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神様になった日

作者: 山下大輔

(1)神様。信じる?


いつものように、校舎の裏で煙草を吸っていただけだった。

「お願いです。神様、あの子の笑顔をもう一度だけ、僕に見せてください。お願いします」

柵から下を覗いた。

芳野桜(よしの さくら)は右手に煙草の煙を燻らせながら、何とも切ない気分で彼を見下ろす。学校の裏道で、小学生の男の子が、ランドセル傍らに、座り込んで紙を広げ、声に出して読んでいた。

ラブレター、かな?

そう桜は思う。

男の子が、こちらに振り向く。見上げてきた。

「おはよう、ございます」

何と言って良いか分からず、桜はそう言ってみた。

小学、四、五年生ぐらいの、小さな男の子。その大きな目がじっとこちらを見上げて言う。

「ヤンキー」

「違います……」

桜は煙草のせいだと思い、背中に右手を逃がす。

「煙草は吸う人は心が弱い人だってパパが言ってた」

「いい教育受けてるね……」

図星な気はしたが、子供に言われると腹は立つ。

「俺の手紙、盗み聞きしただろ」

「君が勝手に読んだんでしょ」

「勝手に読んだのは俺だけど、勝手に聞いたのはヤンキーじゃん」

「そんなに聞かれたくなかったんなら声に出さなきゃ良かったじゃん」

「言霊だよ」

少年の口から、相応しくない言葉を聞いた。

「声に出すから届くんだってママが言ってた」

パパもママも良い教育をしてらっしゃる。桜は己の右手が少し恥ずかしくなった。別に、自分の両親の教育が悪かったわけではない。何となく、大人になりたくて、高校に入って吸い始めただけだ。

一年近く吸って、もはや止められなくなっていた。

「恋してんだ」

意地悪く、桜は彼に聞いてやった。

少年は、案に反してこちらを睨むだけだった。

「手紙で告るタイプね」

「告らないよ」

「書いただけ?」

「違うよ」

少年がまた睨む。そして、少し恥ずかしそうに彼は言った。

「神様。信じる?」

と。

随分と可愛い言葉に戸惑う。

少年の目が、見つめる。否定が、難しい。桜にとって、その存在は大して気にならないものだったが。

「信じてるんだ?」

サンタクロースの存在を問う気分だった。

「俺が質問したのに、何でおまえが質問するんだよ」

「なに……?」

熱っつい!!

生意気さに苛立つ間もなく、持っていた煙草が尽きて指を焼いた。

「なんで踊り出すの……?」

少年にははしゃいで見えたらしい。

飛んで跳ねれば何でもそれっぽい。

少年が、足元にあったランドセルを掴み上げ、その小さな背中に負った。

「じゃあな、ヤンキー」

そう言って駆け出す。しかし、すぐに戻ってきた。

「誰にも言うなよ」


(2)言っちゃえ。


誰にも言うなと言われれば、言いたくなる。

それが、人。

「さっきから顔変だよ。桜」

「そんなこたぁない……」

彼氏に言いたくてしょうがない症候群。口からもらしたい言葉たちを封じていると変な顔になる桜。

つぐんだ口元がくねくねしていた。

「何かお悩みが?」

「悩んでない……」

「何の顔なの? それ」

顔に出やすい性格なので、読まれやすい。よって、口元を封印している、つもりだった。

「言いたくないならいいけど」

言いたい。すごく。

言っちゃえ。

「ふぅん……ラブレターかぁ」

話を聞いた彼氏、雷千(らいち)が何か思うように言う。

「書いたことある?」

思い返すような顔をしていたので、聞いてみる。嫉妬深い自分。嫌だった。

「あるよ」

ちょうど、別れ際の駅の階段前だった。雷千は電車で、桜はバスで帰る。学校帰りはいつも一緒。今日は、一際寂しかった。

「小学校の時だけど」

そう彼は一言残して行った。

どこのどいつなんだろう。綺麗で可愛い、お嬢様のような、小学生の女の子を想像した。


(3)女を褒めない男はあかん。


「その子は可愛いの?」

翌朝も彼はいたので聞いてやった。グラウンドの柵を隔てた、向こう側の彼に、だ。

「可愛いに決まってんじゃん。ヤンキー」

そう言われるだけのことを、今日も桜はしていた。くわえて、煙を吹く。

やめられないとまらない。今更だった。

悪いことをしている感は、ある。

だから、こっそりと。

「ヤンキーの百倍は可愛い」

「ふぅん……」

雷千の好きだった子、の想像と情報が重なり、嫉妬心が燃えた。

「ヤンキーも、煙草吸ってなかったらそこそこだよ」

上目に、こちらを窺うように、気を遣ってきた。

「そこそこですよ。私は」

そこそこでしかない自覚はあった。雷千を繋ぎ止める自信もない。特別可愛いわけでもない。特別優しいわけでもない。

何か、持っているわけでもない。

「何暗くなってんのさ。ヤンキーなのに」

暗くて、何が悪い。

どうせ、私は暗い。

ぷふーっと、煙を吐いた。

「なんか、恐いよ。今日」

「ヤンキーぽいでしょ?」

「ぽいというか、なんか似合ってて良くない感じ」

「褒めてる?」

「全然」

女を褒めない男はあかん。

「今日は、手紙読まないの?」

「もう読んだよ。ヤンキーが来る前に」

「今日は聞かせてくれないんだ」

「聞きたいの?」

恥ずかしがるでもない。普通は、照れて隠して逃げる。そういうものだと思うが、彼は違う。

ランドセルから、ノートを切ったそれを一枚取り出す。

「読むよ」

「恥ずかしくないの?」

桜は少年の前に屈み込んで、聞く体勢をとった。火を、地面ですり消した。

携帯灰皿。もちろん持ってます。

「パンツ見せてる方が恥ずかしいと思うけど?」

桜は、言われて踊った。柵の向こうの少年の目の高さを計り誤っていた。

「どうぞ」

桜は、スカートの裾を膝の裏までしっかり巻き込んで言った。

暑かった。秋も最中。パンツの漏洩は気温を上げる。

「いきます」

そう言った少年の顔は、やはり少し赤らんでいた。たぶん、パンツの照れだった。

「元気ですか? 僕は元気です。風邪は引いていませんか? 僕は引いてないです。君を好きに思っています。たぶんいつまでも、中学生になっても、高校生になっても」

「たぶんて」

「未来のことはわからないじゃん」

「そういう時は嘘でも一生て言うの」

「嘘はやだよ」

大人。な気がした。

「一生好きでもいいですか?」

続きだった。

「一生て言った」

「好きでいいか聞いてるだけだよ」

てか。

「失恋したの?」

ちょっと、意地悪く、聞いてしまった。

「まあ」

少年は面白くなさそうに視線を横にそらした。

「そんなとこ」

「ふうん……」

一途、というのか。こういうの。

小学生なのに。

「そんなに好きだったんだ?」

「過去形じゃないよ。今も」

小学生て、こんなだっけ。桜は振り返り、そして今をも感じようとしたが、そこまでの自分が、歴史に見つからなかった。

雷千のこと。そこまで、自分は思えているのだろうか。


(4)ブスってこと?


「今日は何の顔?」

彼氏に指摘され、桜はさらに下唇を出して、眉を潜める。やめられない、止まらない。

悩み出すと。

「今までで一番すごい顔だよ?」

「ブスってこと?」

「いや……そんなことないけど」

「可愛くはないでしょ?」

「まあ……」

背の高い彼氏は、困ったように口元を曲げた。

本当に私のこと好きなの? とか、言ってみたかったが、重たいと思われても嫌だった。

付き合って、二ヶ月。喧嘩は、まだない。

そろそろ仕掛けそうだった。自分が。

駅に、着いてしまった。

まだ話せるかな。そう思って桜が彼を見上げると、彼は苦笑いのままこちらに手を降って駅の階段を上っていく。

両耳のピアスが格好いい。そんな彼が、好きだった。


(5)何がいいんだろう


「相談に乗ってあげようか?」

言われた。

小学生ごときに。

桜は煙を吐いた。

「間に合ってます」

「間に合ってないから煙草吸うんだろ? パパが言ってた。ストレスためやすい人は煙草に逃げるって」

逃げてるだ? と言い返したいところだったが、小学生相手だったのでやめた。

「いろいろあるんだよ。大人は」

桜は座り込む。本当に自分がヤンキーに思えてきた。

「パンツ見せんの趣味なの?」

「見るな。変態」

「誰が」

照れて柵に背を向けた少年は、また手に紙を広げていた。

「毎日手紙なんて、まめだねぇ」

「まめじゃないよ」

少年は振り向かずに小さくそう言った。

「消えないから、書くんだよ」

消えない。

思い、だろうか。

小学生が。

「そんなに好きなの……?」

桜は心配する。小学生が、これほどまでに恋に落ちるものか。

「何が、そんなに好きなの……?」

少年が、空を見た。

んー、と考えの最中をもらす。そして、少しこちらに振り向いた。

「何がいいんだろう」

と、言う。

「ん……」

可愛いとことか、優しいとこ。そんな答えを思っていただけに、返す言葉がなかった。

だが、とも思う。小学生なら、そんなものかもしれないと。

小学校時代に好きだった男の子。格好よかったから。足も速くて、頭もよくて。

でもさ。

今も。

大して変わらない?


(6)素直に、なれない


「桜は、俺になんか不満でもあるんじゃ……」

「ない」

今日もピアスが格好いい。

何が好きかと言われれば格好のいいところ。優しいところ。

小学生レベルなのか。

落ち込みそうだった。

「何で膨れてるの?」

「膨れてないよ」

「さっきフグみたいだったじゃん……」

「ブスってこと?」

「違いますやん……」

「可愛くなくてごめんなさい」

「可愛いって……」

「そんな取って付けたように言われてもね」

「全然取って付けてないじゃん……」

困らせるのは、好きだった。でも、いつもこんな調子で振られる。好きな気持ちを、表に出せない。

素直に、なれない。

小学生レベルですから。

「日曜、どこ行きたい?」

出し抜け。雷千が次のデートを切り出した。毎週日曜日。まだ付き合ってから欠かしていない。雷千は、まめだった。

こうして、平日の帰り道に必ず聞いてくる。

「私、次の日曜だめかも」

「ええっ……!?」

お試し。そんな軽い気持ちで言った言葉に、雷千は酷く狼狽していた。

「俺のこと、嫌いに?」

「なんで?」

「いや、だって、毎週どこか遊びに行ってるし……」

「毎回空いてるわけじゃないよ」

「そっか……ごめん」

「でも……」

自分は、何がしたいのか。

予定などない。だけど、試したくなる。

アン素直。

素直じゃなさすぎる。

「もしかしたら、空くかもしれない」

「ほんと?」

「うん……」

可愛くない可愛くない。あかん過ぎた。

「じゃあ、もし空いてたら……」


(7)友達だろ?


「山登り」

「あ、俺も行きたい。それ」

「俺も行きたい?」

薬香山(やっこうさん)がいい」

「薬香山?」

「頂上に鳥居があるんだ」

「ふぅん……」

朝の戯れ。一服しながら、今朝も桜は少年と話していた。

山登り。昨日、雷千に提案された日曜日のデートだった。

「日曜、雨降らないかな……」

「なんてことを……」

正直、嫌だった。いつもは買い物や映画、アウトドアでも海やサイクリング。毎度趣向を変えてきた雷千の案も、今回は頷きたくなかった。

「山登り嫌なの?」

「うん……」

「なぜ」

「虫多いし、疲れるし」

最大の難。

それは、喫煙できない可能性が高いこと。だった。

山だと、雷千から離れることも難しそうだった。

煙草。実は彼には話していなかった。バレて振られたら立ち直れない。雷千は純な女が好みだ。灰にまみれた女など。考えただけでも恐ろしい。

「薬香山行きたいのに」

「そもそも、君が来るのがおかしいよ」

「いいじゃん。友達だろ?」

真顔で、澄んだ目をしてそう言われると、言い返せない。

煙を、横に吹いた。煙草の火を地で消す。子供に煙を吸わせたくなかった。

「彼氏に聞いてみる」


(8)薬香山①


自分は、汚れている。

肺の話である。

「ぜえ……」

息切れ。

中学、陸上部。体力スタミナ、他の人よりもある方、でした。

「桜ちゃん大丈夫?」

そう前から声をかけてくるのは、猫かぶりの毎朝少年、優斗(ゆうと)だ。

いつものランドセルの代わりにリュックサックを背負った彼が近づいてきた。

「ママが言ってた。煙草吸うと体力がゴミになるって」

囁かれた言葉は辛辣にあらず正論、真理過ぎた。

「くっ……」

「桜、前陸上やってたって……」

戸惑いと、滲む何か悲しみを帯びた雷千の眼差しが前方から痛かった。

薬香山、標高八百メートルの低い山だと知ってなめていた。

喫煙者が悠々登れる山など存在しない。

上着などあっさり脱いで、シャツの中が汗まみれだった。

こんなの、デートじゃない。

修行だった。

「優斗くん、待って、桜がまだ」

「いいよ」

桜は構ってくれる優しい彼に告げる。

「先行って……」

優斗が、天然の有り余る体力で前に進んでいた。

「いや、でも……」

「優斗が迷ったら危ないよ」

「そりゃ……でも」

「頂上で待っててくれればいいよ」

「ううん……」

雷千は、焦ったように前に進む子供と、肺を黒くした若い老人とを見比べ、足を前に運んだ。

「ゆっくり休みながら来てね」

そう言い残し、彼は行ってしまった。だが、桜の目論見通りでもあった。

ふふ。

一人なら、煙草、吸えますね。


(9)薬香山②


吸えず。

吸いたい気持ちにすらならなかった。

絶望的にしんどくて。

「桜っ、良かったよ。生きてて」

雷千に抱き締められるが、暑い。座りたい。秋の紅葉も素通りで汗まみれ。トイレがあったので化粧も直したい。

煙草を吸って、今日が一番の後悔の日であった。

頂上からは町が一望できる。死にかけの桜にはどうでも良かったが。

良い景色。とか、今この世で一番どうでも良かった。

「煙草やめたら?」

そう後ろからちょっかいを出してきたのは優斗だった。

「吸う」

頂上の、丸太で組まれた胸の辺りまでしかない低い柵に手をかけながら、桜はクールダウンに必死だ。

「強い意志は時に毒にもなるってばぁばが言ってた」

素晴らしい一家だ。

何一つ間違っていなかった。

「ところで」

桜は気になって彼に聞いた。

「雷千は?」

姿が見えなかった。

「お兄さんはお社に行ってるよ」

指指されて振り返ると後方に灰色の鳥居が見えた。

「写真もいろいろ撮ってくるって」

「ふぅん……」

「チャンスだよ」

少年に同意した。

スモーキングタイム。今しかなかった。

トイレが側にあったので、その後ろで吸おうと決めて立ち上がった。

膝が音をたて、足の裏がふがいなく浮き上がった。

「じぃじみたい」

たぶん、彼の家族は一通り紹介されたように思われた。

雷千の登場を警戒しながらトイレ裏に潜む。リュックの底からケースを取り、久しぶりの煙草をくわえて着火した。

うまい。

肺をまた黒くする。

生き返る。喉は渇くけど。

程なくして、優斗が覗きに来た。

「俺、のど渇いた」

意味が分からず、桜は足を開きながら少年をただ見上げた。

じぃっとこちらを見返し、言う。

「桜、便所の裏で彼氏に内緒で一服、か」

「やめて……」

弱味を、握られた。いや、端から握られている。

桜はリュックから財布を出して彼に渡した。

「私にも何か買ってきて」

「りょうかい」

根元まで吸って、携帯灰皿に吸い殻を入れようとしたとき、足音がした。

直感だった。

急いで吸い殻を納め、そのままズボンのポケットにねじ込んだ。

「桜、こんなとこいたんだ」

「ん……? まあ」

ばれてないかと内心パニックだったが、その隣にいた優斗を睨む余裕はあった。

「はい、スポーツドリンク」

渡されたペットボトルと財布を受け取る。その時に、小さく彼がごめん、と言った。

鉢合わせたらしかった。

「こんなとこで休憩しなくてもいいのに」

困ったように、笑って雷千に言われた。

変に思われている。絶対。

振られる。

トイレの裏で休憩する女。

「松ぼっくり、あった?」

優斗が、そうこちらに言った。

「松ぼっくり……?」

「記念に集めたいってさっき言ってたじゃん」

意志の疎通。が、少年と見つめ合うことでできた。

なるへそ。

「松ぼっくり、そこにあるよ」

雷千が、都合よく理解してくれ、指を差した。桜のすぐ隣に小さいのが落ちていた。

「あ、ほんとだ」

桜はドキドキしながらそれを拾った。

「ちょっと小さいかな……」

などと品評してみる。

「さすが」

と、優斗がフォローなのか言う。

「松ぼっくりに目がないって言ってたもんね、さっき」

「うん……」

それはそれで振られる気がした。


(10)薬香山③


山頂の石段を少し登ると社がある。鳥居を通り、小さな社の前に立った。

賽銭を入れようと財布を出した時に桜は気づく。脇に賽銭箱とは違うものが立っていた。小さな、銀色ポスト。

「文箱だってさ」

付き添ってくれた雷千に教えてもらう。

「手紙入れたら神様が届けてくれるらしいよ」

「手紙……?」

桜は振り返った。優斗の後ろ姿、石段の向こう、町を眺めている。

来たがった理由。

「優斗、もうお参りした?」

雷千に聞いてみた。

「うん。手紙も、入れたみたいだよ」

神様が、手紙を届けてくれる。不思議と、苦難を越えて、頂上のこの場所ならそれも実現しそう。初詣以外に神社など訪れないが、ここに神様の力があるように思えた。

なんて書いたのだろうか。

また、募る思いを、託したろうか。

小学生なのに。

「思うんだけどさ」

雷千が小さく言った。

「亡くなってるんじゃないかな。優斗の好きな子って」

「えっ……うそ」

「だって……」

雷千は隣で声に出して読むその手紙を聞いた。

「カタヤマさんがこの先ずっと幸せであり続けますように。ずっと笑っていられますように。あと、ずっと楽しく生きていけますように、みたいな」

「ううん……」

重い。思いが、重い。

小学生が、ここまで思えるはずがない。


『お願いです。神様、あの子の笑顔をもう一度だけ、僕に見せてください。お願いします』


はっとする。優斗の声が聞こえた。頭の中、最初に出会ったときに聞いた、彼の手紙。あれは、ラブレターじゃない。

死んだとはわからないが、少なくとも、優斗の側にはもう、カタヤマさんはいない。

でも、優斗は、明るい。

「亡くなったりは、してないと思うよ」

少年の後ろ姿を眺めながら、桜は言った。

「好きな人が死んじゃったら、もう、普通じゃいられなくなるから」

言葉にして、隣の雷千の顔も、見上げた。


(11)カタヤマさん


煙草を、吸わずに待った。

昨日の山登りで、全身が痛い。筋肉痛。ださい。

もう、彼は来ない、ような気がしていた。

「もうここに来るの、止めようかと思ったけど」

やって来た優斗は、そう、こちらを見て言った。

「ずっとパンツ見えてるけど」

「見なきゃいいじゃん。変態」

「絶対桜の方が変態だと思う」

照れながら、少年は柵に背を預けた。隣にランドセルを置いて。

「なんで来るの止めようと思ったの」

たかだか一週間の仲だ。自分は煙草を吸うため、優斗は手紙を読むため、この場所を選んだ。校舎の裏、学校の裏道。

「強い意志は、毒だってこと」

彼の、ばぁばが言っていた。それを彼は自分のこととして言っていた。

「やめないと、って思って」

「そんなに、好きなんだ」

「うん。カタヤマさんがいないと、人生がつまらないんじゃないかって思う」

「それ、好きなの?」

「うん」

人、それぞれなのだろうか。子供だから、大人だから。小学生だから、高校生だから。

好きの質や、量。決めて、計って良いものじゃない。たぶん。

「カタヤマさん。どこに行っちゃったの?」

「さあ」

優斗は、少しぶっきらぼうな物言いで答えた。

「転校しちゃった」

「やっぱり」

死んだんじゃない。この子の思いは、やはり、重いのだ。

「会いに、行かないの?」

「行かないよ。振られたし」

告白後、だったのか。

でも、

「何で思い続けてるの?」

「ヤンキー」

不意に彼がそう呼んだ。

声が、歪んで小さくなった。

「消えないって、言ったじゃん。俺」

泣いてる。

「そりゃ、振られてすぐはさ、ほら」

「もう、一年経ったよ。カタヤマさんが転校してから」

息をのんだ。くだらない、つまらないものと思っていた。

子供の感情なんて、幼稚なもの、可愛いもの、取るに、足らない、もの。

「毎日手紙書いてさ。疲れちゃったよ。俺、もう」

何でだろう。思いが流れ込んでくる。何に耐えてきた。この子は、見えぬものと戦ってきた。

何を、信じて今日まで。

「昨日がさ。いい感じだったんだ。カタヤマさんが幸せならそれでいいって。でもさ、今日朝起きたら、家を出たら、ここに向かってた。やっぱり願っちゃうよ。もう一度、おしゃべりできたら。て」

届かない。桜の指は、柵の隙間。彼の背中のフードを摘まむので精一杯だった。

「会いに行こうよ」

桜は言った。だめだ。このままでは、この子の人生がだめになる。そんな気がした。

「会ったらだめなんだよ」

優斗は、言った。小さく、それを悟っているから、彼は明るかった。

「カタヤマさんは、俺に会いたくないんだから」

「そんなのわかんない……」

「わかる。カタヤマさんは、俺にだけ、どこの学校に行くのか言わなかった」

そんなの、他の子に聞けば。

「だから、俺も、先生とか親が言ってた学校の名前、忘れた」

忘れた……。

「カタヤマさんが俺に聞かせたくないことなら、忘れるしかなかった」

強い意志は、毒だ。

こんなの、恋愛じゃない。

「俺は会いに行かない。カタヤマさんがそうしてほしいってことだから。俺は絶対に会いに行かない」

強い。

重い。

激しい。

「俺は、カタヤマさんの言うとおりにしたいんだ。カタヤマさんが、思う通りに」


『神様。信じる?』


今更、気づく。神様は幻の存在じゃない。優斗にとっては、届かない、そして、従いたい、意のままを叶えてほしい。

神様は、カタヤマさんだ。

信じているんだ。彼女という、人間を。


(12)温度


私は、汚れている。

肺の話だ。

桜は嫌がる雷千を連れて、夕暮れの薬香山を登る。

わしわしと足を進めた。寒いぐらいの気温なので、汗も僅か、昨日は怖れ、蹂躙された急な土階段の登り道も強引に突き進んでいった。

頂上に着いたのは、日が暮れてからだった。

息は切れていたが、休まず社に向かった。スマホのライトで照らしながら、雷千が追いかけてきた。学校帰りに、また登ると話したときは文句を言っていたが、電車に乗った頃には何も言わなくなった。会話も、そこからなかったが、雷千は、ずっと後ろを着いてきてくれていた。

桜は登る。冷たい夜風をシャツをまくった腕、スカートから出た素足、首もと、顔に浴びて。汗が乾き始める。

石段を登って、社の前に立った。雷千も横に立つ。

桜は、バッグから煙草とライターを取り出し、くわえ、火をつけた。

煙を口から吐き、そして、雷千を睨み上げた。

「嫌いになっていいよ」

そうして、社に向き合う。もう一吸いして、煙草を口から取り上げた。社の台座に、その赤い、灰に汚れた火を、突き刺した。

「お、い……」

驚いた彼の声には向かなかった。

桜は煙を小さく上げるその火を、いつも朝しているように、ねじり消す。

神への恨みを込めて。

消えない思い。

神様。彼を、解放してあげて。

神様。

信じるにはたぶん、あの子は、まだ、小さすぎる。

人を、神様にしちゃ、いけないんだ。

恨み、破壊、不道徳。

倫理を外した自身に、震えた。

でも、煙草の吸い殻をつまみ上げたその手を、雷千が握ってくれた。

ぎゅっと。夜風に当たらぬよう。彼の温度を伝えるよう。煙草の吸い殻ごと、黒く汚れたこの手を、握ってくれた。

訳もわかってないだろうに、なぜか、温度が、伝わっているように思え、思わせてくれた。


(13)とびら


「ふぅん……。結局別れたんだ」

翌朝は、涙の愚痴大会だった。

小学生を朝から捕まえて、昨日の話を延々と。

「お兄さん、いい人だったのに」

「うん。優しくて、格好よくて、運動神経もいい」

涙ながらに、彼のいいところを連発。だが、子供な発想しかできていない気がして余計に悲しくなってきた。

桜は牢にでもいる気分で柵をつかみ、向こう側の彼にもらした。

「これからどうやって生きていこう」

「そんな人だったっけ……桜って」

「こんな人だよ」

自分に自信がない。そんな自分を知られたくない。でも、大切な人には知ってほしい。矛盾。そんな自分も嫌い。自分のあるがままを受け入れてほしい。でも、そんなことしたら嫌われる。嫌われて去られるぐらいなら、こちらから、離れる。

雷千と、だから、あの後、別れの電話をした。それぞれが、家に帰ってから。

「桜って、馬鹿なんだね」

優斗が真正面に言った。

「神様に、喧嘩売ってきたんだろ?」

俺のために。

そう付けた彼だったが、少し違う。

「神様を焼き殺そうとした」

「こわ……」

「でも煙草の火じゃ弱いから諦めた」

ハッタリみたいになった。本当は、何でもよかった。優斗の中の神様を、壊してやりたかった。臆病だから、結局、煙草の火を社に押し付けて汚すことしかできなかった。

彼の中の神様はカタヤマさんだ。薬香山の神様ではない。だけれど、神様という存在が、とりあえず、あの山頂にあったから、目に見えるそれを、破壊したかった。

「怒られるよ」

そう笑って、優斗が言った。

桜も、力なく笑う。

伝わっている気がした。思い、言葉にし切れていない分も、少しは、彼に、自分の気持ちが伝わったような。

電話が、鳴った。

ブレザーから取ると、手が、胸が強ばった。

「お兄さんじゃないの?」

ビンゴ、だった。九時半、とっくに授業は始まっているはずだった。

もう関係がないと、切り離すことは簡単だった。

「出た方がいいよ」

優斗が何を思ってか嬉しそうな顔をして言った。

出た方が良い。

それは、桜自身も、なぜか思えた。

『おはよう』

いつも通りの、雷千の優しい声。

『学校、まだ来てないの?』

「いるよ……」

そうか、と思う。同じクラスなので、いないのがわかる。でも、雷千も抜け出しているらしい。

『俺さ。あれから、考えてみたんだけど』

やっぱり好きだから、付き合おう。そんな嬉しい台詞が頭の中を都合よくよぎった。

『いっぱい考えた。桜が昨日何しに山に登ったのか、何で俺を誘ったのか、』

「うん……」

話が、違っていた。思う方向ではなさそう。

『それと、なんで、俺の前で煙草吸ったのか、とか』

「うん……」

話が、見えなくなってきた。

『なんていうか、お社で火消した時、マジでこの女終わってんなとか思ったけど』

頷きながらも、切りたかった。

責められて、

『でもほんと、俺、今日朝までずっと考えたんだ。俺らまだ付き合って二ヶ月ぐらいだしさ。桜のこと、俺わかんねーし。でも、諦めたくなくって、考えるの』

彼が、扉に手をかけてくれているのが、わかった。

『めちゃくちゃ考えた。でも、結局、よくわかんなかった。俺、桜のこと知らなさすぎるわ。でも、わかることは、そうだと思うことは、あるんだ』

「うん……」

誠実に、心に、手を、伸ばしてくれている。彼は、強引に扉を開かない。そして、むしり取ることもしない。

『俺に、見せてくれたんだよね。煙草吸ってるとこ』

息が詰まった。

涙が、押し寄せる。また濡らす。目からどくんと流れる。

『俺、知ってたよ。桜が煙草吸ってんの。でも隠してる感じだったから触れなかったけど』

「いつから……?」

『最初っから。だって、桜ちょいちょい煙草の匂いしてたもん』

笑った。

涙が口に落ちて、塩水。

「ごめんね。隠してて……」

『いいよ。でも、なんか、そうなんだろうなって考えてわかって、そしたら、なんか嬉しくなって』

信じてくれていた。

目の前の優斗も、自分がなぜそうしたか、考えてくれていた。理解しようとしてくれた。

「ありがとう」

優斗を見つめ、どこか校舎の外にでもいる雷千にも、伝えて。

素直に。

『でも、他のはよくわかんないよ。もうちょい考えてみるけど』

「いいよ。そんな考えなくて」

伝えるから、自分の口で。

言葉、態度。

「桜」

優斗が、名前を呼んだ。こっちは嬉しいのに、反してひきつった顔をして、校舎の端を指を差していた。

「先生来た」

慌てる。二人とも。

優斗はランドセルを背負い、桜は電話を切って、涙に濡れた顔を拭こうとブレザーのポケットからタオルを取り出す。

そして、何かが地に落ちた。

煙草のケースと、ライターセット。

火照った顔の温度が少し下がった。

「天罰だな」

そうせせら笑って、小学生は全力で裏道を駆けて行った。

やばい。

こちらを認めて歩いてくるのが体育教師だと判別して、さらに温度を下げながら顔を無理矢理拭いつつ、落ちた危険なセットもブレザーにねじ込んだが、たぶん見られていた。

電話が鳴る。

雷千から。途中で切ったせいだった。

『ごめん、電波悪かった?』

出ちゃった。

「雷千、ごめん」

『えっ』

「いろいろバレちゃった」

先生を、見上げて言った。

口元が、ゆるむ。

彼の声を聞いていると。

安心する。

「助けて。雷千」



(完)

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