しるし
部屋は予想通りきちんと整理されていて、不必要なものは一つもないように見えた。
つまり、瞳の部屋にあるようなアイドルのポスターやらピンク系統の置物やらは。
多分これから大きくなっても、華はこの部屋で過ごしていくことができる、と瞳は思った。
膝を抱えて華のくれた座布団に座り、椅子に腰かけた彼女を見上げて瞳はため息まじりに言った。
「……やっぱり、なんか違うよね。私なんかとは」
「何それ」と華は笑った。
「なんかね、計画性を感じるの。色使いとか小物のチョイスとか」
「ただシンプルなのが好きなだけだよ」
そして華は小さく「楽だし」と付け加える。
「アハハ、何それ? あ、ところでさ」
瞳は華ににじりより、ないしょ話をするように目を輝かせた。
「華ちゃんのお父さん、ちょっとかっこよかったね! お仕事何やってるの?」
華は即座に言った。
「ごくつぶし」
「ごっ……!?」
「と、言うのが母さんの意見だけど」
華はクスリと笑った。
瞳は彼女の表情から、それが半分冗談になっている表現であるらしいことを察した。
「……ホントは?」
「絵本作家」
「えっ」と息を呑んだ瞳に、華は首を振ってみせる。
「の卵だよ」
「卵?」
「つまり、食べていけるほどの収入はないってこと。だから「ごくつぶし」ってさ」
そういえば、と華は思う。
吉野が「先生」なんて呼んでたのはどういうわけなのだろう。
もしかすると、何かが起きるのかもしれない。
「……それ、結構キツいんじゃないの」
瞳は笑っても良いものなのか判断に困っている。
無理もないか、と華は内心肩をすくめる。
「だから母さんも、本人には言ってないみたい。ホントのホントに怒った時に備えて、ね」
「怖っ」
「さすが」と言いかけて瞳は言葉を飲み込んだ。
「え~っと……。じゃ、お母さんは何してるの?」
「「努は夢を、私はリアルを」というのがモットーなんだけど」
華は実に上手く母・紅葉の声真似をしたが、彼女を知らない瞳から笑いをとれるはずもないことに気づき、横を向いて頬をかいた。
「……キシャ」
「キシャ??」
「新聞記者。東京でね」
「ほえー!」
変な声が出て華が笑った。
「アハハ、何それ?」
「いや、すごいじゃん。すごいよね?」
「さぁ」
華は反応に困っていた。
瞳は彼女の様子には何も気づかず、「興味津々」という感じで部屋をまたキョロキョロ見回している。
「……そうかー、華ちゃんはこーいう環境で育ったのかー……」
「……まぁそうだね」
瞳はふと、その奇妙な間の意味を思い付く。
「あ、そっか。華ちゃんはあちこち転々としてるんだったね? じゃ、少し違うの?」
「う? うーん……どこも一緒かな。大して変わらないよ。結局こーいう部屋になるし」
「……もしかして、それでこういう……シンプルな部屋に?」
「さぁ、こーいうのが好きなのはホントだけど」
華は足を持ち上げ、椅子の上であぐらをかいた。
そして足首をつかみ、少しのけ反った。
「ま、確かに楽だね。出るときも、入るときも」
気づかない内に出来上がった形は、生まれついたのと変わらないのかもしれない。
生まれついたのなら、誰にも責任がない。
のかもしれない。
「……やっぱり大変なんだよね、引っ越すって」
「瞳ちゃんはずっとここ?」
「うん。代々」
「代々って。まぁ多分、そんなには変わらないよ」
「そんな馬鹿な」と瞳は笑う。
「変わらないはずないじゃん。だって違うもん」
「……そうだね」と華は微笑んだ。
諦めたような、知り尽くしたような微笑みで、瞳の笑顔が即座に引いた。
華はすとっと足を下ろし、立ち上がった。
部屋をぐるりと見渡す。
一回。
二回。
(……味気ない部屋)
そ こ に は 何 も な か っ た 。
思い出も、しるしも。
華が生きたしるしは、この華の生きる部屋に、華が存在するこの部屋には、なかった。
「違うよ? だから一緒」
「え」
「私も瞳ちゃんの知ってる大変さは知らないし、誰かの苦労だって分からない。一緒なんだよ」
瞳にはそれが言い聞かせているように聞こえる。
「……そうなの?」
「そう。一緒なの」
華は強く頷いた。
不思議だった。
何故、華がそんなにも言い張るのか。
まるで「一緒でありたい」みたいに。
(私なんかと?)
まさか、と瞳は心の中で笑う。
(だって、こんなに生きてるレベルが違うのに)
何もない壁を見つめている華は、頑なに顔を背けているように見えた。