夕暮れ
夕暮れ、である。
風すら絶えたその静寂の中で、じわじわと夜が迫ってくる。
二人ははるか彼方できらめく太陽に向かって無言で歩いている。
目に見る景色と肌に感じる空気が一致しない。
澄みわたる鋭い空気が服を通り抜け、背中をなぞる。
華はぶるりと震えた。
「……寒いの? 大丈夫?」
「うん。大丈夫、馬鹿は風邪引かないから」
「あなたが馬鹿なら、私とかその他大勢がなんなのか教えて欲しいんですけど、白井さん?」
「アハハ、そんなトゲのある言い方しなくても!」
華は笑ったが、直後真顔になり、目を細めて太陽をにらんだ。
あの時のように。
瞳はそれを全て見ていた。
「……華はさ」と、瞳は辛そうに切り出した。
「……いつも誰かのこと考えてるね?」
「え」
「ここじゃないどこかにいる「誰か」。違う?」
華はわずかに視線を落とした。
心当たりはいくつかある。
でも、瞳が言っているのはただ一人のことだ。
「……かもしれない」
華は本当に分からなかった。
「彼」が隣にいたら、と思うことはある。
幸せかもしれない。
心の奥にある寂しさも忘れられるかもしれない。
でも――。
「そう」
瞳の声が辺りの空気と混ざり、華はぞわりと寒さを感じた。
気のせいかとも思ったが、そうではないらしい。
瞳がその声のまま続ける。
「……あと少しだし、ここで良いよ」
「え、でも……」
突然の拒絶に華は戸惑った。
それこそ、二の句も継げないほどに。
瞳は華から目を背けてしまう。
「白井さんも日が落ちる前に帰った方が良いでしょ? じゃあ、明日」
「……うん」
瞳は歩き出した。
華は立ち止まったままでその背中を見送る。
彼女の姿がちょうど太陽とかぶり、華は目をしばたたかせた。
瞳の気持ちが分からないでもなかった。
華は全てを飲み込み過ぎる。
それは彼女が無意識の内に築いている防護壁なのだが、他者からすれば信頼の欠如にも思えるだろう。
そうだ。
華は心を見せない。
彼女は何かが起きる前から、全てを諦めている。
華はいつの間にか瞳の背中を見失っていた。
太陽の最後の灯火が消えかけている。
華はまたもや身震いして腕を身体に巻き付けた。
彼女の右側に、あの場所がある。
あの場所。
二人の道が重なるはずの、新たな物語が始まるはずの場所。
華は確かな根拠が何一つないのを知っている。
何故自分なのか、何故「彼」なのか。
彼女には何一つ説明出来ない。
風が静寂を作り出すような音を立てて通りすぎていく。
すすきの音だ。
白い手が地の底から手招きするように揺れている。
最後の光が尽きる。
山々と空の境目に赤い光が残る。
夜がじわじわと空を覆い始める。
華は息もせず、その静寂の中に立っていた。
彼女が見ているのは空でも、山々でもなく、その場所である。
彼女はひたすらにその景色を目に焼き付けている。
振り向けば、昇り始めた月がそっとたたずんでいた。
華は手の甲で目の辺りをこすり、月明かりの中で家路をとぼとぼとたどり始めた。