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本気のバントに敵はない!  作者: 小走煌
1 環の日常は変わっていく
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貴重な休み時間を潰される哀しみ

 その後、環は全ての打席でバントを決め、ランナー三塁の場面ではそれが打点にもなった。結果的には全打数全安打の環が大暴れした形となり、おじさんチームが無事勝利した。

 しかし環は、和やかな勝利の輪の中に入っても、おじさんから少し多めの報酬を受け取ってもどこか釈然としなかった。普段なら帰りは自転車を全力で漕いで気持ちよく風を感じるところだが、自然とスピードも低速になる。

 やがて家に着き、母親との会話もそこそこに部屋のベッドに飛び込んだ。両手を頭の後ろに組んで、白い天井をジッと見詰める。

「……もしかして、ヤツ、か?」

 誰もいない部屋でひとり呟く。環の頭の中には夜の闇に消えた制服姿が浮かんでいた。それが誰なのかは確かに分からなかった。しかし環には心当たりがあった。

 体育の授業でやたらと妙な行動をとったあの少女。彼女こそあの影の正体ではないか、と環は睨んでいる。

 しかし確証はない。それに、仮にそうだとして、なぜわざわざおじさんたちの草野球を見に来たのか。いや、考えたくはないが、もしかして目当ては私……?

 そう考えるのが自然かも知れない。環になんらかの用があると考えれば、急に硬球を投げたり夜の野球場に現れたりするその行動もなんとなく紐付く。だが、そうまでする理由はいったいなんだ。私がなにをしたというんだ。肝心の動機がまるで読めないから不気味で仕方がない。

 せっかく明日は華金だというのに、全く気分が悪い。環は仰向けのまま深い溜め息をついた。


 翌朝。

 環はベッドから飛び起きて洗面所に歩き出した。あれだけ悩んだのに瞼を閉じればあっという間に眠りについて、起きてみれば疲れが飛んでいる。若さ、恐るべし。体中に活力がみなぎるのを感じた環はさっさと学校へ行くことにした。テキパキ準備を済ませ、いつものように自転車にまたがり全力で漕ぐ。やがて学校の門をくぐり、駐輪場に自転車を停めた。学校はまだ人の気配は少なく、閑散としていた。

「ねえ、ちょっと!」

 不意に、耳に残るキンキンした声が聞こえた。眉をしかめて環が振り向くと、教室へ続く通路にひとりの生徒が立っていた。

「……あっ」

 環は思わず声を上げてしまった。声の主はまさに昨晩頭を悩ませた例の生徒だったのだ。

「アンタ、寄川環ね。ずっと見ていた。昨日のソフトボールから、夜の草野球も、ずっと」

「そう、だけど……あんたは?」

 やはり昨晩の制服姿の正体はこの生徒だった。環は謎が解けた気がして内心でホッとしたが、少女は環の問いになにも答えてくれない。代わりに人差し指で思いっきりこちらを指差して来た。

「アンタ、あたしについてきなさい。格別な勝利の味を味わわせてあげる!」

「……はい?」

 環は思わず首が前に出た。失礼にも人を指したまま、謎の女はよく意味の分からないことを言っている。

「いいから、つべこべ言わずにあたしに任せていればなにも問題ないわ。アンタはただあたしの指示通り動けばいい」

 指を下げたと思ったら今度は腕を組んで喋り出す。環は次第に頭に血がのぼるのを感じた。

「名前も名乗らんでいきなり出て来て偉そうに人を指差す人間の言うことをなんで私が聞かんとならんのか、説明しろって言ってもダメだろうね」

 ある程度の強さで毒づいたつもりだったが、眼前の少女はひるむ素振りを見せない。むしろ、こちらを見据える目により力がこもったように環は感じた。

「あたしは樋野ひのえりか。これから長い付き合いになるんだものね。確かに失礼だったわ」

「いや、長い付き合いになるつもりはないんだけど……」

「いいわ、話してあげる。なんであたしがアンタにこだわるのか」

 樋野えりかと名乗った生徒は環の言葉を遮って話し出した。瞬間、この手のタイプは危険だ、と本能が告げた。

「あ、もう行かないと遅刻しそうだから」

 ホームルームにはまだ時間があることは分かっていた。それでも環は強引に場を切り上げた。「ちょっと、待ちなさい!」と吠えるえりかを置き去りにして環は教室へ向かった。

 そして教室のベランダに隠れて過ごし、やがてホームルームから流れるように始まる一時限目をぼんやりと過ごした。

 そして休み時間。

「環。年貢の納め時よ」

 えりかが唐突に机の前に現れた。環は無言で席を立ち、トイレに向かった。

「こら、シカトするな!」

 なにか言われても無視。えりかからはとにかく逃げると環は決めた。

 それから二時限目、三時限目と授業は進んだが、休み時間の度にえりかは現れた。環は散歩に出たりベランダに隠れたりして貴重な休み時間を潰した。

 そして昼休み。

 例の気配を察知した環が散歩に出かけようとした次の瞬間、教室のドアの前に現れたえりかに通せんぼされた。

「さあ、昼休みだから時間はたっぷりあるわ。今度こそ話に乗ってもらうわよ、環」

 えりかはなにがそんなに楽しいのか、得意気にふんぞり返っている。その姿を見て環は溜め息をついた。

「……とりあえず熱意があることは分かったよ。いいよ、目的を聞かせて」

「そうこなくっちゃ」

 えりかはニヤリと笑った。その瞳が光を反射してキラリと輝くのを見て、環はまた溜め息をついた。

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