作者、目下の生活に厭な雲ありて、ゆえに
「今なら、二人がかりで攻めればいけそうじゃないですか?」
加勢を申し出るトミエを、視線で制します。
「いや、いい」
「でも」
「あいつとは、一対一でけりをつけたいのだ」
そのやり取りを見ていた川端は、
「微笑ましいですね」
と目を細めました。
「亜人の娘に、すっかり懐かれている。太宰君は、女に好かれることに関しては、どの作家よりも上でしょう」
「そんなところを誉められても困る」
「これも、立派な才能ですよ」
「僕は、女たらしの称号より、芥川賞が欲しいのですが」
「貴方は、きっと文章でも女性を惹きつける」
「……?」
「問題児なのに、不思議と愛嬌があって、放っておけないと思わせる何かがある。それが、作品にも反映されているのです」
川端の意図が読めず、首を傾げるしかありませんでした。
「若年の頃の貴方は、ただ才気に任せて筆を走らせている感がありましたが、晩年の作品からは、凄味を感じました。まさか私生活の問題が、良い方向に働くとは、誰が予想できたでしょう」
「急に何を言ってるんですか?」
川端は静かに答えます。
「手向けの言葉ですよ」
それっきり、雑談の気配は消え失せ、再度、決闘の空気が私達を包み込ました。さきほどの、あの穏やかな顔はいったい? と違和感を覚えたのは事実でしたが、すぐにまた殴り合いの応酬が始まり、私たちは、二匹の暴れ犬となり果てたのでした。
はじめは、川端の方が優勢でした。
しかし、何度弾き返されても、諦めることなく立ち上がり、がむしゃらに挑み続けているうちに、徐々に流れは変わりました。
ついには、私の方が押し返すようになり、
「川端ぁ!」
叫んで、右の拳を突き出します。
「お前は僕を……どうしたいのだ!」
顔面に直撃を受けた川端は、血反吐を吐きながらも、反撃の蹴りを放ってきました。
「私には、貴方を導く義務がある……!」
回避する力は、残されていませんでした。めきり、と嫌な音を立てて、あばら骨が折れるのがわかります。しかし、その際、川端の足を掴むのに成功しました。
「何様のつもりで!」
身動きの取れない川端に、渾身の頭突きをお見舞いします。
「……ッ!?」
額をかち割ったという、確かな手ごたえがありました。
会心の一撃でした。
ちかちかと明滅する視界の中で、川端は力なくよろめき、膝を震わせています。
「効いてるんだろう? そうなんだろう?」
追撃を加えるべく、右手を上げたところ、どこに余力があったのか、川端は悪魔の素早さで私を振り切り、上段蹴りを放ってきました。
「がっ!?」
よりによって、当たったのは下顎でした。
けれども、こうして意識がしっかりしている以上、川端の足は、あまり力が入らなくなっているようです。
つまり、お互い、限界が近付いているのでした。
次に致命傷を受ければ、それで勝負が決まる、という予感から、示し合わせたかのように、距離を取ります。
「どうだい? 僕だって、やればできるもんだ」
喋る度に、ぽたぽたと血がこぼれ落ちました。
よほど酷い顔をしているのか、トミエは今にも駆け寄って来そうな気配を見せているのですが、駄目だ、向こうだって一人で頑張ってるんだから、どうか手を出さないでくれ、となだめます。
すると、
「ずっと心残りだったのです」
ふいに、川端が言葉を発しました。
「芥川賞の選考基準は、私にも思うところがありました。一度候補に挙がった作家や、投票二票以下だった作家は候補から外すという条件は、もっと早く見直すべきだったと」
「……?」
「もし、それができていたなら、文壇と太宰君の関係は、いくらか良好なものになっていたのでは、と思えてならないのです。そうすれば、あのような死に方は選ばなかったのでは、とも」
「……ふん」
僕だって、お前にあそこまで噛みついたのは、大人げなかったと思っている。
別に聞こえなくてもいい、いや聞こえない方がいい、という気持で囁いたのに、川端はしっかり聞き取っていたようで、何とも癪に障る笑顔を浮かべているのでした。
「で、どうする。僕らはもう、肉弾戦をする体力なんて残っていないようだが」
「なら、あれがいいでしょう」
あれの一言で、全てを悟りました。
「決着は――」
「――小説で」
示し合したように、二人、同時に魔導書を取り出します。
私は、自伝的小説を。
川端は、異世界の美を称える小説を。
片方が唱えている間は、もう片方が聞き手に回る、どこか朗読会めいた形式で、口ずさみます。
「やはり太宰君は、自分のことばかり書いていますね」
「お前の文章は、相変わらず女体へ向ける視線が偏執的だ」
ふふ、と川端は嬉しそうに笑います。悪戯が見つかった、わんぱく小僧のような顔でした。
「……これが、太宰君の書きたかったテーマなのですね。滑稽小説の皮をかぶってはいるが、行間から、苦悩が伝わってくる」
私の魔導書は、小さな土くれを生み出し、川端の魔導書は、雪のつぶてを生み出しました。今の体力では、この程度の、貧弱な魔法しか撃てないのです。
二つの魔法は、空中でぶつかり合い、炸裂し、最後に残った土くれが、川端の足に当たりました。
あまりにも呆気ない、激闘の果てに待っていたにしては、静かすぎる幕引きでした。
けれども、川端は満足そうに頷いて、
「かつて貴方を、作者、目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾みあった、と評しました」
「あれは応えました」
「事実でしょう。太宰君の生活は、常に悪い雲に覆われている」
「……かもしれない」
「だが、その雲のおかげで、貴方の作品は、比類なきものとなった」
膝から崩れ落ちながら、川端は宣言します。
「……第一回、異世界芥川賞受賞者は……太宰、治……」
2020年11月新刊の情報解禁につき、発表させて頂きます。
オーバーラップノベルス様より、本作の書籍化が決定いたしました。
担当イラストレーターはVM500先生となっております。




