旅に出る1
「パパ、行ってきます。ママを絶対治してね」
アンナが旅立つ日がやって来た。
「ああ…良い子にしてるんだよ」
「うん」
「それからお祖父ちゃんお祖母ちゃんのことは、貴族だからお祖父様お祖母様って呼ぶこと」
「うん、何回も聞いたから分かってる!」
「そうか、じゃあ気をつけて行ってこい」
「はーい」
アンナはディックに抱き上げられ立派な馬車に乗り込んだ。
「よろしくお願いします」
ディックが騎士たちに頭を下げる。
この世界では物事を頼む時や謝罪時に頭を下げる習慣のある国が幾つか存在する。過去に召喚された日本人勇者の影響かもしれない。
騎士たちは女性騎士2名を含む15名の小隊であった。
今回の部隊は、騎士団長直々の命令でこの場に来ている。水鏡の魔法で話し合いをしていた時、実は魔術師団長の横に騎士団長もいたのだ。
騎士団長は考える。
僅か3才の娘に旅をさせるとは、気の毒でならんが…
我が儘や泣き言を言うのは目に見えている。
しかし英雄ミランダが妹同然と言い張る娘だ、適当に対処するわけにはいない。
しかも口煩い魔術師団長の姪の娘。
慎重に事を運び、出来うる限りの待遇をせねばならない。
体力の無い幼児に少しでも疲れを和らげるために最新型の揺れの少ない馬車を用意しよう。座席は詰め物がたっぷりと詰まったふっくらした物が理想的だ。
玩具や菓子、絵本等も必要だろう。何せ子供は飽きやすい。
盗賊や魔獣に襲われる可能性もある。足の速い体力のある良馬は必須だな。
腕のたつ騎士10名と魔法騎士3名の特別編成でどうだろうか。
出来れば気配りのできる女性騎士を含めたい。
兎に角大至急用意せねば!
という騎士団長の思い遣りがこれでもかと詰まった部隊と馬車なのであった。
誤算があったとするならば、腕のたつ騎士とは総じて厳つくゴツい。間違っても子供受けしそうにない見た目であったことだろうか。
アンナが馬車に乗り込むと女性騎士が二人と鎧でがっちり武装した大柄な男性騎士が一人続けて乗ってきた。
女性二人にアンナは挟まれて座り男性は対面に腰を下ろす。
パタンと扉が閉められると直ぐに扉側の女性がアンナの両脇に手を入れ「失礼」と言って自分の膝の上に乗せ窓からディックが見える様にしてくれた。
「アンナ、みんなの言うことをよく聞くんだぞ。好き嫌いしちゃ駄目だぞ。でも辛い時は泣いてもいいからな。我慢はするなよ。それから、それから…」
ディックは精一杯明るく声を張り上げている。そんな父親の姿を見てウンウンと頷くことしかアンナには出来ない。声を出すと寂しくて泣いてしまいそうだ。
前世ではいい大人だったはずなのに…
年々精神が幼くなっていく気がする
ガタンと少し揺れた後馬車がゆっくりと進み始めた。
「アンナーーできるだけ早く迎えにいくからなー!」
ブンブンと大きく手を振るディックにアンナも手を振り返す。
最新式の馬車は速度が早くディックの姿は直ぐに見えなくなってしまった。
ディックが見えなくなったのを確認した女性騎士はそっとアンナを座席に戻した。
「ありがとう…ございました」
騎士は平民より身分が高いかもしれない。
アンナは取り敢えず"ございました"を付けて膝に乗せてもらったお礼を丁寧に言ってみた。
「いえいえ、大したことではありませんよ」
女性騎士はポケットからハンカチを取り出すとそっとアンナの頬にあてる。
我慢していたのにどうやらちょっぴり泣いてしまったらしい。
反対側の女性騎士が場を明るくするようににっこりと笑いながら「美味しいお菓子をご用意してますよぉ」と小箱を差し出してきた。
受け取って蓋を開けてみると焼き菓子が入っていた。
木の実を混ぜ混んだクッキーとプレーンクッキーの二種類が綺麗に並べられている。
バターの香りがアンナの鼻をくすぐると途端にお腹が空いてきた。
現金だなと思ったがこればかりは仕方がない。
幼児は1回に食べる量が少ないためすぐにお腹が空いてしまう。
朝昼夜の三食に朝と昼の食事の間に果物等の軽いおやつ、昼と夜の食事の間にもおやつ、と計5回食べるのがアンナの日常だ。
箱からプレーンクッキーを1枚取り小さくかじる。
優しい甘さとバターの風味が口に広がる。
「おいしい」
思わずアンナは呟いた。
「ですよね、ですよね。ここのお店のクッキー最高なんですぅ」
箱を差し出してくれた女性騎士は嬉しそうにニコニコ顔だ。
アンナもつられてニコリと笑う。
「はぅ、天使ですぅ。可愛い過ぎですぅ。あのぉ私、ルーシーと申しますぅ。今回の行軍でお嬢様付きに任命されました。ご用がありましたら何でもおっしゃって下さい~」
お菓子のお姉さんはルーシーさん。うん、覚えた。
お嬢様じゃないけど、お祖父様のお家に行ったらきっとそう呼ばれるんだろうから今から慣れておいた方が良いかもしれない。
ルーシーは濃い茶色の髪を後ろで一本の三つ編みにしており、茶色のクリクリした瞳が小動物のようでとても人懐っこそうな女性だ。
「アンナです。よろしくお願いします」
アンナはルーシーに挨拶した後先ほど膝に乗せてくれた女性騎士にも微笑みかけた。
自己紹介宜しくね、の笑みである。
空気が読める大人ならすぐに気付くものだ。
「エマ=サルマンと申します。同じくお嬢様付きに任命されました。至らぬ点も有るかもしれませんが精一杯任務を務めさせて頂きます」
硬い。ルーシーさんの柔らかい態度の後だから余計にそう感じるのかな。
姓を名乗るってことはお貴族様?
お貴族様にお嬢様って呼ばれるとか心臓に悪いんですけど。
でもさっきの膝の件を考えると気配りのできる優しい女性なんだろうな。
しかも美人だし。胸大きいし。絶対この人モテる!
薄い茶色の髪を後ろできっちりと纏め硬い印象を与えているものの、キラキラ光る緑の瞳は宝石の様でとても綺麗でついつい目が引かれてしまう。
「よろしくお願いします」
アンナは笑顔で返事を返す。
残るは正面の大柄な騎士だ。
兜を深くかぶり下向き加減なので目が見えない。
クッキーを齧りながら男性騎士をガン見して挨拶を待つ。
使い込まれた鎧は小さな傷が沢山あるものの磨きあげられており歴戦の戦士を思わせる。足を大きく開いて座っており、座るのに邪魔な剣は足の間で床に立て杖の様にして両手で柄を握っている。
鞘に入っているのでよく分からないが少し見える柄の部分には精緻な模様が見える事から業物なのかもしれない。
二枚目のクッキーも食べ終えたが男性騎士とは目が合わない。
早く挨拶してくれないかな?という空気を出しながらじっと待つ。
催促はしないがニコニコしながら待つ。
なぜ名乗らない?男性は名乗ってはいけないのだろうか?迂闊に護衛対象の女性に話しかけるなみたいな規律でもあるのかな?
まぁ、女性って言っても幼女だけどね…
あ、もしかしてめっちゃ変な名前とか?
それだったら名乗りたくないよね。
名乗った途端に笑われるとか気の毒過ぎる。
可哀想だからもう見るのやめようかな。
アンナの葛藤を他所に扉側の女性騎士エマが男性に話しかけた。
「隊長、その態度は如何なものかと思われます。護衛対象のお嬢様に隊の行軍予定、また隊の紹介編成等説明するべきであると愚考致します」
「うっ…」
隊長と呼ばれた男性は小さく声をあげたが、あ~、う~となかなか話し始めない。
「隊長ぉ、私もそういう態度よくないと思いますぅ。ちゃんとお嬢様に自己紹介した方がいいですよぉ」
ルーシーもさっさと挨拶しろと急かす。
隊長は剣から片手を外しワキワキしながら首を左右に振ったり肩を動かしたりモゾモゾ座り直したりと明らかに挙動不審である。
「お…俺が挨拶すると小っちゃい子は泣くんだよ…」
情けなさそうに隊長が言い訳をするとエマがさっと視線を反らし口元に握り拳を当てた。肩が振るえているのは笑いを堪えているせいか。
「隊長ぉ、お気の毒ですけど避けては通れない道ですよぉ。何回か泣かれたらそのうち慣れてくれますよぉ」
ルーシーさん、それは何のフォローにもなってないよ。
アンナの脳内突っ込みである。
はあぁぁぁー、と大きく溜め息をつくと隊長は剣を立て掛け兜を外した。
日に焼けたスキンヘッドがキラリと光る。もしかしたら子供に泣かれる恐怖からの冷や汗のせいかもしれない。
太い真っ黒な眉に上三白眼の紺色の瞳がギョロリと現れた。鷲鼻にがっしりした顎もなかなかに厳つい。
あ~、確かにこれは小さい子は泣くかもね。
とアンナは思ったが、泣くか?大声で泣いちゃうか?とオドオドとこちらの様子を伺う隊長は何だか可愛らしく見える。
ギャップ萌え…
世の中にはこういうこともあるのだろう。何気に車内はほんわかムードだ。
「この度の小隊を率いますハウエル=ミッドソンです。お嬢様の体力に合わせ休憩を多く取りつつの行軍となります。三台の馬車を前後左右に騎馬が護衛致します」
一台目の馬車は裁判にかけられる竜人の二名が拘束されて乗っている。二台目の馬車にアンナたち、三台目の馬車には食料や諸々必要なものが積まれている。行程日数、宿泊予定の村や町、立て板に水の如くスラスラ話し出すハウエル隊長をルーシーが慌てて止めに入る。
「隊長ぉ、泣き出す前に説明しちゃおう作戦なのかもしれませんけどぉ、そんな難しいこと3才のお嬢様に理解できるとは思えませんよぉ」
「む、そうか」
チラチラとアンナの様子を伺うハウエル隊長。
「泣かないです。怖くないです。騎士様は皆さんカッコいいです」
アンナはしっかりと断言した。
「お嬢様、ご無理をなさる必要はありませんよ」
「そうですよぉお嬢様ぁ。泣いちゃっても構わないですよぉ」
「お前等何気に酷ぇな」
隊長がジト目でエマとルーシーを睨む。
然程上下関係が厳しくない和やかな小隊の様である。
優しそうな人達で良かった。
アンナはやっと緊張が解れてきた。
ゆらゆらと揺られる車内は暖かく、座席はたっぷり詰め物がされているのか沈み込むほど柔らかい。乗り心地は非常に良い。
正直乗り心地の悪さは覚悟してたんだけどなぁ。
アンナの読んでいたライトノベルでは、大抵の場合馬車の乗り心地は悪いとされている。ガタガタ揺れてお尻が痛くなるのは定番で馬車酔いは当たり前であった。
これってもしかして召喚された過去の勇者達が知識チートで魔改造とかやっちゃった?
クッキーでお腹が満たされたせいか、心地よく揺られると段々と瞼が重くなってくる。
ウトウトしだしたアンナの頭をエマはそっと自分の太股へ倒させる。ルーシーは足下の籠から膝掛けを取り出しアンナにそっとかける。
「お可愛らしいですね」
エマはあやすようにアンナの肩をトントンと叩きながら更に深く眠りに誘おうとする。
「いくらでも見ていられますぅ。ホント天使ですぅ」
ルーシーもうっとりとアンナの寝顔を見つめる。
窓から射し込む光にフワフワしたプラチナブロンドの髪がまるで光を撒き散らすように輝いている。
陶器のようなすべすべの肌にピンクの頬。
果実のような瑞々しい唇。
起きている時は大きな水色の瞳は子供とは思えないような理知的な眼差しをしている。
成長すれば間違いなく美人になるだろう。
今でさえ目が離せないような愛くるしさなのだ。
ルーシーの言葉通り一般的に思い描く天使像はアンナであると言っても過言ではない。
「俺は平民の子供だと聞いてたんだが、落ち着いた賢そうな子だよな。まるでしっかり教育された貴族の子供のようだ」
「伯爵家の縁の方だと聞き及んでおります。たとえ平民でもそれなりの教育を受けているのでしょう」
「私はぁ、お貴族様のお子様とは今までご縁が無かったんですけどぉ、親と別れても3才でこんなに立派に落ち着いていられるもんなんですかぁ?お貴族様すごいですぅ」
「多分この子が飛び抜けてしっかりしてるんだと思うぜ」
大人三人は温かな眼差しでアンナの寝顔を見つめる。
「まぁ旅は始まったばかりだしな、これから色々あるだろうが出来るだけのことはしてやりてぇよな」
「隊長はぁ顔が怖いんだからせめてもうちょっと丁寧な言葉遣いにした方がいいと思いますぅ」
ルーシーの言葉にエマも大きく頷く。
「いや、お前らの方がひでぇだろ」
反射的にハウエル隊長が突っ込む。
少し声が大きかったのかアンナがモゾモゾと動いた。
シーッ、シーッ
ルーシーが大袈裟にジェスチャーすると小声でそっと囁く。
「めっちゃ怖いオジさんからちゃんとお守りしますからねぇ」
「やっぱひでぇ」
ほのぼのした空気の中アンナの旅は順調に滑り出したのだった。




