バジリスクタイム
威勢のいいかけ声が聞こえたので、私が出るまでもなさそうだな、と安心しきっていると、オーウシット! と、流暢な英語発音で悲鳴が上がりました(いい加減この娘は、自分がキャサリンであることを認めるべきだと思います)慌てて視線を向けると、トミエが巨大な蛇と格闘しているのが見えました。頭に王冠を持ち、からだを半分起こして移動する、不気味な蛇でした。それも、一匹や二匹ではなく、数えるのも嫌になるくらいの、大集団を形成しているのです。
「ノー! バジリスクですよ! 石にされちゃいます!」
取り乱すトミエに、諭すように語りかけます。
「こう見えて僕は、蛇が苦手なんだよ。できれば、君たちで処理してもらいたいのだが」
「コカトリスはサクサク片付けてたじゃないですか! あれ、尻尾は蛇だったと思うんですけど」
「九割は鶏だったろう、あれは。今回のは十割が蛇で、しかも無駄に大きいじゃないか。頼むよ」
「ノー、ノー、槍で突いたら、毒が槍を伝って、腕が腐るって聞きます」
「君が怖がるんだから、よっぽどなんだろうね」
ハツコも怯えているらしく、他に選択肢がありませんでした。仕方なく、私は水魔法を唱え、目に映るバジリスクを、かたっぱしから溺死させて回りました。一時間もすると、あたりはすっかり水浸しとなり、プカプカと蛇の溺死体が浮かぶ、地獄絵図と化していました。まるで洪水被害にでも遭ったかのような惨状です。
「なんだか新婚旅行を思い出す光景だよ」
「ワーオ。圧勝じゃないですか」
やろうと思えば、大体のことは人並み以上にこなせるのに、まず女の人にやってもらおうとするのが私の悪癖でした。そうして、追い込まれた末にやっと見せた本来の実力を、世の女性達は、「このひと、私のために限界以上の力を出してくれたんだ」と勘違いしてしまうのです。
「勇者様は、大の蛇嫌いなのに、私のために限界以上の勇気を出してくれたんだ……」
今まさに、トミエがその勘違いをやらかしていました。潤んだ目でこちらを見つめ、一層深みにはまっていくのが伝わってきます。
私は、さもありなん、と悲しいため息をつくと、バジリスクの亡骸を拾い上げました。こいつを使って酒が造れないだろうか、と津軽のマムシ酒に思いを馳せます。地方文化侮るべからずなのです。
「死んだら怖がらないんですネー?」
「そりゃそうさ。息を引き取った蛇は、酒の材料にしか見えなくなるからね」
ハツコは、器用に前足を使って、バジリスクの頭部を切り離しては、残りの部分をむしゃむしゃと食べていました。獣の嗅覚で、有毒の部位を嗅ぎ分けているように感じました。
「胴体には、毒が無いのかもしれない」
トミエに頼んで、バジリスクの遺体を刻んでもらうと、その肉片を、酒瓶に詰め込みました。あとは酒さえ手に入れば、精のつく飲み物の出来上がりなのですが、歩けど歩けど、人影が見当たらないのです。
建物はあるのに、どこも無人で、バジリスクが我が物顔でとぐろを巻いており、不吉な空気が漂っていました。
「困ったなあ。これでは酒をたかれないではないか」
「敵地でたかりはちょっと」
せめてお金を出しましょうよ、というトミエの指摘は笑ってごまかして、足を進めます。
しかし、どこまで進んでも、代り映えのしない景色が広がるばかりで、私もトミエも、めっきり口数が減ってしまいました。
「これが本当に魔王領かね。まるで被災地、いや、占領下の敗戦国だよ」
「ちゃんと統治できてるんでしょうか?」
「万全の川端なら、こんなヘマはしでかさないはずだ」
そこで言葉を切って、れいのフクロウめいた顔を思い浮かべます。
「どうやら、本当に危ないらしい。あの男に限って、こんな……」
私達は、近場の空き家に腰を落ち着けると、今日はもう休むことにしました。火を起こし、唯一手に入った食料、バジリスクの切り身を調理します。
マムシを食べ過ぎると、鼻血が出ると聞いたことがあるので、いささか不安ではありましたが、ニンジンとすき焼きに飽きがきている以上、贅沢は言えないのでした。
「コカトリスとバジリスクは、雌雄の関係にあるんですよ」
「へえ」
トミエの話に耳を傾けながら、蛇肉が焼けるのを待ちます。
「で、シラクスはコカトリスだらけだったじゃないですか」
「なるほど。つがいとなるはずの相手を、あそこに連れていかれたのだね」
「どうしてそんなことをしたんでしょうね?」
「なんとなく想像がつくよ」
きっと、ここの住民たちは、金に困っていたのです。
だから、シラクスでコカトリスを集めているのを聞きつけると、喜んで売りさばいたのでしょう。睨んだ相手を、石に変える鶏。食料であると同時に、軍用品でもある生き物ですが、これを敵国に売りつけたとなると、末期状態であるように思われました。
「国が滅びる時は、下から崩れていくものだ」
あの男は、限界が近いのではないか。そう確信した瞬間でした。




