アレな高卒の同級生たちよりは、まっとうなリベラル派
かつて、25歳くらいの時、中学校の同級生たちと飲み会を4人でする機会がありました。ボクはその頃、プロ個人家庭教師を本職としていました。
その友人たちは、皆高卒でしたが、地元愛も互いにあり、部活の仲間だったということもあり、少なからず好意的にボクは感じていて、それは今でも変わりません。
ただ、その中で一人大卒だったボクは彼らとの『意識格差』にとまどいと、ある種の絶望感を感じたのはれっきとした事実です。
旧友と会った時の理想的な会話というのは、生産的な情報交換・意見交換です。具体的に言えば、昔と今の変化を共有しいかに仕事の改善に生かせるかを述べ合うことです。大学生時代の先輩・後輩・同輩と会えば男女の垣根なく、そういった生産性のある話題になります。
しかし、その彼らの話題は『パチンコ・ギャンブル・カー部品・フィリピンスナック』の話題ばかりでした。ボクは彼らに友情を感じているだけに、心が痛かったです。
つくづく、この絶対的な『意識格差』は、ごまかしが利かないのだなと痛感しました。
大卒は大卒な話をし、高卒は高卒な話をする。悲しいかなこれが現実です。
なんのリベラリズムも持たぬ彼らは、ヒューマンとエニモーのギリギリなのでした・・・