後ろの三人
翔太は荷物を持ち、家から飛び出した。
とはいえ急ぐ様子はなく、すでに明るい朝方の静かな道路を彼の足が軽やかに進んでいく。
妙に静かだ。
そうか、と思う。
蝉の声がしなかった。
朝日が―――と言ってもすでに随分高く上っているが―――雲ひとつない青空でぽつんと浮いている。
光は強烈だったが、そのエネルギーはそれほど高くなく、目に見える景色ほどは暑くなかった。
映画の予告編のような奇妙な造り物感だ。
翔太は太陽をにらみつけるように空を見ながら道を歩いてゆく。
そういえば、夢の空は暗い曇り空だったな、と思い出した。
風間家の車の後部座席で、翔太はその気まずい沈黙にひたすら耐えていた。
隣の席から伝わってくる温もりが妙に熱い。
その腕のうぶ毛が触れ合っているようなギリギリの距離感に、彼は半ば息を止めて身を強ばらせている。
「……翔太くん、緊張してない?」
助手席で隼人の母が笑っている。
「リラックスリラックス!」
「んな無茶な」と翔太は思う。
身動きするだけで触れてしまうようなこの状態でどうやったらリラックスなど出来るのか。
それに相手の緊張感がはっきりと伝染してきているのもかなりの問題だ。
「車が狭いんだと思うよ、父さん」
隼人がつまらなそうに言った。
彼は彼でリラックスのし過ぎというか、遠慮なしに足を広げ、何の躊躇いもなく身体を密着させている。
実際のところ、彼のせいでその妙な緊張感が生まれているのかもしれなかった。
「まぁ一番の問題は、余計な奴が侵入してきてることなんだけど」
「……誰のこと?」
翔太と隼人の真ん中に座っている―――そして隼人によって翔太の方に押し付けられている舞が、不機嫌な顔を隼人に向けた。
集合場所で舞や舞の両親を見つけた翔太は少なからず驚いた。
が、隼人と舞のいつもの様子と、それぞれの両親がひどく親しげに話していることから、むしろその六人の集まりが「恒例」なのだと気づいた。
彼は「どういうことだよ」と半ば呆れながら思う。
「翔太!」
いち早く隼人が彼を見つける。
「遅ぇぞ!!」
「嘘つけ!」
翔太は賢に借りた腕時計を覗き込んだ。
「ぴったりだろ!?」
それでも彼は駆け足になって彼らに近づいていく。
思い出したかのように蝉が最初の一声を叫び始めた。
翔太が大人たちに挨拶をすると、彼ら四人は嬉しそうに微笑んだ後、「さあ!」と切り出した。
「出発しよう! 乗った乗った!」
「翔太、こっち」
「あ、おう」
隼人に押し込まれるように車に乗り込んでから、翔太の耳に外からの大声が聞こえてくる。
「なんでこっち来てんだよ!?」
「だってこっちが良いんだもん!」
「何故か」舞がそこにいた。
いつものごとくとんでもない大声だ。
隼人は負けじと大声を出す。
「理由になってないだろ、バカ舞!」
「おじさんたちは良いって言ってくれたもん!」
「はぁ!? ただでさえ狭いのに!?」
「私だけ一人なのは嫌なの! 入れてよ!」
「……はいはい、分かりましたよ」
隼人の諦めたような声の後、翔太の席とは逆側のドアが開き、舞が飛び込んできた。
「やた! よろしく、麻地くん! って、あれ?」
舞がキョトンとした顔で後ろを振り向くと同時に隼人が車の中に入り、舞を翔太の方に突き飛ばした。
舞は不意をつかれそのまま翔太の胸に飛び込んでしまう。
「イテッ!」
「うわっ!? は、隼人!?」
「うっさい」
隼人のその声にはかなりの怒りが込められていて、舞はギクリと身を引いた(結果さらに翔太に身を寄せることになったが、舞はそれに気づかない)。
隼人は出来たスペースにどかりと腰を下ろした。
「招かれざる奴が真ん中に座るのは当然だろーが。そこで大人しくしてろ」
舞はしばらく固まっていたが、結局黙ったまま素直にうなずいた。
本気で怖がっているらしい。
彼女はぴったり翔太に寄り添ったまま動かずにいて、彼をひどく困らせた。
ちらりと後ろの戦争を見やった隼人の父が含み笑いを浮かべ、エンジンをかけ車を発進させる。
舞はやはり動かず、隼人の顔をじっと見ている。
しばらく三人は指一本動かさなかったが、最後にはこらえきれず翔太が口を開いた。
「あの……桜田さん?」
「へ……? あ、うわっ!?」
飛び退きかけた舞はなんとか自分を抑え、ゆっくり身を起こした。
翔太に引っ付いてしまっていたのは一大事だが、もし隼人に体当たりするようなことになったら目も当てられない惨事になるような気がしたからだ。
しかし残念ながら、翔太から離れかけるより早く隼人に触れてしまいそうになり、舞はぴたりと止まった。
隼人が怒っている。何だか怖い。触って良いのか分からない。でも、このままだと……。
翔太をうかがうと、彼は妙に緊張した面持ちで固まっている。
舞はどきりとすると同時に「離れなきゃ」と強く思う。
でも……。
舞はしばらくそのまま迷っていたが、最終的には意を決し 、そろそろと慎重に隼人の方に身体を動かした。
ぴとりと腕が触れる。
隼人は頑なに前を見つめたまま、指の一本も動かさないと 決めているように力を込めている。
舞はほんのもう少し身体を寄せ(今の隼人をそれ以上は押せなかった)、肘を内側に入れて翔太から離れた。
かくしてこの気まずい沈黙が出来上がったのだ。