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本気のバントに敵はない!  作者: 小走煌
1 環の日常は変わっていく
3/51

気味の悪いことはしてはいけない

 それから同点のまま試合は進み、もう一度打席が回って来た環による再びのタイムリーバントヒットが決定打となり、試合は逆転勝ちした。

「いやー、今日は助かったよ! この試合は八月に予定してる夏祭りの出店範囲を隣町の連中と決める重要な試合だったんだ。もし負けてたらウチの町は出店規模がかなり縮小されるところだったんだよ」

「すみません、そんな大事な試合なのに遅れてしまって……」

「いいっていいって。はい、これは今回のお駄賃ね。途中からの参加だったけど環ちゃんのおかげで勝てたからちゃんと一試合分の給料、入ってるからね!」

「そ、そんな……」

 申し訳ない、と一度は拒否しようとしたが、こちらが遠慮して相手が無理やり渡そうとするあのやり取りは環は苦手だった。だから心の中で謝りながら、すんなり受け取ることにした。

「ありがとう……ございます」

「今日も一級品のバント、見せてもらったよ。次もよろしくね!」

 おじさんにポンと肩を叩かれる。申し訳なくなって動けなくなる前に、環はその場を立ち去ることにした。ベンチを離れ、自転車にまたがる。

 いずれにしても、ミッション完了だ。ふうと息を吐いて自転車を漕ぎ出す。ある程度スピードに乗るとやがて訪れる風を切る感覚が、抜群に心地良い。

 草野球の助っ人というバイトはこの事後の気持ち良さがあるから止められない。確かに緊張はするが、どんな遊びよりも充実感が、生きている感じが味わえる。いつも仕事を持って来てくれるおじさんと、思わぬ形でこの特殊技能を授けてくれた兄には感謝しなければならない。今日の報酬はいくらか、帰ったらすぐに確認しよう――


 翌日。

「玉城さん」

 昼休みで騒がしい教室、環は昨日共に壺を掃除した京の机の前に立っていた。

「あら、何か用ですの、寄川さん?」

「……これ」

 環は京の目を見ずに、昨日の給料からお金を出して買ったいちごミルクを差し出した。

「あら、まさか昨日のお詫びのつもりですの?」

「そうだよ、何か問題が?」

 こんなもので足りるか、とでも言いたげな対応に思わず環は声を少し荒げる。

「いえ、寄川さんがそのようなことをするのが少々意外だったものですから……ありがたく受け取りますわ。わたくしいちごミルクは好物ですの」

 返って来たのは意外な反応だった。京は差し出したいちごミルクをそっと受け取り、音も立てずに飲む。

「有難いことに、有江先生も特に怒ってはいませんでしたわ……ところで、今日は掃除当番をサボってはいけませんよ」

「ドキッ」

 環はおどけたフリをして、くるりと回れ右し自席へ戻った。

 昼休みの次の授業はなんだっけ。環は机の中を漁る。

「ねえ環ちゃん」

 すると、おっとりした声が環を呼んだ。前の席の伊藤綾香いとうあやかが話しかけて来たのだ。

「ねえ、環ちゃんは次の体育の授業、ソフトボールを選んだんだよね?」

 ああ、そういや次は体育だったか、と思い出しながら環は無言で頷いた。体育の競技は選択制になっていて、他にサッカーと室内競技がある。

「わたしもそうなんだ。わたしはソフトボール部にも興味があって、今度見学に行こうと思うんだ。環ちゃんはなにか部活やらないの?」

「うーん……私は特にやる予定はないかな。家に帰ってダラダラしてる方が楽しいし」

「そうなんだ。環ちゃん、なんだか自分の世界を持ってそうだしね」

 綾香はにっこりと笑う。まだ知り合って四日しか経っていないのに、綾香はこの笑顔でどんどん人の懐に入り込んで来る。あのカタブツ委員長といい、学校自体には希望がなくてもクラスメートにはなぜか退屈しないな、と綾香の顔を見ながらボンヤリ考える。

「ん、わたしの顔になにかついてる?」

 綾香は目を丸くしてほっぺたにせわしなく触れる。その様子がおかしくて、環は思わず吹き出してしまった。

「笑わないでよもう!」

 さんざん触れた頬を膨らませる綾香に、環は下を向きながら掌を差し出して待ったのポーズをとった。

「ごめんね笑って……なにもついてないのに頬っぺたいじくりまわしてるのがおかしくて……」

「あっ、やっぱりついてないんだ! なんかおかしいと思ったよ、もう……」

 綾香は緩く溜め息をついた。

「ごめんごめん。とりあえず、そろそろ授業始まるから移動しよう」

 そう言って環は立ち上がる。そして不思議な気分になった。普段は一匹狼を自称する環が、ナチュラルに一緒に行動することを呼びかけてしまったのだ。伊藤綾香、おそるべし。

 ふんふんと鼻歌を歌いながら並んで歩く綾香と共に更衣室へ行き、体育着になってグラウンドに出る。先生の軽い説明の後、ソフトボールの試合が始まった。

 綾香は相手チームだった。セカンドを守っている。対して環はジャンケンの結果一番バッター。左打席に入り、ピッチャーの様子をうかがう。

 相手ピッチャーは素人のようだった。まあ、体育のソフトボールなら誰が投げても試合は成立するから良いのだが。

 やがて投じられるふわりとしたボール。そのボールを見定め、環は無意識にバントしていた。

「いいぞー、走れ走れ!」

 環のバントの精度などまるで知らない味方チームが歓声を送る。当然のように環はセーフになった。

 環は心の中で後悔した。思わずバントしてしまった。体育の授業なのだから別に普通に打てば良かったのに。

「……ん?」

 ふと、ライトを守る一人の少女と目があった。

 少女は、腕組みをしてジッとこちらを見ている。視線を逸らしてもう一度見直しても、相手はまだこちらを見ている。

 なんで睨まれるんだろう、なにか悪いことでもしたかな、と環は思った。

 見たところ別のクラスだ。まさか体育だからバントなんて卑怯なマネしないで打ちなさいとかいうわけのわからん正義を振りかざす輩か、と疑心暗鬼になったが、環は切り替えることにした。意識過剰は良くない。たまたま目が合っただけのことだろう。

 そして試合は進み、第二打席。環が打席に立つと、ピッチャーが代わっていることに気付いた。

 その姿には見覚えがあった。あの、第一打席の時にライトにいたあの娘だ。

 いつの間に代わったのだろう、どんな球を投げるのだろうか。そんなことを考えながら構えに入ると、マウンド上の少女は唐突に足を上げた。

「なっ……!」

 環は思わず短い悲鳴を上げた。少女は、オーバースローで直球を投じて来たのだ。

 気味が悪い。ソフトボールにおけるピッチャーの投球ルールは下手投げということを知らないのか。それともなにか、新手の嫌がらせか?

 瞬時にそんな想像をしながら、環は反射的にバットを水平に構え、咄嗟にバントをした。それも、第一打席同様、フェアゾーンの誰もアウトに出来ない絶妙なゾーンに転がした。一塁を駆け抜け、環は振り返る。やはり少女はこちらを睨むように一定時間見詰め、それから次の打者に初球を投じた。驚くことに、次の打者に対しては下手投げだった。

「なんなのいったい……こわっ」

 環はファーストに聞かれないよう小さな声で呟いた。

 試合は更に進み、第三打席。

 環と相対するのは、またも例の少女だった。気味が悪いことに、他のバッターの時は違うポジションにいたのに環が打席に入った途端、わざわざマウンドに上がって来たのだ。

 今度はなにをされるんだ。環の中には恐怖心と不気味な気持ちが入り混じり、まるで今からお化け屋敷にでも入る時の心情みたいだった。

 マウンド上の少女は、チラリとベンチの方を見た。

「……ん?」

 環もつられて同じ方向を見る。ベンチには体育の先生が座っていたが、今はよそ見をしていた。

 なにか動物でも見つけたのか、と思い視線をマウンドに戻す。すると、少女はズボンのポケットに手を入れていて、やがてなにかを取り出した。

「……ち、ちょっと、それって……!」

 環が止めようとする時にはもう遅かった。少女は今度はなんと、隠し持った野球ボールを全力のオーバースローで投げて来た。しかもボールは硬球。

「くっそ……危ないでしょうが……っ!」

 叫びながらも環は速球を冷静に観察し、ボールをギリギリまで引き付けてバントした。今度のバントは三塁線ギリギリ。少女は全力チャージでボールを拾いに来る。反射的に環も全力でファーストベースに向かった。今がただの体育の授業であることなど、頭から飛んでいた。

「わっ……!」

 ファーストが悲鳴を上げた。セカンドからファーストに移っていた綾香だった。

 綾香はどうにかボールをキャッチしたらしいが、それより早く環はベースを駆け抜けていた。セーフだ。

「ふう……いったいなんなんだアイツ……」

 環は恐る恐るファーストベースに戻る。綾香が紅潮した顔でグラブの中を見詰めていた。

「すごい……硬球なんて初めて捕ったよ……」

「おお、それはおめでとう。良く捕ったね……それにしても、いったいアイツなんなの? 別に誰かとつるんで私をハメようとしている感じでもないし……」

「なんだろう、環ちゃんのことが好きなんじゃない?」

「ええ……それにしたってやり方がヘンだと思うけどな……」

 環は改めてマウンドの少女を見た。少女は一貫して無表情で、綾香からボールを受け取ると慌てた様子でポケットに仕舞い、ソフトボールを取り出した。先生はどうやら気付いていないようだった。

 いっそ先生にチクってやろうか、という考えが環の頭をよぎった。しかし環は一人で首を横に振った。自分だって硬球をバントしてしまっている。体育用のあのしょぼいバット、きっとへこんでいるに違いない。

 事が明るみになる前に、環は今日も掃除をサボり早めに学校を出ることを決意した。

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