秋風
休み時間の教室。
女子たちの楽しそうな話し声や、プロレスごっこをして騒いでいる男子の声。
とにかく騒然としたざわめきの中、少年の声が響き渡った。
「好きなんだ!」
音が消えた。
突然。
誰かがスピーカーの電源を引き抜いたかのような静寂だった。
音はもちろん、動きまでもが絶えたその空間の中、皆の視線がひとつに集まる。
驚きと好奇、そして少しの怖れ。
そんな感情が入り混じった視線だった。
少年は自分の喉から出た予想外の大声に、その場に凍りついていた。
彼もまた、皆と視線を束ね、一人の少女を見つめている。
少女は言葉に窮している。
しかし、答えに迷っているわけではなかった。
授業中、彼らは隣同士に座っていた。
順治は(瞳いわく)「人生全ての運を使い果たして」、一番後ろの右端且、華の隣という(順治いわく)「特等席」を勝ち取ったのだ。
もう与えられたプリントを終わらせてしまった華は左斜め後ろをじっと見据えていた。
ふと彼女に目をやった順治はその視線を追いかけ、何もない後ろの壁に行き着いた。
「? 何見てんの?」
華ははっと目を上げ、順治を見た。
そして一瞬、何かを言いかけたが、溜息をつきながらそれを引っ込める。
「……なんでもないよ」
そう言いつつ、彼女の目が先ほどの方向をちらっと見る。
「……猫ってさ」
順治はすぐに視線を落としてしまった彼女のその横顔を見つめながら言った。
「たまに何もないはずの壁をじーっと見つめてることあるじゃん?」
「んー?」
華は順治の方に顔を向ける。
彼は少しドキリとしたが、なんでもない風に装って続けた。
「あれ、何か霊とかが見えてるらしいよ? それも悪いやつが……」
「へぇ」
華は表情を消し去って先ほどの場所を振り向き、じっと目を細めた。
「あれ、猫にも見えるんだ……」
順治は言葉を飲み込むのに、少し時間がかかる
。
「……え゛?」
彼は慌てて振り向き、恐怖に満ちた目で再び彼女の視線を追いかける。
「し、白井って、まさか、「見える人」なのか……!?」
答えがない。
順治はいかにも「恐る恐る」といった感じで再び華のほうに視線を戻した。
「え?」
笑っている。
それは順治にとって(そして二人を、とりわけ華を横目でうらやましそうに見ている幾人もの男子にとって)、まぶしすぎて目をそらしたくなるような(でも絶対に逸らしたくはない)笑顔だった。
華は声を潜めて笑いながら言った。
「嘘だよ、嘘。ありえないでしょ。そんな簡単に信じてくれるとはね」
順治は照れと虚栄心で半ば本気で焦りながら言い訳する。
「お、お前の演技が上手すぎるんだろ!」
「あらアリガトウ」
華がまた笑った時、チャイムが鳴り、教師が立ち上がった。
「はい、じゃあ、明日提出だから、終わらなかった奴は宿題な」
途端に「えぇ~!?」という声が響き渡る。
順治も一際大きな声を出して抗議したが、教師は笑って手を振りながら教室を出て行った。
順治は大声を出したその勢いのまま華に言った。
「ひでぇな!」
華は苦笑いを浮かべる。
「え、終わってなかったわけ?」
「お前と一緒にすんなよ!」
と順治が噛み付くように言うと、華は気のない笑い声を上げた。
「ハ、ハ、ハーだ。でもそんなに難しかった?」
「難しいとかじゃなくて、面倒なんだよ。とりあえず」
「ハ、ハ、ハーだ」
華はまた言った。
それから二人は休み時間に話す相手を探し始めたのだが、その短い間に休み時間のグループ分けが終わってしまっていて、双方それぞれ男女の輪に入るきっかけを失い、きょろきょろと教室を見渡してしまうことになった。
早々に諦めた順治がどすんと座り、正面を向いたまま華に言った。
「ところで、結局どこを見てたわけ?」
「んー?」
彼女はちょっと首をかしげて考えてから、すとんと椅子に座り、やはりまっすぐ前を向いたまま言った。
「ねぇ、知ってる? 私たちはみんな西を向いてるって」
「西?」
華はにっと笑い、左手の窓を指差した。
開け放たれた窓から尖った風が入ってくる。
それはすっと深呼吸したくなるような澄んだ空気で、ほんの少しの間華は口をつぐんだ。




