父の決断1
竜人族族長カークは頭を抱えていた。
帰宅するなり屋敷の者達に次々とノアの失敗を報告されたのだ。
「つまりノアはミリー嬢に酒を飲ませ泥酔させた挙げ句、家族同然と慕う男に対し恋敵と勘違いし嫉妬して飛び出して行ったのだな」
カークの前に恭しく頭を下げて立つ執事服を身に付けた初老の男に呆れたように問いかけた。
「恐れながら、ただ飛び出して行ったのではなく殺してやると喚きながら飛び出して行かれました」
「何ということだ、大事になっていなければよいのだが」
「エリック様が追い付いておられれば最悪の事態は免れられるかと」
「うむ…それでミリー嬢はどうしている?」
「お部屋でお休みになられております」
「ではミリー嬢には明日詳しく聞こう」
コンコンコン
カークの執務室にノックの音が響く。
執事のジェームズはカークの前から「失礼致します」と一声発し扉を少し明け要件を聞く。
「旦那様、ノア様の足取りが掴めたようです」
無表情の執事からは吉報なのか凶報なのかカークには読めなかった。
「聞こう」
「では心してお聞き下さい」
ああ、凶報であったか。
ジェームズが前置きを言った時点でカークは察した。
「ノア様は屋敷を出られるとそのまま神殿に行き、高額の寄付を約束する代わりに巫女に占術をさせたようです。ディックなる男の所在を突き止め国一番の駿足のペガサスに跨がり飛び立って行かれたもようです。エリック様が後を終われておりますが、追い付けるかどうか…」
カークの考える最悪の事態である。
このまま行けば頭に血が上ったノアは、英雄ミランダの家族同然の男性を殺めてしまう可能性が高い。
思い違いをしたまま何の罪も無い男性を…。
非常にまずい。
ノアに部屋から下がるよう申し付けられていた使用人達は万が一に備えあちらこちらから様子を伺っていたらしく、ディックという男がゼルグナード王国の勇者様支援特別隊の一員であった事は確認できた。
つまり国際問題である。
ミランダと親しかったということは、間違いなく勇者様一行とも親しかったということである。
ディックの妻は妊娠中とミランダが言っていたとか…。
ああ、どうしたらいい!
ノアは全人類を敵に回したかもしれない!!!
次期族長の資格剥奪に勘当程度では済まないかもしれない。
実際にはディックの妻は妊娠中ではなく、とっくに娘を出産しているのだがカーク達にはまだその情報は入っていない。
「ジェームズ、至急オスカー=グロスマンを呼んでくれ」
「畏まりました」
執事のジェームズは一礼し退出していった。
残されたカークはドサリと椅子に沈みこむ。
深い色合いのどっしりとした高価な執務机はしっかりとに磨き上げられていた。先日届けられたばかりで縁や抽斗には優美な彫刻がほどこされてある。この机を見るだけでもカークの気分は上がったがのだが今は目に入らない。
また、お気に入りのたっぷりと詰め物がされた贅沢な椅子にも今のカークには全く癒されない。
どうしたらいいんだ。
カークは何度も何度もこの言葉を頭の中で繰り返していた。
どれくらい時間が経ったのだろうか、不意にノックの音が部屋に響いた。
ドアの外からジェームズの声が聞こえる。
「旦那様、オスカー=グロスマン宰相閣下がお見えになられました」
「通してくれ」
カークはジェームズに答えた。
「失礼致します。このような時間に至急の呼び出しとはいったい何事ですか。まさかまた邪悪な魔物でも現れましたか族長閣下」
部屋に入ってくるなりキビキビと質問したのは、カークの幼馴染みにして宰相のオスカーである。
「…魔物なら討伐すれば済む話だ。そんな単純な事ではない」
カークは恩人の娘である英雄ミランダを客人ミリーとして招いていたこと、ノアがミランダに逆上せ上がったこと、今回の経緯、と順をおって話していった。
英雄ミランダを内緒で招いていた事実に最初から青ざめたオスカーであったが話が進むうちにどんどん顔色が悪くなり、話終えた頃には蒼白になっていた。口は意味もなくパクパクと開け閉めしている。
「…どうするんだカーク。お前のバカ息子のせいでこの国は立場を失うぞ」
あまりのことにオスカーは敬語を忘れたようだ。幼馴染みに戻ってしまっている。
「ゼルグナード王国には何らかの賠償を…」
「一体どんな賠償をすれば英雄の家族を殺した償いになるんだ?釣り合いが取れる物などあるのか?バカ息子の首か?」
「…最悪の場合はそれも有り得る」
カークは断腸の思いであったがオスカーはさらにたたみかける。
「一人の首で済むのか?」
「…親の責任も問われれば喜んで私の首も差し出そう」
オスカーはカークの決意に何も言えなかった。
何を言えばいいのか切れ者と名高い彼でも言葉が出てこない。
オスカーは執務室に置かれたソファーに腰を下ろし目頭を揉んだ。
「カーク、取り敢えず考える猶予はある。此処からゼルグナード王国までペガサスで10日は掛かる。いやあの駿馬なら8日程か…もしかしたら血の気が上ったノアの頭も冷めるかもしれないし、エリックが休憩や睡眠を犠牲にすれば追いついて止める事ができるかもしれない」
「…」
カークはそれが0に近い確率であることを十分に理解していた為頷かなかった。
「あるいは」
オスカーが話を続ける。
「あるいは何だ?」
カーク一縷の望みを賭けて問い返した。
「世界最速であるドラゴンで追いかけてもらいミランダ嬢本人に誤解を解いてもらえるかもしれない」
カークは下がっていた視線をパッと上げた。
「確かに、それならば間に合うかもしれない」
カークの瞳に光が灯る。
「しかしこれはあくまでも仮定の話だ。念のために賠償も考えなければならない事は忘れるな」
「…うむ」
「ディックという男の妻が妊娠中と言っていたのなら、夫を殺された衝撃で流産などということも…」
「そういう事もあるかもしれないな」
カークの目の光がまた消えてしまう。オスカーはまたカークが落ち込むであろう事は分かっていた。だがただでさえ出産は命の危険が付きまとうのだ。見過ごせる問題ではない。
「悪く考えればきりがない、まずは明日ミランダ嬢が目覚めたらもう一度呼んでくれ。私もミランダ嬢の話を直接聞きたい」
オスカーはカークにそう要求した。これほど落ち込んだカークでは上手く話が進まないかもしれないと案じたからだ。
「ああ、そうしよう。一人で解決するには荷が重過ぎる。ミランダ嬢との話し合いの後は大臣達を集め会議を開こう。ノアの失態を隠せる筈が無いからな」
カークがそう言った後会話が途切れた。
一応会話は終了したのだが二人とも動く気になれなかった。
「オスカー、一杯付き合わないか?」
そもそも酒のせいでこのような事態に陥っているのだ。
酒に逃げてどうする!
二人ともそうは思ったが飲まずにはいられなかった。
竜人族はドワーフに次ぐ酒豪の種族なのだ。
竜人にとってはワインなど水代わりでほぼジュースのような扱いである。もしかするとノアは人間と竜人の差を忘れていたのかもしれない。
その後二人は重い空気のまま酒を酌み交わした。
最悪の中で最善を探さなければならない。
明日ミランダが目覚めれば何かが変わる可能性はある。
兎に角明日にさえなれば…。
藁にもすがる思いでカークは夜明けを待ち焦がれた。
オスカーが退出した後もカークは寝所で休む事なく執務室で一人過ごす。
早く明日になってくれ…。
しかしカークの願いは叶わなかった。
翌朝ミランダはあまりの頭痛に体を起こす事も出来なかった。
二日酔いに効く薬湯も全く効果がなく、話も出来ない状態であったのだ。ドラゴンに乗ってノアを追いかけて欲しい等と言える状況ではなかった。優しいミランダなら真摯に頼めばそんな状態でも無理をしてノアを追ってくれたかもしれない。しかし体調不良が分かっていてドラゴンで飛び立つなど言語道断である。ドラゴンとは気位の高い生き物である。自分の認めた者しかその背に乗せないのだ。勇者様一行でもないただの竜人をその背に乗せるとは思えない。つまりミランダ一人で追うということだ。頭痛や目眩でも起こし空を高速で飛ぶドラゴンから落ちれば命は無いだろう。英雄の家族同然の人物を手にかけ、あまつさえ英雄まで死に導いてしまったとなれば世界中から竜人は蔑まれ国の存続は危ぶまれる事になるかもしれない。それほどまでに英雄とは世界中から愛され、そして世界平和の象徴であるのだ。
ミランダに無理はさせられない。
それはカークとオスカーの総意であった。
そして更に事態が悪化する。
ミランダは三日間寝込んだのだ。
四日目に事件を知ったミランダは自分を責め落ち込んだのだが何れにせよ立ち止まるわけにはいかない。すぐに用意を整えゼルグナードへと旅立った。
残されたカーク達は会議を開いた。
カークは恥を忍んで息子の愚行を晒したのだった。
会議場に召集された者達はあまりの事態に絶句し顔面蒼白となった。
しかし悲観しノアを責めたところで状況が変わるわけではない。
どうすれば国にとって一番良いのであろうか。
勿論ミランダが追い付くのが一番良いのだが出発があれほど遅れればその可能性も下がると言うものだ。
ではミランダが追い付かないと考えるならどう動けばよいのか。
国家間で緊急事態にのみ使用する魔道具を使いゼルグナード王国へ連絡を取りディックという人物の保護を依頼する。という案が濃厚であったがここでノアの身分が問題になってくる。身分を明かせば国の恥を晒す事に繋がるし相手国も迂闊に対応できず問題が複雑化しそうであるし、身分を伏せて万が一攻撃を受け怪我をしても困る。
まあ、竜人は素晴らしく能力の高い種族であるためそうそうノアが傷付く事にはなるまいと皆考えている。ゼルグナード王国は純血種の人族が多く竜人に比べ戦闘になるとかなり劣っている。騎士団の小隊程度ではノアを止めることは出来ないだろう。よほど優れた能力の持ち主でもなければ竜人を相手になど出来ない。懸念があるとすれば成人したばかりのまだ子供のようなノアは己を過信し油断していないかと言うことぐらいであろうか。
次に問題になったのは、頭に血が上っているノアが入国手続きなどするだろうか?という点であった。不法入国をして好き放題に暴れるなど戦争を仕掛けていると捉えられても仕方がない行為である。
更に次の問題は…もう数え上げるときりがない。
しかしだからと言ってこの不始末を放り出す事は出来ないのだ。考えられる問題それに対する対策や賠償等々あらゆる起こりうる不祥事に対し話し合われた。
金銭で済む問題ではないかもしれないが、やはりきれい事で収まる事ではないため国庫に負担を掛けるのではなくノアの父親として個人の所有財産を賠償金に当てる事も決まった。
この数日で竜人族の大臣達は皆疲れきっていた。その中でもノアの父カークの憔悴はひどく、シワが深く刻み込まれ目の下に濃い隈が浮かんでいる。
そして運命の日が訪れた。
ゼルグナード王国から竜人族族長カークに魔道具で緊急連絡が入ってきたのだった。




