18:『優』の王子(2)
トウカは頬杖をつきながら遠くを見つめていた。
そんな彼女をジュリアスは見下ろす。
「移住しようかな」
「どこに?」
「アシュタール帝国」
「冗談きついぞ」
現実逃避をするな、と近すぎて文字も読めないほどの距離に書類を突きつけられた。
それは今朝、主人の前に突き出して問い質したものの原本。
「もともと優秀な方ではなかったが、最近の殿下は目に余るものがある。さすが顔だけは一級品と揶揄され続けてきた王子様だ。そうは思わないかい?トウカ」
ジュリアスはいつになく鋭い目つきでトウカを見据えた。
(やはり嗅ぎつかれたか…。まあ隠し通せるとは思っていなかったが)
トウカはその予算申請書の原本を受け取るとしれっと机の端に追いやり、仕事の続きを始める。
「それなら既に捻り潰しましたから問題ありません」
「そういう問題ではないし、問題はそこではない」
言われなくともわかっている、トウカは内心そう思った。
ギルバートはつい先日視察で訪れた孤児院で、子どもたちがいつもお腹を空かせているとを聞き、どうにかしなければと実にギルバートらしい愚策を提案した。
正直、これだけなら今までも良くあるとは言わないが間々ある事だった。
頭は弱いが善良な王太子が民の為に猪突猛進、突っ走って行動し、傍の侍女に怒られる流れは日常の光景だ。
今朝も勝手な事をした主人を侍女が叱りつけたところ。
故に問題はこの案を出したことではない。
この案がどこから出てきたか、という点にあるのだ。
「何でも男爵令嬢が助言したそうだね」
そう、問題はこれがフィオナ・モートンから出てきたという事。即ちそれは、『何も持たないただの男爵令嬢が、国を動かし得るかもしれない』という事を意味する。
もちろん、この申請書は彼女が出したものではなく、ギルバートが勝手に出したものだ。だが周りはそう捉えない。
「殿下は素直なんです。純粋なんです。あなたと違って」
我ながら苦しいフォローだ、トウカは自嘲じみた笑みを浮かべた。
「それは、よく言えば、だね。他人の意見に簡単に流されるなど王の器ではない」
「別に流されたわけではありません。民の声を聞くことは、尊き身分の人間に課せられた義務です」
「物は言いようだね。確かに民の声を聞くことは大切なことだが、それはその声を鵜呑みにする事ではない」
「その辺は殿下もきちんと理解しておいでです」
「理解してこれなら心の底から失望するよ」
ジュリアスは厳しく言い放つ。
言われずとも、自分だって失望した。
この事を知った夜は、せめて申請を出す前に自分に相談してくれていたらと嘆いた。
「最近の殿下は君の声より男爵令嬢の声を拾っているように思うのだけど、大丈夫か?」
「…………」
主人に対する辛辣な言葉にトウカは俯き口を噤む。
決してそんなことはない。
フィオナ・モートンが近くにいると言うだけで、彼自身は何も変わっていない。
トウカにはそれがわかる。おそらくジュリアスも。
だが、周りからはそう見えていない。
だからこそ、今の状況であまり軽率な行動を取らないで欲しかったのだ。
トウカは額を抑え、深くため息をついた。
この城でギルバートはあまり期待されていない。
もちろん、臣下に慕われていないわけではなく、彼のその人柄の良さは皆の知るところであり、城の人間は皆彼が好きだし、彼を認めている。
ただ単に凡庸な王子より、その傍に仕える優秀な侍女に期待しているというだけ。
幼少の頃、ギルバートは何をやらせても、どれ1つ満足に及第点を貰えないほどに何もできなかった。
そんな彼に周囲は次期国王としての素質がないと絶望し、彼を勝手に諦めた。
そして、いつしかギルバートの下に新たな王子が誕生することを期待するようになった。
ところが、トウカが側につくようになってから『劣』の王子は徐々に成長を見せ始めた。そしてみるみる内に、ギルバートは『劣』の王子から『優』の王子になるまでの実力をつけた。
この成長は、他人にとっては小さなものでも、ギルバートにとっては大きなものだった。
故に皆はトウカが側につき、導くならばギルバートがその道を踏み外すことはないと思っている。
たが、彼の成長は単にトウカの指導だけで成し遂げられたものではない。
周囲からの嘲笑や侮蔑の中、いつでも笑顔を絶やさず、常に努力をし続けたギルバートの積み重ねがあってこその成果だ。
それなのに、トウカはギルバートの努力を見ようとしていない城の雰囲気が心底気に入らない。
「君の声が聞こえなくなったギルバート殿下など、この国では何の役にも立たないよ」
「わかっています」
「殿下にはこのまま愚者になられては困るのだよ。彼はこの国のただ1人の王子だ」
「わかっています」
「そもそも殿下の今の地位は君が手綱を握っていてこそのものだろう?」
「わかっています!!」
トウカは声を荒げ勢いよく立ち上がる。
俯く彼女の手にはクシャクシャになった書類があった。
ジュリアスは複雑な表情を浮かべ、トウカの頭に手を置き優しく撫でる。
ジュリアスとて、かつての主人が侮られるなど本意では無い。しかし、今の彼の立場からギルバートを補佐することは難しい。
だから義妹に託すのだ。
「…申し訳ありません、取り乱しました」
「いや、構わないよ」
「今回の件、私の監督不行き届きです。全ての責は私にあります」
トウカは顔を上げ、責任なら自分が取ると強く訴える。
ジュリアスはそんな彼女の覚悟に、ため息をついた。
「トウカ、君の殿下に対する忠義には敬服するが……。忘れてはいないだろうな?君の主人は殿下だが、雇い主はあくまでも陛下だ」
「わかって…います」
「よろしい。わかっているのならばコレを頼みたい」
そう言ってジュリアスはもう一枚の紙を手に取り、トウカの目の前に突きつけた。
「そろそろ本格的に仕事をしたまえ。この国の未来はお前に託されているのだよ」
指令書のサインはエドワード・ハインリヒ・エフェニア。幾度目かの王の勅命である。
その紙切れに書かれた内容をジュリアスは読み上げる。長々と小難しく書かれているが、要約するとこうだ。
『この際マリアでなくても良いから、ポンコツ王太子を支えてくれそうな令嬢を、学園で見つけてこい』
王はトウカが一向にフィオナを排除しようとしていない事を悟り、次の手に出たようだ。
何故そこまでして自分に息子の婚約者を選ばせようとするのか、トウカには甚だ疑問だが、命令されれば逆らえないのが身分というものだ。
相変わらずの雑用係。
だが、マリア様と同じ教室でその姿が眺められるのは悪くないかもしれない。トウカは自然と笑みが溢れた。
しかし…。
「ちなみに、本来ならお前はマリア嬢と同じ学年だが、この間まで平民だったお前がいきなり最高学年に編入というのは酷だからな。ギルバート殿下と同じ、一つ下の学年にしてもらったぞ」
世の中そんなに甘くはない。
ありがた迷惑この上ない配慮に、トウカは崩れ落ちた。
***
その夜、ジュリアスは片手に制服、片手に年代物のワインを手にして義妹の部屋を訪れた。
義妹は制服だけを受け取り、勢いよく戸を閉める。
そして扉越しに「お前とは二度と飲まない」と吐き捨てた。
ジュリアスは、何かしたかな?と思うがすぐさまその考えを否定する。
何かしたのは彼女の方だったな、と。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
ジュリアスもなんだかんだ、ギルバートが大事です。
そして義妹のことも大事です。
二人にとっては、なんだかんだで良いお兄ちゃん…




