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本気のバントに敵はない!  作者: 小走煌
1 環の日常は変わっていく
6/51

交渉

「ここじゃなんだから、場所を変えましょう」

 えりかはそう言うと、くるりと後ろを向いてどこかへ歩き出した。

 どこへ行くか既に決まっているのか、えりかの歩みには迷いがない。その無防備な後ろ姿を見て、環はチャンスだ、と思った。今撒いてしまえば昼休みをいつものようにのんびり過ごせる。

 しかし、一瞬迷った環は結局えりかについていくことにした。どうせここで逃げてもえりかは際限なく環の前に現れ続けるだろう。それよりはどこかでケリをつけた方がいい。きっとそれは今なのだろう。

 えりかの歩くスピードは速い。いくつも並ぶ教室をグングンと横切り、やがて校舎の外に出たと思ったらすぐに運動場へ抜ける通路へと進んだ。振り向きもしないえりかに離されないように歩いていると、やがてえりかは運動場に出て、グラウンドをまっすぐ突っ切ってようやく止まった。

「こんなところまで来る必要があるわけ?」

 どうにか追いついた環はつい愚痴をこぼした。えりかは無言で足元を軽くならしていた。えりかの立つその場所は、野球部が日頃の練習で使用しているであろうマウンドだった。

「さて、この気持ちをどう伝えたらいいのかしら。緊張するわ。それはだってもう、あたしにとっては恋心のようなものなんだから」

 ふと、えりかはスカートのポケットからなにかを取り出して掌で遊ばせた。それは、硬球だった。

「え、なんでそんなの持ち歩いてるの」

 スカートなんかに入れてたら邪魔なのでは、というよりそもそも硬球を持ち歩く女子なんているものなのか。体育の授業、無言で硬球を投げ込むえりかの表情のない顔が思い出され、環は背筋が凍る思いがした。

「ふふ、なんてったってあたしはこれで全国を制するんだから」

 えりかは手首のスナップを利かせてポンと硬球を上に放ると、落ちて来るそれを薙ぎ払うように掴んだ。

「今、この場で宣言するわ。寄川環、あたしと一緒に野球をしなさい!」

 硬球を持ったまま、えりかはまた人を指して来た。

 野球。それはよくない、と環の本能が告げた。だって野球は――

「この学校には女子野球部がない。だからまずは部を立ち上げるところからね。メンバーはそれなりに選別する必要があるけど、特に心配していないわ。あたしの観察眼は確かだから」

 環は眉間に皺を寄せた。この、えりかの宣言に対して、嫌悪感がなによりも先に立っているからだ。なにをどう伝えるか逡巡して、環はゆっくりと口を開いた。

「ええと、あなたが野球が好きなのはなんとなく分かったけど、どうして私? 昨日一日私を見てたなら分かると思うんだけど、私はバントしか出来ないよ?」

 自らの最たる特技であるバントについて、自分から誰かに話したことはない。そのため『バント』というフレーズを口にした時環は若干の気恥ずかしさを覚えたが、今はそんなことを気にしている場合ではない。バントは出来てもあくまでそれ以上でもそれ以下でもないこの自分にそこまで入れ込む理由はなんなのか、環は純粋に興味があった。

「バントしか出来ない、そう捉えるか……それともバントなら完璧にこなせると捉えるか。物事は捉え方次第でその形を百八十度変えるわ」

 えりかは鋭い目つきで環を見据えた。

「まず、昨日のソフトボールであたしはアンタに惹かれた。だっておかしいでしょ? 体育の授業のソフトボールのピッチャーのボールなんて、素人が下からトスした、まるで打ってくださいって言ってるようなボールだもの。それをわざわざバントするなんて、最初はよほどのアホかと思ったわ」

 その言葉を聞いて環はしまった、と思った。環自身もあのボールは打てばよかったと後で後悔したのだ。ついいつものクセが反射的に出てバントしてしまったに過ぎないのに、まさかアホ呼ばわりされるとは。

「でもあたしは確かめたくなった。もしかしてこの娘はバントになにかこだわりがあるんじゃないかって……その予想は当たった。あたしの無茶なボールに対しても見事バントを決めたし、硬球にだって動じなかった。そして極めつけは夜の草野球ね。あたしが見たところ、アンタのバントはただの送りバントじゃない。自分も確実に生きることが出来るバント。なんでそんなことが出来るのか分からないけど、その技は使い方次第で圧倒的なチートになるの」

 えりかは環から視線を離さず、大袈裟に両手を広げてみせた。

「自分が生きるバントを十割決めることが出来るのなら、それは出塁率が十割あることと一緒よ。環、あなたは最高の一番バッターになれる。なんせ必ず塁に出るんだものね……いや、もはやバッターじゃなくてバンターとでも呼ぶべきかしら」

 十割の出塁率。それは環にも自覚はあった。それが出来るから、こんなこじんまりとした女子が草野球の助っ人などという特殊なバイトを成立させているのだ。まさか同い年の少女にその点を評価される日が来るとは思ってもみなかった。

 しかし、環の答えはハッキリしていた。

「……でも、野球をやるのは嫌」

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