「信じてる」
風は唐突に止まった。
その名残の穏やかな一筋のそよ風が、「もう終わったよ」とばかりに二人の輪郭をなでる。
舞は目を瞬いた。
「……すごい風」
隼人は答えず、自分の手の中を見つめている。
「隼人?」
彼はふっと息を吹きつけ、そこにあった桜の花びらを宙に放った。
「あ」と舞が息を呑んで、それを見送りながら尋ねる。
「取ったの?」
「うん」
隼人は明らかに嬉しそうにしている。
それで舞は悪戯っぽく笑った。
「何か考えてたね?」
隼人が顔を赤くした。
「馬鹿、違うよ!」
「嘘付き!」
舞はけたけたと無邪気に笑った。
隼人は若干気を悪くしたが、仕方のないことでもある。
舞も片思いに悩んでいるとはいえ、それにはまだ深刻さがかけているからだ。
反面、隼人の内側は、彼の見た目ほど子供ではなかった。
「……どうしたの?」
舞は不機嫌になってしまった隼人の顔を覗き込み、心配そうに言った。
隼人は彼女を横目で見返し、大きくため息をついた。
「な、何よ?」
長々と見ていたはずの幼馴染の、見ていなかった部分。
それが今日、舞を何度も戸惑わせている。
「……帰ろ」
隼人はそう呟くと、舞の返事も聞かず土手を登っていった。
「あ、ちょっと待ってよ!」
隼人は自転車のハンドルを掴むと、スタンドを蹴っ飛ばし、くるっと車体の向きを変えてそこに跨った。
「ほら、行くぞ!」
舞は何か乗ることを躊躇っている。
その理由に思い至った隼人はまた、子供らしい、太陽みたいな笑顔を見せた。
「ハハ! 大丈夫、もうあんなことしないって!」
舞はその唐突な笑顔に面食らったが、程なくニヤッと笑い、その後ろに捕まる。
「分かった。信じてる」
今度は隼人が面食らった。
想定外の言葉だった。
自分の中で何かが揺らいだ。
そんな風に言われたら、裏切れないじゃないか。
背中から、舞のふわりとした感触が、その温もりと一緒になって伝わって来る。
隼人は肩越しに少しだけ振り向いた。
「……とか言いつつ、ずいぶんしっかりつかまってるみたいだけど?」
「保険よ、保険」
舞は心なしか手の力を強くした。
隼人は正面を向き、笑っているような声を出した。
「信じてねぇじゃん!」
「いやいや、信じてなかったら乗りませんって。安全運転でよろしく!」
隼人は唇の端に笑いを浮かべ、自転車を漕ぎ出した。
一瞬舞はさらに力を入れたが、隼人があまり加速しようとしてないのを見て、若干力を緩める。
「そういえばさ」
隼人が気楽な調子で言った。
「あれも一応、安全ってことになってるんだよなぁ」
何か嫌な予感のした舞は、警戒心の塊となって尋ねた。
「……あれって?」
隼人が笑いをこらえながら答えた。
「ジェットコースター」
途端に舞が騒ぎ出す。
「隼人! 止めて! お願いだから!」
「冗談だよ、冗談」
「関係ない! 降ろせ!!」
「やーなこったぁ」
「隼人!!」
隼人はげらげら笑いながら自転車を漕ぎ続ける。
舞は騒ぎながらも、一応は隼人を信じているらしく、一緒になって笑っていた。
二人ともが、さわやかな風のざわめきを感じながら、馥郁たる桜の香りを感じながら、うららかな太陽の光を感じながら、お互いの体温を感じていた。
慣れ親しんだ、しかし同時に途方もなく特別なその感触に気付いたとき、二人は同時に口をつぐんだ。