或る騎士の死と或る令嬢の誕生
【一周目の世界】
フィン神聖王国の上空に浮かぶ魔王城。
――遡ること、今から半年前。
王国上空にて、禍々しい瘴気を放つ黒い城と共に魔王が復活した。
天には暗雲が立ち込め、水は濁り、作物は育たなくなり、各地のモンスターが活性化するようになった。
だが聖剣ルインに選ばれた勇者ヒューゴが立ち上がり、人類に希望を与えた。
人々は勇者の元に結束し、魔王軍への反撃を開始。
絶対不利と思われた戦局を幾度となく覆し、今や魔王軍を追い詰めるほどの勢力に成長していた。
そしてついに勇者ヒューゴと仲間たちは、魔王城攻略を実行に移した。
仲間たちと共に魔王城に突入し、魔王の幹部たちを次々と倒していく。
ついに残るは魔王と、その副官である【黒騎士】のみという状況になった。
魔王城の最深部に到達した勇者パーティー。玉座の間へと繋がる大ホールで、私は彼らを待ち構えていた。
「……やっと来たか。待ち詫びたぞ、勇者ヒューゴ」
「そんな……まさか、君はアズールなのか!?」
彼らの前に姿を現した【黒騎士】は、かつて彼らの仲間だったこの私――アズール=タウンゼントだった。
表向きは魔王復活の際に起きた天変地異で、行方不明ということにしておいた。
だが実は魔王を復活させたのはこの私で、密かに姿をくらませていたのだ。もちろんヒューゴたちは知る由もない。
死んだと思っていた仲間との再会。だがその人物が敵として立ちはだかっている現実。ヒューゴの顔には一瞬のうちに喜びと困惑が行き来していった。
「生きていたのか……! それは何よりだ。だが君のその姿……まさか、魔王の【黒騎士】とはアズールだったのか……!?」
「ああ、そうだ」
「そんなバカな! 高潔で優しい君が黒騎士になるなんて――魔王に洗脳されているのか!?」
「勘違いするな。私は自ら望んで魔王様の【黒騎士】になったのだ」
「なっ……!?」
「高潔? 優しい? ……私が? ハッ! お前は何も分かっていないな! お前はいつもそうだ。全てを好意的に解釈する。失敗することを厭わず、裏切られても相手を赦してしまう。そんなお前はいつだって輝かしい成果を積み重ねてきた。……現実的に、悲観的に、最悪の事態を想定して動く私が得られなかった成果を見せつけてきた」
私は奥歯を噛み締める。口の中に鉄の味が広がった。
ヒューゴが陽なら、私は陰だ。幼い頃は逆だと思っていた。私が陽でヒューゴが陰。だがそうではないと分かった瞬間から、私の心は密かに歪み始めていた。
「……私はそんなお前が憎かった。妬ましかった。存在自体が許せなかった」
「アズール……」
「聖剣ルインは先代勇者の血を引く私ではなく、孤児のお前を選んだ。私はお前に立場を奪われたのだ。タウンゼント家300年の歴史に泥を塗ることとなった。……お前が! お前という男がいたから! お前さえいなければ、私が聖剣に選ばれていたのだ! お前という異分子が存在したばかりに、私は何物にもなれなかった! 何も掴めなかった! その果てが――この姿だ! どうだ、美しいだろう!?」
赤く濁った瞳。額から伸びた角。背中から生えた黒い羽根。魔王の眷属――悪魔を象徴する【黒騎士】の姿だ。
そんな私の姿を見て、ヒューゴは群青の瞳に悲しみを宿らせる。
……やめろ。見るな。私をそんな目で見るな!!
「見た目が変わっただけではないぞ! 人間の時には使えなかった闇魔法も使えるようになった。これでもう勇者に負けることない!」
すると今まで固まっていた勇者パーティーの面々が反応を示す。
「そんな理由でわたくしたちを裏切り、黒騎士となったとは……」
フィン神聖王国の王女であり、大神殿に仕える修道女リリアーナ。
「……信じられないわ」
大賢者の弟子であり、魔法学院を主席で卒業した賢者カチュア。
「魔王は世界を滅ぼそうとしているんスよ! アズールさん、目を覚ましてくださいッス!」
ヒューゴを慕う元盗賊のグレン。
かつての私を知る全員が呼びかける。しかし私は耳を傾けない。絶対に傾けてやるものか。
「ははは、いつもこうだ。お前の周りにはいつも人が集まってくるな、ヒューゴ。お前はいつも正しい。正道にいるから正しいのではなく、お前がいる側が正しくなるのだ。お前はいつも、私が越えられなかった壁を易々と越えてしまう。私が欲しかった物を奪っていく。叶えられなかった願いを叶えてしまう」
私は幼い頃からずっと、ヒューゴの隣でその光景を見てきた。
「お前が何かを成すたびに、何かを手に入れるたびに、私が望む物はこの手から零れ落ちていった……どれほど惨めな思いに駆られていたか、お前は知る由もないだろう」
「アズール……」
「……フン、戯言は終わりだ。さあ剣を抜け、ヒューゴ。私を止めたければ力づくで止めてみせろ!」
魔王に授けられた【魔剣】を突き付ける。まだ迷っているヒューゴに、グレンが声をかけた。
「ヒューゴさん、こいつはブン殴って止めるしかなさそうッスよ」
「分かった……アズール。君の思い、俺が受け止めてみせる!」
タウンゼント家に伝わっていた【聖剣】をヒューゴが抜く。
私が手にした時は、重くて振り回せなかった聖剣。それをヒューゴが手にした途端、光り輝いた。
その事実が、未だに私の心を苛む。魔王の軍門に下り、黒騎士となった今もなお心を蝕んでいる。その思いを断ち切るように、私は剣を閃かせた。
ヒューゴは真正面から私の攻撃を受け止める。刃と刃がぶつかり、火花が飛び散る。激しい剣戟が繰り広げられる。
ヒューゴの仲間たちはその勢いに手出し出来ず、私たちは一騎打ちのような状態になった。
そしてついに、私の胸が聖剣に捕らえられた。
「ぐっ……!!」
刃が肉を抉り、鮮血を迸らせる。……こんな状態であっても、私の血は赤いのか。などと、どうでもいい思考が頭を過ぎった。
「アズール、もう終わりだ! 俺はこれ以上君を傷つけるつもりはない。だから――」
ヒューゴが手を差し出す。ああ……魔王の力を得ていても、私はヒューゴに敵わないのか……。
圧倒的な勇者の力を見せつけられ、私は頽れそうになる。
――だが、黒騎士の誇りである魔剣を杖のようにして体勢を立て直した。
「もう止めろアズール! これ以上動いたら死んでしまうぞ!!」
「私の命など、どうでも良い……お前を殺せればそれで良い……! それ以外は何も望まないから……ッ、ぐぅぅ……ッ!!」
その時、体の内側から低い声が響いた。
『……ならばその命、我に捧げよ』
「ッ!? ……あ、ああ、アアアァァッ!!」
「アズール!? アズールッ!!」
魔剣が勝手に動き、私の手から離れると胸に突き刺さった。刀身が私の体を引き裂き、剣先が心臓を貫く。
『我の力は十分取り戻せた。惨めな道化よ、もはや貴様など必要ない。これ以上の無様を晒す前に、その命を我に捧げて散り果てるが良い』
「ア……グァ……ッ」
「よくもアズールを……魔王……貴様だけは、絶対に許さない!!」
勇者たちの最終決戦が火蓋を切る。だがその決着を見届けることなく、私の意識は闇に沈んでいった。
――これで……私の人生は終わりか……先代勇者の末裔でありながら魔王の黒騎士となった私に相応しい末路か……。
命を終えようとする私の脳裏に、昔の記憶が蘇る。
ヒューゴが勇者に選ばれたあの日の夜、父は私を呼び出して罵声を浴びせかけた。
『アズールよ、聖剣はお前ではなくヒューゴを選んだ。嫡男として教育してきたのに、お前には失望した……お前は我が一族の恥だ! タウンゼント家300年の歴史に泥を塗ったのだ!』
『……申し訳ありません』
『何が申し訳ありません、だ! 貴様は分かっているのか! 我が一族が研鑽を重ね、聖剣を代々守ってきたのはどこの馬の骨とも知れない小僧にくれてやる為ではないのだぞ!』
『……』
『嫡男として期待をかけ教育してきたというのに、これほど情けないことがあるか! 聖剣を継げなかった貴様に存在価値はない! 貴様など、私の息子ではない!』
興奮した父が投げた茶器が額に当たり、砕け散る。視界が赤く染まったのは、流れた血が目に入ったからだろうか。それとも……。
まだ足りないと言わんばかりに、父は歩行補助に使っている杖で私を打ち据える。
子供の頃から何度も何度も繰り返されてきた折檻。折檻が続く間、私は石のようにじっと耐え続けるしかない。暴力に疲れた父が落ち着くまで、ただ耐えるしかない。
『……』
『……フン、もう良い、過ぎたことだ。今後お前は勇者ヒューゴを支援するのだ。先代勇者の末裔が支援役など良い笑い種だが、せいぜい家名と恩を売っておけ。もはやお前はその程度しか役に立たん。お前にはもう何も期待しない。せいぜいタウンゼントの名に、これ以上傷を付けるでないぞ!』
『……』
『返事はどうした!?』
『……分かりました、父上』
走馬灯が消える。
――なんとも情けない記憶だが、私の最期にはお似合いか……。
思えば【勇者】に振り回された人生だったな。虚しいだけの人生だった。
人類を裏切り黒騎士になった挙句、勇者と戦い、魔王に裏切られ、殺されて……。
父上、私は結局、家名に泥を塗ってしまいました。
今思えば聖剣は私の卑しさを見抜き、勇者に選ばなかったのでしょう。
……もし次の生が許されるなら、今度はもう少しまともな生き物に……生まれ変わりたい………………。
惨めな願いを最後に、私の意識は完全なる闇に閉ざされた。
***
――オギャア、オギャア!
……赤ん坊の泣き声が聞こえる。
それが自分の口から発せられているのだと、少し置いてから気が付いた。
「やっとお出でくださいましたか、旦那様。奥様のことは残念でしたが……お嬢様は今朝、目が開きましたよ。奥様の分まで愛情を注いであげてください」
侍女の服を着た女性が私を抱き上げる。抱かれた私を覗き込む男の顔を見て、心の底から驚いた。
……父だ。しかも記憶にある父よりも少し若い。
相変わらず不機嫌そうな顔をしている。どことなく失望したような表情だ。
「女の子か……まあいい、よく育てるように」
「お待ちください。名前を、お嬢様に名前を授けてあげてください」
「名前? ……アズールとでも名付けよ」
「アズール、ですか。男の子のような名前ですね」
「それの瞳の色。蒼穹を思わせる鮮やかな青。……妻と同じ瞳の色だ。妻は生まれる前から男の子が生まれると信じていた。結局生まれたのは娘だったが……生前の妻が口にしていた名前だ。妻はその娘を生み出す為にこの世を去った。せめて妻が考えた名を授けてやりたい」
「そう、ですか。でしたら私からは何も言えませんね……お嬢様。あなたの名前はアズールですよ」
すぐに父は関心を失ったようで、短く言い捨てるとその場を離れた。
記憶よりも若い父と侍女の顔。二人の言動。小さな手足。
それらの要素から、自分が赤ん坊の頃に戻っていることを悟る。
……なんだこれは、夢なのか?
いや、それにしては生々しい……喉の痛みも、空腹も、侍女の体温も感じる。
これは夢ではない。紛れもなく現実だ。
……では私は、過去に遡ってきてしまったのか?
しかも父や侍女の口振りから察するに、息子ではなく娘として、女児として生まれ直してしまったのか?
一体何故? さっぱり理解できない。
答えを求めて口を開いても、発せられるのは赤ん坊の泣き声ばかり。
先代勇者の末裔であり、フィン神聖王国の辺境を治めるタウンゼント侯爵家。
私は二度目の生を、嫡男ではなく令嬢として授かった。
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