或る侯爵令嬢の縁談話
勇者。それは今から300年前に魔王と戦い、魔王を封印した伝説の存在。伝説的な存在ではあるが、架空の存在ではない。
魔王を倒した後、勇者は祖国【フィン神聖王国】の東の果てにある辺境都市【アルスター】に腰を落ち着けた。
その後、勇者の血筋は土地を治める貴族と交わり、侯爵家となった。
時は流れて、現在。勇者の末裔一族でありながら、アルスター地方一帯を治めるタウンゼント侯爵家。
タウンゼントの当主は領主であると同時に、騎士であることも求められている。アルスター地方は辺境だ。国境に面している上に、出没するモンスターも強い。だから土地を治める領主は強くあらねばならない。
理由はもう一つある。今も当主の部屋には、かつて勇者が使った伝説の【聖剣ルイン】が飾られている。
聖剣ルインには、こんな逸話がある。
『この世に魔王復活の兆しがあった時に、再び勇者が選ばれる。勇者が現れるその日まで、聖剣は眠りについている。勇者に選ばれし者が手にした時に、聖剣はその力を取り戻す』
タウンゼント家の嫡男は、来たるべき日に備えて聖剣ルインに選ばれる人物であれ。
それが代々の当主と嫡男に受け継がれてきた家訓だ。
私――アズール=タウンゼントは、ずっと聖剣ルインに選ばれる為に励んできた。子供の頃からずっと、いつか勇者になるのだと夢見て頑張ってきた。
そして私が19歳になってから幾日か過ぎたある日。【賢者の里】からやって来た使者が、魔王復活を目論む者の活動を明かした。
悪しき者の行動のせいで、魔王を封印する【封印石】の一部が破壊されてしまったという。このままでは魔王が復活してしまうから、勇者に助けてほしい――と。
封印石の一部が破壊された以上、勇者も選ばれる筈だ。私は聖剣ルインを握らせてほしいと頼んだ。しかし聖剣は私を選ばなかった。
聖剣は重く、持っているだけで力が吸い取られるようで、私には使いこなせなかった。
だが聖剣は、タウンゼント家に仕える元孤児のヒューゴが手にした途端光り輝いた。そしてヒューゴは易々と聖剣を使いこなしてしまった。
聖剣は私ではなく、ヒューゴを勇者に選んだのだ……その事実に私は打ちひしがれた。これまで努力を重ねてきた己の人生のすべてを否定されたような落胆に、足元から地面が崩れ去るような感覚を味わった――。
「……なんという屈辱だ……!」
ヒューゴが勇者に選ばれた日の夜。部屋に戻った私は、一人で溜息をつく。
ヒューゴは私より一つ年下の、18歳の青年だ。
獅子を思わせる見事な金髪に、海を思わせる深い群青色の瞳。端正でありながら雄々しく、整った顔立ち。
おまけに体つきも逞しい。しなやかな筋肉で引き締まった体。180cmをゆうに超える立派な体躯。元孤児でありながら、タウンゼント騎士団の正騎士に叙勲された剣技の腕前。
その上性格も良い。明るく朗らかで、困っている人間を見過ごせない。これまで何度もアルスターの人々を助けてきた実績を持つ。
そういう男だから、ヒューゴが勇者に選ばれても、誰も疑問を挟まなかった。
それどころか、当たり前だと受け入れた。領民たちは辺境アルスターから再び勇者が現れたことを誇らしく思い、喜んだ。
だが私は違った。ヒューゴが勇者に選ばれた瞬間から、私は絶望と嫉妬と憎悪に身を燃やしていた。
当たり前だ。誇り高きタウンゼント侯爵家の嫡男として、勇者一族の末裔として、これほどの屈辱があるだろうか。
私は幼少期からずっと、勇者になる為に努力を重ねてきた。
座学に武芸。教養に礼儀作法。次期侯爵であると共に、勇者として相応しい騎士になる為に、歯を食いしばって頑張ってきたのに……。
それが――海の物とも山の物ともつかぬ元孤児の男に奪われてしまったのだ。何も思わずにいられる筈がない。
「あの男が憎い……この手で殺してやりたい……!」
私は生まれて初めて、気を失わないばかりの怒りと憎しみに駆られた。
***
――あれから気が遠くなるほどの月日が流れた。
いや、実際には流れているようで流れていない。
意味が分からない? 安心しろ、それは私も同感だ。
私は未だに己の身に起きた現象について、合理的な説明がつけられない。
あの勇者選定の日は、紛れもなく私の人生における大きな分岐点だった。
だがしかし。私は同じ瞬間を、もう一度繰り返すことになってしまった。
意味が分からない? 安心しろ、私もだ。
だが現実に起きた現象として、私の時は確かに巻き戻った。そしてあの屈辱的な時間を、もう一度過ごす破目になった。
しかも――。
夜の廊下。屋敷の窓に映った自分の姿を見て、溜息をつく。
ガラスには腰まで伸びた美しい銀髪を揺らす、空色の瞳を持つ美少女が映っている。
肌はきめ細かく、雪のように白い。物憂げな表情がなんとも言えない色香を湛えている。胸部もなかなかに豊満だ。
アズール=タウンゼント侯爵令嬢。
女でありながら剣を好み、鍛錬に励み、盗賊やモンスターを討伐しては民に慕われ、正騎士として叙勲された侯爵家の一人娘。
美しいが気が強く、男顔負けの女騎士。変わり者で男を寄せ付けない令嬢。……それが現在の私に対する世間の評価だ。
当然、嫡男ではない。次期当主としても、勇者としても期待をかけられたことはない。かつて私が男だったという事実を知る者は、私以外に存在しない。
「……はあ……」
私は19歳になっていた。そしてつい先日、賢者の里から遣いの者が現れた。
そして聖剣はヒューゴを勇者として選び、私は選ばれなかった……。
ここから先の流れは、もう分かっている。かつて男だった時、タウンゼント家の血を引きながら聖剣に選ばれなかった私を、父は言葉の限り罵った。
今回もそうなるのだろう。……私は憂鬱な気持ちで父の執務室の扉を叩いた。
「父上、アズールでございます」
「うむ、入りなさい」
部屋に入った私は、ぎくりと足を止める。いつもは父しかいない執務室に、もう一つの人影があったからだ。
「……ヒューゴ。やはりお前がここにいるのか……」
「こんばんは、アズールお嬢様。旦那様に呼ばれましたので馳せ参じたのですが……どうかなさったのですか?」
「いや、いい……それよりも父上、ご用件を」
「うむ」
私とヒューゴは父の前で膝をつく。
――前回。最初の人生のことを思い出す。
勇者に選ばれたのはヒューゴで、私は選ばれなかった。そんな私に父は失望し、せめて勇者パーティーに加わって、家の名前を売ってこいと命じた。
今回も同じことが繰り返されるのだろうか?
「アズールよ。お前が何を思い、何を願い生きてきたか、父として理解しているつもりだ」
「……は」
「娘でありながら剣を握り、騎士団に入り、時には過酷な戦況に身を置いたお前だ。令嬢であるお前が何故そのような真似をしたのか。奇妙に思う時もあった」
「すべては勇者が選ばれる日の為でした」
「やはりそうか……」
勇者に選ばれる為。ただその為に、女であっても頑張ってきた。
……それにしても、前回はこんな会話なかったな。勇者に選ばれなかった私は一方的に父に詰られ、暴力も振るわれた。
娘と息子では対応が違うのか。父は満足そうに顎を撫でている。
うん、父のこんな表情も前回は見た記憶がない。
前回はひたすら苦々しく、怒りと失望を露にした顔で私を見下していたからな。
……などと考えていると、父はとんでもないことを言い出した。
「やはりお前は、ヒューゴと結ばれる為に頑張っていたのだな……」
「………………は?」
ん? なんて??
なんか今、物凄く聞き捨てならないことを言われたような気がしたのだが???
「お前は幼少期にヒューゴを見出してから、ずっと気にかけてきたではないか。いつしかヒューゴを生涯の伴侶に――と考えるようになったのだろう。皆まで言わずとも私には分かるぞ」
「え、いや、ちょっと待って。……え? なんでそんな話に???」
「正直に言うと私もな、どこぞの放蕩息子にお前を差し出すよりも、ヒューゴを婿に迎え入れたらそれが一番丸く収まると考えていたのだ。ヒューゴは孤児でありながら正騎士として叙勲された腕を持ち、人望もある。お前の教育の賜物だ」
「いやいやいやいやいや。私はそのような意図でヒューゴを教育したわけでは――」
「おっしゃる通りです、旦那様! 孤児の俺に読み書きを教え、剣を教え、騎士になる道を示してくださったのはアズールお嬢様です。今の俺があるのはアズールお嬢様のおかげです!」
「お前は余計な口を挟むなっ!!」
「?」
ヒューゴは群青色の瞳を輝かせて私を見つめる。
やめろ。一片の邪気もない真っ直ぐな目で私を見るな。私はお前のその真っ直ぐな曇りのない瞳が、この世で一番大嫌いなんだよ!!
「しかし如何せん身分の問題があった。貴族社会は何かとうるさいからな。孤児出身の男を婿として認めさせるには、一筋縄ではいかない」
「そ……そうですよ、父上! 貴族は伝統や慣習に五月蠅きもの。同じ貴族階級の者が平民、それも孤児と結ばれるなど、断じて認められる筈がございません」
なんで変な勘違いされているのかは分からないが、とにかくここはあり得ないという方向に持っていかなくては。私の言葉に父は頷く。
「その通りだ。だから何か功績を立てさせねばと考えていたのだ。他の貴族も納得するほどの功績を、な。……だが勇者に選ばれたのであれば、余計な策を弄する必要はないな。魔王を討伐すれば口煩い連中も黙るだろう」
「そ、それは……確かに魔王を倒せば、国王陛下からも認められ叙勲され爵位も授かるでしょうが……」
実際、タウンゼント侯爵家の始祖がそうだったわけだしな。
「アズール、ヒューゴよ、お前たちの婚約を認めよう。ヒューゴよ、お前は私の義息子となるのだ」
「旦那様……っ!」
ヒューゴは男泣きに涙を流して、身を震わせる。
ねえ、なんで? なんでこんな話になってるの?? なんで父上とヒューゴは勝手に盛り上がっているの???
「先代勇者の末裔の娘と、新時代の勇者に選ばれた男……考えてみればこれ以上ない組み合わせだ。ヒューゴの実力、人格、アズールを思う心はよく知っている。後は功績だけだ。ヒューゴよ!」
「はっ、旦那様!」
「タウンゼント侯爵としてここに命じる! 勇者として魔王を倒し、我が娘アズールを妻に娶るのだ!」
「はっ! 全身全霊、誠心誠意を尽くして頑張らせていただきます!!」
「待て待て待てっ!! ちょっと待て、待ってください父上!! 私の意志は!? なんで勝手に話を進めようとしているんですか!?!?!?」
「なんでって、今言った通りだ。勇者の末裔と新たな勇者なら釣り合いが取れる。収まりが良い。これ以上ない組み合わせだ。お前たちの間に生まれる子は、世界で類を見ない最強の血統保持者になるのだぞ。これが興奮せずにいられるか」
「人間の婚姻と動物の交配のように語らないでください! 私の気持ちは無視ですか!? 私は別にこいつのことなんて全然好きじゃないのですが!?」
「アズールよ……」
父は生暖かい微笑みを浮かべると、私の肩に手を置いた。
「お前のその素直になれないところ、父は嫌いではないぞ。だが少しぐらい素直にならないと、ヒューゴに愛想をつかされてしまうぞ」
「違います!! 変な勘違いしないでくださいっ!!」
「ご安心ください、旦那様。俺はアズールお嬢様の素直じゃないところも愛らしく思っています。逆にそそるというか……ああ、すみません! 旦那様の前でおかしなことを口走ってしまいました!」
「かまわん、今夜は無礼講だ、義息子よ」
「……お義父様!」
あ、ダメだ。二人とも私の話を聞く耳を全然持ってない。
「ちょっと待ってください、勝手に盛り上がらないでください! こ……婚約話で浮かれる前に、もっと大切な話があるでしょう! 世界が危機に瀕しているのですよ!? 今は浮ついた話をするべき時ではありません!」
「む……」
「私も女の身でありながら勇者を志した者。魔王復活の兆しがある時に、婚約話など受けるつもりはありません! そんなものは平和になってから考えるべき話です。まずは魔王を倒してこそではありませんかっ!」
「おお、アズールよ……確かにそなたの言う通りであるな」
「自分の幸せよりも世界の平和を優先的に考えるなんて……アズールお嬢様、やはり高潔な人だ……!」
父上、さすが私の娘だって顔で私を見ないでください。罪悪感が湧きます。
そしてヒューゴ、うっとりした目で私を見るんじゃない。最大限好意的に解釈するな。今の話はすべて結婚を断る為の方便だ。
ますます惚れ直したという顔で私を見るな。頼むから瞳で訴えてこないでくれ。
「さすが我が娘、見事な心掛けだ。ならばヒューゴよ、一刻も早く魔王を倒して来るのだ! アズール、そなたも同行しなさい。そなたは先代勇者一族の末裔なのだからな」
「は、はあ、それは構わないのですが……婚約話の方は……」
「うむ。アズールの言う通り、婚約話は一時置いておくこととしよう。だが魔王を倒した暁には結婚してもらうぞ」
「嘘でしょう!?」
「アズールよ、お前は幼馴染という立場に安心しているかもしれないが、ヒューゴはこう見えて女性から人気が高いのだ。いつまでも素直にならないでいると、他の女性に奪われてしまうかもしれんぞ。少しは危機感を持ちなさい」
「よしてください、旦那様。俺はアズールお嬢様一筋です。どんなに美しい女性が現れようとも、俺の心が揺らぐことは絶対にありえません」
「これほど一途に一人娘を愛してくれるとは、父親冥利に尽きるな。はっはっはっはっは!」
「………………」
やばい。このまま魔王を倒したら、間違いなくヒューゴと結婚させられる。
それだけは嫌だ。絶対に嫌だ。
何故なら私は――男だから。
いや、今の肉体は女だ。生まれた時からずっと女だ。
だがそれは“今世”の話であって、“前世”は違う。
前世の私、アズール=タウンゼントは男だった。
タウンゼント侯爵家の嫡男で、ヒューゴとの間柄も男同士の友人で――ライバル関係に過ぎなかった。それがどういう訳か、私は時間を遡り、女として生まれ直してしまった。
それから19年弱。私は前世の話を誰にもせず、侯爵令嬢アズールとして生きてきた。
しかしまさか、こんな結果になるなんて……聞いていない。
「アズール様、魔王なんてさっさと倒して、二人で幸せになりましょうね!」
「………………」
屈託のない満面の笑顔を私に向けるヒューゴ。
太陽のような笑顔をまっすぐ向けられて、私は思いっきり顔を逸らす。
私はこの笑顔が嫌いだ。ヒューゴが大嫌いだ。
それこそ世界を滅ぼしてもいいと思えるぐらいに、私はヒューゴという人間が大嫌いだった。
――この瞬間、私は決意した。
もう一度勇者を裏切り、魔王の黒騎士となり、世界を滅ぼす側に回ってやろう。
私の貞操を守るには、もうそれしかない。私の心の中で、闇の炎が黒く燃え上がるのだった。
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