響くミットの音
「早速だけど、奏。そのキャッチャーミット貸してくれる?」
えりかの言葉に奏は怪訝そうな顔を見せたが、それも一瞬だった。すぐにえりかにミットを手渡すと、隠れるように飛鳥の背後に回った。
「奏は恥ずかしがり屋なんだ。それよりミットなんか借りて、どうするつもりだ?」
「決まってるじゃない。アンタの球を実際に受けてみるの」
えりかはそう言って、さっきまで奏がいた位置へ移動して飛鳥を促した。
「ほら、早く投げてみて。実際に受けないと分からないこともあるんだから」
「ふふん、おまえが何者か知らないけど、ウチの球はそう簡単に捕れるものじゃないよ!」
飛鳥は走って元の位置に戻る。二人がちょうどマウンドとホームベース間の距離に位置取ったところで不意に独特の緊張感が生まれた。敷地の狭さも相まって、まるで屋外ブルペンにでもいるような気分になる。一呼吸置いた後、飛鳥は右の掌に短く息を吹きかけ、すかさず振りかぶった。
「まずはストレート……っ!」
飛鳥の手を離れたボールは唸りをあげ、えりかの構えるコースに寸分の狂いなく収まった。芯で受けたミットの音が高らかに屋上に響き渡る。
「……いい球ね。しばらく続けて」
えりかが何事もなかったかのように返球する。飛鳥はそれを不服そうに受け取った。
「なにを偉そうに! この球が、捕れるかっ!」
飛鳥は制服姿であることを気にする素振りなく全力で足を上げ、腕を振る。見ているだけで気持ちのいいスピードボールが次々とえりかのミットを叩いた。えりかも手慣れたもので、勢いのあるボールをしっかりとミットの芯で受け、心地よい音を鳴らしていく。
「環、ちょっと立ってみて」
不意に、えりかが環のことを呼んだ。別に遠くで見ているだけでよかったのだが、断るとどんな態度を取られるか分からないので指示に従うことにする。
「なかなかいい球よ。これは大きい戦力だわ」
打席の位置に立つと、えりかが呟いた。口調は落ち着いているが、その目は輝いている。目の前の飛鳥がいかに優秀な投手であるかがえりかの様子から分かった。
「お連れさんも見てみるかい、ウチのこのカンペキなボール!」
飛鳥が振りかぶるので、環は急いで構えを取った。キビキビしたフォームからボールが放たれ、糸を引くようなストレートが、ノビよく外角低めいっぱいに決まった。
確かにいいボールだ、と環は思った。バントは出来そうだが、その辺の草野球のおっちゃんよりは明らかに質がいい。並の女子高生なら打てないのではないだろうか。
「ふふん、ウチがストレートだけだと思ったら大間違いだよ!」
えりかからの返球を受け取った飛鳥が、フォークボールの握りをこちらに見せて来た。
「そうだったわね。じゃあ見せてもらおうかしら。アンタの必殺技、フォークボールを」
えりかが拳でミットを一度鳴らす。それがスイッチとなったように、飛鳥が大きく振りかぶった。
「食らえ……これが……出力最大っ……!」
飛鳥が投げたボールは浮きながら向かって来るような気持ちの悪い軌道を描き、そして、視界から消えた。環は一瞬目を疑った。今まで見たことのないボールだったからだ。
「きゃっ……!」
次の瞬間、えりかが短い悲鳴を発した。あまりの変化にキャッチャーミットの手前でワンバウンドしたボールを捕球出来ず、後ろに逸らしたのだ。コツコツと固い音を立て、ボールは入口のドアへ転がっていく。
「いやあ悪い悪い。出力最大のフォークを捕れるのは奏だけなのに、勢いあまって投げちゃったよ」
軽い感じで謝罪の意を述べる飛鳥の声を聞きながら、環はボールを追った。とりあえず外に出なさそうでよかった――
その時、入口のドアが勢いよく開け放たれ、現れた人影にボールがむんずと掴まれた。
「な……なにをやってますの、あなた達!?」