夢と現実
電話を切った後、紅葉は深くため息をついた。
努はいぶかしげにその顔を覗き込む。
「どうした?」
「いや、なんだろう……」
紅葉は難しい顔で考え込み、ボソリと呟いた。
「……育て方を間違えたかな、と思って」
努はうっと息を詰まらせる。
その反応を見て、紅葉は困ったような顔をした。
「……いや、もちろん自慢の娘だよ? あの子は」
「分かってるよ」
努は力なく笑った。
「あの子は良い子だよ」
黙り込んだ彼女を抱き寄せると、肩に頭突きを食らった。
紅葉は怒ったような口調で言った。
「良い子過ぎるのが問題なんじゃない」
「それも分かってるって」
また頭突きが一発。
「お前のせいだ」と言わんばかりに。
努は言い返すことも出来ずにしゅんと小さくなる。
「で、でも、今回のことはさ、あいつにしては珍しく自分の意見を通したじゃないか」
「遅いよ」
と紅葉はため息混じりに首を振った。
「わがままを言うべきだったのは、「あの時」だったのに」
時は流れてしまった。
チャンスは一度きりだったかもしれない。
もうないかもしれない。
「何言ってんの。今からだって遅くはないって」
努がにやっと笑った。
「奇跡だって起こるよ。信じてるならね」
答えがない。
見ると、紅葉は不穏な目でじっと彼を見つめていた。
「……なんだよ?」
「別に。夢見がちな中年男は気楽でいいなって思っただけ」
「失礼な!」
努は憤慨して見せたが、それほど本気にしているわけではなかった。
とはいえ、やり返すことは忘れなかった。
「自称「現実的」な、悲観主義者よりは幾分マシだろ」
「それ、誰のこと?」
「さあね」
睨みつけられた努は肩をすくめてやり過ごした。
「ともかく、信じてやろう。「あーちゃん」は信じて、行ったんだ」
紅葉は黙った。
その怒っているような顔を見ながら、努ははるか遠くにいるであろう娘のことを思う。
お願いだから。
お願いだから、あの子が幸せになれますように。
「……良いこと言うじゃない」
紅葉は悔しそうに認めた。
その言い方に努は笑ってしまう。
「? 何?」
「いや、何をそんなに悔しがってるのかと思ってさ」
「……うるさいよ」
むくれた紅葉を努が小突き、二人が笑い合う。
二人は同じことを願っている。
言葉には出さない。
匂わすようなこともしない。
それでも、同じだった。
「あの子が幸せになれますように」。
二人の願いは春の風に乗って、遠く、ビルの群れを超えて、川を渡り、山々を越え、町や村を通り過ぎ、一つの風景にたどり着く。
小さな一軒家と、ぽつり、ぽつりと立っている桜の木が遠くに見える場所に、ひざを抱えた少女がいる。
それは描かれたことのある風景だった。
物語を知らなかった努が、知らずに描いた風景。
彼女は目を閉じて祈っている。