その瞬間
辺りがふっと暗くなったその時、華の様子をじっと見ていた瞳が唐突に尋ねた。
「白井さん、好きな人でもいるの?」
「え」
華はとっさに言葉が出せず、その反応を見て瞳は自分の直感の確証を得た。
「やっぱりね。そんな気はした」
華はじっと 前を見つめている。
キャンプ場からこっちに歩いてくる三人組がいる。
いや、一人と二人かな、なんて考える。
歩くペースが何となく違う。
ほんの少し。
ほんの少しだけ。
遠目で見ると、それがよく分かった。
そんな華の思考に横入りするように瞳が尋ねてくる。
「ね、そうなんでしょ?」
意識するより早く、心に浮かんできた人がいる。
翔太だ。
だから多分、もう疑いようはないのだろう。
華は翔太が好きだった。
それにしても、と華は思う。
あれは夢だと諭されたら、「なんだ」と少しがっかりしつつ、簡単に信じてしまいそうだったのだ。
正直、春に来てくれるなんて思ってなかった。
でも、あそこで待っていた。
何を話したんだっけ?
とにかく嬉しくて、胸がいっぱいで、何も言えなかったような気がする。
「誰? 私、知ってる?」
瞳の目が怪しい光を放っている。
華の反応から少しでも情報を引き出そうとしているらしい。
華は思わず笑ってしまった。
「知らないよ」と華が言おうとした瞬間。
空が開けた。
影に打ち勝ったらしい目も眩むような光が、華の世界を強烈に通り過ぎる。
華の目は今、眩しさ以外の何も捉えられない。
しかし華は目を見開き、その直前に見た少年の顔をもう一度確かめようとする。
彼は今まさにすれ違いかけている。
宙にある左足が地面すれすれを動いていき、踵がゆっくりと地面に吸いつけられていく。
続けて土踏まずと爪先の間が地面をつかみ、体重が徐々に移っていく。
あんなにやかましかった蝉の声が聞こえない。
ただ、自分の鼓動が耳に響いている。
華は自分の右足がじっくり地面を離れようとしているのを感じている。
少年の姿が視界を流れていく。
踵が持ち上がる。
アキレス腱が縮む。
爪先に力が入る。
そして地面を蹴ろうとした瞬間、華は左足で無理矢理踏み切り、後ろを振り向いた。
「……白井さん?」
華は少年の背中を見ていた。
彼は振り向かなかった。
「……なんでもない」
華は向きを変え、歩き始めた。
「見間違いだ」と自分に言い聞かせながら。
舞が「あの人、知り合い?」と尋ね、「え」と華の息が止まる。
「ほら、こっち見てるよ?」
華は躊躇いつつ、期待しつつ、自分を抑えようとしつつ、ゆっくり慎重に振り返った。
燦々と輝く太陽の下で、華の目がすっと暗くなる。
「……いや、違うよ」
あの人じゃない、と思った。
華は再び向きを変え、歩き始めた。