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ほぼ富栄


「勇者殿はいつになったら出発するのかね」

 あれから私は、ひたすらお酒を飲んで過ごしていました。

 川端を退治するなどと言ったものの、いざあの男を討つ場面を想像すると、果たして自分にそんな資格があるのか、そもそも本心から引き受けた事なのか、と自問自答してしまい、気が付くと村長の家でウイスキイを貰って、うずくまっているという有様でした。

 私は、とても暗示にかかりやすいたちですから、時折どこからか自分の心で、どこからか他人に操作された心なのか、わからなくなることがあるのです。お前は浪費家だもんな、と言われれば、なんとなく金を使なければならないような気がしてくるし、お前は吝嗇家だもんな、と言われれば、自分ほどのけちはいないように思えてきます。そして、そんな風に期待されているからには、何としても応えなければならない、裏切ってはならないという、へんな重みを感じるのでした。

「そんなに我が家の酒は美味いですか」

 いいえ、ちっとも美味しくなんかありません。ただ、酔うために飲んでいる酒なのです。

 けれど村長の目は、自家製の酒を褒められたがっているように見えました。なので私は、もはや習慣と化した愛想笑いを浮かべて、

「極上の美酒です」

 と言ってやりました。

「それは良かった。だが、いつまでも酒蔵に入り浸りでは困ります。酒以外に何か欲しいものはお有りかな。そいつを手配してやったら、旅に出てくれますね?」

「富栄と会いたい。あのひとが傍にいてくれたら、どこにだって行けると思う」

「トミエとは何者ですか」

「情死の相手さ。きちんと女学校を出た、気立てのいい女だった」

「つまり勇者殿は、女が欲しいと」

「女なら誰でもいいというわけではないよ。優しくて、おおらかで、朝から酒を飲むのを許してくれて、心中に理解のあるひとでなければ駄目だ」

「それは暗に、トミエを探して来いと主張しているように聞こえるのですが」

 村長は困ったように眉をしかめました。

 わかっているのです。

 きっと地獄の川辺に打ち上げられたのは、私一人だったのでしょう。富栄はおそらく、極楽浄土に向かったのです。

 私はもう、あのひとには会えないんだ。そう思うと涙が出てきて、死んだ方がいい、そればかり考えるようになりました。

「泣くほどトミエが恋しいのですか。わかりました、少し待っていてくだされ。必ずその女を見つけ出します」

 しばらくすると、村長は一人の女中を連れてきました。

「どうですか勇者殿。これが貴方の求めるトミエでしょう」

 金髪で青い目をした、肉付きのいい娘でした。

「ヘーイ勇者様ー! これからよろしくネー!」

 絶対に富栄ではありませんでした。どこからどう見ても西洋人で、人種からして別人でした。

 富栄の口から、ヘーイなどという陽気な洋語が出てきたことは、一度もなかったと記憶しています。

「マイネームイズ、キャサリ……トミエでーす!」

「今、キャサリンと言いかけなかったかい」

「トミエでーす」

「キャサ」

「トミエでーす」

 明らかにキャサリンなのですが、四捨五入すると富栄なのかもしれません。自分でも、無茶を言っているのは承知でした。

 もう、一緒に死んでくれるなら、何でもいいのです。名前や人種の違いなど、些細な問題なのでした。

 私が首肯(うなず)いたのを見ると、村長は気を利かせて、

「あとは若いもの同士で」

 と酒蔵を出ていきました。

 二人きりになると、トミエはいやに馴れ馴れしい様子で近付いてきて、あれこれと尋ねてきました。好奇心の名を借りた、一種の尋問でした。しかしそこに悪意はなく、あるのはただ、若い娘特有の、瑞々しさなのです。

「勇者様の故郷って、どんなところ?」

「雪深い田舎町さ」

「まあ。私もですわ」 

 私は、人間というものがさっぱりわかりません。特にそれが女性ならば、男性以上に難解だと思っています。

 ですが女という生き物は、どういうわけか私をかまいたがるのです。彼女達は私の孤独を嗅ぎつけ、そこに自分自身を注ぎ込むことで、私の欠落を埋め合わせてやろうともがき、やがては破滅してしまうのです。

 そんな恋愛が何度も続いたものですから、私は表面上、女性を喜ばすのが上手くなりました。

 何一つ女性の本質を理解していないのに、好かれるのは得意なのです。

 女は、お道化を際限なく求めます。彼女達は、笑いに対してはどこまでも貪欲です。

 私は村長のもったいぶった口調を真似たり、あの船頭の表情を真似たりして、大いにトミエを楽しませてやりました。

 そうやって二時間ほど飲み交わしているうちに、トミエはまるで古女房のような振る舞いをし始めて、私の世話を焼いたり、叱りつけたりしてくるようになり、すっかり打ち解けていました。

「この野郎。キスしてやろうか」

「いいわ。してよ」

 夜が更けてきたところで、このまま生きていても仕方がないし、一緒に川に飛び込もうかと誘ってみました。

「僕はもう小説を書くのが嫌になった。川端を殺すのも気が引ける」

「私もそろそろ水浴びがしたいデース」

 静まりかえった酒蔵を二人で抜け出すと、例の洞窟を抜け、凍てつく川に身を投げました。

 朝になると、私だけが岸に流れ着いていました。

 また、自分だけが生き残ってしまった。

 声を上げて泣いていると、水中からトミエが顔を出すのが見えました。

 トミエはジャブジャブと水をかきわけながら、こちらに近付いてきます。

 私は寒さに打ち震えているのに、トミエの肌は湯上りのように赤らんでいました。

「やっと目が覚めましたネー? ここまで勇者様を連れてくるのは大変でしたヨ」

「どうしてピンピンしているのかね……」

 トミエはスカートをまくり上げました。するとそこにあったのは、二本の足ではなく、魚の尾びれだったのです。

「私、人魚族(マーメイド)です。息継ぎなしで八時間は潜水できマース」

「どうして人魚なんか連れてきたんだ、あの男は」

「村長が言ってましたネー。勇者様は川に身投げする悪癖があるので、絶対に溺死しない女をあてがってやらねば、と。それで私が選ばれたネー。ドゥーユーアンダスタン?」

「……」


【太宰治は水中呼吸のスキルを習得した!】


 とどめとばかりに、頭の中で声が鳴り響きました。

 私はもう、水で死ぬのは不可能な体になりました。

 入水自殺できない太宰治など、出汁の効いていない味噌汁みたいなものです。美意識のない川端康成みたいなものです。直毛になった芥川先生みたいなものです。

 これからいったい、どうやって心中すればいいのでしょうか。途方に暮れながら雪を握っていると、トミエが言いました。

「勇者様、どうして生き延びたのに暗い顔してる?」

「僕は死にたいんです。もう生きていたくないのです」

「んー」

 顎に指をあてて、トミエは言います。

「そういえば魔王カワバタは、毒ガスの使い手らしいデース」

「毒……」

「そんなに死にたいなら、魔王と戦えばいいデース」

 その通りかもしれない。

 おかげで決意が固まりました。

 私は村へ戻ると、村長に会い、トミエと一緒に旅へ出ると告げました。

「ようやく心が決まりましたか。それでこそ召喚勇者です。ところで服が濡れているようですが、さてはまた川に飛び込みましたな? そのうち風邪をひいてしまいますぞ。お言葉ですが、入水自殺は週一回程度に抑えた方がよいのでは」

 村長はもはや、私の自殺未遂をただの寒中水泳とみなすようになっていました。これだから男は苦手なんだ。女のひとなら、親身になって心配してくれるのに。

 村の百姓達に見送られながら、私とトミエは東に向かって歩き始めました。

 なんでも、この世界の東半分は既に魔王の手に落ちているそうなのです。

 東に進み続ければ、いつかは川端康成の領地に辿り着くはずです。

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11月25日、オーバーラップノベルス様より書籍が刊行されます。
↓の表紙画像をクリックでサイトに飛びます。
i358673
― 新着の感想 ―
[良い点]  文体まで寄せて真面目に太宰治をやっているなと思ったくらいのタイミングで、いかにもなろう小説っぽい笑いをぶっこんでくるのずるいですwwwwww  Web小説でこんなに笑わせてもらったのは初…
[一言] とんでもなく狭い特攻と魔王川端康成討伐を受ける勇者太宰治で草。
[良い点] 世界観が最高。玉川上水で吹いた [気になる点] 1話の太宰感全開で行ってほしい [一言] つづきめっちゃ楽しみ
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