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飲んだくれ聖女と王国の騎士

作者: 暁月さくら

色々端折った感が否めない物語ですが、少しでも暇つぶしのお供にお目を通してもらえたなら幸いです。

「こんなところで、何をやってるんだ?」


 薄暗い店の片隅。

 店内には、酒の匂いと、鼻をくすぐるこの店自慢の料理の匂いが充満している。

 さほど広くない店内は、仕事上がりの冒険者やこの宿に宿泊している客で埋められ、賑やかを通り越して喧々囂々としてものすごく騒がしい。

 それこそ、隣で話している声すら聞こえにくいほどに―――


「見てわかんない? 騎士様」


 グラスに注がれた琥珀色の液体。

 それを一気に煽りながら、あたしは隣に腰かけた二十代中頃の男を半眼で見据えた。


 男は、この国の騎士――王族を警護する紫光騎士団所属の騎士だ。

 今は私服だけど、その顔には覚えがある。

 短く切りそろえられた白金の髪に碧玉の瞳。

 その顔は、思わずこっちが顔を背けたくなるほどの、超絶美形。

 まあ美形とは言っても、決して女性的というわけじゃない。どちらかというと、中性的、なのか? 神殿の巫女がそう言って騒いでいたから、あたしにはよく分からないが、一般論から言うとそうなのだろう。


 だけど一つ言えるのは、この男は、一度見たら目に焼き付くほどの衝撃を与える男だという事だ。

 だからあたしも覚えていた。

 たった一度しか面識がないこの男を。


 聖女の着任式で、確か、王太子の直ぐ後ろに控えていたのがこの男だったはずだ。


 見定めるようにあたしをずっと見ていたのを覚えている。

 あたしの顔を見て、その顔に嘲笑を浮かべたのも――覚えている。

 忘れたくても、不快な記憶と言うものは、いつまでも覚えているものだ。


 ああ、それと、あたしが国王や王族を敬称なしで呼ぶのは別に不敬じゃないから。

 この国は、国王より、神の代弁者である聖女の方が身分的には上らしい。

 かといって神殿が王族より身分が上というわけではない。あくまでも、聖女だけが特別なだけだ。

 着任してすぐに、相手が誰であろうと、(へりくだ)るな、と一等最初に教えられた。

 それこそ国王を呼び捨てでも構わないらしい。しないけど―――




 この国、ゼフォリウム王国は、神聖なる神の声を聞く聖女に導かれ繁栄してきた国だ。

 大陸随一の大国でもあり、その神の恩恵で、大陸に存在する数多の国々の中心に座する国でもある。


 まあ、別の大陸には別の神がいて、それぞれの大陸の人々を導いている、とは神から聞いた話。だけど、その別の大陸の神には会ったことはないし、声を聞いたこともないので、どのような神なのかは知らない。

 

 ただ、この国に恩恵を齎す神は、大陸中ではなくこの国だけに恩恵を齎す。いや、実際は聖女を通じ、大陸中にその慈愛の手を広げたいんだろうけど、この国の王族や神殿長は他国の使者と聖女が会うのを制限している。


 その理由も、とても傲慢で卑しいものだ。

 なぜなら、聖女が神に仕えその声を人々に届ける役目を担う見返りに、後に聖女が愛しい相手と結ばれ子供が生まれたのなら、その子供に祝福を与えると言われたからだ。


 ようは神に祝福された子供は、自国のみとしたい、という事なんだろう。

 まかり間違って他国の者と聖女が恋仲になったら、神の恩恵を他国に与えることになるから、余計に警戒しているのだと思う。


 実際、祝福された子供がいる土地は神の恵みを受けると言われているし、その子供が成長し治める地は他の地よりも実りが多いとも聞く。


 だからこそ、この国の代々の国王の多くは、聖女をその伴侶としているのだ。

 自らの子…次代王となる者が、神の祝福を受けるようにと――


 それに、聖女に任期というものはない。婚姻しても聖女としての務めを果たすことは出来るのだ。ただし、それには相手が神殿に属する聖女の元へ婿入りしてくる場合に限定される。


 確か、神殿を出て相手の元へ嫁いだのなら、聖女は神ではなくその相手と繋がりが出来て神の声が聞こえなくなると言われた。それ故、嫁ぐと決まったのなら婚姻の前にお役目を辞して次代の聖女が神殿到着後に神殿から出なければいけないとも。


 だから、もし仮にあたしが聖女を辞めたいと願うなら、誰かと結婚し神殿から出れば良いわけなんだが……そう簡単にはいかない理由もある。


 過去には、それほどの規制があった中でも他国の王族と恋仲になって嫁いだ聖女もいたと聞く。

 その時は、かなり、揉めたらしい。聖女が…というより、聖女から産まれるだろう神に祝福された子供が他国に誕生する事が問題視されていたんだけど……。


 歴代聖女の口伝によれば、聖女の嘆きを知った神が『神の祝福は国内に誕生する聖女の子供だけだ』と伝えたうえで、『それでも聖女を娶るのか?』とその相手に訊いたらしい。相手は、『祝福などいらない。彼女が自分の側にいてくれるだけでいい』と答え、無事に二人は結ばれた、とそう伝え聞いた。


 まあ、神がそうでも言わないとこの国の者は聖女を手放さなかっただろうし、神だって聖女が嘆くのを由としなかったと思う。


 後は、かなりの秘密事項だが、件の他国に嫁いだ聖女の子供も、実際には神の祝福を受けていると、同じく聖女の口伝にて伝えられた。『神は、わたくしたち聖女を愛しむからこそ、わたくしたちを心から愛し守ろうとする相手には、その恩恵の手を広げるのだと思うわ』とはあたしに口伝を伝えてくれた先代聖女の言葉。お茶目に、これは絶対に秘密よ、とも言っていた。


 そんな過去があるからなのか、今のこの国の王や神殿長は、聖女が結ばれるべき相手は、この国の王族か貴族であるべき、と主張する、というかそう言ってあたしを威圧する……。いや、そう決められていると言い切っていた。


 まあ、これが簡単に結婚できない理由なんだけど、なんていうか、あたしの方が立場的には上のはずなのに、あの時は、確かにあたしの事を見下していた。簡単に懐柔出来るとでも思っているんだろうか?


 ばからしい―――


 だからなのか、今現在、聖女であるあたしを守護している聖光騎士団の騎士たちは、やたらと見目麗しい男が揃っている。

 二十人からなる彼らは聖女を護衛するだけあって精鋭揃いだと聞くが、その彼らすべてが貴族だ。


 彼らは常にあたしを守ってくれるけれど、あたしは知っている。

 あわよくばあたしのお眼鏡に叶うように、好意を向けられるように、とそう思って行動していることを―――


 なんか分かるんだよね。

 彼らの心はただ単に聖女としてのあたしを欲しているだけだって。いくら美辞麗句を並べたって、それが上辺だけのものだとひしひしと伝わってくるんだ。


 そんな奴らに惚れるほど、あたしは落ちぶれてなんかいないし、自分が好かれる容姿をしているだなんて自惚れてもいない。


 それに、好きな奴……いるし―――


 どうせ、このままここから逃げられないのなら、ずっと一人でいるのも良いか……。確か、過去には、誰とも結ばれず年老い年寿を全うした聖女もいたと聞くし。


 それもいいかもしれない……。


 それにしても未だに思うよ。

 なんでこのあたしが聖女なんだ?


 思い出すのは三年前の聖女の代替わり。


 当時の聖女が、王太子と結婚することになり聖女の代替わりは速やかに行われた。

 聖女がその御役目を去る前に神から最後の神託を受け、新たな聖女が告げられる。その対象は、この国の十歳から十八歳までの女性すべて。身分など関係なく、聖女と指名されれば問答無用の如く神殿へと召喚されるのだ。


 かくいうあたしも、そうやって召喚された一人。


 それまで、ただの村娘であったあたしは、突然眩いばかりの装飾を付けた馬車に乗せられ、神殿まで連れてこられたのだ。


 まあ、この国の民なら聖女の事は知ってるし、選ばれたことは名誉だし、誰もあたしが連れていかれる事に反対はしなかったけどさ。


 いたんだよね。

 好きな奴。

 片想いだったけどさ。

 ものすっごい平凡な顔の男だったけどさ。

 ものすっごく、優しかったんだよね。

 ほんと、見てるだけで幸せだったから、離れるのは、ちょっと切なかったね。


 因みにあたしが住んでいた村は、ここ、王都から歩いて二十日ほど、馬車なら十日前後というところにある小さな農村だ。

 住んでいるのは多くみても二百人ほど。畑を耕したり山で動物を狩ったりしながらのんびりと生活をしている。そんな長閑な農村に生まれ育ったのが、このあたし、現聖女、ハリミアだ。


 因みに、聖女として召喚されたのが十七歳。

 あれから三年。

 お酒が、本当においしい年頃です。






「見て分かるが、なんで、こんなところで一人で飲んでいるんだ?」


 駄目だろう、と言いながら、騎士様はあたしの手からグラスを奪う。


「店主、強いの一杯ね」


 取られたんなら、また頼めばいいし。


「駄目だって。もう、止めろ」


「やだ、止めない。なんでって、仕方ないじゃない。飲まなきゃやってられないよ、こんな仕事」


 この騎士様に愚痴っても仕方ないけどさ。

 言わなきゃ我慢できないこともあるんだよね。


 ほんと、なんであたしが聖女なんてやらなきゃいけないんだよ、まったく。


 酒におぼれてるわけじゃないよ。

 たまにはこうやって嵌め外さなきゃ、聖女なんてやってられっか!


 はあ…本当になんであたしが聖女なんだ?

 

「…っとに、護衛騎士はどうした? あれらを撒いて来るのは不可能だろう?」


「護衛? ああ、あのやたらときらきらしいあいつらか。もちろん、いるよ。ほら後ろ」


 振り向きもせず店の一角を指差せば、騎士様はちらりと彼らを目端に捕え眼光を鋭くさせた。

 一瞬、ゾクッと寒気が走ったのは気のせい…だよな。

 そろりと騎士様を窺えば、別に機嫌が悪そうには見えないし、大丈夫か……。


「なんであいつらは離れたところにいるんだ? 職務怠慢だろう?」


「あたしのお願い」


「はあ?」


「だから、あたしが言ったの。一人で飲みたいから邪魔しないでね、ってね」


「なんだ、それは……」


「知らないの~? あたしの行動はお勤め以外自由なんだよ。だから、こうしてここに来てんの」


「そんな問題じゃないだろう?」


「良いの」


 ぐいっとグラスの酒を飲み干す。


 騎士様の懸念も分かるんだよ。

 いくら自由って言ったって勝手に神殿を抜け出して良い理由にはならない。ましてやこんな場所で女が一人で飲んでいるのも危ないって理解してる。


 でもね、たまには良いじゃない、別に。


 撒いてきてるわけじゃないし、ちゃんと護衛は連れてきているんだから誰にも文句は言わせない。


「…飲み過ぎだぞ、まったく。どうしたんだ、いったい。何があった?」


 諦めたようにため息を付く騎士様にちょっと同情しま~す。

 ついでだから、あたしの愚痴に付き合ってもらおう。

 護衛の彼らには言えないしね、というか、言いたくないし。どうせ騎士様とは今だけの付き合いだ。


「あら、それ聞いちゃう? 良いの? あたし愚痴まくるよ」


「ここであったのも何かの縁だろう? 良いよ、今だけなら聞いてやる。言ってみろ」


 騎士様は、店主に飲み物を頼んで――なんでか、果実水だった――あたしの話に耳を傾けた。


 聞いてやるっていうなら、言おうじゃないか。

 途中でもうやめろと言ったって、止まらないからな。


「あたしの仕事ってさ。(あるじ)――神――の言葉を聞いて、皆に伝えるのが仕事だろう? だけどさ、勘違いしている奴が多くてさ。あたしに頼めば主が願いを叶えてくれるって思ってる奴らがいるんだよ。中にはさ、ただの村娘風情だの、黙って願いを叶えてくれればいいだの、歴代聖女最低顔面偏差値だの、ほんと言いたい放題。あたしだって好き好んでこんな仕事してるわけじゃないのにさ。人の顔にまで文句つけるなっつうの。どうだっていいだろう? まったく。そりゃあ、あたしだって、こんな平凡顔だけどいずれは誰かと恋だってしたいと思っていたよ。村には好きな奴だっていたし……。だけどさ、無理だろう? こんな仕事してるとさ。絶対に只の村人となんか結婚出来やしない。だからと言って、お貴族様と結婚? ああ、無理無理。絶対に無いわ~。先代みたいに自身も貴族だったら抵抗なかったかもしれないけどさ。本当に、どうして、貴族としか結婚しちゃいけないんだろうね、この仕事。そんな事、主は一言も言ってなかったのにさ。勝手に貴族との婚姻しか認めない! と言いやがるし。それは違うよ、と言ったって、誰も信じてくれないし。やっぱりあたしには結婚してお役御免、と言うのは無理だわ~。どうしよ~。止めたいよ。主に言う? 言っちゃう? でも、最初に言われたんだよね~。聖女に選ばれたら、本当に結婚して幸せになるか、一生を主に捧げるかしかない、って。この仕事の見返りに、子供に祝福与えるから、それがこの仕事の報酬だから、と言われるとね、いらねぇよ、そんな報酬! と声を大にして言いたいわけよ、あたしは。分かる? ねえ。なんか言いなよ。あんただって、貴族だろう? どう思うよ、この仕事。ほんと、嫌になるよ。帰りたい……。帰してよ……。会いたいよ……。会い…た………」






 ★






「はっ! ここは? いっ……!」


「お目覚めになられましたか? 聖女ハリミア様」


 天蓋付きの寝台の上。

 開け放たれた窓からは心地よい風が入って来る。


 けれど、あたし――いえ、わたくしは、なぜか、ズキズキと、叩きつけるような頭の痛みに首を傾げます。


 いったい…なにが?


「あ…あの、わたくし…今日、とても頭が痛いのですが…いったい何が起こっているのでしょう?」


 わたくし付きの巫女に訊ねます。

 どうしてこんなに頭が痛いのか、本当に覚えていないのです。

 病気なら、聖女に与えられた神の恩恵の一つで罹るはずないですし、この痛みはいったい……。


「まあ、聖女様。覚えておられないのですか?」


 ものすごい、驚いた顔をされました。


「昨晩、聖女様を抱きかかえて、紫光騎士団のイシラント様がいらしたのです。王太子殿下が相談事を兼ねて聖女様を秘密裏に食事に誘い、その場でお神酒を飲ませすぎたと言っていましたわ。聖女様も、初めてのお神酒を召しあがったことで、その場で眠ってしまわれたとか。その場に居られた殿下も先代聖女様も、申し訳なかったと仰っておられたそうです。聖女様が、頭が痛いとおっしゃるのは、お神酒を召しあがったせいかと思います。歴代聖女様の中にも、そのように痛いと仰る方がおられたと聞きますもの。きっと、お神酒の頂きすぎなのでしょうね? 病気ではありませんので、神の恩恵はお受け出来ないのだと思いますわ」


 巫女の話を聞いて、思わず身体から血の気が引きました。

 もう、背中から冷や水ですわ。


 というか、思い出したよ!

 何やってるんだよ、あたし。


 そうだよ、昨日、護衛引き連れて神殿抜け出して酒場で飲んでたんだ。


 神殿の直ぐ側にあるあの店は、先代聖女から教えられた聖女御用達のお店。

 神殿に籠りがちになる聖女のひとときの憩いの場となる様にとの事だけど、あまり公には出来ないから神官長とか巫女たちには秘密とされていた。

 ううん、秘密だけどなんとなく察してはいるとおもうんだよね。聖女の行動を咎めてはいけないという掟から見て見ないふりをしているだけで……。


 もちろん、酒場の店主はこっちの事情は全て知っている。

 過去の聖女との約束だと笑っていた。

 だから、あたしが飲みに行くと決まって店主の目の届く場所に座らされる。

 いざというときには、店主が守ってくれるつもりなんだろう。それだけの強さを持った御仁だと先代から教えてもらった。

 

 それが、なんで、殿下と食事したことになってるんだ?

 

 あいつか?

 あの男が、勝手に話を盛ってんのか?


 そんなことして殿下にばれたらどうする。

 言い訳なんて思いつかないぞ、あたしは!


 ほんとに、どうするんだよ!


「それにしてもイシラント様が聖女様を抱えてきたときには驚きましたわ。同行していた護衛担当の騎士たちは蒼白でしたのよ。聖女様が護衛騎士以外の殿方に抱きかかえられてきたのですもの。なんでもイシラント様は、聖女様が眠り込んでしまうまでお神酒を飲ませたのはこちらの落ち度ゆえ、ご自分が責任をもって聖女様を寝台まで運ぶと仰っていたそうですわ。相手は紫光騎士団の、それも筆頭公爵家嫡男のイシラント様ですもの。そうまで言われると護衛騎士は引かざるを得ないですものね」


 かなり不本意な顔をしていたそうですわよ、昨晩の担当騎士たちは、と言葉を続ける巫女の話に思わず顔が引き攣る。


 うわ~、失敗した、失敗したっ!

 いつもは軽く飲みながら店主に愚痴聞いてもらってそれで満足して帰ってきてたから大丈夫だったのに! なんで? あいつか? あいつの所為か? あいつが居たから、いつもより余分に飲む羽目になったのか!? じゃなくて、ああ、どうしよう。あたしに付き合ってきていた護衛騎士に謝らなきゃ。確かあいつ、護衛騎士を職務怠慢なんて言ってたよな。そんなこと言われたら彼らの矜持に傷がつくよ。元はと言えばあたしのわがままに付き合ってもらっていただけだし……。えっ…と、昨日の担当は――――


「ああ、そう言えばイシラント様が、聖女様が目覚められたらこの薬湯を飲ませて差し上げてくださいと仰っておりましたわ。イシラント様の生家である公爵家所領の薬草園で栽培されている薬草で作られた薬湯です。お神酒で痛む頭に、よく聞くと評判ですのよ」


「……っ!」


 ――な…なんだ、それ?


「あら、聖女様。お顔の色が悪いですわ。さあ、早くこの薬湯を……」


 口元に持ってこられたその薬湯の色――どろっとした黒に近い深い緑色――を見た時、あたしは、絶対にあの男の嫌がらせだ、と思った。


「い…いえ、遠慮いたしますわ。もう、良くなりましたから」


「まあ、ますます顔色が悪く…いけませんわ、聖女様。遠慮は不要です。イシラント様が聖女様の為にと持っていらしたこの貴重な薬湯を、さあ、一気にお飲みあそばして」


 巫女は、そう言うと、半ば強引にわたくしの口の中に液体を流し込んだ。


「…うっ…まずっ」


 延々と愚痴を聞かされたお返しとばかりに、口に入れたその薬湯は、吐き出さなかったのが奇跡と思わざるを得ないほどのまずさだった。


 苦いんじゃない。

 本当に――青臭くてまずいのだ。


 しばらく他の食べ物を口に入れたくないほど、味が口内に残っている。

 二度とこんなのは飲みたくない!

 っていうか、飲ませるなよ、こんなまずい薬湯!


 しかし、そのまずい薬湯の効果は抜群で、ひと眠りした後にはあんなに不快だった頭の痛さはすっきりと無くなっていた。


 かといってまた飲みたいかと言えば、否!だ。 


 まあ、もう二度とあの男に会う事もないし、ここは、感謝しておこう。


 でも、もう二度とあんな失態は侵さない。

 酒は飲んでも飲まれるな。

 これ、鉄則だね。


 


 ★




 頭の痛さから解放され、少し一人になりたいと巫女に告げ――完全に一人になるのは許されていないので、少し離れて護衛は付いてきている――晴れ晴れとした気分で神殿内を歩いていたら、見たくない顔を庭園で見つけてしまった。


 やばっ! 

 逃げよう!


「何処へ行かれるのですか? 聖女ハリミア様」


 忍び足でその場を離れようとしたあたしの背後から、ものすっごい重低音が聞こえてきた。


「ああ、私を見て逃げようとなさったのですか? いけませんね、昨晩、あれほど親密になったというのに」


 いや、親密にはなってないから。

 間際らしいことを言うなよ。

 っていうか、なんだ、その口調。昨日と全く違うだろう?


 それに、近づくのを逡巡しているあたしの護衛! なんで困った顔をして見てるんだ? 助けろよ!


「こちらを向いてください、聖女ハリミア様。貴女の聖なる(かんばせ)を私に見せてはくださいませんか?」


 うわっ~。

 なんだ、これ。

 気持ち悪っ――


「今、気持ち悪いと思っただろう」


 いつの間に来たのか、すぐ後ろから耳元で囁かれ、思わず背筋がぞわっとした。


 なんだよ、その声。

 どこから出してるんだよ!

 自分で言って情けないが、純情な田舎娘からかってんじゃないよ。

 

「な…何のことを仰ってますの?」


「へえ~、忘れたとでも言うつもりか?」


 騎士様は逃がさないとでも言いたげに、あたしの肩に手を置く。

 振り向き、見上げたその顔には―――あざ笑うかのような嘲笑。


 なんなんだよ、それ。

 昨日愚痴ったのがそんなにいけないのかよ。

 聞くって言ったのはお前だろうが!


 そっちがその気なら、あたしだって――


「ああ、そう言えばわたくし、昨夜の事、何も覚えていないのです。なんでも、殿下に迷惑をかけたとか。申し訳ありませんでしたわ。反省しているとお伝えください。では失礼…」


 思いっきり睨み付けてやったさ。

 肩に置かれた手だって、振り払ってやった。


 だって、あいつ、あたしの顔を見て、笑ってた。


 どうせ、あたしなんか―――歴代聖女顔面偏差値最低、ですよ!


 


 ★




 数週間後―――




「――てかさあ。なんで来るのよ」


 せっかくの時間を邪魔するように隣の椅子に腰かける騎士様を、ため息交じりで詰る。


「それはこっちが言いたい。また抜け出したな? 護衛が嘆いてたぞ。今日は俺がいるから心配いらないと帰ってもらったがな」


 その言葉にちらりと背後を見ると、護衛は本当に居なかった。


「へえ、彼ら帰ったんだ。良く了承したね」


「渋々だったがな」


 そりゃそうだろう。

 彼らはあたしを守ることが仕事なんだからさ。例え相手が紫光騎士団の騎士様だろうとも、すんなり譲るわけないし……っていうか、こいつ…なんかした? いくら、こいつが居るからと言って、あたしを置いて帰るか?


「……ねえ、ほんとに、なんであんたがここに居るのさ」


 疑心暗鬼になるのは仕方ないとは思う。

 だってここは、貴族の…それも、高位貴族公爵家の人間が来るような店ではない。どちらかと言えば冒険者や庶民が多く来るような店なんだ。


 なんでわざわざこんなところに足を運ぶ。

 それも、あたしが抜け出してきているのを知っているかのように―――


 まさか、誰かから聞いた?


「腑に落ちないって顔だな。俺がここに居るのが珍しいか?」


「当り前だろう? あんたはあたしと違って高位貴族の御子息だ。こんなところにいる方がおかしい」


「おかしいか?」


「ああ、おかしい」


「理由なんか無いさ。ただ、お前が神殿から抜け出したと知らせが入ってな。それならここだろうと思って、飲んだくれ聖女の愚痴を聞きに来たんだよ」


 そう言って、酒を煽る男に目を丸くする。


 そうか、やっぱり誰かから聞いたんだな。

 おそらく、神殿内部にこいつと繋がってるやつがいるんだろう。公爵家の御子息だもんな。いない方が不思議か…。


 それにしても、こいつ、今…なんて言った?

 愚痴を聞きに来たと言わなかったか?


「……なんで?」


「お前を守るのは、俺らの仕事だからな」


 いや、それ違うし。

 あんたが守るのは、王族だし。

 あたしを守るのは、聖光騎士団だし。

 まるっきり管轄違うんですけど―――


「ま、それは建前だ。ただ、俺はお前に興味がある」


「はあ?」


「素のお前に、非常に興味があるんだよ」


「なんだよ、それ…」


「だから、今日は、俺に奢らせろ」


 差し出された酒に、思わず手を伸ばす。

 どんな理由があれど、酒を奢ってくれるんなら、頂こうではないか。


 案外、こいつは悪い奴じゃないかもしれない―――




「だから! 嫌なんだよ、この仕事。昨日来た貴族なんかさ、いやらしい目つきであたしを見てきてさ、主にあたしを娶る許しがほしいなんて言ってきたんだよ。聞けるわけないだろう? そんな事。どうすんだよ、これ。そんな願いも叶えなきゃいけないのか? いくら、この仕事を辞められるからって言ったって、あんな奴の奥さんなんかなれるかって…の。もう、村に帰りたいよ。帰してよ……あいつに…会い…たい……よ」






「村に帰ることは許しません。貴女が恋い慕う男に会う事も叶えて差し上げられない。しかし、貴女を娶ると願いをかけた男…ですか。……全く、油断も隙もありませんね。少し目を離すとすぐこれだ。貴女はご自分がどれだけ魅力的なのか全くと言って良いほど分かっておられない。知っていますか? ハリミア。貴女と初めて会った時、私は一目で貴女に惹かれていたのですよ。燃える炎のように輝く朱金の髪。誰もが見蕩れるこの私を見て、媚びるのではなく嫌悪感すら抱いた蒼の瞳。相手が誰であろうと臆することなく凛として立つ貴女のその姿に、私は思わず笑みさえ浮かべていました。人前では表情を崩すことの無いこの私が…です。ねえ、ハリミア。私は、あの日からずっと貴女に恋い焦がれていたのですよ。役職柄貴女とは接点がありませんでしたからね。だから彼らを…貴女を護衛しあまつさえ貴女の心を奪う可能性のある輩は秘密裏に排除してきた。知らないでしょう? 貴女の知らないうちに護衛騎士が入れ替わっていることに…。そのような愚かな行動をしでかすほど、私は貴女を恋慕っているのです。それにね、こうして貴女と言葉を交わせる機会をこの私が逃すと思いますか? ……愛していますよ、ハリミア。これからは少し本気で口説くとしましょう。覚悟していてくださいね」


 深く眠りこける寸前、ものすっごく不気味な声を聞いたのは――酒のせいで聞こえた幻聴?


 まあ、目が覚めたら分かるだろう。

 騎士様が、そんな物騒な事言う訳無いしな。


 っていうか、愛してる?

 あたしを……?


 ああ、無い無い、絶対にありえない。

 そんな事、こいつが言う訳無い。

 

 だから、もう―――寝る。






 ★






 後悔先に立たず。

 何度おんなじことを経験すれば気が済むんだろう、あたしは……。

 飲んでも飲まれるなと、あれほど二度と失態を犯さないと決めていたはずなのに……。


 やっぱりあいつか?

 あいつが一緒だから飲みつぶれるのか?

 あいつが―――


「聖女様。お目覚めの薬湯を召し上がれ!」


 喜々として差し出された薬湯を見て顔を顰める。

 二度と飲むまいと思っていたその薬湯の中に、皮肉気に笑うあいつの顔が浮かぶ。

 

 良い奴だなんて、一時でも思ったあたしが馬鹿だった。

 絶対にこれはあいつの嫌がらせだ~~!




「まずっ!」


 


 喉を通る青臭さと闘いながら、あたしは誓った。


 今度こそ飲みつぶれない!

 もう二度と失態は犯さない!

 例え騎士様がいたって、ほどほどにする! っというか、忙しい騎士様がそう何度もいるとは限らないけどな。うん、そうだ。騎士様は忙しいんだから、続けては来ないだろう。


 よし――――







「……っていうか、なんで昨日今日でいるのよ、あんたは――」


「それはこっちの台詞だ。なんでお前が今日もここに居る?」








 何度も繰り返される騎士様とあたしの攻防は、それから二年ほど続くことになる。


 その間、どれだけあの薬湯を飲んだことか―――


 飲みつぶれる度に公爵家から献上されるその薬湯は、市井ではなかなか手に入らないほど貴重な物らしく、あたしはその値を聞いて卒倒した。


「気にする必要はありませんよ。こうして貴女が私の腕の中にいるのですから、もう貴女も公爵家の一員です。さあ、いつ式を挙げますか? 愛しい私の聖女様」


 騎士様の歯が浮くような台詞にもさすがに馴れた。

 もともとこっちの丁寧な言葉遣いの方が騎士様の素だとも聞いた。あたしに警戒されないために粗野な言葉を覚えたとも…。


 酒場で会うたびに何度もあたしの愚痴に付き合い、いつも一緒に飲んでくれた――喧嘩もしたし、好きだったあいつが結婚したと噂で聞いたときは慰めてもくれた――騎士様に絆されなかったと言えば嘘になる。


 気付けば、あたしは騎士様と結婚する約束までしていた。


 公爵家に嫁ぐなんて元農民のあたしには無理だから受けられないと言ったのに、騎士様はそれでも良いと言ってくれた。


 あたしが聖女を続けるのなら、自分が神殿に来る、と――


 本当にそれで良いのか?って訊いたけど、騎士様の「公爵家は弟がいますし、私は貴女と結ばれる未来があるなら何を犠牲にしてもそちらを選択しますよ」と言った言葉に触発され、神が「張り切って、祝福する!」なんて言い出すものだから、怒涛のように結婚が決まってしまった。


「式は―――」


 愛しそうにあたしを見る騎士様の耳元でそっと囁く。


 穏やかに微笑む騎士様と結婚する日も、そう遠くない。








 そして――――




「さあ、今日はどんな愚痴だ?」


「聞いてよ、イシィー。今日さ―――」




 相も変わらずにあたしの愚痴は続いていく。


 隣で笑いながら聞いているのは―――あたしの愛しい旦那様。








 ―――おわり


読んでくださってありがとうございました!

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