閑話 「ロゼの独白・その2」
鉄輪は、商人さんが持っていたものです。
たまにそれで拘束されて、ひたすら鞭をうたれ続ける子がいました。
私はぞっとしました。なんで、殺さないんだろう。ゴブリンの生態は知っていましたから、答えはおのずと導き出されました。ゴブリンは他種族の女性に種付けをします。このままでは、ゴブリンの赤ちゃんを産んでしまうことになる……と。
街に行ったら、奴隷商人さんに連れられて、そういうことをされる役の子が奴隷の中にはいました。私は黒髪だから選ばれたことはありませんでしたが、帰って来たその子達の様相は、地獄でも見てきたようでした。
さぞ痛めつけられたのでしょう、とぼんやりと他人事のように見ていました。ロゼは悪い子です。だから、今度は私がそうなる番なのだと悟りました。間違っても優しくなんてしてもらえないでしょう。それこそ物のように扱われて、ゴブリンの種床にされてしまうと思うと、怖くて怖くて、一歩も動けなくなりました。
ひときわ大きくて強そうなゴブリンが、ニィッと醜悪に笑いました。大きな剣を持っていました。
大人しくなった私を、ゴブリン達は森へと運んでいき、洞窟に辿り着きました。
もう、ここで終わりだと思いました。抵抗する気力もなく、こんなことならあの時山に入って魔物に食べられた方がマシだったとすら思いました。
大きなゴブリンが地面に杭を突き立てて私を鎖でつなぎ、醜悪な顔を近づけてきた、まさにその時でした。
外のゴブリンが慌ただしく洞窟に入ってきたと思うと、大きなゴブリン以外のゴブリンは皆、外に行ってしまいました。大きなゴブリンも少しの間警戒していたようで、洞窟の入り口の方へ耳を澄ませているようでした。
外からは、男の人の声が聞こえてきました。
ゴブリンと、戦っているようでした。
もしかしたら、私は助かるんじゃないか? そう思いました。生きる希望が、また湧いてきました。大きなゴブリンは、動きません。戦闘の音が、徐々に小さくなっていきます。男の人の声は、まだ私の耳には届いていました。
そして、外が静かになります。
私は大きなゴブリンを見ました。大きなゴブリンも私を見ていました。その腰巻からはみ出たソレは、とても人の身体で耐えきれるものだとは思いませんでした。まだ私のご主人様に会ってもいないのに、あんな最低なもので命を散らすわけにはいきません。
大きなゴブリンは、私の身体をゴツゴツとした指で撫でました。気持ち悪さに悲鳴が出ます。
まるでおもちゃで遊ぶ子供のように、ただ触るだけ。ときおり力が強すぎて、私は痛みに耐えるために呻きます。
そうしてどのくらい、大きなゴブリンは私を弄びつづけていたでしょう。外の男の人は、もしやゴブリンに殺されてしまったのでしょうかと、生きる希望が再び潰えていくのを感じました。
そして遂に、その時が来ました。大きなゴブリンは、下準備は十分だとでも判断したのでしょうか。私は受け入れる準備なんて、これっぽちもできていなかったのに。あるいは単に、我慢の限界だったのか。
大きなゴブリンのソレの威容は、もはや凶器です。
ゆっくりと近づいてくるソレに必死に首を振り、最大限に距離をとりました。喉からは、かすれた悲鳴が途切れ途切れに出ます。いやだいやだいやだいやだ、誰か、助けて。
ゴブリンに弄ばれるストレスからもう楽になりたいという気持ちと、まだ死にたくないという気持ちがないまぜになって、自分でもよくわかりませんでした。結局は、誰ともしれない人に助けを求める始末です。
今思えば、ここは素直に、大きなゴブリンに抵抗せずにおけば良かったのかもしれません。
そうしておけば――――ご主人様は、私の代わりにあの剣で斬られることも無かった。
抵抗する私を見て、ゴブリンは地面に突き刺していた大きな剣を持ちました。深く地に突き立てたその剣を、私に見せつけるようにゆっくりと引き抜きます。それは、私を一撃でまっぷたつにしてしまうような大きさです。
力で脅して、従わせようという魂胆なのでしょうか。
それでも私は、必死に抵抗を続けました。
大きなゴブリンの表情は、怒っているように見えました。ソレを受け入れない私に、逆上したのでしょう。酷く短気で、醜悪な魔物。……ああ、私は結局、死ぬのか。こんなところで、おばあさんとの約束も果たせずに。
遂に、大きなゴブリンの持つ剣が、大きく振りかぶられて――――
恐怖にうずくまって、せめて一瞬で終わるようにと神様に祈った瞬間。
私は、誰かに抱かれていました。最初に感じたのは、ぬめっとした血の感触。そして、人の暖かさ。
くるはずの痛みはなく、私は既に天に召されて、天使様に抱かれているのかと思いました。でも、それにしてはなんだか私を抱きしめる力が強いです。地面のゴツゴツした感じも変わりません。
……私は一拍遅れて、思いあたりました。誰かが、私を庇ってくれたんだって。
……誰か。誰かって、だれなのか。直感で分かりました。
……外の男の人が、本当に助けに来てくれたんだって。
ホッとすると、急に世界が遠のいていきました。
『安心して。もう大丈夫だよ。俺が来たからには、君には指一本触れさせない。君を守ってあげる。ゴブリンなんて、やっつけてあげるからね』
薄れていく意識の中で、優しげな声音が聞こえました。ゴブリンの剣を受けてなお、私のことを気遣ってくださった優しいご主人様。
それは、私の思い描いていた理想のご主人様そのもので……。運命の出会い、というものが本当にあるのなら、あの時がまさにそうだったのでしょう。私のすべては、この人に会うためだったのだとすら感じました。
そして、あたたかな体温を感じながら、意識を手放しました。
もう一度目を覚ました時には、ご主人様のお顔が間近にありました。思っていた以上に整った、怜悧なお顔です。(でも、笑うと凄く優しくて素敵なんです!)
聡明さを感じせる黒の双眸が、じっと私を見つめていました。睫毛が長くて、びっくりしました。凄く、綺麗な人だと……この人が私のご主人様だったらどれだけ良いかと考えました。
ただそのお顔は所どころ、べったりと血がついていましたが、それさえもご主人様の格好良さを引き立たせていました。
急速に顔が火照るのを感じました。びっくりして飛びのいてしまったのは、今でも失礼だったと思います。
ご主人様は、金色の長い髪をした、お人形さんみたいに綺麗な女の子と一緒でした。リフィ様……えっと確か、アーデルリフィケイティカ? が本名だったはずです。
ご主人様のお名前は、アキト・ナツムラ様。セカンドネームを持っているということは、きっと貴族だったのだと思います。今はそれを隠していらっしゃるようですが、どうしてか、私には本名を教えてくれました。今思えば、大変に光栄なことです。
ご主人様は、ゴブリン達の魔の手から私を救ってくださいました。そして、ご主人様に請われるままに、私はいつの間にか私の生い立ちを話していました。こんなこと聞かされても迷惑だったはずなのに、ご主人様はいろいろと私の話を聞いてくださいました。
私が話終えると、ご主人様は何かを深く噛みしめているようでした。
そしてご主人様は、あろうことか私を強く抱きしめてくださったのです。とても、不思議な感じでした。今まで味わった抱擁は、おばあさんのものだけでした。だから男の人からの抱擁は初めてで、お父さんにもされたことが無くって、頼もしくて、私の全てを受け止めてくれそうで――――
『ロゼちゃんは頑張った。よく頑張ったよ。泣いてもいい……俺は君の全てを受け入れよう』
胸が、いっぱいになりました。
ご主人様に抱きついて、そのまま堰を切ったように泣きだしてしまったのは、流石に今の私でもフォローできません。わんわん声を上げなかっただけ、頑張りました。
ご主人様は私が泣きやむまで、ずっとぎゅっとしてくれました。本当にお優しい方です。こっそりとご主人様の匂いを嗅いでいたのは内緒です。ちょっと血の匂いが強かったですが、どこか落ち着くようなお花の匂いがしました。
泣いたら、今までの辛かったこととか、さっきまでの恐怖とかが、少しづつ薄れていきました。代わりにこの胸を満たしたものを、私はなんと形容すればいいかわかりません。
感謝のような、信頼のような、情愛のような、不思議と暖かい物で、ロゼは満たされました。
――――思えばこの時、私は生まれ変わったんだと思います。ご主人様と共に一歩目を踏み出すために、嫌なものは全部ご主人様が消してくれたみたいでした。
ご主人様は、不思議な方です。とても、私と同じ黒髪だとは思えません。勇者様だって言われても、すぐに信じられるでしょう。
そんな素敵な方の奴隷になれた私は、心底幸せです。
ああ、ご主人様。
私を助けていただいて、本当にありがとうございました。
絶望から救っていただいて、ありがとうございました。
できることならこの身を、ずっと貴方のお傍に。




