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43 「チームを作って」


 タイ戦翌日、紅葉たち日本代表はリカバリートレーニングをする為、練習場へ来ていた。始めにお喋りしながらのジョギングで身体と心をほぐす。


「あ~、朝から暑い!」

「今日も暑くなりそうだねぇ」


 気温は朝十時ながらすでに三十度近い。日焼け止めをたっぷり塗り、長そでシャツを着ている紅葉の肌に汗がうっすら浮かぶ。


 練習場の周りに集まったファンから紅葉が通るたびに歓声と手が振られる。紅葉は手を振り返してそれに応える。歓声がさらに大きくなる。  


「紅葉ちゃん、手を振らないの」

「そうだよ。紅葉ちゃん目当てのお客がこれ以上増えたらますます大変だよ?」


 大鳥と柳瀬が笑いながら紅葉を窘める。紅葉も笑いながら答える。


「せっかくこんな遠くまで応援に来てくれてるんだから、ちょっとくらいいいんじゃないかなぁ。それに、ほら。スポーツは人気商売だからね。ファンは大切にしないとね」


 それを聞いていた周りから笑い声が響く。


「あはは、大井さんナイスジョーク!」

「だねぇ」


(あれ? なんで笑われてるんだろ?)


 紅葉が不思議に思っていると、前を走っていた酒井が振り返り、紅葉を見て大笑いする。


「あははは! みんなぁ、紅葉がめっちゃキョトンとした顔してんぞ!」


 どれどれと、皆が紅葉の顔を見てくる。そして紅葉の顔を見て一様に笑う。


 紅葉は走りながら首をひねって考え込む。そんな紅葉に、大鳥が苦笑交じりに訳を教えてくれる。


「紅葉ちゃんは取材NGで有名でしょ。今もミックスゾーンでの取材断っちゃうし。だから、皆、紅葉ちゃんはファンサービスとか全然気にしてないと思ってたんだよ」

「そうそう、ファンイベントとかにも紅葉ちゃんは出てないしね。そもそも、危ないから呼ばれないんだろうけど」


 なるほど、と紅葉は納得する。前世の時と比べると取材もファンイベントも全くと言っていいほどやっていない。


(イベントは平気だろうけど、取材はなぁ、私は別にいいんだけど、お母さんすっごいマスコミ嫌いだしなぁ……あっ!)


「え~と、でも、今回池田さんの取材受けてるよ?」


 反論というわけではないが、紅葉は何となくお母さんを庇う気持ちで、密着ドキュメンタリーのことを伝える。


 皆が顔を見合わせる。それから、忘れていたと笑い合う。


「ああ~、そう言えばそうだね!」

「そうだった。池田さんは紅葉ちゃんの取材してたんだよね。すっかり忘れてたわ」

「ね~、私も池田さんに取材受けてたのにすっかり忘れてたよ」

「いつも、うちらと喋ってるけど、あれって取材なのかな? 雑談ばっかりだよね?」

「う~ん、どうだろ。テレビで使われることはない気がするけど。てか、池田さんは紅葉ちゃんのドキュメンタリー撮ってるマスコミさんだったんだよね。スタッフさんだといつの間にか思ってたわ」

「あ~、わかる! もう身内だよね池田さん!」

「あの人コミュ力が半端ないから、うちらに溶け込みまくりなんだよなぁ。ついつい長話しちゃって困るわ」


 池田は紅葉たちと同じホテルに泊まって常に一緒に行動しているのだが、その持ち前のコミュ力でチームメイトやスタッフ、監督たちと良好な関係をあっという間に築いていた。


(池田さん、皆からマスコミの人って思われてなかったのか)


 紅葉は池田の童顔を探し、ベンチ側に目を向ける。池田はコーチたちと楽しそうにお喋りしていた。


(うん、確かにあれは身内だね)


 うんうん、と頷く紅葉を他所に話題は紅葉のスポンサー話へと移っていた。


「この前のドキュメンタリー放送も、紅葉ちゃんと仲良くなりたい企業がスポンサーに手を上げてすっごい数になったって池田さんが言ってたよ」

「すっごいCM多いなぁって思ったけど、そんな理由だったの!?」

「うん、ちょっとでも紅葉ちゃんと繋がりを作ろうとしてるんだって」

「へぇ~、そうだったんだぁ。紅葉ちゃん、スポンサー全部断っちゃうって有名だもんねぇ」

「スポンサーとかマジ羨ましすぎる! 私も来てぇ」

「あはは、あんたには絶対来ないって! まぁ、私もだけどね!」

「本当にねぇ、私たちの中でプロ契約してるの一人もいないからねぇ。将来のこと考えちゃうと不安になるよねぇ」


 そこで会話が途絶える。少し気まずい沈黙の中、紅葉は努めて明るく言う。


「どんなに難しい課題も挑まないと絶対に解けないんだ。目の前の一戦一戦を全力で。その積み重ねが、未来に繋がってるんだよ。それに明後日のオーストラリア戦は多くの人が観てるんだから! 皆のいいところをいっぱい観てもらおうね!」


 紅葉の言葉に皆が顔を見合わせる。それから、照れたように笑い、元気よく話しかけてくる。


「くぅ、紅葉ちゃん本当にいい子! お姉さん頑張るよ!」

「青臭いことも紅葉ちゃんが言うとめっちゃ心に響くわ! 酒井あたりが同じこと言ったらぶん殴ってるけどね」

「おいこら田岡! あたしに喧嘩売るとはいい度胸だ!」


 わいわいと賑やかになったチームメイトを見て紅葉はホッとする。今井が目をキラキラ輝かせながら言う。


「でも、カッコいいよね! お金も名誉も関係ない! ただ純粋にサッカーに打ち込むっていう紅葉ちゃんのスタイル!」

「わかる! 私たちって青春全部をサッカーに捧げてるって思ってたけど、紅葉ちゃん見たらまだまだだなぁって思えちゃうからね」

「まぁ、比べる相手が悪い気もするけどね。紅葉ちゃんサッカー好きすぎだもん」

「だよねぇ……う~ん、でも、それって不健全だね! やっぱり恋もしないと! ねぇ、紅葉ちゃんは好きな男子とかいないの? お姉さんに教えてみ?」

「あんたはすぐ恋愛に話を持っていこうとするよね。何がお姉さんに教えてみ、よ! 彼氏いない歴年齢の分際で」

「うぅ、私だってぇ、カレシが欲しいのにぃ!」

 

 紅葉そっちのけで恋愛トークに突入する。女の子の会話はあっちこっち飛んでついていくのがやっとだ、と紅葉は苦笑する。


 柳瀬に彼氏がいると酒井が暴露したことで、全員が柳瀬を質問責めにする。柳瀬が顔を真っ赤にして逃げ出すのを皆が追いかける。


 紅葉も皆に合わせてスピードアップする。全員で最後の一周を全力疾走で終える。身体の疲れを取る為のジョギングで、ぜへはぁと息を切らせる紅葉たちに、監督の東条から呆れ混じりの叱責が飛ぶ。


「あなたたちはまったく。はぁ、まぁ、いいわ。これから少しミーティングするから」


 東条に連れられて紅葉たちは木陰に移動し、地面に座る。簡易大型スクリーンの前に東条が立ち、紅葉たちと相対する。


 池田が、ミーティングに参加している全員が収まるよう、少し離れた位置へ移動する。それを待っていたわけではないだろうが、東条が話を始める。


「次のオーストラリア戦に勝てば来年のワールドカップに出場出来るわ。負けても三位決定戦に勝てば大丈夫だけど、私たちの目標はあくまでU-20ワールドカップ制覇よ。三位通過なんて考えるな。全力でオーストラリア戦、勝ちにいくわよ!」

「はい!」


 全員が力強く返事をする。東条が頷き、スクリーンにフォーメーションと背番号を映しながら、話を続ける。


「よし、じゃあ、オーストラリア戦のフォーメーションと先発を発表するわ。フォーメーションは4-3-3、キーパー成田、センターバックに大鳥と増渕、サイドバック、左に田岡、右に近藤。中盤はフラットで中央に酒井、右に秩父、左に剣崎。フォワードは右に今泉、左に柳瀬、中央に大井」


 名前を呼ばれた選手たちが喜ぶ。紅葉も先発が決まって笑顔になるが、同時に困惑する。


(なんで私がセンターフォワードなんだろう?)


 紅葉の疑問を他所に東条は淡々と話していく。


「大井は後半頭で交代させるから。リードしている場合は大井に代えて今井を入れて、4-1-4-1に移行よ。同点の場合は4-3-3のまま。大井に代えて持田を右ウィングとして入れる。右の今泉がセンターフォワードに移動しなさい。攻守とも約束事は今まで通り。コンパクトにしてラインを高く設定するわ」


 東条が淀みなく説明を続ける。対戦相手であるオーストラリア代表のフォーメーションと背番号をスクリーンに映し、誰が誰をマークするかの確認をする。


 スクリーン上で相手を動かし、こちらがどうポジショニングするか、事前の取り決め通りである部分と、相手に合わせて変更する部分を分けて説明する。

 

 それから相手の得意な連携プレーへの対処法について伝えた後、相手選手一人一人の特徴を伝え、その対処法を個々に説明していく。


「フィジカルに負けない為に、とにかく身体を寄せて競ること。それからもう一人がフォローにしっかり走れば抑えられるわ。とりあえず以上。質問あるかしら?」


 なぜ紅葉がセンターフォワードなのか。そして攻撃プランについてまったく説明がなかった。


(聞いて欲しいんだよね?)


 早く質問してこいとばかりに東条は澄まし顔で待機している。


 紅葉は周りを見回す。皆と視線がばっちり合う。皆も同じ気持ちなのだろう。こういう時、雪奈がいれば真っ先に質問してくれるのだけど、と少し寂しい気持ちになる。


 紅葉は心の中で少し苦笑し、手を上げて質問する。


「いいでしょうか?」

「何かしら?」

「えぇと、私がセンターフォワードというのは、ゼロトップということですか?」


 考えられる可能性で一番高いものを紅葉は聞く。それに東条は笑顔で頷く。


「そうね、右の今泉が中央に近い位置でポジションを取るという点で、厳密にはゼロトップシステムではないわ。でも大井が偽9番の役割を担う点も踏まえるとゼロトップね」


 紅葉は頷く。そして不安を感じながらさらに尋ねる。


「……私にゆ、立花先輩の代わりをやれってことですか?」

「それは違うわ。立花の代わりは大井には出来ないわ」


 東条の断言を聞き、紅葉は安堵する。紅葉と雪奈ではタイプがまったく異なる。雪奈の代わりを務められる選手はいない。


「このチームの攻撃は立花を中心に回っていた。本当にあの子の偽9番としての適性は素晴らしかった。素晴らしすぎたわ。その弊害ね、立花が抜けたことで作り上げてきた攻撃の土台が完全に崩れてしまった。新たな攻撃パターンを作ろうと色々と試してきたけれど、上手くいってないわ」


 東条が紅葉を見つめ、


「大井、あなたはタイ戦、後半30分から出場して、ハットトリックしたわね。得点は三点とも独力で状況を打開してのものだった。予選三試合で七得点一アシスト、うちの全得点はあなたから生まれているわ。オーストラリアはあなたを徹底的にマークしてくるでしょうね」


 東条が紅葉から視線を外し、選手たち全員を順番に見つめて言う。


「あなたたちは、大井に頼らないチームを作ろうとして、本当によく頑張っていたわ。立花がここにいれば、それは成功していたと思う。一監督として、それがどんなチームに成長するのか最後まで見てみたかったわ。だけど、それは来年のU-20までお預けにしましょう」


 悔しそうな顔になる選手たちに東条が微笑み、そしてパンっと手を一つ叩き、気持ちを入れ替えさせる。


「考え方を変えましょう。次の二試合は大井に徹底的に頼る。大井に頼るけれど、それ以上に徹底的に大井をサポートするの。大井には偽9番として、攻守とも制約を付けないわ。全員で大井の分まで守備をしなさい。攻撃ではどんどん飛び出して、大井からパスを引き出しなさい。絶対に大井を孤立させないこと。いいわね!」

「はい!」

「大井! あなたは仲間を頼ること! それ以外は全部自由にやっていいわ!」

「はい!」


 紅葉は返事をしながら、笑う。


(自由かぁ。自由って一番難しいんだよなぁ)

 

「時間はないけれど連携を高めましょう。大井は皆にどう動いて欲しいかどんどん言いなさい」

「はい」     


 明後日の試合までにどれだけチームのレベルを高めることが出来るか。すべては紅葉の双肩にかかっている。


(これは楽しいことになったね!)


 紅葉は真っ白な歯を見せて強気に笑う。




 東条に代わって紅葉が皆の前に立つ。場の雰囲気を和ます為に冗談半分、本音半分の軽口を言う。


「それじゃあ、ちゃっちゃとミーティング終わらせてボールを蹴ろう」


 酒井が笑いながら、ちゃんとやれーとヤジを飛ばす。皆がそうだそうだと笑顔で頷く。紅葉も笑い、


「じゃあ、ちゃんと。皆は私に合わせる必要はないよ。私が皆に合わせるから。皆はここに来たらチャンスになる。ここに来たら決めてやるっていう動きをして。私はそれを絶対に見逃さないから」


 場が一気に静かになり、皆の顔が真剣になる。


「私にはマークがつくだろうから、ちょっとアレンジしよう。そうだね、しずかちゃんにボールを集めようか。しずかちゃんにボールが入ったら皆は動き出して。私もその瞬間にマークを外すから、しずかちゃんはワンタッチで私にパスを頂戴。私もそのボールを皆にワンタッチで届けるから」


 酒井がおずおずと尋ねてくるのに紅葉は断言する。


「え~と、マジなんだよな?」

「もちろん、私は出来るよ。しずかちゃんも出来るよね?」

「……ああ、任せろ!」

「うん、任せた。それと、もちろんだけど、しずかちゃんは自分でパス出来ると思ったら私にパスする必要ないからね! 後は、そうだなぁ。私にもしずかちゃんにもボールが入らない場合はシンプルに右前に上げちゃおう。今泉先輩が高さを生かしてボールキープしてくれるから」

「えっ! 私か?」


 驚く今泉に紅葉はニコリと微笑み、


「オーストラリアのサイドバックは背が低いらしいから、今泉先輩なら余裕だよね?」

「お、おう。もちろんだよ!」

「後は監督の言った通り、約束事は変更ないし……う~ん、そうだ。ゼロトップで一番重要なのは何だかわかる?」


 紅葉は皆の顔を見回した後、返答を待たずに答えを言う。


「ポジションなんか関係なく、私がゴールを取るんだ! っていう気持ちだよ。じゃんじゃんオーバーラップしてゴールを狙ってこう」


 さて、これからは楽しい実技の時間だ、と紅葉は微笑む。 





 酒井静香(さかいしずか)は自信家であった。サッカーでは誰にも負けないと思っていた。


 所属の仙台レディースでは先発争いに勝って、一年目ながらボランチのスタメンを確保することが出来た。


 プロではないので、仙台レディースの協賛企業の事務として、週四日フルタイムで働いている。新入社員なのでまだあまり役に立てていないが、仕事をしっかり覚えて早く役に立ちたいと思っている。


 会社も職場の同僚も皆が静香のことを応援してくれる。代表合宿や国際大会に出られるのも会社と同僚たちの理解と助けがあるからだ。仕事とサッカーの両立は大変だが、不満はない。


 静香のような無名の選手を雇っても会社には恩恵などない。今回はたまたま、大井紅葉というスーパースターがいるので、試合が全国放送される。


 静香の所属先も紹介されるだろうから、ちょっとした広告塔の役割を果たすことが出来て静香としてはかなり嬉しい。


 U-19日本代表ではスタメンを確保したし、監督からも信頼されていると思う。


 静香は髪を染めてチャラい言動をしても、それ以上の結果を出せばいいと思っていた。


 紅葉という怪物に出会うことで、そんな自信はあっさりと吹き飛んでしまった。 

  

 紅葉の噂は静香も知っていた。けれど、それは誇張されたものだと思っていた。


 実際の紅葉は噂どころではなかった。次元が違った。勝負にすらならなかった。


 静香の百倍サッカーが上手く、そして静香より百倍努力していた。年下の少女をサッカー選手として尊敬せずにはいられなかった。


 昨日のタイ戦、日本はすでに二勝で予選突破を決めており、消化試合であった。けれど日本は紅葉抜きのフルメンバーで挑んだ。


 東条はベトナム戦で控え組の点検をし、タイ戦で控えを組み込み、新しい攻撃の型を作ろうとしたのだろう。


 だが東条の危惧した以上に、立花の抜けた穴は大きかった。攻撃の組み立てを立花に依存していたことを、タイ戦でまざまざと見せつけられる結果となった。


 個々のスキルはタイより日本の方が上であったろう。けれど、必死に守るタイの守備をまったく崩せない。前線で上手くボールが回らないせいで、ボールを不用意にロストし、タイのカウンターを何度も受けることになった。

 

 0-0のまま進行した試合は、結局後半30分に紅葉を投入し、紅葉の力技で3-0とし、勝つことが出来た。


 課題が見えたとかいう生易しいものではなかった。紅葉さえ抑えれば勝てる。それを証明しただけの結果に愕然としたのは東条だけではないだろう。


 東条は一夜悩みぬいて、紅葉を偽9番にすると決めたのだろう。紅葉をサイドに置いても、敵は守備を厚くし、ボールを持たせないほど執拗に紅葉をマークするだろう。そして紅葉が交代でいなくなってから攻める。


 それだけで日本は得点源を完璧に封殺されるのだ。敵の情報分析担当が赤ちゃんでもやってくるだろう。


 どうせサイドに紅葉を置いても、敵のマークは厳しいのだ。だったら、紅葉を縦横無尽に動かして敵を混乱させた方がいい。偽9番ならゴール前から敵を引っ張ってスペースを作ることも出来る。


 そして何より、紅葉ならどんなに厳しい状況でも何とかしてくれると思えてしまう。それくらい紅葉の凄さは東条だけでなく、静香たちにも刻まれていた。


 だから、紅葉中心で行くという東条の考えは十分理解出来た。問題はその後だ。


 紅葉が何でもないように言う。


「皆は私に合わせる必要はないよ。私が皆に合わせるから。皆はここに来たらチャンスになる。ここに来たら決めてやるっていう動きをして。私はそれを絶対に見逃さないから」


 出来るのか? いや、紅葉なら出来るのだろう。皆が紅葉の言葉に驚愕しながらも、どう動けばいいか想像しているのがわかる。静香もどう動くかワクワクしながら考えてしまう。


 だが、続けて言われる言葉に静香は凍る。


「私にはマークがつくだろうから、ちょっとアレンジしよう。そうだね、しずかちゃんにボールを集めようか。しずかちゃんにボールが入ったら皆は動き出して。私もその瞬間にマークを外すから、しずかちゃんはワンタッチで私にパスを頂戴。私もそのボールを皆にワンタッチで届けるから」


(何を当たり前のように言ってんの?)


 静香にボールが来た瞬間に、紅葉がマークを振り切る動きをする。それはいい。


 それに合わせて静香がワンタッチで紅葉にパスを出す? 難しい注文だが、紅葉の近くに位置取れば、可能だろうか。


(いや、何度も同じことをすれば警戒されるな。ある程度紅葉から離れる必要もあるのか……私に出来るか?)


 さらにだ。静香からのボールを、紅葉は抜け出した直後にワンタッチで、勝手に動き出す味方に合わせると言う。


(んなこと出来んの?)

 

 静香の問いは笑顔で一蹴され、むしろ出来るよね、と挑発されてしまった。できらぁ、とつい答えてしまったが、果たしてよかったのだろうか。


 池田がこの会話をばっちり録画しているのを確認し、今更無理ですなどとは言えない状況に陥っていることに気が付く。


 大丈夫なのかと不安なまま、軽い調整メニューをこなしてその日の練習は終了した。



 

 夜九時、ホテルの会議室に静香は向かう。そこにはすでに紅葉以外の全員が集合していた。紅葉が寝てから始まるこのミーティングは強制参加ではない。が、大体いつの間にか皆が集まっている。


 いつも通り池田も端っこに座って静かにしている。池田はミーティングの場では一言も喋らない。そう言った気遣いが出来るから、うざがられないのだろう。


 ここ最近は風呂上がりの女の子たちが、寝る前に集まってだべる場となっていたのだが、今日は様子が違った。白熱した議論が展開されていた。


 引っ込み思案の柳瀬が熱く主張し、それに他の選手たちが意見をぶつける。 


「やから! うちが抜け出したら、速攻でクロスやるから、秩父も剣崎も飛び込んで欲しいの!」

「相手の守備陣形が整う前に放り込んだ方が確率はいいだろうけど、飛び出しが間に合うか?」

「それに私がニアでファーに秩父と今泉が飛び込んだらこぼれ球拾えなくなっちゃうよ?」

「そら平気やって! 紅葉ちゃんと酒井がパス出した後に来るんやから!」


 柳瀬の普段聞かない関西弁に驚きつつ、自身の名前が出たことで、静香は柳瀬に声をかける。


「おいこら。それはいくらなんでも厳しいだろ。間に合わないって」

「お、主役が登場したぞ」

「ささ、酒井先生、こちらへ」


 皆が笑いながら静香を招き入れる。中央、大鳥の隣に座った静香を二十名全員が見つめてくる。


「な、なんだよ!」


 うろたえつつ強気に問う静香に周りは苦笑しながら、大丈夫か問うてくる。


「いやぁ、ねぇ?」

「今回の作戦ってあんたが起点なわけでしょう?」

「そうよね、酒井がミスったら、私たちの飛び出しって無駄になるよね」

「無駄どころか、前掛かりになってるだろうから、酒井がミスったら一気にピンチになるよ。勝敗の鍵は酒井なんだよね」

「うっわぁ、それって責任重大じゃん」


 口々に言われる言葉は静香自身も心配していることなので、心の奥に鋭く突き刺さる。静香は負けじと強がり、反論する。


「あたしは別に平気だし! それより紅葉の方が難しいでしょ! 心配するなら紅葉の方だろ!」

「紅葉ちゃんは大丈夫でしょ」

「うん、確かに普通に考えると、何言ってるの、この子はって感じだけど、紅葉ちゃんが出来るって言うなら出来るんだって思えるもんね」

「むしろ、大井さんから最高のパスを貰った後に、それを決められなかった場合が心配なんだけど」

「うん、私たちに完璧に合わせるって言ってるんだから、まじで完璧に合わせてくるだろうからね。紅葉ちゃんの期待を裏切るわけにはいかないよね」

「それにミスったら紅葉ちゃんのファンから、すっごい批判来るだろうね。俺たちの紅葉がこんなパスしたのに外しやがって! って」

「ちなみにタイ戦の視聴率めっちゃよかったらしいよ。紅葉ちゃんが途中出場したところだけ」

「オーストラリア戦はもっと視聴率いいだろうね」

「そんな中紅葉選手からのキラーパスが今泉選手に通りましたぁ! おおっと今泉選手まさかの!」

「うわぁ、止めてぇ」

「死ねるな」

「ひ、控えでよかった」

「あはは、それは言っちゃだめだろーが! でも、頑張れスタメン組!」


 誰もが紅葉が最高のパスを届けてくれると信じている。正直に言えば、静香も紅葉なら失敗しないと信じている。


 紅葉は常に信じられないほどのパフォーマンスを披露してきたし、静香たちの期待に応え続けてきた。


 いや、と静香は心の中で首を振る。紅葉への信頼は別のところから来るものなのだ。


 チームが苦しい時、紅葉は常に笑顔で皆を励ましていた。チームの為に何が出来るか。紅葉はいつも真剣にチームのことを考えて行動していた。


 紅葉は強い心で皆を引っ張ってくれた。それがわかるからこそ、静香たちは紅葉を信頼し、尊敬するのだ。


(信用っていうのは日ごろの積み重ねなんだなぁ)


 静香はしみじみと思う。そして私はどうだろうかと自省する。


(うん、信頼はされてないだろうなぁ。はぁ、紅葉のように強い心を私も持ちたいな。どんなことでも揺るがない本当の自信ってどうやれば手に入るんだろう)


 きっとそれは目の前の練習や試合を全力でやり続ける以外にないのだろう。先は長いな、と静香はため息をつく。


 ふと気が付くと、うるさかった部屋がいつの間にか静まり返っていた。何事かと見回せば、皆の視線は入口に。その視線を辿っていけば、そこにはブラウンの髪の西洋人形のような美しい少女が立っていた。


(あ、これヤバい)


 全員が固まる。いや、池田だけは嬉々として撮影を開始していた。


 別に紅葉をハブにしていたわけではない。お子様な紅葉が寝てしまうから、仕方なく紅葉抜きで毎日ミーティングしているだけなのだ。


 それにもともとこの集まりは、紅葉に頼らないで戦うにはどうすればいいかを話し合うものであった。当の本人を呼ぶわけにはいかなかったのだ。 


 とはいえ、後ろめたい気持ちはあった。


 大きなヘーゼル色の瞳がじぃっとこちらを見つめてくるのに耐えかねたのか、大鳥が紅葉に声をかける。


「あ、あれ、紅葉ちゃんどうしてここに? 寝てたんじゃないの?」


(バカ!)


 その言い方はよくないだろ! と皆が大鳥を横目で睨む。大鳥もしまったと口を手で押さえる。


 紅葉がブスッとした顔と声で言う。


「皆が私抜きでミーティングしてるって、監督が教えてくれたの」


 そう言った後、紅葉がジト目のまま頬を膨らませる。


(あのクソ監督、裏切りやがった! てか、紅葉めっちゃ可愛いな)


 初めて見る紅葉の拗ねた顔にほっこりしながら、静香はいかんいかん、と内心で咳払いした後、いつもの明るい声で、


「ちょうど今から紅葉を呼びに行こうとしてたんだよ! なぁ、みんな?」

「え、ええ、そうよ!」

「さっき私が行った時は紅葉ちゃんいなかったからなぁ。行き違いになっちゃったんだね」

「ほらほら、紅葉ちゃんの席こっちだから、早く早く!」


 強引に紅葉を席に座らせ、何事もないようにミーティングを再開させる。


「さっき、もえが言ってた速攻クロスはいいね。私たちはもえのところに行った瞬間にゴール前に走り込もう」

「だね。紅葉ちゃん、柳瀬にはクロスが上げやすいようなスルーパスをお願いね」

「うん、任せて!」

「私は足元に欲しいかなぁ」

「了解!」


 サッカーの話になったとたんに、紅葉の機嫌が一瞬で直る。チョロいなぁ、と皆が顔を見合わせて苦笑する。そしてすぐに、紅葉がこっくりこっくり船をこぎだす。


「紅葉ちゃん、もうミーティングも終わりだし、部屋に帰って寝ようね」

「キャプテン、紅葉を部屋に連れてってやりなよ」

「そうだな、ほら、紅葉ちゃん行こう」


 眠気マックスの紅葉が大鳥に連れられて退出する。皆が紅葉を見送り、そして深々とため息を付く。


「ふぅ、それではこれより裏切り者への対応を検討したいと思います」

「監督が選手を売るとか許せない暴挙だね!」

「ね! 監督だっていつも参加してた癖に!」

「有罪確定」

「異議なし」


 異議なしと全員が頷く。静香も頷く。そして笑いながら東条の意図を汲み取り、チームメイトを扇動する。


「明後日の試合で得点いっぱいとって監督を見返してやろうぜ」

「そうだね! ぎゃふんと言わせてやる」

「打倒監督!」

「おお!」


 もともと仲のよいチームであったが、今は東条への復讐で完全に一致団結していた。


(これはあの監督の意図通りだろうけど。どっちにしろ許せん!)


 静香は明後日の試合で紅葉へ完璧なパスを供給してみせると誓う。


 ――紅葉に認められたい


 その想いは誰にも内緒だ。


 紅葉と出会うことでメッキの自信は剥がれ落ちた。今まで感じなかった不安を感じ、迷うことも多くなるのだろう。


 だが、紅葉と出会えて本当によかった。


 静香は前だけを見据える。そして紅葉の背中を追いかける。



  

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