何かのはじまる声
しかし、じっと見つめ続けていても、少女の存在が揺らぐ気配はなかった。
少年が少女の足元に目をやると、彼女がしっかりと歩いてきたらしい跡もしっかり残っている。
彼は少女の目を再び見つめる。
彼女はまだ待っていた。
少年はゆっくりと口元から手を下ろし、鼻から静かに息を吸い込み、ゴクリと唾を飲み込み、心臓の音を感じながら、
「雪を……見てたんだ」
と小さな声で言った。少女はクスッと笑った。
「目をつぶって?」
少年は治まるどころかさらにひどくなる鼓動の高鳴りに戸惑いながら頷いた。
「……うん」
少女は微笑んだまま、わずかに首を傾げた。
「おもしろい……?」
少年は何とかして静寂を保とうとしているような静かな声で言う。
「ううん。ただ、すごくきれい」
少女は肩越しに振り向き、空を見た。
雪は降り続いている。
音を吸い込み、色を塗り消し、そして自らは優雅な舞を繰り広げながら。
静まり返った舞台の上で、少年は少女を見つめ続けている。
その内側で誰にも気付かれないほど静かに、それでいて鳴り響くファンファーレのようにはっきりと、そして途方もなく複雑で、しかも限りなく純粋な何かが芽吹こうとしていた。
彼は確かにその始まりを感じていたのだが、その名前を少年はまだ、知らない。
少女はしばらくそのまま佇んでいたが、今空から舞い降りてきている雪のように、不意にふわりと少年に向き直った。
微かな微笑を浮かべたその姿に、少年は呆然としながら見入ってしまっている。
「……一緒に見ていい?」
少女の問いかけに少年は一瞬動きを止める。
しかし程なく、大切な何かを扱うときのような慎重さでコクリと頷いた。
「……うん」
「ありがと」
少女は少年に笑いかけ、彼に近付いてくる。
「ギュ、ギュ」と彼女の足元で雪が鳴く。
少年が座ったままで見つめ続けていると、少女は彼の横に勢い良く寝転がった。
彼女の倒れこむ「ボスン」という音を聞き、彼女の身体にそって出来た雪のへこみを見て、少年はまた少しだけ安心する。
「……君、名前は?」
少女はふっと息をついて答えた。
「華。君は?」
華は顔を少年のほうに向けた。
少年は咄嗟に身をかわすように視線を空に戻した。
「……麻地翔太」
華はニカッと歯を見せて笑った。
「翔太、だね。はじめまして」
翔太はまた横目で華を見ると、「ボスン」と後ろに倒れこんだ。
そして何か居心地悪そうに
「……はじめまして」
と呟く。
華はその横顔を見つめ、ちょっとだけ微笑んだ後、また雪の舞に目をやった。
背中からじわじわと冷たさが迫ってくる。
しかし二人は、そんなことには気にも留めず、ただ、舞い落ちる雪たちを見つめていた。