オチが無い
何と言いますか、怪談やホラーなんかは、経験値(読書量と言い換えても良い)が増えれば増えるほど、恐怖の楽しみが減ってきてしまいます。
怪談慣れ、というヤツですわ。
以前は、もっと簡単に楽しめたのにね。
小学生の頃なんぞは、夏休み中の登校日に先生から、ちょっと怖い話を聞いても、こんな感じだったでしょう?
「夜中に眠れなくて、布団で耳を澄ましていたらだなぁ。」
(なに? なに? ――教室内のざわめき。)
「天井から『ぱさっ、ぱさっ』っと紙をめくる音が聞こえたりするだろぅ?」
(する! する! ――同意の声。 注:ここで、聞いた事無い、とか野暮な事を言うのはタブー)
「あれは、実はなぁ……」 わざとらしく、間を置く先生。
(なに? なに? ――更なるざわめき。中には先生が怪談を始めていたのに気付いてなくって、今頃「なに? これ、怖い話?」などと慌て出すオロカモノもいる。)
『死神が、寿命の残りを数えているんだって!』
(きゃあ! きゃあ! きゃあ!)
他愛もないけど、楽しかったっすよね?
下校の時に「夜、怖くて眠れない~!」なんて可愛らしく主張する別嬪さんがいたりして。
ちなみに『他愛』の読みは「たわい」でも「たあい」でも良いようですが、ここでは「たあい」と発音してもらった方が、より小学生時代っぽさが出るような気がします。(めちゃくちゃ、どうでもイイ事ではありますが。)
けれどもですな、一旦怪談慣れしてしまうと、これだけでは物足りなく感じる様になってしまうのです。
だからどうしても、もう一捻りした『オチ』が欲しくなっちゃう。
実は、先生も生徒も居ない夜の教室で、声だけが響いている――駄目だァ! 怖くネェ!
実は、サイコパスが子供の死体を並べて、独演会をやっている――あかんがな。どこが怖いねん。
実は、爺さん婆さんが、子供のフリして遊んでいるところだった――ギャグかっ!
実は、人類が滅亡した後に、ロボットがかつての学校を再現している――知らんがな。
実は、実は、実は、実は、実は……
実は、実は、実は、実は……
実は、実は、実は……
うわああああああ、どうしようがこうしようが、怖くならねえええええ!!
夏ホラーに向けて、案を練っている作者さんの中には、多分そんな方もいらっしゃるハズ。
ええ。かく言う拙も、仏頂面で頭掻き毟りながら『怖くならねぇよぅ!』って騒いでいる一人です。
困っちゃいますよね。
だから「怪を語ればなんとやら」なんて事を申しますが
「急に風が吹き込んできたり」
「ぴきぱしっと家鳴りがしたり」
なんて事が起きましても、「そんなんじゃあ、誰も怖がってくれないんだよおおお!」と更に深夜のエキサイトは続く訳です。
せっかく妖が近寄って来ていてくれたのかも知れないのに。
だからね、拙はこう断言致します。
『超常現象が怖いと思う人は、自分で超常現象を書いてみれば良い。……こんなんじゃあ、誰も怯えてくれないよって、めちゃくちゃ冷静な自分を再確認するから。』
だからどうしても、現象としての怪異より、展開の妙とか落ちのキレ方面に走る事になる……。
……はあ。
だからね、もしも怪談噺に怖い点があるとすれば、それは『どんなにツマラナイ話の先にも、そこには頭を抱えて、だめだだめだウワー! って叫んでいる作者がいる。』って事でしょう。
そう考えると、ちょっと、怖い。
(いや、そこだけでも怖がって下さいよぉ。)