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35 「梅雨空に歌い響け 姉妹の笑顔」


 大井紅葉(おおいもみじ)は深呼吸を繰り返す。


 落ち着けと何度も自身に言い聞かせる。


 状況を整理しよう。生理でお腹が痛い。少し微熱がある。身体が重い。クラムジーと生理のコンボで本当に身体が言うことを聞いてくれない。


 生理時は怪我をしやすくなるので、プレーに気を使う必要がある。


 そんな状況で前半45分間走り回った為、ヘトヘトで体力もあまり残っていない。


 そして、監督からは後半十五分で交代させると言われている。


 次に対戦相手。東テレは本当によいチームだ。とにかく皆が良く走り、組織だった守備をする。


 紅葉は前半、東テレの右サイドバック鶴貝、右センターハーフの佐川に厳しくチェックされ、何も出来なかった。


 特に佐川だ。佐川は攻撃参加せず、紅葉のマークに集中している。オフザボールの動きでボールを引き出そうと頑張ったが、どうしても振り切れず、まともにボールを持たせてもらえなかった。


 ユースの時には感じなかったフィジカル面での壁を、佐川相手には感じた。


(スピード、ポジショニング、それに読み合いと気迫が、ユース(した)とは段違いだ)


 点差は二点ビハインド。残り45分。ポゼッションは40対60。なでしこリーグ1位と6位の実力差通りの前半であった。


 このまま後半も東テレペースで試合が進み、ホームのレッジはどれだけ耐え、意地の一発を満員のサポーターに見せられるか。展望としてはそんな感じだろう。


 紅葉にとっては、時間もなければ、体力もない、味方の援護もない状況。



 だというのに。

 

 本当に困った。負ける気が全然しない。


「カエちゃんは本当にもう」


 紅葉は笑いながら呟く。


 エンドが変わって後半は左から右へ攻める。紅葉は左サイド、バックスタンド側に陣取ることになる。


 紅葉は左の前線に張り、ゴールに背を向け、レッジ選手たちのビルドアップを見つめる。東テレのフォワードからの連動したチェイシングに、レッジはなかなかボールを前に運べない。


 ボランチの源まで来たボールを、源がまた後ろ、センターバックの江沼へと蹴り返す。


(うん、ここだ)


 紅葉は最前線から一気に自陣へとダッシュで戻る。佐川が後ろにピッタリついてくるのを感じながら、ハーフウェイラインを越えて自陣へ。


 ちょうど、左サイドバックの佐々木へとボールが回ってきたところで、紅葉は手を上げてボールを要求する。


 佐々木からボールを受け取る。素早く反転し、前を向く。


(さあ、いっちょ失敗してきますか)


 紅葉は微笑み、そう心の中で呟く。


 ゆっくりとドリブルを開始する。


 佐川と相対する。二メートルの間隔を維持して下がる佐川。佐川はディレイしながら、中央をしっかり切る。

 

 サイドへ紅葉を追い込み、サイドバックの鶴貝を待って挟み込むつもりだろう。


 紅葉はその思惑を無視する。目をつぶり、うちへうちへと神経を集中させ、身体を研ぎ澄ましていく。 


(ドリブルの感覚を確認。うん、違和感の正体は身体が昨日より大きくなったから。足が長くなってるんだから、いいことだね。修正修正。それに生理で骨盤が開いて、そのせいでムニーンって感じになってるんだね。こっちは力み過ぎなければ問題ないね)


 今なら分かる。身体が思い通りに動かない理由が。どうすれば修正出来るか。


(なんであんなに焦ってたんだっけ? う~ん、忘れちゃったなぁ、あはは)


 目をつぶりながらドリブルをする。


 ポイントが芝生をかむ感触。ボールをつま先の親指で押し出す感覚。身体を撫でて後ろへ流れていくぬるい風の感触。選手や審判、観客たちの息遣い。


 すべてがクリアだ。


(ドリブルの気持ち良さを忘れてたなぁ。なんでだろ……そっか、チームのこと、上手くなること、勝つこと。そんなことばっかり考えて、ドリブルしてたからかな)


 向上心や勝利への執念、仲間に認められること。どれも重要なことだ。けれど、それはサッカーを楽しむことにおいて、いつの間にか阻害要因になっていたらしい。


 楓のラッパの音は、紅葉に楽しめと告げていた。紅葉の頭の中に渦巻いていた雑念をきれいさっぱり追い払ってくれた。


 頭の中を空っぽにしてボールを追いかけ、ただサッカーを楽しむ。一番重要なことを思い出した。


 楓に感謝だな、と紅葉は反省しつつ思う。


(うん、楽しもう。ふふっ、それがなでしこリーグで出来るんだ。贅沢だな、私は)


 紅葉は目を開ける。


 怪訝そうな佐川の顔。鶴貝が迫ってくる。


 紅葉は佐川へ仕掛ける。

 

 大きくボールを前方、相対する佐川の右足前へと蹴り出す。蹴り出す勢いを殺すことなく紅葉は加速。佐川へ迫る。


 斜め後ろへ下がりながらの守備をしている佐川にとって、ボールがいきなり足元へ来ることも、紅葉がぶつかる勢いで飛び込んでくることも想定外だっただろう。佐川が一瞬慌てる。


 そして、佐川が、自身の足元に入り込み過ぎたそのボールをクリアするには、一歩下がる必要がある。佐川は強引に一歩下がり、体勢を崩しながら身体をねじってクリアしようとする。


 佐川の左足が空を切る。紅葉が伸ばした左足の方が半瞬早かった。右へとボールを大きくはたく。体勢を崩し動けない佐川をかわす。ボールを右足でキャッチする。


 鶴貝が飛び込んでくる。佐川を抜いた直後。紅葉の体勢が崩れているその隙をついてきた。


(うん、そうくるよね)


 右側に飛び込み、傾いている紅葉に対して、鶴貝は左前方からショルダーチャージをしてくる。


 わざと、体勢を崩して見せただけで、軸はぶれていない。鶴貝とボールを起点に一回転する。鶴貝が後ろへ消える。


(さて、視界が開けた。行くとしますか)


 紅葉は左サイドを駆け上がる。


 ――あぁ、気持ちいい!


 何も考えずに自由にドリブルする。なんだかいつもより速く走れている気がする。嬉しくなって無意味にボールをまたいでみたりする。


 さすがに誰も前にいないのにシザーズはやりすぎたと顔を赤くしながら、ペナルティーエリア手前まで来る。


 サイドから中央へ。ゴール正面を目指して走りこむ。


 ゴール前左斜め、ペナルティーエリアの角のところで紅葉は一旦減速する。


 東テレセンターバックの大鳥が、シュートコースと進路をふさぐ。右側、ゴール中央にボランチの舛添が立ちふさがり、ドリブルコースを消している。


 すぐ後ろには鶴貝、さらに後ろに佐川も追いかけてきている。


 パスコースはいっぱい。右後ろの源を経由して右に流れているフォワード戸田へのパスが、最も成功確率が高そうかなと予想する。するけれど、紅葉はパスを選ばない。


(うん、いけるいける……たぶん)


 大鳥を抜くのに少しでも時間をかければ囲まれる。U-19女子日本代表の大鳥は素晴らしいディフェンダーだ。大柄で間合いの広い守備範囲に、俊敏性も兼ね備えている。決して侮れない。


 でも、まぁ、なんとかなるでしょ? と微笑みながら、突っ込む。


 大鳥の顔を仰ぎ見る。一瞬視線が合う。決断する。


 縦に抜く動作。大鳥にぶつかる勢いで前へ。大鳥が一歩下がりながら間合いを取るのを確認。


(縦に抜くって一瞬でも思わせられたなら!)


 カットイン。右足甲でボールを右後方へ。左足を一歩右後ろへ踏み込み、右足を早くそしてコンパクトに振り抜く。


 ゴールに対して斜め後ろ、メインスタンド中央を向いた状態でのシュート。ボールは大鳥の伸ばした足をかわし、ゴールから大きく右にそれるように飛んでいく。


 紅葉は勢い余って右へこける。そのまま芝生に寝転ぶ。  


(完璧だったね)


 蹴った瞬間にゴールを確信した。きっと美しい弧を描いてゴール右上隅にボールは入る。


(ああ、眩しい。晴れてたんだね、気付かなかったや)


 陽光に目を細めながら、ガッツポーズをする。


 場内は異様なほど静まり返っていた。


 パサっと言うボールがネットに突き刺さる音が聞こえた。


 会場が爆発する。紅葉は立ち上がり、メインスタンド目掛けて走り出す。ピッチを出、陸上用のトラックを越え、目指すは楓のところだ。


(う~ん、観客席遠いな。これは遅延行為でイエローになっちゃうなぁ。あれ、そもそも、1-2で負けてるのに遅延行為ってやっちゃダメな……いや、うん、なでしこリーグ初ゴールだから! チームメイト(みんな)には多めに見てもらおう。よし、どうせイエローなら前からやりたかったあれをしよう! うん、実は今まで一度もしたことないんだよねぇ)


 ウキウキしながらメインスタンド中央へ到着。スタンドの皆がおめでとう、と祝福してくれる。手を振って応える。


 紅葉は楓を見つける。楓の笑顔がそこにはあった。


 あの人見知りの楓が必死に伝えてくれた気持ちに応えられた。そのことが本当に嬉しかった。


 紅葉はユニフォームを脱ぎ、高々と掲げる。


 これは誓いだ。この赤いユニフォームに恥じない選手になる。


 選手(わたし)サポーター(あなた)たちと一緒に戦う。応援ありがとう。これからもよろしく。


 紅葉の意思が伝わったのだろうか。会場内が再び静かになる。


(きっと伝わったよね。カエちゃんの応援が私に届いたように)


 堂々と胸を張って紅葉はユニフォームを掲げ続けた。



 それから、紅葉はユニフォームを着、急いでピッチへ戻る。待ち構える主審にすみませんでした、と謝罪しながら近づく。主審のお姉さんは腰に手を当て呆れ顔だ。


「いや、すみませんじゃすまないから! もう何やってるのよ!」

「本当にすみませんでした」

「はぁ、もういいわ。二度とやっちゃダメだから。約束だからね」

「はい」

「はぁ、止められなかった私の責任ってどれくらいだろ。マッチコミッショナーとインスペクターに報告して、それから……」


 紅葉が神妙に頷くと、主審は何やらぶつぶつと呟きながら離れていく。


(あれ? イエローは? 反スポーツ的行為と遅延で絶対にイエローだよね。もう提示されたのかな? 見てないんだけど)


 紅葉は主審の後ろ姿へ確認の声をかける。


「あの! イエローカードってもう出てるんですよね?」

「……あ~、忘れてたわ。はい、イエローね。って、何でそんな嬉しそうなのさ」

「私、イエローカードってまだ一度も貰ったことなかったんで。ちょっと嬉しいなぁって」


 その発言に主審は苦笑いを浮かべ、今度こそ離れていく。続いてチームメイトにもみくちゃに祝福され、紅葉はお礼と謝罪をしてからポジションにつく。


(さぁ、あと二点。今の私なら絶対に取れる。うん、なんだか前より上手くなった、私)


 もうダメだってあんなに落ち込んでいたのが嘘のようだ。疲れもお腹の痛みも気にならない。


 ただ、今は早くボールに触りたかった。プレスをしに中盤へ下がりながら、紅葉は笑う。


 

 



 ※※※※※



 溝川桜(みぞかわさくら)は浦和レッジレディースのサポーターである。


 レッジレディースの試合があれば、それがアウェーだろうと必ず応援に行く。イベントや公開練習があれば、いそいそと出向く。


 普段は会社へ行き、真面目に仕事をしている。


 ちょっとだけ、そう、ほんのちょっとだけ熱狂的なサポーターかもしれないが、レッジレディースの応援という趣味を中心に生きているだけの一般人であると、桜は思っている。


 ファンクラブで前任のコールリーダーが引退した時、なぜか桜が新コールリーダーに指名されてしまった。桜より古参はたくさんいたし、コールリーダーをやりたがっている者もたくさんいた。


 ムサイ男どもが大声で応援しているのはかなり怖い。それではご新規さんが入りづらいだろうから。というのが桜が選ばれた理由であった。


 女だから選ばれたというのはどうかとも思ったが、引き受けることにした。やるからには全力で。毎週声が出なくなるまで大きな声で応援し続けた。


 相変わらずムサイのは変わらなかったが、少しずつ仲間が増えていった。


 レッジレディースはここ数年、中位に甘んじており、その影響か、もともと少なかった観客はさらに減ってしまったように感じる。


 桜に出来ることはあまりない。会場を盛り上げ、選手を精いっぱい応援すること。それくらいだ。


 そんなちょっとした停滞感が漂う中、ビッグニュースが舞い込んできた。あの大井紅葉がレッジレディースの下部に入ってきたのだ。


 話題は紅葉の話題一色になっていた。桜も期待に胸を膨らませて紅葉が出場する下部の試合を見に行った。


 女子ジュニアユースの試合ではありえない観客の多さに驚き、次に紅葉の圧倒的な美人度に笑ってしまった。


 試合はレッジレディースジュニアユースが圧勝した。紅葉の上手さがずば抜けていた。紅葉にボールが渡ると絶対にチャンスになった。


 長短織り交ぜたパスを百パーセント成功させていく様は、ハッキリ言って異常であった。


 これはすぐにトップチームに上がってくる、と桜は一試合観ただけで確信した。紅葉の旗と横断幕を作成せねばと仲間たちと話し合い、背番号も何も分からないのに気が早すぎると笑い合った。


 すぐに来るとは思った。けれど、そのすぐというのは数年以内という意味であり、決して数か月という意味で使ったわけではない。が、恐ろしいことに紅葉は、第9節のスターティングメンバーに名を連ねていた。


 12歳と195日でのデビュー。なでしこリーグの最年少出場記録を大きく塗り替える記録だ。マスコミが殺到し、記者席がいっぱいになっていた。


 二万人収容の駒場がほぼ満員になるという、信じられない光景を見せられることになった。


 前々節の観客総数は千百人。二千人入れば今日は多いねぇ、と話題になるレベル。


 駒場が満員になるなど経験したことがない。雰囲気がまったく別すぎて困惑してしまう。


 いつもは使う必要のない拡声器を手に持ち、合図を送る。いつも通りの応援をする。そうすれば周りの観客も真似をして一緒になって応援してくれるはずだ。


 桜もメンバーも皆緊張しながらチャントを歌う。


 かくして、異例ずくめで始まった試合、その前半は東テレに攻め込まれ、必死に耐えるレッジという予想通りの展開になった。


 出来れば勝って欲しい。負けてもいい。ただ、この場にいる観客の半分、いや十パーセントでいいから、リピーターになってもらえるような試合をしてくれ、と願うように応援する。


 前半が終わり、0-2、いいところもゼロ。まだこれからだ、と周りと自分を励ましていると、なかなかイケメンな少年に声をかけられる。


 あまり言いたくないが、桜たちの集団は見た目が怖い。その集団に突撃し、声をかけるのだから、少年、大井和博は勇気があるな、と桜は感心する。


 和博が説明するのを皆が興味津々に聞く。和博の後ろに隠れている可愛い少女があの有名な楓だと分かり、皆が楓に注目すると、当の楓は縮こまり和博の背中にさらに隠れてしまう。


(仲のいい兄妹だわ。でも、こんなに人見知りが激しくて大丈夫なのかしら)


 と、心配してしまう。けれど、それは杞憂であった。


 それから先に起こったことを桜は一生忘れないだろう。 


 楓がトランペットを吹く。どこまでも響き渡るラッパの音。その音には紅葉を励ます気持ちが溢れていた。


 桜は楓に続く。


 その後の連鎖は衝撃的であった。敵味方関係なく、あっという間に広がる歌の輪。いつの間にか会場にいるすべての人間が一緒になって歌っていた。


 ピッチにいる紅葉の視線が桜を射抜く。いや、紅葉が見つめているのは桜の隣、楓だ。


 紅葉が笑い、楓が笑う。


 桜は二人を交互に見て納得する。髪の色や目の色が違っていても、その雰囲気が驚くほど似ていた。


(なるほど、やっぱり姉妹なんだなぁ、そっくりだわ。それにしても……)


 羨ましいなぁ、と桜はため息をつく。


 桜はレッジレディースのファンとしてずっと応援してきた。応援することで選手たちとの一体感や達成感を感じる場面は何度もあった。


 けれど、目の前で見せられたものは、次元が違った。


(鳴り物一つで、こんなに心から通じあえるもんなんだね。家族だから? 音楽の才能? ううん、きっと心の底から願ったからだよね) 


 楓のおこぼれだが、素敵な体験が出来た。


 会場に一体感が生まれていた。皆がレッジレディースを、紅葉を応援していた。


 ちょっと現実感のないフワフワした雰囲気。お祭り感とでもいうべきテンションになっている。


 楓に感謝しつつ、楓がいなくてもこんな雰囲気を作れるようになりたいという目標が出来る。


 後半が始まる。今のこの雰囲気を壊したくないと思った。桜はチャントをせずに静かに試合を見守る。


(こんなに落ち着いた気分で試合見るの久しぶりだな)


 前半の紅葉はそこまで悪くはなかったと思う。


 けれど、紅葉は今スランプらしい。先ほど、和博から説明されて初めて知った。説明がなければ、スランプだと気がつかなかっただろう。   


 頑張れ、と心の中でエールを送る。そのエールが届いたわけではないだろうが、紅葉がドリブルを始める。


 紅葉が二人をあっさりとかわし、ゴール目掛けて突き進んでいく。エアモニターに紅葉の姿がクローズアップされる。


(うわぁ、すっごい笑顔だ)


 ニコニコしながらドリブルしている美少女に会場中から暖かい笑いが起こる。


「お姉ちゃん行けー!」

「紅葉頑張れー!」


 兄妹が紅葉に声援を送る。紅葉はその声援に応えるように、サイドテールにした髪を後ろに流しながら独走する。


(速い)


 周りが紅葉のスピードに置いて行かれている。紅葉はあんなに速かっただろうか。


 東テレ選手を従え、勢いを殺すことなくサイドから中央へと切り込む紅葉。センターバックの大鳥が紅葉の前に立ちはだかる。


 紅葉が大鳥に突っ込む。ぶつかる、と誰かが叫んだ。


 次の瞬間、紅葉がシュートを放っていた。


(はやっ!)

 

 ストップからの切り返し、そしてシュートが早すぎる。大鳥が遅れて伸ばす脚を余裕でパスし、ボールがゴール右へ飛んでいく。


 皆が固唾を飲んでボールの行方を見守る。大きな弧を描いてボールがゴール右上に吸い込まれる。


(なんじゃそりゃ……ありえないでしょ)


 ペナ外から巻いて落としてズドン。あんなコースに打たれたらキーパーはノーチャンスだ。


「お姉ちゃんやったあ!!」

「いいぞぉ、紅葉!」


 静まり返った会場が一気に沸騰する。大歓声の中、紅葉が兄妹のところに駆け寄ってくる。温かい拍手と歓声。紅葉が手を振ってそれに応える。


 楓の前で紅葉が微笑む。楓は涙ぐみながら、笑い、手を振る。エアモニターが二分割され、楓と紅葉のアップがそれぞれ流れる。


 会場中から割れんばかりの拍手が起こる。


(うう、こんな最高の瞬間に立ち会えるなんて! 私まで泣きそうだよ!) 

   

 家族の絆。妹の頑張り、会場中の大声援、そしてそれに応える姉のビューティフルゴール。この一連の出来事はきっと一気に拡散される。桜が皆に伝えたくて仕方ないのだから。


 カメラのフラッシュが眩いばかりに二人を包み込む。


(今夜のスポーツニュースはこれで決まりよね! 最年少出場にゴールだもん! もしかして、私もちらっとテレビに…………って、おいこら!) 

   

 桜は目を剥く。あろうことか、紅葉がシャツを脱いでしまったのだ。


 真っ白な肌とのコントラストにより、紅葉の付けた黒のスポーツブラがより強調されて見える。


 しなやかな肩と背中の健康美、そして膨らみだした胸に、無駄一つない完璧なくびれ、うっすらと汗ばみ輝く白磁のごとき肌。


 嫣然と微笑む美少女に桜は思わず見惚れる。


 紅葉は、今まさに少女から女へ変わる途上で発せられる、妖しい色香をこれでもかと醸し出していた。


(綺麗……それに私よりおっぱい大きいし)


 ユニフォームを掲げる紅葉。遅れてモニターから紅葉が消え、頭上の空を意味もなく映し出す。


 静まり返る場内に、


「お姉ちゃんのバカ!」


 楓のもっともなツッコミが響いた。


(あ~、これ絶対大問題になるだろなぁ)


 この天才姉妹はこれから先も多くの騒動を巻き起こしていくんだろう、と桜は確信する。


 紅葉がレッジレディースからいなくなっても、ずっとこの二人の少女を応援しようと心に決め、笑う。


 きっと楽しいことをいっぱい見せてくれるだろう。一ファンとして期待に胸が熱くなる。


 桜は拡声器を持ち、皆に合図を送る。


 紅葉の一風変わったチャントが空に響き渡った。






 ※※※※※



 


 『大井紅葉鮮烈デビュー 記録づくめの一日』


 2030年6月2日 浦和レッジレディース対東テレ・ベレーザ 3-2


 浦和レッジレディースの大井紅葉(浦和レッジレディースユース)がなでしこリーグデビュー戦で噂にたがわぬ実力を披露した。


 大井の12歳と195日でのなでしこリーグ出場は、なでしこリーグにおいての最年少出場記録となる。


 前半、大井は首位東テレの堅い守りに苦戦するも、後半にそのポテンシャルを遺憾なく発揮する。


 後半3分、圧巻のプレーが飛び出した。大井は自陣からドリブルで二人をかわし左サイドを駆け上がる。そのまま自らカットインして、ミドルをゴール隅へと叩き込んでみせた。


 これには対峙した日本代表ゴールキーパー鹿田もお手上げ。「大鳥(東テレセンターバック)が厳しくいっていたのに、あれをやられたら誰にも止められません」と鹿田も大井を絶賛するしかなかったほどのスーパーゴールであった。


 このゴールで最年少ゴール記録も更新した大井は、その非凡な才能をさらに見せつける。


 後半7分、大井は源とのワンツーで抜け出し、センターバック二人を抜くと、最後はキーパーまで抜きさり無人のゴールにボールを流し込んでみせた。


 東テレ高堂監督が思わず拍手しながら、素晴らしいと絶賛するほどの鮮やかなドリブルであった。


 同点に追いついた浦和レッジは勢いに乗り攻め込む。対する東テレは、大井のドリブルに手を焼きながらも、粘り強く守備をし、得点を与えない。


 試合を決定付けるゴールが生まれたのは後半15分。ドリブルで仕掛けた大井を、東テレセンターハーフ佐川が後ろから倒してしまう。このプレーで佐川はレッドを受け退場。


 大井は自ら得たフリーキックで、フォワードの戸田にドンピシャクロスを供給。戸田の今季7ゴール目をお膳立てし、初アシストをマークした。


 疲れが見える大井はこのプレーで交代。観客からスタンディングオベーションを受けながら大井は後半17分、ピッチを後にした。


 一人少ない東テレの猛攻をしのぎ切り、浦和レッジが価値ある一勝をものにした。


 途中、服を脱ぐというハプニングもあったが、その実力が本物であると証明してみせた大井。早くも来年の女子ワールドカップ代表、そして再来年の女子オリンピック代表への選出が取りざたされている。


 大井紅葉 2ゴール 1アシスト 1イエロー 後半17分OUT MOM 8.0/10.0




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