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Season  作者: 田中 遼
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つながり



瞳は驚いた。


翔太は正しかったのだ。

華は瞳の提案を退けた。



――そうだ、私が代わりに待つよ――


――えっ――


――「翔太」くんを。それで、華の連絡先を教えてあげるの。そうすれば――


――ダメだよ――!


――え――



彼女はその理由を語らなかった。

瞳がいくら食い下がっても、「そんな気がするから」としか言わなかった。


瞳には理解ができない。



「でも、教えてあげるよ。家にメモがあるから」


「……頼まれてもいないのに?」


「そう。華がどういう思いだったのかは私には分からないけど、でも、私がここで翔太くんに会ったのは多分、偶然じゃない。これが最後のチャンスかもよ?」


「……かもね」



しばらくの沈黙があった。

翔太は目を閉じ、また木に頭を預けた。


瞳はその時、翔太から妙な気配を感じた。

まるで、望んでいないかのような。


瞳の言葉を止めたがっているかのような。



「……翔太くん?」



木の幹の上を転がすように、翔太は首を振った。


髪がどこかに引っ掛かり、頭がちくちく痛んだ。

だからだ、と彼は言うだろう。


閉じた目に涙がにじみ、目が開けられなかったのだ。



「……華の望んだことじゃない」


「え」



瞳は驚いた。

というより愕然とした。


すっと一瞬引いた感情が、ものすごい早さで帰ってくる。



「そんなわけない!」



瞳の声が響いた。



「翔太くんだって知ってるじゃん! 華は待ってたんだよ!? 本当に昨日、ホントにぎっりぎりの――!」


「――それに」



瞳の怒鳴り声が翔太の小さな声で止められる。


叫ぶ瞳に聞こえたのが不思議なほどの小さな声で、翔太は身動きさえもしなかったのに。


それは世界の中心がそこにあるかの、彼が世界の中心であるかのような感覚だった。


瞳はその時初めて、何故翔太なのかが分かった気がした。



「――僕も分からないんだ」と翔太は続ける。


「今、つながりを作ることが良いことなのかどうかが」


「はぁ?」



驚きが翔太の妙な強制力を吹き飛ばした。

瞳は断罪するような強烈な口調で言った。



「悪いことなはずがないじゃん! だってここで途絶えたら、もう次はないんだよ!?」


「かもしれないね」


「「かもしれない」って――!」



瞳は絶句した。


二人して同じことを言っていたのだ。


華もまるで他人事みたいに、灰色の空を見ていた。



「――奇跡はもう、起きてるんだよ!?」



瞳は必死だった。

何故か、当の本人たちよりずっと。



「しかも三回も! これ以上何が起きると思ってるわけ!?」



翔太はまだ目を閉じている。

まるで瞳の言葉が届かなかったかのように。


それで瞳がまた声を上げようと息を吸い込んだ瞬間、翔太が目を開けた。


彼は瞳を見ようとはしなかった。

ただ暗い目で地面を見ながら、ぽつりと呟いた。



「心が離れるなんて簡単なんだ」



瞳はぞくっと背筋が寒くなった。

何故かは分からない。

ただ、寒さのせいではない気がした。



翔太は知っていた。


心は、どれほど願っていたとしても、どれほど力をつくしたとしても、近づけなければ離れてゆくだけなのだということを。


そして、心を近づけるのはつながりではなく、一緒に過ごす時間なのだということも。



「僕も一度だけ、一度だけだけど転校したことがあるから、華の気持ちが分かるんだ」



翔太はつらそうに言った。



「手紙を書こうと、電話をかけようと、相手はどんどん遠くなる。僕も親友だった奴の顔も、可愛かった女の子の名前も、大好きだった先生の声も忘れていく。その時の痛さがね」



中途半端なつながりが、その痛みを、激痛を作り出す。


なにもなければ、すべてが知らないうちに思い出になってゆくのに。



「だから華は、君に頼まなかったんだ。多分ね」


「そんな……!」


「――華は忘れたいんだよ」



たとえ手を伸ばしても、その手をつかめたとしても、華は握り返してはこないだろう。


翔太には分かった。

華は諦めてしまった。



あと一日。

あと一日早く来れれば。


そうすれば、何かを変えられたかもしれない。


たとえば――。



しかし、彼はふと、華の顔さえまともに思い浮かべることができない自分に気がついた。

なんとなく雰囲気は分かる。

しかし、顔が浮かばない。


目の形が分からない。

鼻の角度も分からない。


翔太は衝撃を、感じながら思った。



僕 は 華 を 忘 れ か け て い る の か 。



思い出が作られようとしている。

しかもねじり込むような痛みと共に。



翔太は自分の幼さを呪った。



どうしてもっと育った後で、彼女と手を取り合って歩めるようになってから出逢わなかったのか。


そうすれば――!



翔太はこらえるように息を止めて立ち上がり、身体の土を払った。

正直なところ、涙を流さなかった自分に拍手を送りたい気分だった。



「……行くよ。そろそろ親と合流しなきゃ。今日は声をかけてくれてありがとう。おかげで華が……まぁ、生きてることは分かったし」



嘘ではなかった。

ただ、無理はしていた。


瞳はきつい目で彼を見ている。

翔太はその目に先ほどまでの迫力がないことに気づき、それがただ涙をこらえているだけなのだと悟った。



そういえば、まだ彼女の名前さえ知らない。

あえて聞かないで置こう、なんのつながりも持たないようにしよう、と彼は思った。


持ってしまったら期待してしまう。

その糸にすがりついてしまうだろう。


それじゃいけないんだ、と思った。



「華は東京だよ」


「え」と翔太が息を呑む間もなく、瞳が言った。


「ごめん、ちゃんと覚えてられたら良かったんだけど。でも、翔太くん」



瞳は彼の両肩をつかみ、ぐっと自分に引き寄せた。


「わわ!」と翔太が慌てたが、瞳はまったく動じず、彼の目の中をのぞき込んだ。



「諦めないで。華のためにも」



翔太の目の奥で何かが揺れた。

確かに、何かが。



「運命なら、必ず会えるから」



翔太は瞳のまっすぐな視線を受け止めている。



鼻の奥がつんとする。

目が潤み始め、痛みが走る。


家に帰ったら、華が近くにいるかもしれない。

街を歩けば、彼女がそこにいるかもしれない。


可能性はある。


こんなさびしい、なにもない場所で再会できた僕らなら。


あんな縁もゆかりもない場所で、すれ違った僕らなら。


あの大きな街のどこかで出くわしたって、なんの不思議はない。


どんなことでも起こり得る。




しかし、彼はうなずけなかった。




何を信じろと言うのか。



彼女はここで待っていると言った。


確かにそう、言ったのに。




どんどんと黒く染まっていく心が、冷たくなってゆく。


恐らくもうすぐ、雪が降り出すだろう。


降り積もる少女との思い出が空中できらめき、暗闇はより深く、より濃く染められてゆく。

すべてが覆われた後で、彼の心は声を、言葉を、音をなくしてしまうだろう。


そして死に絶えたような静寂が訪れるのだ。







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