自信はあったほうがいい
次の瞬間、えりかは開けたドアをすぐさま閉めた。
「誰かがキャッチボールしてる」
「えっ?」
環は思わず聞き返した。放課後のこの時間に屋上にいるということは、野球部でないことは確かだろう。でももしそうなら、キャッチボールなんかして遊ぶだろうか。いや、そもそも今の音は遊んでいるのではなく――
「というか、ピッチングしてたわ」
「……やっぱり」
環は頷いた。今聞こえた音は、遊びのキャッチボールの音では到底なかった。キャッチャーミットを相手に本気の投球をしている音に違いなかったのだ。
「これは、いきなり当たりを引いたわね」
「どういう意味?」
暗がりの中、えりかはニヤリと笑みを浮かべて続けた。
「一瞬見えただけだけど、ボールを投げてたのは間違いなく女子だったわ。こんな屋上でやってるってことは、あたし達みたいに居場所のない迷子プレイヤーに違いない。スカウティングのチャンスよ」
そう言ってえりかはドアを一気に開けた。
「あなた達、こんなところでなにしてるの?」
屋上のスペースをいっぱいに使ってキャッチボールをしている二人に、えりかはためらいなく呼びかけた。予想通り、一人はキャッチャーミットをしていた。
「見ての通り、投球練習さ! それより急に出て来てなんだおまえ?」
ピッチャー役とおぼしき少女がえりか以上の大声で怒鳴るように言った。
「あら、威勢はいいみたいね。見たところ一年生のようだけど、どうしてこんなところで投球練習を?」
「決まってる。ウチと奏で全国制覇を目指すためさ!」
堂々と胸を張って少女は答えた。なんとなく既視感がある、と環は思ったが、それはすぐにえりかの態度のことだと分かった。どうしてこう、誰もかれも自信たっぷりなのだろう。そんな疑問を抱いていると、キャッチャー役の少女が遠くでおずおずと手を挙げた。
「奏、とは私のことです……佐藤奏、です……紛らわしくて、すみません」
申し訳なさそうに頭を下げる。なにに謝ったのか、環にはよく分からなかった。
「そう。どうやら意欲はあるみたいね。それで、どうやって全国に行くつもりなの。この学校には女子野球部はないこと、知ってるでしょう?」
えりかは奏を無視して、腕組みしている投手役の少女に声をかけた。投手役は両手を大きく広げて答えた。
「そんなの、ウチらで作るに決まってる!」
「どうやって?」
「校門で声かけでもなんでもするさ。なに、きっと野球をやりたいって娘はいるに違いないんだから、なんにも心配いらないね!」
「どうかしら。案外部員集めに苦労するかもよ」
「いーや、すぐ集まるね。普段知らん顔してるだけで、ウチらと一緒に青春の汗を流したい女子高生がきっといる!」
「そう……それは面白いわね」
えりかがニヤリと笑った。環は急に嫌な予感がした。
「いいわ。このあたしの目に入ったからには招待してあげる。アンタ達、あたしと一緒に――」
「ちょ、ちょっと待った!」
環はえりかを引っ張り、二人に軽く頭を下げてからドアを開けて入口に戻った。
「待った待った、あんなガッツリ青春したい系の体育会系まるだしなやつが入るなんて、私はまっぴらごめんなんだけど!」
「環、安心しなさい」
えりかはなぜか落ち着き払っていた。
「ああいう輩を飼い慣らすのがあたしの腕の見せ所よ。大丈夫、環に不利にはしないから」
そう言ってえりかは再びドアを開けて屋上に出て行く。環も渋々後について行った。ドアを閉めるのとちょうど同じタイミングでえりかは言った。
「アンタ達二人、この樋野えりかと一緒に女子野球部を作るわよ。ピッチャーのアンタ、名前は?」
「な、なにぃ~、おまえ経験者なのか?」
「名前は?」
驚きの声を上げる投手役にえりかは一歩も引かない。味方にすると頼もしいヤツではあるかも知れなかった。
「まあいい、教えてやる。ウチの名前は真鍋飛鳥。全国一のピッチャーを目指す者さ!」
飛鳥と名乗る少女はフン、と鼻を鳴らす。対するえりかは奏の元へと歩み寄り、奏と飛鳥のライン上から少しずれた位置に立って飛鳥の方を見る。あの位置はまさか、打席を模しているのか、と環は直感した。
「全国一を目指すにふさわしいかどうか、あたしが判定してあげる。投げてみなさい」
えりかはまるでバットを持っているかのように構えを取った。無駄のない構え。えりかの過去について本人からまだなにも聞いてはいないが、それなりの修羅場をくぐって来たであろうことはその構えが告げていた。
「フン、偉そうに。いいよ、せっかくだからウチの最高の球を見せてあげる!」
そう言うと飛鳥は振りかぶり、オーバースローからボールを投じた。スピードは普通だが、軌道がどこかおかしい。
「まさか――」
思わず呟いた次の瞬間、ボールはえりかの手前でスッと落下し、地面に当たる直前で奏のミットに収まった。
「……なかなかやるようね」
えりかが飛鳥に向けて声をかけた。表情はまるで試合中のような真剣味を帯びている。
「今のはウチの必殺技、七色フォークの中の一つさ。なんならもう六種類も見せようか?」
大声で息巻く飛鳥に向かって、えりかは両手を上に上げた。
「もういいわ。アンタの実力は十分に分かった……それに今のフォークを難なくキャッチした奏さん、あなたの力もね」
えりかは瞳を光らせ、再び告げた。
「飛鳥に奏。あなた達二人をあたしのチームに迎えるわ。最高の勝利をプレゼントしてあげる!」
「な、なに……まさかもう女子野球部を?」
驚く飛鳥にえりかはやけに落ち着いた声で言った。
「野球部が出来るのはまだ少し先。でもあたしには勝算がある。それは試合でも同じ。あたしについて来れば、間違いなく悪い思いはさせない」
飛鳥に負けず劣らず堂々とした態度。二人が息を呑む気配が環まで伝わって来た。
「そっかあ……まあ確かに、部を作ることには少し困ってたんだ」
飛鳥が観念したように溜め息をついて言った。グラブを嵌めた左手を腰に当て、ゆっくり近付いて来る。
「それならご一緒しようかな! 奏、いいよね?」
明るく問いかける飛鳥に、奏は無言で頷いた。
「決まりね。優秀なバッテリーが入ってくれて嬉しいわ」
えりかは笑顔で二人と握手する。幸先よくメンバーが加わったことを素直に喜ぶべきか、暑苦しさが押し寄せそうな不安と戦うべきか、環は咄嗟に判断がつかなかった。