変えて怒鳴る私の剣幕に、孤児たちは顔面蒼白となってヒューゴを踏んでいた足を退ける。だが私は止まらない。今度は孤児たちではなく、ヒューゴに向かっ叱りつける。


「ヒューゴもヒューゴだ! 何を黙ってやられているんだ! お前ほどの者なら、その気になればこんな連中一捻りだろう! みっともなく地面に蹲っているんじゃない! 立て! そして私について来い!」

「あっ――!」


 怒り狂い我を失った私は、ヒューゴの手を掴むと孤児院を後にした。

 向かった先はタウンゼント家の裏にある、森の一角だ。

 今世の私は嫡男ではないから、武芸の鍛錬を一切受けていない。

 だが私は諦めていない。前世は散々な結果に終わったが、今世でうまくやれば聖剣に選ばれることが叶うかもしれない。一度は諦めた勇者になれるかもしれない。

 だからこうやって、人目につかない場所で密かに鍛錬を重ねていた。

 堅木を削りだして作った木剣。前世の記憶を頼りに、頑丈な樹木の幹や、枝にぶら下げた的を相手に打ち込みを続けている。


「なるべくお前を剣の道から遠ざけておきたかったが――あんな連中に苛められているようでは話にならない。気が変わった。お前はこんなところで這い蹲っている人間ではない」

「お嬢様……」

「木剣を取れ、私が稽古をつけてやる」

「え、お嬢様が――ですか?」

「さっさと木剣を手に取れ! 文句は一切受け付けないからな!」

「は、はいっ!」


 その日から、私とヒューゴの秘密の特訓が始まった。

 私は毎日午後3時から5時の間、森で鍛錬を続けている。

 ヒューゴも孤児院を抜け出しては、同じ場所で秘密訓練に励むようになった。

 ……案の定というべきか、予定調和とでも言うべきか。

 ヒューゴの腕はめきめきと上達し、一ヶ月も経つ頃にはかつてのいじめっ子を撃退できるようになっていった。

閲覧ありがとうございます!


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