06 「約束」
咲に会いに行く。決めたはいいがそれを実行出来ずに紅葉は悩んでいた。
紅葉はまだ幼稚園の年長さんだ。実際は前世の記憶があるので精神年齢はもう二十五歳(二十年+五年)だけれども、そんなことは誰も知らない。当然、お母さんは紅葉と楓のことを幼稚園児として扱う。いつも傍に付き、片時も離れようとしない。
まぁ、当然だとは思う。紅葉はともかく、楓はメチャカワでラブリーだし、好奇心旺盛で何にでも手を出す。常に注意していないと危ないのだ。それに楓は、お母さんか紅葉がいないと、寂しくて泣いてしまうほど甘えん坊だ。あと、めっちゃ我儘っ子である。
(そこも可愛いんだけど)
と紅葉はリビングでリフティングをしながら、アンパンマンを真剣に観ている楓を眺め、相好を崩す。おっと、思考が逸れた。問題は一人の時間がないということなのだ。紅葉の傍には絶対誰かがいる為、咲に会いに行けない。
(どうすれば一人になれるかな。早く行きたいのになぁ)
ゴムボールを少し強く蹴り、天井ぎりぎりまで打ち上げる。落ちてきたボールを背中で受け、勢いを殺す。姿勢を直し、ポロリと落ちるボールをヒールで蹴る。身体を超えて現れたボールを腿でトラップし、左右の足で交互にリフティングを続ける。
「ただいまぁ! お母さん、おやつなにぃ!?」
玄関から元気な声が聞こえてくる。兄の和博が小学校から帰宅したのだ。丁度時刻は十五時、おやつタイムである。紅葉はリフティングを止め、キッチンへ向かう。そこにはお母さんに手を洗うよう注意されている和博がいた。紅葉は二人の会話が終わるのを待って声を掛ける。
「和くん、おかえり。今日は公園?」
「ただいま、紅葉! あ~、今日は達也んちでゲームすんだ。だから、公園には行かない。悪いな、紅葉」
和博が紅葉の頭をすまなそうに撫でながら言う。
「もう寒くなってきただろ。だからみんな、家ン中で遊びたいんだって。もちろん紅葉も来ていいんだぞ」
「……わかった。ううん、今日はいいや、ありがとう」
紅葉はショックを受けながらも何とか返事をする。ジョンがいなくなってから、紅葉は小学三年になる和博たちのグループに混ぜてもらって近所の公園で遊んでいた。虫取りや缶蹴り、ドッジボールに野球、そしてサッカーと、四歳年上の男の子たちの遊びは、元男の紅葉には楽しいものであった。
最初、和博の友達は体格がほぼ半分近い小さな紅葉に、子守りをするように接してきた。しかし、どんな遊びでもちょこまかと動き、互角以上の勝ち星を得る紅葉を認めてくれ、積極的に色々な遊びに誘ってくれるようになっていた。
が、それも長くは続かなかった。残念なことに、クラスで一番やんちゃな和博たちのグループにも携帯ゲームブームがやってきてしまったのだ。和博もみんな持ってるのに俺だけ持ってない。欲しい欲しいと駄々をこね、見事にゲーム機を買ってもらっている。それからは、ゲームばかりだ。公園で遊ぶ機会は随分減ってしまった。
――任〇堂のクソ野郎、まじファック!
(昔は違った! みんな外に出て走り回っていた! それが今はどうだ! コンビニ前で無料Wi-Fi拾ってスマホゲームする小学生とかありえん! まったく、いやな世の中になったものだよ。はぁぁぁぁぁぁ)
太一の子供時代だって、ポケモン全盛期であったし、周りの友達はマリカー、スマブラで遊んでいた。ただ、ずっとサッカーしかしてこなかったから、誘われなく、知らないだけである。サッカー以外は幼馴染の少女がべったりであった為、友達も誘いづらいという状況があった。
紅葉は前世同様、今世も順調にサッカーバカ(笑)へと突っ走っているのであった。
しかし、ジョンとのボール遊びも、和博たちとの外遊びもなくなったのだ。一人でボールを蹴っても楽しくない(実際は楽しい)。みんなで遊ぶから楽しいのだ(実際はボールが蹴れれば満足)。何とかせねばと、紅葉は頭を捻る。
ダイニングで本日のおやつ、洋ナシと牛乳を飲みながら考える。どこかのスクールや少年団に入るべきなのだろうか。だけど、現状それは無理だ。
紅葉は一人で活動場所に行けないから、どうしたって送り迎えをお母さんに頼まなくてはいけなくなる。楓と和博の面倒を見ないといけないお母さんに、それは出来ない。出来るのかもしれないが、精神年齢が大人である紅葉としては、自身の世話で、お母さんの手を煩わせたくないという気持ちが強いのだ。
サッカーしたいし、咲に会いたい。紅葉が内心でうんうん唸っている間に、和博があっという間におやつを食べ終え、友達の家へと遊びに行く。楓が自分の洋ナシを食べ終え、紅葉の分に目を付ける。
「一個ちょうだい?」
「……うん。はい、あーん」
フォークで洋ナシを刺し、楓の口へ持っていく。楓がシャクシャクと美味しそうに洋ナシを頬張る。やっぱり後半年、小学一年になるまでは我慢するしかないのかなぁと紅葉は頭を振る。小学生になれば、一人行動が認められるはず。そうすれば、少年団なりスクールに一人で通える。ついでに、咲に会いに行くことも可能になるだろう。
(仕方ない。基礎体力作りと柔軟体操してその時に備えよう。はぁぁ、もどかしいなぁ)
「食べないの? じゃあ、ちょうだい?」
「……うん。はい、あーん」
洋ナシを楓が嬉しそうに食べる。紅葉はそれを可愛いなぁと愛でる。お母さんがそんな楓を叱る。
「こら、楓! そんなに食べたら夕飯食べられなくなっちゃうでしょ? それに、それは紅葉のなんだからね」
「はーい。じゃあ、代わりに牛乳あげるね、お姉ちゃん」
「……うん、ありがとう、カエちゃん」
あんまり好きじゃない牛乳を押し付けてくる楓まじ小悪魔可愛いと微笑みながら、ありがたく牛乳を一気飲みする。二杯飲むとお腹がたぽたぽになる。お母さんがはぁと頭を振っている。
(うん、お腹いっぱい。よし、練習再開しよう!)
「ご馳走様でした」
「ごちそーさま。ねぇ、お姉ちゃん、お絵かきしよう!」
「うん、何描く?」
紅葉は楓の頼みを絶対に断らない。室内ドリブル練習を諦め、笑顔で楓に問う。楓はお絵かき帳を広げながらクレヨンを握る。
「えっとね、えっとね、この前行ったあそこの絵!」
「あそこ? う~ん、あそこかぁ、あそこ、あそこってどこだっけ?」
「えぇええ~!? わかんないのぉ!?」
本当にわからないの? と実に嬉しそうに笑う楓。紅葉がわからないのが嬉しいのだ。紅葉的予想では先週行った水族館の魚なのだが、簡単には答えられない。もし、間違うと楓は途端に不機嫌になってしまうから。
じっくりと考える。そんな紅葉を実に楽しそうに楓は見守っている。将来は絶対にどエス間違いなしだと紅葉はその素敵な笑顔に見惚れる。ごめん、わからない、と笑顔で謝罪する。特別に教えてあげると女王様は高飛車に宣言なさる。
(うむ、可愛い)
そんな、二人の様子に溜息をつきながら、お母さんが声をかけてくる。
「はぁ、あんたたちは。そうだ、二人とも。ピアノ教室に通わない? そこの角の太田さんち、お嬢さんがピアノ教室を始めるんですって。ぜひ、教室に来てくださいって太田さんに頼まれちゃったの。どうかしら? 一度行ってみない?」
「行かない」
「…………」
即答する楓に考え込む紅葉。
(ピアノはサッカーに役立つだろうか? わからん。わからないことは聞く)
「お母さん、ピアノってどんな効果があるの? ピアノが上手くなるのと、後は何か良いことある?」
「効果? う~ん、どうなのかしら。ちょっと待ってね」
お母さんがスマホで調べたことを教えてくれる。お母さんによると、両手でそれぞれ手を動かすことで感覚神経の発達を促し、脳が活性化するとのこと。両手を使うことは、右脳、左脳がそれぞれ刺激され、バランスのよい脳のトレーニングになるのだそうだ。そして、音感、リズム感が育つ。
(脳の発達を促すとか、まじピアノ最高じゃないですか! 身体だけじゃなく、脳まで鍛えればサッカー上達間違いなし! これはやるしかないでしょ!)
紅葉基準はサッカーである。頭の中では、サンバのリズムを身につけた紅葉が、ブラジル選手の独特なリズムでドリブルを開始していた。
「……私やりたい!」
「そう、よかったわ! 楓はどうする? お姉ちゃんは行くって言ってるわよ」
「行かないもん! お姉ちゃんも行かないのー!」
楓が大声を上げて否定する。その後、頬をいっぱいに膨らませて不満の意を表する。こうなった楓はどうにもならない。お母さんが、楓が行きたくないのならそれでもいいけど、紅葉が行くのを邪魔しちゃいけないと説得するが、楓はヤダと言って泣き出す。
紅葉は楓の涙を拭きながら説得にかかる。
「カエちゃん、カエちゃん、一緒にやってみよう? きっと楽しいよ?」
「ヤダもん、やらないのー!」
「じゃあ、一回だけ、一回だけ行ってみよう? つまんなかったらもう二度と行かないから。え~と……あ、じゃあ、一回行くの付き合ってくれたら何でもカエちゃんの好きなもの買ってあげる!」
「……一回だけだよ? 約束だよ?」
「うん、約束!」
「約束!」
甘やかしちゃダメよ、とお母さんに怒られてしまう。いやでも、楓は可愛いから甘やかしちゃうのは仕方ない。甘やかして我儘っ子にしてしまう、じいちゃんばあちゃんはこんな気持ちなのだろう。
(ピアノかぁ、楽しみだなぁ)
幼児期に始めるのだ。きっと、スポンジが水を吸い込むが如く、あっという間に上手くなること請け合いだ。サッカーの為に頑張るぞぉ! 紅葉は楓とファミレスで食べたお子様セットの絵を描きながら笑顔を浮かべるのであった。
(あそこって、ファミレスだったのか。そう言えば水族館の帰りに寄ったな。でも、その発想はなかった。さすが楓!)