新探索者
加藤康弘はとある期待に胸を膨らませて店の扉をくぐった。
キョロキョロと視線は彼女、トトの定位置であるカウンターに。
背後から僅かにさす陽光が彼女の白髪を明るく照らす。
いつもはつまらなそうに店内を眺めているのに、今日は何かの本を読んでいるのだろう。
視線を下に向けてた、康弘が入って来るまで。
ドアにつけられた金色のベルが音を奏でると同時に、驚き顔を青くしながら急いで本を隠した。
―――もしかしたら日記なんじゃ。
トトの慌てようからそう予測したが真相は定かではない。
漫画を読んでいたが客商売を行う上で不謹慎だと考えしまったのかもしれない。
「あ! 加藤君いらっしゃい」
先程までのあわってぷりを感じさせないふてぶてしい態度で常連客に挨拶をした。
「ああ、今日もいろいろとよくしてくれよ~」
「その言い方。水商売やっている女の子にあんなことやこんなことを頼みこんでいるようね」
「いやいやいあっ!」
―――まずい、噛んだ。
「この顔が。この誠実そうな顔が水商売を相手にするような男じゃ無いことはわかってくれよ!!」
「ええ! でもね、ここは古本屋。
そういったサービスは……」
「悪い。もう心が折れたよ。この傷をいやすにはさっさと家に帰って酒を飲むしかない」
「すいません、冗談よ!!」
だから帰らないでとトトは康弘の袖を引っ張った。
彼女の白く細い腕の感触に多少ドキマキするも、こちらが力を抜くとその腕もすぐに離れた。
「それにしてもしばらくぶりなんじゃ、え~、前会ったのが」
「もう、そんなこといちいち気にすることないわ」
本当は何時か言えなくて好感度が下がるかもしれないという誤魔化しだった。
「最近は熱いわね。エアコンがない場所に行くのが拷問のように感じられるわ」
「俺もだよ~。この前なんて友達が熱中症でぶっ倒れてよ~」
そんなたわいない会話をしていると電話が鳴った。
「あ! ごめんなさいね」
そういうとトトはとっさに隠した何かを置いて部屋の奥へと歩いていく。
―――気になる。
理性では他人が隠しているものを暴き立てるのがいけないことだと分かっている、けれど本能は手を伸ばせという命令を下すのだ。
再度周囲に視線を向ける。
今度は誰もいないことを確かめるように。
周囲には誰もいない。
―――これは見るしかない。
結局康弘は悪魔の誘惑に逆らうことが出来なかった。
「ちょっとなら、問題ないよな」
誰も聞いていないというのに言い訳を口ずさむ。
康弘はカウンターに手を伸ばした。
隠されていたのはオカルト関連の本だった。
―――成る程。
「これは他人に見られたうないよな~」
流石に、中身を検分するほど彼の心臓は頑強ではなかった。
元あった場所に戻そうかと思い。
「もしや万引きか」
「いやいやいや、カウンターに気になる本があったので手に取っただけだよ」
―――それに、万引きというのは商品を持ち出すことで、カウンターに潜入して金を盗むのは窃盗ではないだろうか。
そんなどうでもいい事が焦っている中でも頭に浮かんだ。
「それで、その本買うのかい」
「え、え~と……」
康弘はその本に何の興味も感じてはいなかった。
しかし、言い訳のために白いページをペラペラめくる。
落書きだらけの書体に、分けの分からないおまけ。
正直言ってほしくない。
「表紙見て気にになったんだけど、中身にがっかりしたので買いません」
「なんじゃ」
そういうと、店のオーナーは康弘から本を受け取った。
あまりにも自然な動作に呆けてしまう。
「あ! その本は俺が元あった場所に戻しておくよ」
「カウンターに置いてあったんじゃろ。ならば儂の仕事じゃ」
こんなことなら本を買えばよかったと、拙い言い訳で大失敗をした康弘は後悔する。
勝手にお孫さんの本を盗み見してそれがばれたくないので元の場所に戻しますなんて流石に言えない。
白々しく見て見ぬふりをするしかできない。
「おじいちゃん! 本を売りたいって人から電話があったわ」
さらに不運が重なった。
電話のため外に出ていたトトが戻ってきた。
それから祖父に電話の内容について説明を行っている。
パッと見、その会話は長くなりそうだった。
どうしようか。
康弘は悩みだした。
クールにここを後にすれば、自分の覗きは誰にもばれないのではないか。
今の康弘の気分を象徴するかのようなグロテスクな挿絵が付いた本を見ながら思う。
自分自身でもゲスイと感じながら。
そして、彼は……。
☆
「俺は最低だよ」
公園のベンチに身体を預け、ブラックコーヒー片手に一人黄昏る。
リストラされたサラリーマンが家族にその事実を隠すために時間を潰すかのごときみじめさだ。
結局彼は嘘をついた、沈黙という嘘を。
「はぁっ!!」
本日15回目のため息が漏れた。
過度のストレスのせいか、頭痛すら感じてしまう。
どうにか気分を和らげようと周囲を見れば、女の子がボール遊びをやっていた。
あまりに無邪気に楽しそうに遊ぶものだから、何時までも落ち込んでいる自分があほらしくなってくる。
「前向き気行くべきだよな」
疲れたし家に帰ろう。
消極的な前進が今の彼にできる限界である。
康弘は道路の前で立ち止まった。
このあたりに交差点がなく、横断歩道を使わず道を突っ切ることが近道だ。
待機中の康弘の横を、可愛らしい真っ赤なボールが通り過ぎた。
道からは車が来ている。
ボールは駄目かもなと、康弘は夢見心地で思った。
ボールを追って先程の女の子が康弘の横を通り過ぎるのを消息と共に見た。
気が付くと康弘は前に出ていた。
少女に追いつく。
車が迫る。
少女を突き飛ばす。
車に牽かれる。
―――痛い、怖い、怖い、怖い、寒い、怖い、怖い、怖い、寒い、怖い。
死ぬのってこんなにも怖くて寒いものなんだな。
こんな時だというのに、走馬燈なんて見ることはなく。
代わりに思うのはついさっきの後悔だった。
―――本を勝手に見たこと謝れなかったよ。
我ながら、人生の最後にそんなことを思うとは本当に薄っぺらいと思う。
しかし、彼にはもうどうすることもできはしない。
段々と意識が薄れ、猛烈な寒気に襲われる。
そして、行き来が完全に黒く塗りつぶされるのと同時に……。
「はっ!!!」
夢でも見ているかのように、康弘は公園のベンチに座っていた。
―――ようこそNのゲームへ。
悪夢のせいだろう、脳裏にはそんな分けの分からない単語がリフレインしていた。
康弘は再び少女の方を見た。
楽しそうに友達とボールで遊んでいる。
微笑ましい光景のはずなのに、先ほど見た悪夢のせいで黄昏のように全てが闇に呑まれるような悪寒を感じてしまう。
「帰ろう」
虫の知らせのせいで、多少遠回りになるが、ちゃんと横断歩道がある道を使おう。
そんな気持ちになる。
なったのだが、途中で大きな音が響いた。
何が起きたのか、事実を確認する前に康弘は走りだす。
まっすぐ、先程までいた道を逆行するように。
すると、そこには……。
「う、うわあああぁぁぁあああ!!!」
気が付くと康弘は叫び声をあげていた。
血が、臓物が、肉片が――かつて人体を形造っていた構成物質がキャンバスのようにぶちまけられていた。
「ヴ……アアァッ」
そこまでが康弘の限界だった。
圧倒的な生理的嫌悪感にいのあたりから酸っぱい何かがせりあがってくる。
しかし、周囲にいる全員がそんなことを気にも止めない、正確にはそんな余裕が存在しなかった。
「クソッ! クソォッ!! 畜生!!!」
康弘は拭い去れない後悔に身を焼かれた。
「知っていたのに、俺は彼女がこんな目に合うって予想していたんだよ!」
地面を何度も何度も殴りつける。
そうでもしないと罪悪感に押しつぶされそうだった。
でも、同時にこうも思ってしまう。
―――どうして俺が分けの分からない夢を見ただけの俺がこんなに苦しまないといけないんだよ。
そんなどこまでも正当で、どこまでもゲスイことを思ってしまう自分にさらなる怒りが芽生え地面を殴る力がさらに増していく。
助けられたはずなのにという後悔と、どうして自分がこんな目にという怒りが身の中で荒れ狂い、自分でも制御できない感情を生み出していく。
そして、この事件が発生したのはあなたが本を買いに行った翌日。
この日から三日後に康弘は事情を知るべくトトの店へと再び足を延ばした。




