夢うらら
彼らは夢を見た。
同じ夢だった。
二人がいた。
少年は少女にたどり着いた。
少女は少年とめぐり会えた。
彼らは二人を見ていた。
あの、二人だった。
あの一続きの季節から時が過ぎ、彼らの背はすっと伸びている。
二人もまた、同じように、あの頃のままではない。
どうして、今の姿が分かるのだろう、と彼らは思った。
目が覚めたとき、二人はもう、動き出していた。
少女はバスに揺られながら、うつらうつらとしていた。
陽射しが柔らかく少女を包み込み、彼女は幸せそうに微笑んでいる。
事実、彼女は幸せだった。
とても。
心配や悩みはこの温もりの中、雪のように解けてしまった。
バスのエンジン音、別の乗客の話し声。
振動にそってそっとうごめくかばんの音。
それぞれの呼吸が共鳴しているような静かなざわめき。
携帯にぶら下がるストラップの音。
本のページがめくれる音。
手帳を横切るペンの音。
きぬ擦れも、鼓動も、果ては瞬きさえも耳に届きそうな気がした。
全ての音が混ざり合って、快い音楽のように聞こえた。
少女は目を閉じ、その空間に身を委ねた。
世界が自分のためにある。
少女はそれを確信していた。
そこは彼女のための世界だった。
バスがゆっくりスピードを落とし、滑らかに停車する。
まだ停留所ではないはずだった。
彼女は目を開いて背筋を伸ばし、前の方を窺った。
(……なんだ)
少女は再び座席の中に沈み込んだ。
なんでもない。
ただの赤信号だ。
少女はふっと息をつき、窓の外を見やった。
歩道で信号待ちをしている人がいる。
少女はその女性の後ろ姿をじぃっと見た後、ふっと微笑んだ。
(いい天気だもんね)
春の柔らかい陽射しが、鮮やかに道を照らしていた。
きっと気持ちの良い風が吹いているだろうし、何か花の香りもするだろう。
光だってこんなガラス越しのものよりずっと気持ちがいいだろう。
(……いいなぁ)
少女はただそう思った。
その人は自由だった。
少なくとも今、ここにいる自分よりは。
そういえば、今朝見た夢はあんな光に包まれていた。
二人はとても幸せそうだった。
信号が青に変わる。
バスより早くその人が歩き始めた。
背中が遠ざかる。
それが止まる。
ゆっくり近づく。
もっと近づく。
早く近づく。
そして並びかけた瞬間。
少女はがばっと窓に張り付き、通り過ぎていくその横顔を凝視した。
見間違うはずがない。
憧れの、夢で見たままの少女が後ろの景色に取り残されていく。
畦道を風のように走る自転車が一台。
遅刻しかけの少年が、歯を食いしばって風に向かっている。
遅くなったのは二度寝してしまったせいだが、二度寝は夢のせいだった。
目覚めた後、布団にくるまったままで夢の切れ端を探していたら、知らない内に時計の針がとんでもなく進んでいたのだ。
少女は自分以外の誰かの隣にいた。
そして、鮮やかに笑っていた。
目をつぶっても走れるような気がするいつもの道を、少年は一心不乱にペダルをこいでいく。
その単純作業の間中ずっと、彼は夢のことを考えていた。
(……良い夢だったなぁ)
もうぼんやりとしか思い出せない。
段々と少女の顔すら薄れてしまってきている。
(……あ、畜生)
考えれば考えるほどその姿が遠ざかる。
同時に、その隣にいた少年の顔も妙な違和感とともに塗りつぶされてしまう。
彼は頭を振った。
(……思い出せねぇ)
自転車が速度を増して道を駆けていく。
(でも、可愛かったなぁ)
正直に言えば忘れかけてすらいた。
結局手紙のやり取りは一度もしなかったし、彼女は戻ってこなかった。
それなのに。
(……なんで今更……?)
せっかく忘れていたのに。
記憶を振り払おうとして、痛みを忘れようとして、彼はペダルを踏む。
立ち漕ぎを一回、二回、三回。
彼は立ったまま風を全身に受けた。
目が覚める。
夢が遠ざかる。
それで良かった。
(夢だよ、夢!)
彼はまたスピードを上げた。
さらに力強く踏み込もうとした瞬間、前から歩いてくる少年が目に入る。
(え?)
彼は驚いてその姿を見つめた。
普通、こんな時間にこんなところを歩いている奴はいない。
しかもその足取りが妙だった。
(……どこのやつだ?)
その少年は何かその瞬間をかみ締めるように、じっくり、じっくり足を運んでいる。
ほんの数歩先を見ているらしいその目には、向かってくる自転車がまだ見えていない。
どんどんどんどん近付く。
少年はその姿を観察しつつも、スピードは緩めなかった。
すれ違う寸前。
歩いていた少年がはっと顔を上げ、二人の目が一瞬合う。
何事もなかった。
ただ何かが微かに引っかかった。
二人は風よりも早く遠ざかっていく。