3:侍女トウカは社畜を極めている
「おや?お疲れかい?」
主人の執務室で机に突っ伏していたトウカは急に声を掛けられ、慌てて立ち上がった。
視線の先にいたのは大量の書類を持った国王付き補佐官、ジュリアス・グレイル。
黒髪の美丈夫で、25という若さで伯爵位を継いだ期待の精鋭。加えて王の補佐官という宮廷内でもエリートコースまっしぐらの若き伯爵は、淑女たちの注目の的らしい。
「ノックくらいしてください、ジュリアス様。仮にも王太子殿下の執務室ですよ」
「したけれど返事がなかったから失礼しただけだよ。大体、王太子殿下の机で伏せっている君に言われたくはないね」
そう言われてしまっては何も言い返せない。
「何か悩み事かい?」
山のような追加の仕事を手渡しながら、ジュリアスはニヤニヤとわかりきったことを聞く。そんな彼をトウカはキっと鋭い目つきで睨み返した。
(相変わらず陰険で嫌味な男だ。)
国王補佐官であるジュリアスが、彼女に任された案件を知らぬわけがない。何故ならその場にいたのだから。
知っていることをわざわざ聞いてくるあたり、本当に性格が悪い。
「そんなに睨まないでほしいな。僕たち家族じゃないか。そうだ!これを機にお兄様と呼んでも良いんだよ?」
「確かにふた月ほど前、急遽!突然!訳もわからぬまま!!だまし討ちのように、書類上は家族となりましたがあくまでも書類上の事。私は自分をグレイル家の一員だとは思っておりません!」
一応は義兄にあたる若き伯爵に対し、ついついトゲのある言い方をしてしまうがこれは自分のせいではない、とトウカは自分を正当化する。
時を遡ること2ヶ月前。トウカはグレイル家の長女となった。
事の発端は高齢の補佐官が数名、職を辞した事による人事異動。
その異動でジュリアスが王太子付きから国王付きの補佐官となったため、王太子付き補佐官は空席となったのだ。
問題はその空席を誰が埋めるか、だった。
深刻な人材不足に悩む王宮で思慮の浅い王太子の補佐官が務まる人間は限られる。
そこで名が挙がったのが長くギルバートに仕える優秀な侍女トウカだ。
王宮な規則により補佐官就任には貴族籍が必要となるため、ジュリアスは早急に手を打ち、トウカをグレイル伯爵家の養子にした。本人の許可も取らず。
気がつけばトウカはグレイル前伯爵の落胤になっていた。
「大体、前伯爵は私を落胤として認知することを拒まなかったのですか?」
トウカを落胤として認知するというと事は、一夫一妻制のこの国においては自身の不貞を認めると同義。
愛妻家と名高いグレイル前伯爵がそんな事を容認するとは思えない。
トウカは、我が物顔でソファに腰掛ける義兄にそう主張した。しかし、
「父上は君のような優秀な女性が娘になってくれるのならと喜んでいたよ?」
「…私をたかだか補佐官にするためだけに、お父君に濡れ衣を着せるとは」
「濡れ衣だなんて、人聞きの悪い。別に大したことではないよ?ただ愛妻家と名高いグレイル前伯爵も所詮は男だったのだなと言われるだけで」
「最低…」
「まあ、これも母上亡き今だからこそできる技だけどね。流石に、母上を前にして父の不貞の子を受け入れろとは言えないよ」
そう言ってジュリアスは軽く笑う。
その姿に、自分は天国にいる前伯爵の奥方に呪い殺されるのではないだろうか、とトウカは恐ろしくなった。
「そもそも侍女と補佐官の兼任など聞いたことがありませんよ。そんな前例のない人事、議会は許したのですか?」
「前例は覆すためにあるんだよ、トウカ」
「屁理屈ですね」
ああ言えばこう言う、とトウカは舌打ちをする。
彼女は未だ、この人事に納得していない。
だからこうして毎回、義兄と顔を合わせるたびに抗議している。
「とにかく!侍女の仕事をしつつ補佐官の仕事など、明らかにオーバワークです。ほんっとギリギリで余裕なんてないんですよ!」
ただでさえ色々と仕事を押し付けられて激務な中、補佐官を兼任するなど過労死する。トウカはそう主張した。
しかし、
「そんなこと言いつつも、何だかんだ完璧にこなしているじゃないか」
現に何も言わずとも来客に茶を出す余裕だってあると指摘され、トウカは無意識にお茶の用意をしている自分に気づいた。
「違っ…!」
これはもう長年の積み重ねにより、何も考えずとも体が動いてしまうのだ。仕事というより呼吸をするのに近い。そのくらい自然なことだから、仕事のうちには入らないと彼女は思っている。
あまりに有能すぎて誰にも伝わらないのが悲しいところだが、彼女の毎日は本当にギリギリで余力など1つもない。この状態で何か不測の事態でも起きれば対応しかねるのだ。
そのことを理解してもらおうと、トウカは必至に説得する。
「このままでは何かトラブルが起こったとき、崩壊します。せめて侍女を解任してください。」
「それは侍女長に相談しなさい。」
「侍女長様はジュリアス様の許可が出たら解任するとおっしゃっていました。」
「さすが、すでに相談済みか。では後任として君以上の侍女を連れてきたら解任を考えてあげよう」
その言葉にトウカは部下の中でも特に優秀な何名かを脳内で即座にピックアップし、誰を推薦するべきかと頭をフル回転させる。
しかしジュリアスは「そんな人がいたら良いね」と、ティーカップを片手に笑顔で付け加えた。
「私より優秀な侍女など、城には山程おりますが」
「そうかな?僕は君より優秀な侍女など見た事がないけれど?」
怪訝な顔でジュリアスを見るトウカ。
もうこれ、優秀かどうかはコイツのただの主観でしかないのではないかと勘ぐりたくなった。
「僕は今でも時折思い出すよ。貴族のご令嬢や有名な商家の娘に混ざり、救済院出身の平民が、分不相応にも行儀見習いとして城に上がってきたあの時のことを」
ジュリアスは傍で不服そうな顔をするトウカをせせら笑い、過去に想いを馳せた。
トウカは王宮内では異例の存在だった。
素性の不確かな平民という身分に国王という強大な後ろ盾を持つ、歪な謎の少女。
彼女は12歳で行儀見習いとして王宮に姿を現し、あっという間に王太子の専属侍女という身分にまで駆け上がった。
「その後、わずが1年で王太子付き侍女頭となり、年上のご婦人を相手に的確に指示を出す姿はとても面白かったよ」
面白いことなどあるものか、とトウカは顔をしかめる。
親子ほど歳の離れたご婦人に、わずか13の小娘が次々と指示を出すのだ。反発がないなどあり得ない。
もし当時、後ろ盾とされている国王からの一声でもあれば、すぐにでも状況は変わっただろうが最強の後ろ盾はめんどくさそうに「自分で何とかしろ」と言ってきたのだ。あの時は味方に後ろから撃たれたような気分だった。
それでも無事にご婦人たちの信頼を勝ち取り、上手く扱う方法を模索しながら血反吐を吐く思いで努力してここまできた。
そんな姿を当時、この男も国王もそれを高みで見物して面白がっていたのだ。実に憎らしい。
なんて事を思い出していると、ジュリアスはまるで子どもをあやすようにトウカの頭を乱暴に撫で回した。
トウカはその手を力一杯に払いのける。
「まあそう拗ねるな。グレイルの名も、補佐官という身分も使いようによってはいずれ君の身を守る盾となるよ」
「どうだか」
トウカはまるで『お前のためにグレイルの名を与えたのだ』、とでも言いたげなジュリアスの発言を鼻で笑う。
「どちらかというと、ただの平民では制限があって出来なかった仕事をさせたいというのが陛下の本音でしょう?」
トウカに貴族籍を与え、補佐官に任命した王の真意は、この有能な侍女を更に社畜として使い潰すことだと告げる。
「それは陛下に高く評価されているということではないか。喜ばしいことだぞ?」
「陛下は私を評価してくださっているのではなく、私で遊んでおられるだけでしょう。前々からではありましたが、補佐官になってからは更に陛下からの無茶振りが増えて多忙を極めております。おかげ様でここ数ヶ月、まともに休日もいただけていません。さすがにそろそろ抗議したいのですが!」
「陛下はその身分にかかわらず、優秀な人材は重宝されるお方だからね。優秀で良かったね、トウカ」
黒髪の貴公子がにっこりと胡散臭く微笑む。
そんな笑みにトウカは脳の毛細血管がプツッと切れる音を聞いた。
「良くないわっ!そろそろ死ぬわっ!」
そして声を荒げる。
そんな彼女を見てジュリアスはクククッとお腹を抑えながら笑う。
トウカは、なんだか遊ばれているようで実に面白くない。
「……何がおかしいのですか」
「いや、だったら任された仕事を完璧にこなすなどしなければ良いじゃないか。陛下は君に投げた無理難題を、君が拒否しても咎めるようなことはしない。それは君もわかってるだろう?」
無理難題だとわかってるなら投げてこないでほしい。
だが確かにその通りで国王は無茶な要望はこそ出すが、民に思われているほどまで無慈悲な王というわけではない。
無理難題とわかっている仕事を拒否したところで首を切られるということはないだろう。
しかし、
「…王命を拒否するなど、臣下として許されません。」
「真面目だなぁ。だから陛下も面白がって君に色々ふっかけてくるんだよ。もう少し適当にあしらえば良いのに」
「やっぱり面白がっているだけなのか…」
あの日からずっと、トウカは王のおもちゃだ。
自ら望んでそうなったわけで、今更それを反故にする気もない。しかし、やはり気にくわないものは気にくわない。
「とりあえず、王太子付きの侍女をもう二人ほど配置してもらえるように侍女長に話しておいてあげよう。それで我慢してくれないか?ギルバート殿下には君が必要なんだよ」
わかるだろ?とジュリアスは爽やかな笑顔で妥協案を出してくる。
そしてジュリアスはそれでこの話はもう終わりと言わんばかりに手をパンパンと二回叩き、ところで、と話を変える。
「これ、どうする?」
複雑そうな顔をしてとある指令書を見せる。
「こればかりは流石に拒否しても良いと思うよ?」
「………これ、陛下の差し金ですか?」
「いや、本人の希望」
「じゃあ拒否します」
了解、とその場で指令書を破りデスク横のゴミ箱に捨てた。
その紙の破片には’作法’や‘指導’の文字が見えた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!