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33 「梅雨空に歌い響け とある紅葉ファンの悲鳴」



 源日和(みなもとひより)は休憩時間に監督の草薙へと話しかける。


「監督、ちょっといいですか?」

「んっ、何だ?」

「大井さんなんですけど、彼女はオフェンスに集中させてあげた方がよくありませんか?」

「ああ、その件か……お前もそう思うか? 守備が出来ないわけじゃないが、やっぱ持ち味が消えちまうのは勿体ないよなぁ」


 紅葉にガッツリ守備をさせている張本人の草薙が、あっさりと日和の意見に同意する発言をしてくる。それに日和はかなり戸惑う。


 いや、戸惑っていても仕方ないと、自身の意見をはっきりと伝える。


「彼女は攻撃のスペシャリストです。彼女の力はうちのユースや、U-19代表で証明されている通りです。相手が東テレでも絶対に彼女の力は通じます。彼女のポジを一つ上げて、4-3-3にしませんか?」


 草薙が渋い表情になる。


(時間はないけど、絶対に大井さんを前に持ってった方が上手くいくはず)


「……まぁ、大井は代表戦でもずば抜けてたし、練習でもお前たちを簡単に抜いちまうほどだからなぁ。だがな、それで中盤を一つ減らして東テレの攻撃を凌げるか? 大井の攻撃力を信じて攻め合いで勝負か? 前からプレッシングで相手を止められるか」


(確かに、それは厳しい。戦力差がありすぎる)


 日和もそのことを重々自覚している。


「それに大井は体力がフルで持たねーんだから、途中交代で使うのが一番いいっつぅのに! 上の連中ときたら、絶対に大井を先発で使えと命令してきやがる! しかも持田が怪我をしたら、ちょうどよかったですね、だと。ふざけやがって! ただでさえ、今のうちは怪我人続出でひでぇ有様だっつうのに何ほざいてんだ。そのくせ大敗はすんなってふざけんなよなぁ」


 どうやら紅葉の起用について、上層部とかなりやりあったらしい。怒り心頭だ。ガリガリと白髪交じりの髪を掻きながら愚痴モードに突入する草薙。草薙は愚痴り出すと止まらないという悪癖がある。


 草薙もこの愚痴さえなければ、とは思うが、監督経験三十年の大ベテランで、信頼出来る人柄ではある。口を挟まず静かに草薙の愚痴を聞き、なるほど、と日和は納得する。  


(大井さんの先発はフロントの意向なのね。まぁ早く記録を達成して欲しいだろうし、宣伝するときに先発だって言いたいものねぇ。それでいて、大井ブランドは傷つけたくないと)


 まったくしょうがない話だな、と内心で呆れながら延々と続く草薙の愚痴を聞き流す。こうなった草薙はしばらく止まらない。静かに時を待つ。そうすると日和の脳裏に浮かぶのはこの前からチームメイトとなった美しい少女のことばかりだ。


(なんだか、少し調子悪そうだったけど大丈夫かしら、大井さん)

 


 日和は浦和レッジレディースのボランチだ。浦和レッジレディースの下部組織で育ち、十八歳でトップデビュー。二十二歳でブンデスリーガへ渡独。四年間ブンデス一部フランクフルトで揉まれ、日本代表にも呼ばれるようになった。


 そして、フランクフルトとの契約が切れ、さてどうするか、と移籍先を検討している時に、浦和レッジレディースから声がかかった。


 年収は七百万から四百五十万へと下がってしまうが、サッカーで古巣へ恩返しが出来るというのは、金額以上に価値がある。何より、浦和レッジレディースにお前の力が必要だ、と言われるのは本当に嬉しかった。


 日和はすぐにレッジレディースへの復帰を決めた。


 今、レッジレディースには日和とフォワードの戸田しかプロはいない。あとは皆アマチュアだ。


 アマチュアの子たちは仕事や勉強があるので、平日は夕方からしか全体練習が出来ない。その為、平日は個人練習、特にフィジカルトレーニングなどをして汗を流している。


 日和はプロなのでイベントやファン交流会などの広報活動は強制参加だ。営業がスポンサーへ挨拶回りする際に同行したりもする。


 そして、そこで話されるのはもっぱら大井紅葉のことばかりだ。


 紅葉はいつトップデビューするのか、と言った質問や、娘が紅葉の大ファンなのでサインが欲しいと言ったお願いに、ここに紅葉を呼んでこいと偉そうに命令する四菱重工の担当者など、とにかく紅葉の話題しか出てこない。


 やっぱり顔か、こんちきしょう、と一緒に回っている戸田が半笑いで呟くのに、日和も半笑いで曖昧に頷く。


 日和が紅葉の大ファンだというのは秘密なのだ。紅葉は顔だけじゃない、と反論したいのをぐっと堪える。


 それにしても皆にここまで注目され、活躍を期待されるのは御免蒙りたいものだ、と日和はしみじみと思う。日和だって、紅葉に期待している一人なので、我ながら自分勝手だなぁと反省しつつも、その感情は大きくなるばかりだ。


 日和はプロだ。それも、日本代表である。ファンに期待され、注目されることでお金を貰っている存在だ。そんな日和でも、紅葉に対する過度な期待を受けたら潰れる自信がある。


 それほど紅葉に対する期待や関心ははっきり言って異常なのだ。


 今、監督から聞いたフロントによる紅葉の出場要請など可愛いものだ。この前など、レッジレディース前監督である東条が、U-19女子日本代表監督に就任して、すぐに紅葉を代表に召集しようとした。


 しかし、それをサッカー協会が認めなかったことがあった。


 紅葉はジュニアユースに上がったばかりで、まずはクラブで環境に慣れるのが先だというのが協会の言い分であった。


 真実は、ボロボロのU-19日本代表を見限っていた協会が、紅葉のイメージ失墜を恐れたということだと暴露されている。


 紅葉がU-19日本代表に選ばれればマスコミが群がることになる。誰からも期待されず、無視されていたU-19日本代表にスポットが当たるわけだ。崩壊しているチームであると関係者には周知の事実だが、それは関係者の間だけだ。


 そんな酷いチームではいくら紅葉であってもまともなプレーなどできないだろう。U-19日本代表と一緒に共倒れ。しかも、紅葉のせいで大注目を浴びた状態でだ。紅葉を招集したくないと協会が思うのも無理はない気もする。


 結局、東条の強い要請と一連の内幕がリークされたことで紅葉はU-19日本代表に呼ばれることになった。そして協会の心配とは裏腹に、あっという間にU-19日本代表は復活し、紅葉も高パフォーマンスを見せた。


 そうなれば協会の一連の対応に批判が集まる。今もネットでは協会批判が凄まじいことになっている。協会は紅葉の為を思ってしたのに、と涙目であろう。


 紅葉は表に出てこない。ただサッカーをやっているだけだ。インターネットの発達していない大昔であったなら、紅葉のことはサッカー関係者しか知らない、といった状況になっていたかもしれない。


 紅葉は毎日のようにくるテレビなどの取材をすべて断ってしまう。シューズメーカーやスポーツ用品メーカー、その他の企業がこぞって紅葉とスポンサー契約を結びたがっているのもあっさりと断る。


 凄いことにレッジのスポンサー企業が、紅葉をCMで使いたいとプレッシャーをかけてきても、レッジ上層部が丁重に断ってしまう。普通は絶対に断わらないし、断れない類のお願いであるはずなのだが。


 とはいえ、それでスポンサー企業が怒るかというとそうでもないらしい。まぁ、紅葉だし、仕方ないと納得するというのだから面白い。


 それほどメディアを遮断しても、紅葉への関心は日増しに増えていく。スマホやウェアラブル端末で簡単に目の前の出来事を世界に配信出来る。


 それは文字であったり、写真であったり、映像であったり様々だが、一つ共通していることは、自分が感動し、誰かに伝えたいと思った出来事を配信する、ということだ。


 そしてその情報を簡単に受信出来る。ネットの中で大井紅葉という存在が溢れかえるのは必然であろう。


 最初は小さな少女の美技に、そして年上の大男どもをコテンパンにやっつけてしまうことに驚く。次にその少女が浮かべる笑顔に魅了される。


 皆がいつの間にか紅葉のことを追いかけ、期待し、憧れるようになっていた。ネットの様々なところでその感動を書き記していく。それを読んだ者が、観た者が、紅葉のファンになる。


 紅葉ファンサイトが出来上がり、紅葉のことを皆が好き勝手に報告し合い、情報を共有していく。そこは紅葉のプレーを3D動画で解説したり、紅葉のスタッツを分析したり、今日紅葉が何を食べたか報告したり、妹と仲良く手を繋いでいる写真がアップロードされたりと、本当に無秩序な場であった。


 何を隠そう日和も毎日のようにファンサイトにアクセスし、紅葉のプレー動画を見ていた一人だ。


 きっかけはフランクフルトのチームメイトで一番仲の良かったキャシーが、一皮むけたプレーをするようになり、何かいい練習方法でも見つけたのかと質問したことであった。


 キャシーは少し恥ずかしそうに笑いながら、その変化の要因を教えてくれた。紅葉のプレー動画を参考にし出したら、調子が良くなった、と。


 何言ってんだコイツ、と思った。当然だろう。ドイツでアメリカ人に日本の小学生のプレー動画を見ろと言われる。


 お互い世界トップリーグの一つでしのぎを削っている状況で、いきなり母国の子供が登場する。何のジョークだ。


 日和は半信半疑で紅葉ファンサイトに行き、その動画を見た。小さな女の子の試合風景を収めたそれにはワンプレーワンプレーに詳細な説明がなされていた。


 紅葉のトラップが足に吸い付いて離れないのはどうしてか。変則的に見えるドリブルは、実際は教科書のお手本そのものであるということ。相手を抜くシーンでは紅葉の目線から、紅葉が何を読み取り、相手の逆を取ったかを解説していた。


 トラップ、パス、ドリブル、シュート、オフザボールと、すべてがどれだけ理想的な動きであるか。そしてそれは完璧な基礎があって成り立っていること。


 その基礎をずば抜けた状況把握能力でもって最適に組み合わせることで、紅葉のサッカーは成り立っているのだと解説は言う。


 正直に言うと日和はそんな解説などまったく聞いていなかった。ただただ紅葉のプレーに魅了されていた。


 ――美しい


 それは同じサッカーをするものだからだろう、戦慄するほど日和の心を揺さぶり、衝撃を与えた。トラップが美しい。パスが美しい。シュートが美しい。ドリブルが美しい。そして紅葉のその姿勢が美しかった。


 日和が目指してきた理想形がそこにあった。


 年の差も立場の差も関係ない。一選手として紅葉に憧れずにはいられなかった。日和は無数にアップされている紅葉の動画を見続けた。そしてその動画を目に焼き付け、練習を始めた。


 プロがアマチュアに惚れこみ、少しでも近づこうと練習しているのだから面白い。


 ――これじゃあ、まったく逆よねぇ


 そう、自嘲する暇もなく必死になって練習をする。あんな風になりたいと日和はサッカーをやっていた。漠然とした、サッカー選手なら誰もが思うその理想が形を伴って現れた。その理想に近づくことが今なら出来る。


 ……結論から言えば、それは幻想であった。日和は紅葉になれない。その現実を突き付けられた。


 当時は自身の無能に本気で絶望したものだ。サッカーを辞めるべきかとすら思うほどに。紅葉を羨み、憎しみすら抱いた。


 今、思い出しても恥ずかしい黒歴史だ。


 当時の日和はセントラルミッドフィルダーであり、持ち前の走力で攻守に積極的に参加するのが日和のタスクであった。


 それが、紅葉に影響され攻撃ばかりで、守備がおざなりになってしまった。ボールを持てばドリブルし、難しいパスばかり狙い、失敗する。


 日和の長所が完璧に消えたのだ。当然スタメン落ちが待っていた。


 サッカーは十一人でするものだ。お前の役割は何だ? と当時の監督に聞かれたのを今でも覚えている。


 日和はその答えを知っていた。当然だ。日和はプロなのだから。けれど、それに日和は答えたくなかった。だって、それは日和の理想ではなかったのだから。


 泥臭く、汗まみれになって、仲間の為に駆けずり回ること。危険の目をいち早く潰し、攻撃のサポートをすること。


 日和ははぁ、と大きくため息を付いた。結局、日和は紅葉になれない。というか、紅葉とは真逆の選手であったようだ、と悟った。


 どうにも、日和は冷静さを失っていたらしい。落ち着いて紅葉の動画を見直してみれば、こんなの人間に出来ることじゃないと紅葉のプレーを正しく判断出来るようになっていた。


 そして、もし紅葉と対戦したならば、どうやればこの子供を止められるかという視点で、動画を見るようになっていた。


 ファンサイトには紅葉攻略掲示板というものがあり、そこでは、いかに紅葉に勝つかが毎日議論されていた。


 その発言の多くは日本全国のジュニア監督や子供たちであった。彼らは当事者だ。彼らにとって打倒紅葉は切実だったのだ。


 それはまだいい。そのスレの真に恐ろしいところは、日和よりもサッカー知識に詳しい連中がゴロゴロいたことだ。


 同時翻訳機能の付いた掲示板であり、世界中の者が匿名で発言しているのだが、発言があまりにディープ過ぎて確実にお前イタリア女子代表監督だろう、とか、お前この前欧州選手権でベストイレブンに選ばれたキーパーだろうといったことが丸わかりなのだ。


 そんな魔境の掲示板でも、紅葉にボールを持たせないこと。結局はそれに尽きるね、という結論でいつも終わるのだ。


 二人で紅葉に対応するのは当然だ。一人が紅葉の動きを止め、もう一人がフィジカルにモノを言わせてタックルする。強すぎるとファウルを取られ、そこからのフリーキックで紅葉に蹴られて失点する。かといって、弱いと二人同時に抜かれることになる。


 攻略掲示板にも様々な趣味嗜好の持ち主がいる。その中には紅葉を正々堂々と一対一で倒したいと考える連中もかなりいた。日和としてもプロの矜持がある。出来るなら紅葉を一対一でシャットアウト出来るようになりたいと考えていた。


 もちろん、小学生の紅葉と現役バリバリの日和だ。当時であれば、フィジカルの差でもって、日和に軍配が上がっただろうとは思う。ボールを取りにいかない前提であればだけれど。


 一対一で向かい合ってボールを取れと言われたら当時でも無理だったろうと思うが。


 サッカーの基本は一対一だ。数的優位、二対一に持っていく過程においても一対一は必ず生じる。普通はゴールへのコースを切りながらディレイしてフォローを待つ。


 紅葉に対しても基本は変わらない。絶対に近づかないで、間合いを取ることが重要だ。


 紅葉は一対一になると、無造作としか思えないほど簡単に間合いを詰め、ボールをディフェンダーの前に晒す。だが、そのボールは絶対に奪えない。その状態で一番やってはいけないのが足を出すことだ。気持ちいいほどあっさり抜かれる。


 次にやってはいけないのが、紅葉の動作に反応することだ。少しでも動けば抜かれる。左右に動くことはアホのすること。重心の移動は論外。瞬きすら厳しい。呼吸した瞬間に抜かれるレベルなので、紅葉を止めるなら心臓を止める覚悟が必要だ、と言ったのは紅葉攻略スレの古株である。


 日和は心臓を止められないので、どうにもならないが。そもそも紅葉はどうやって相手の動きを読むのか。読まれることを逆手にとって、その読まれた逆を突けばどうだろうか。さらに逆を突かれるとするなら、もういっちょ逆に動いてやればどうだろうか。あれ、それって左右どっちに動くことになるんだろ、などと発言があったり、一か八かで目を瞑って守備してみたら抜かれたと言った体験報告が来たりと掲示板はいつも賑わっていた。


 紅葉との一対一はムリゲーなのだ。


 日和はブンデスリーガで、目の前の相手が紅葉だったら、と想定して守備をするようになっていた。相手は紅葉ではないので勝負を避けたりズルズル下がったりはしない。丁寧に相手の動きを読み、避けられないように深く身体全部を使って相手を潰しに行く。


 試合が終われば紅葉の動画を見て、仮想紅葉をバージョンアップさせ、それから掲示板でワイワイ紅葉攻略について話す。そしてまた試合で相手を仮想紅葉に見立ててサッカーをする。


 いつの間にかポジションがボランチにコンバートされ、日本代表にもボランチとして呼ばれレギュラーに定着していた。

 

 日和は仮想紅葉に勝つという目標が出来たことでどんどん成長していたのだろう。だけど、満足なんてまったく出来なかったし、成長などこれっぽちも実感出来ていなかった。だって、


 ――まったく追いつけない


 そう、日和が成長するスピードとは比較にならないほど早く、紅葉はどんどん成長していくのだ。仮想紅葉との差は開いていくばかりであった。


 でも、それが実に楽しかった。紅葉に対して負けたくないと言う想いはある。というか、それがなくなったらプロとして失格だろう。


 けれど、その対抗心とは別に、この少女がこれからどれだけ成長するのか見てみたいという想いがどんどん強くなっていく。


 日和にとっての理想のサッカー選手。それが現実に現れ、日和の想像の先へと突っ走っていく。


 ――ワクワクしないわけがない!


 日和はいつの間にか紅葉の大ファンになっていたらしい。いや、もしかしなくても、あの日、初めて紅葉の動画を見たときには、すでに紅葉の大ファンになっていたのかもしれない。いや、なっていたのだろう。


 思い返せば、日和の行動は紅葉のファンそのものであった。


 紅葉に取材を断られたことを逆恨みし、記者が紅葉について悪意ある報道をした時は、物凄い怒りと悔しさを感じた。その時は、普段は犬猿の仲である、とある掲示板の住民とすら団結して、皆で抗議し、その記事を取り消させた。時差のせいで、当時はいつも寝不足になっていた。


 ほかにも紅葉の通っているピアノ教室が毎年開催しているピアノ発表会事件や、紅葉ストーカー事件など、日和はドイツにいるのにそのすべてを心配してヤキモキしていたのだから、完璧に大ファンであろう。


 そのことを自覚し、なんだか、とても恥ずかしくなった。紅葉のファンであるということは隠そうと日和は決意した。


  



 草薙の愚痴も聞き飽きた。休憩時間も残りわずかだ。それにそろそろ草薙の考えもまとまっただろう。


 草薙に日和の考えを再度強く伝えることにする。


「監督、大井さんは自由に攻めさせるべきです。そうすれば左サイドはたとえ東テレだろうとレッジ(うち)が支配出来ます。絶対に彼女を守備で使うべきじゃありませんよ」


 少し強い口調になってしまった。草薙が驚いた顔で日和を見つめている。言うべきことは言い切ろうと日和は早口で続きを言う。


「東テレの佐川じゃ大井さんは止められません。東テレはすぐにもう一人、大井さんにマークを付けることになります。それでも、大井さんは止まらない。彼女一人でゴールを奪える。監督は彼女の実力を過小評価していますよ」

「……俺が過小評価か。確かに、大井はモノが違う。それは俺だって分かってる。だがな、奴はこの前までジュニアでやってた選手だぞ? 天才少女と言ったって、なでしこリーグにいるのは皆、小学生の時、天才だと言われてた奴ばかりだ。お前だって昔は天才だと言われた口だろ?」

「……そうですね」

「だろう? 奴はまだフィジカルトレーニングをしていない、しちゃいけない年齢だ。天才だと言ったって出来上がってない身体だ。それは本人が一番理解しているんだろうな。奴は代表やユースの試合で一対一の場面、ほとんどパスを選択している。素晴らしいパスセンスを見せているが、一対一は避けている。それは奴が上のリーグでまだフィジカル不足だと痛感しているからだろう。練習の緩い当たりなら抜けても本番じゃあ無理だという素晴らしい判断力だ。だがそうなると、奴をウィングにしてもフォロー出来る位置まで全体を押し上げないといけない。パスの出し所を作る必要があるからな。東テレ相手だと、今のうちじゃあ押し込まれるばかりになって、厳しいだろうなぁ」


 なるほど、監督歴三十年の草薙であっても紅葉の実力を分かっていないのだとよく分かった。


(一対一を避けてる? 勝てないから? そんなことあるわけないでしょうが! 彼女はチームプレーに終始してただけでしょうが! 彼女にボールが入った瞬間に仲間が動くんだから、彼女なら当然パスするでしょうとも。実際、味方の動きを完璧に把握してミリ単位の精度でパスを送り続けてチャンスメイクしてたわ! フィジカルで勝てない? 抜けない? そんなレベルの選手じゃないってば!) 


 草薙がジュニアの監督であったなら絶対にそんな発言は出てこないのに、と悔しくて仕方ない。紅葉は小学六年生の時に、そのプレースタイルをガラリと変えているのだ。そのことを草薙は知らないのだ。


 紅葉は小学三年生で日本一になった。その大会で紅葉は得点、アシスト数の大会記録をぶっちぎりで更新する大活躍であった。


 誰も紅葉のドリブルを止められなかった。小学三年生の女の子に完敗したショックは凄まじいものがあっただろう。


 そして、それ以上に問題であったのは紅葉がまだ小学三年生であったことだ。あと、三年間、ジュニアの監督たちはこの怪物と闘わなければならなかったのだから。


 8人制は11人制より人数が少なく、ピッチも狭い。ゴール前を固めて縦ポン、ゴリゴリドリブルで点を取るという戦術が比較的簡単に出来てしまう。


 それに対抗する戦術としてパスサッカーでポゼッションを高めるチームや、全員攻撃のチーム、さらにそれに対抗してショートカウンターのチームと多様な戦術を駆使し、監督たちは勝ちを目指す。


 そして、勝ちだけではなく、選手の将来を考え、縦ポンに否定的な監督たちも多く、皆が選手のことを考えつつ、戦術を選んでいた。


 そこに、大井紅葉という異物が突如現れた。一対一ではまったく止められない。一対二でもやられてしまった。


 紅葉一人に三人使う? それは8人制サッカーにおいては致命的だ。サッカーにならない。


 紅葉の出現で8人制サッカーのルールが破綻してしまう。戦術で対抗出来るレベルではない。残りの三年間、紅葉のいるチームが勝ち続けることになる、と多くの監督たちが絶望した。


 けれど、そうはならなかった。翌年の埼玉県予選決勝。紅葉は浦和レッジジュニアに敗北する。レッジの紅葉に対する戦術は単純明快であった。運動量で紅葉以外に勝つこと。その一点で紅葉を破った。


 徹底的なハイプレス。ハーフコートでプレイし続けるほど相手を押し込める。そして紅葉にマークを付けるのではなく、紅葉のパス供給源に徹底的にアプローチする。


 それですべてのパスを遮断出来るわけではないが、紅葉に渡るボールを可能な限り減らすことに成功し、ボールを貰いに紅葉を下がらせることで、紅葉の得点力を減らすことにも成功した。


 紅葉にカウンターで3点取られたが、6点取った浦和の圧勝であった。


 8人制サッカーは交代に制限がない。浦和は交代を常に行い続け、フレッシュな選手でもってハイプレスを一試合通して行った。


 これまでの8人制サッカーでは、8人だけ優秀な選手がいればよかった。控え選手は重要ではなかった。けれど、浦和レッジのとった戦術では控え選手にも、スタメンと同等の実力が求められることになった。


 レッジには選手層の厚みがあった。紅葉以外に控えも含めた全員で戦いを挑み、勝利したレッジは、ハイプレス戦術とポゼッションサッカーの併用で全国一位を勝ち取ることになった。


 紅葉への対抗策が示され、さらには控え選手全員を使うハイプレス戦術の有用性が一気に広まることになった。ほとんどのチームは十分な選手層がおらず、ハイプレス戦術が出来なかったが、一部の強豪チームはすぐさまハイプレス戦術を採用するようになった。


 ハイプレス戦術がジュニアサッカーで猛威を振るった。紅葉対策から始まった戦術は最もホットな戦術となったわけだ。


 けれど、それも二年と経たず終焉を迎えることになる。


 ハイプレスは連動がすべてであり、もし、そのプレスをいなされ、くぐられた時は一気にピンチになる戦術だ。駒の少ない8人制では11人制よりもすぐピンチになる。


 そして、何よりハイプレス戦術は難しいのだ。ただのお団子サッカーになるチームが続出した。


 どこで網をはるか、どこに追い込むか、そして、抜かれたときのバックアップはどうするかを事前に決め、徹底する必要がある。


 試合が始まれば、もう監督の指示は意味をなさない。選手たちが瞬時に判断し、適切に動かないといけなくなる。

 

 各人がシステム通りに動くこと。サッカーのシステム化、分業化の流れがジュニアサッカーにも到来した。次はハイプレス戦術の弱点を突く戦術、もしくはハイプレスの精度で競う戦いが待っている。


 そう誰もが思っていた。けれど、ハイプレス戦術は完膚なきまでに敗北する。それをなしたのは大井紅葉の個の力であった。


 浦和領家は紅葉のワンマンチーム。多少はマシになったが、それはずっと変わらなかった。


 変わったのは紅葉の役割だ。紅葉に自由が与えられた。紅葉のポジションはフリー。もとから、紅葉はいないものとしてフォーメーションが組まれた。


 好きなところで、好きなようにプレーしろ、というのが紅葉に与えられた指示だった。紅葉は、あっちへふらふら、こっちへふらふら、本当にピッチを自由に動き回った。


 敵が前線、ゴール前からプレスをかけにいくと、その場に紅葉が現れ、ボールを受け取っていく。紅葉へプレスに行っても、そのプレスはいなされ、簡単にパスを回されてしまう。紅葉から離れたボールを追って、紅葉以外へとプレスをかけに行くと、やっぱり紅葉が現れてボールを繋がれる。


 紅葉へのパスコースを切ってから、プレスをかけにいくようにしても、なぜかプレスに穴が出来てしまう。


 ポジショニングの基礎は三角形を作ることだ。皆が、三角形を作るように動き、その中に相手ディフェンダーを入れるだけで、パスコースは無数に出来上がる。当然、守る側はそれを踏まえてプレッシングを行う。


 お互いが、どれだけピッチの中で相手の位置を把握し、それを崩す為に動けるか。刻一刻と状況が変わる中、瞬時に判断しなければならない。


 紅葉は状況判断力がずば抜けていた。まるで、未来が見えているかの如く的確なポジショニングをとり、パスコースを作り続ける。  


 紅葉はオフザボールの動きだけでハイプレスを無効化してしまった。


 ハイプレスなどなかったかのように、浦和領家は皆でパスを繋げて、相手のゴールまで行ってしまう。彼らは、全国の強豪チームとは比較にならないほど各個人のレベルでは劣っていた。


 でも、それを補って余りあるほど、彼らは柔軟であった。紅葉の視線一つで、どう動けばいいか理解し、紅葉のオフザボールの動きだけで、どこにパスを出せばいいか、感じとる。


 誰かがトラップミスをしてもカバーが入る。パスミスしてもフォローが即座に入る。紅葉の指示によって。


 そして、紅葉が動くことで、開いたスペースに走り込み、紅葉からの最高のアシストを貰ってシュートを決めていく。浦和領家の選手たちは本当に楽しそうにサッカーをしていた。


 紅葉がボールを持つ時間は減り、ドリブル回数も減った。


 紅葉のワンマンチームじゃなくなった? チームワークがよくなった?


 いや、違う。と、攻略掲示板の皆が口をそろえて言った。紅葉のワンマンチームのままだ。もともとチームワークはよかった。変わっていない。


 変わったのは紅葉だ。紅葉は試合のすべてを支配していた。


 言い方は悪いが、紅葉は味方を意のままに操り、劣る手ごまで、相手のハイプレス戦術を打ち破った。


 紅葉は生粋のドリブラーから、ゲームをコントロールするゲームメーカーへと変わっていた。


 どれだけ実力差があればそんな芸当が可能なのか。分からない。

 

 紅葉の激変、それはチーム内での役割を完遂する為の変化だったのだろう。


 敗北するたびに涙を流して悔しがる紅葉を見てきた。チームを勝たせる為にはどうすべきか。チームのエースとして二年弱負け続けた紅葉は悩んだことだろう。 


 個人で勝ってもチームは負ける。劣る味方を勝たす為には、と紅葉は試行錯誤し続けたのだろう。


 今、チームの為にどんなプレーが必要か。それが分かれば誰も苦労はしない。けれど、少なくとも、小学六年生の大井紅葉はそれが完璧に出来ていた。


 ドリブルやゴールが減ったことで、紅葉が伸び悩んでいると言う者もいたが、断じてそれは違う。


 紅葉がキャプテンを務めた浦和領家が、無敗であったことが何よりの証拠だ。


 偽9番、5レーン理論、ゲーゲンプレス、アシンメトリー、サッカーの戦術、戦略は無数に生まれ、流行り、そして淘汰されていく。


 紅葉がやったことは、新しい戦術として流行ることは絶対にない。紅葉という天才がいないと成り立たないのだから。

 

 天才というのは実に便利な言葉だ。そこに理解は要らない。自分の理解を超えた者を、一括りにして片付けられる魔法の言葉。


 天才という言葉が巷に溢れ陳腐化するのは必然だろうか。そして天才にさらに美少女と付けられた紅葉の凄さなど誰も理解出来ない。


 ――紅葉に比較対象はない


 皆が紅葉を目印にするが、紅葉がどこに立っているのかは誰にも分かっていない。ジュニアでもジュニアユースでもユースでもU-19女子日本代表でも紅葉は誰よりも上手かった。


 ――紅葉はどこまで通用するのか? 


 草薙はまだなでしこリーグでは通じないと思っている。日和はなでしこリーグでも通用すると確信している。


 休憩時間が残り少なくなり、皆が集まってくる。草薙と日和の対話を皆が興味深々に聞いているのが伝わる。


 チームメイトの中では、紅葉のことを認めている者とそうでないものは半々くらいであろうか。


 紅葉に嫉妬して紅葉を嫌っている者も結構いる。女の敵は男ではなく女なのだ。そんな連中にも聞こえるよう、紅葉の大ファンとして日和は自信満々に断言する。


「大井さんにボールを集めて攻めましょう! 守備は私たちが全力でしますから!」

「あ、ああ」


 草薙が日和の勢いに押され、頷く。そして、少し考えた後、白髪頭をガシガシ掻きながら プロジェクターに東テレの基本フォーメーション、4-4-2の中盤フラットを映し出す。そこに浦和レッジの4-3-3をかぶせながら、日和たちに指示を出していく。


「フォーメーションを4-3-3に変更! 大井を一列上げる。ラインをしっかり作ってのカウンター戦術は変えないが、中盤からのプレッシング方法を変更する。フォワード陣、中央の戸田と右の吉森は下がって中盤三枚をここでブロックだ」


 東テレの二列目右三人の横。ピッチを縦に5分割したセンターとハーフスペースに戸田と吉森を配置する。それを確認した二人が、はい、と大きな声で返事を返す。


「次に中盤、うちも三枚をフラットに並べるぞ。源、沖石、守上でハーフウェイラインからプレスだ。戸田と吉森がパスコースを限定して、右ハーフスペースと右ウィングに追い込んでカットを狙え。それが無理な場合は、下がりながらプレスし続けろ」 


 数的不利だからな、とにかく走り負けるなよ! という激に日和たち三人が頷く。


「ディフェンス陣! ラインを高く設定しよう。ブロックラインをここで作って、中盤と連携する。江沼、お前がラインコントロールをしっかりしろ。当然向こうは裏を狙ってくるだろう。それは必死に追いかけろ!」


 はい、と佐々木、早坂、江沼、塔田の四人が頷く。


「源! 中盤がどれだけ走り切れるかで、この試合がワンサイドゲームになるか、拮抗するか決まるぞ!」

「はい!」

「よし、ボールを奪ったらシンプルに左へはたいて大井を使う! 源! お前のプランだ。お前の責任は重大だぞ。チームメイトに活入れろ!」

 

 日和ははい、と腹の底から声を上げた後、周りを見回し、皆へ声をかけていく。


 まずはセンターバック、早坂と江沼を睨むように見つめ、


「早坂! 轟木にフィジカルで負けるんじゃないわよ! 江沼は猪狩から絶対に目を離さないこと! いいわね!」

「は、はい!」

「了解! ……てか、あんた、めっちゃ気合入ってるわねぇ」


 相手は日本代表コンビの格上だ。ベテランの江沼はともかく、実戦経験の乏しい早坂は不安そうだ。


「早坂、フォローしっかりするから、とにかく一対一に集中しなさい! あなたなら出来るわ!」

「はい!」


 次に左サイドバック、紅葉の後ろを守ることになる佐々木に向き合う。


「佐々木はオーバーラップ自重するように言われてたと思うけど、そ」

「分かってます! ガンガン無駄走りして大井さんをフォローしますよ!」


 佐々木が日和の言葉を途中で遮り、自信満々に言う。

  

「いえ、オーバーラップは自重しなさい」

「……ええ~」

「でも、下がりすぎないようにね! サイドハーフの佐川とサイドバックの鶴貝、二人とも同時に見れる位置で、縦を絶対に抜かれないように。それとハーフスペースからセンターへのしぼりもしなさい。あなた一人で左の二人を足止めする難しい仕事だけれど、あなたなら出来るわよね!」

「……もっちろんですよ! 任せてください!」


 お調子者の佐々木が気合十分に請け負う。次は、と周りを見回す日和にフォワードの戸田が声をかけてくる。 


「まじで源どうしたの? なんでそんなにテンション高いのさ?」

「そう? いつも通りだと思うけど?」

「いやいやいや、めっちゃ違うから! いつものクールさはどこいったし!」

「そうかしら? まぁ、そんなことどうでもいいわ。戸田は左に流れないで、センターに居座って大井さんの攻撃スペースしっかり確保しなさいね! あと、当然だけど、奪われたらしっかりプレスよ! カウンターさせんなよ」

「お、おう」


 ガリガリとショートヘアーをかきながら戸田が頷く。


 日和は他のスタメンや控え選手に次々と声をかけていく。


(確かに、私ちょっとオカシイかもしれない……てか、もしかしなくても、私、テンション高い?)


 なぜだろうか、と考え、すぐに気が付く。


(……大井さんと一緒に試合出来るのが嬉しいんだ)


 そう自覚した瞬間、顔が赤くなる。


 紅葉と対戦することは日々シミュレーションしてきた。けれど、一緒のチームで戦えるなど想像したこともなかった。紅葉が下部組織に入るという話が信じられず、順調にステップアップしてトップチーム入りしても、実感がわかなかった。


 今、やっと思い知る。 


(うわぁぁぁ~! めっちゃ嬉しい! そうだよね。一緒のチームなんだもんね! そりゃあ、一緒にプレーするよね……ヤバい、なんだか緊張してきた)


 そんなテンパりまくりの日和の耳に、渦中の紅葉の声が届く。

 

「す、すみません、遅れました」

「えっ!? あっ! えっと……だ、大丈夫よ、今休憩時間終わったとこだから。ギリギリセーフ。ちょっと先にミーティングしちゃってたんだけどね。それと大井さん、あなたのボジ…………」


 テンパりながらもとにかく説明を、と早口になる日和。けれど、日和の声は紅葉の顔を見て尻すぼみに消える。


 紅葉の目は赤く充血し、強く擦ったのだろうか、目元も腫れていた。


(……泣いた後の顔もなんだか、色っぽくていいわね。これだから美人は得よね。私が泣いても酷い顔にしかならないもの)


 紅葉の顔を見ながら、思考が現実逃避する。紅葉が日和に一礼してから、監督の草薙へ話しかける。


「あの、監督!」

「お、おう、どうした?」

「明後日の試合、使えないと思ったら出さないで結構ですので!」

「なんだ、怪我か? 大丈夫か?」


(ウソ? 怪我? さっきのスライディング? そんな……)


 日和は紅葉を凝視する。軽い怪我であってくれと願いながら。


「いえ、その……今日、生理がきまして、それでベストなパフォーマンスが出来ないと思うので」


 日和は本当に安堵した。はぁっ、と知らずに止まっていた呼吸を再開する。


(よかったぁ、大井さんが怪我したかと思ったよぉ。本当によかったぁ)


 日和はさっきからテンションが上へ下へと大蛇行して、もうよくわからなかった。とにかく、紅葉が怪我をしたのではなかったことに安心し、弾んだ声が出る。


「なんだぁ~、びっくりしたぁ! てっきり重症かと思ったわぁ! ふふっ、生理ぐらいで何言ってるのよ大井さん!」

「その、ご、ごめんなさい」


 日和に謝る紅葉の目から涙がボロボロと零れる。


(えっ?)


 紅葉を泣かせてしまったことに日和は凍る。謝らなくちゃ、と思うも口が固まって何も言葉が出てこない。どうすればいいのか、まったくわからなくなる。


「ほら、そんなに強く擦るな。もっと腫れちまうぞ」


 固まる日和とは違い、戸田が紅葉の目元をハンカチで優しく覆いながら頭を撫でる。


「嫌味言われて悔しかったか?」


 戸田の質問に、紅葉がブンブンと首を左右に振る。そして、か細い震え声で、自分が情けない、と言う。


「生理でクラムジーになったから、そのことを監督に言って、後は監督に決めてもらおうと思ったんです。でも、源キャプテンの言う通りです。本当は大丈夫なのに。なのに私は選択するのを逃げて、試合からも逃げようとしてたんだって気が付いて、それが本当に情けなくて……」

「そっか。まぁ、そんな泣くな」


(私、最低だ。とにかく謝らなくちゃ)


 日和が紅葉に謝ろうと口を開く前に、戸田が日和を非難する。


「ちょっと、厳しすぎじゃないか? 試合が近いから、ナーバスになるのは仕方ねーけど、落ち着けって」


 その通りかもしれない、と反省する日和に江沼と佐々木が話に加わってくる。


「う~ん、源は大井のこと嫌ってるからねぇ。厳しすぎるよねぇ。大井のことは話題に出すなって感じだったし、ちょっとどうかと思うなぁ」

「ですよねー、キャプテンのこと慕ってる子たちも、大井さんのこと無視してましたからねぇ」


 まったく見当違いの発言に日和は絶句する。戸田が侮蔑の籠った眼差しで日和を睨みながら、吐き捨てるように言う。


「ホント、くだらない。んなことで勝負に勝てるかっての。まして、相手は今日初潮がきたばっかのガキンチョだぜ? なぁ、源?」

「え?」


(何を言ってるんだ? 私が大井さんのこと嫌い?)


 呆然とする日和、保田が戸田へ抗議の声を上げる。 


「ちょっと、戸田先輩! キャプテンは大井さんのこと虐めてなんていませんよ! 大井さんのこと、別に大騒ぎするほどのことじゃないのに皆が大騒ぎしているから不快感を持ってただけですよ! ですよね、キャプテン?」

「え?」


(こいつら何言ってるの?)


「だいたい、戸田先輩だって大井さんと敵対してたじゃないですか!」

「アタシが? そりゃあ、アタシは大井のことライバル視してるからな! 認めてるからこそだ! 確かに、大井はガキンチョだが、テクは一級品だ。源だって大井のことを嫌っちゃいたが、試合に勝つために、大井を左ウィングにしようと提案した。勝負に私情を挟まない。そこんとこはさすがだよな。でも、お前らはどうよ? 源ほど理性的に行動出来てるか?」

「それは大丈夫です! ……だって、私たちホントは大井さんのこと好きですから! 皆で話し合ったんです。キャプテンが大井さんのこと認めるまでは大井さんとは距離を置こうって。だから、全然問題なんかありません!」


 日和はたまらず大声を上げる。 

 

「待って! ちょっと待って! 私のせい? 私が大井さんを嫌ってるから無視してる? ……マジで?」


 戸田が呆れた表情で言う。 


「いまさら何言ってんだ。負けず嫌いなのはいいことだが、ちょっとは大人になれよ」


 戸田の発言にチームメイトの半分近くが頷く。続いて、保田が日和を擁護するように言う。 


「そうですよ。でも、安心してください! 私たちはキャプテンの味方ですからね!」


 その発言に残りの半分近くが頷く。

 

 紅葉が泣きはらした表情ながら、力強く言う。


「あの、私もいつかキャプテンに認めてもらえるように頑張ります!」


 大井良く言った、頑張れよ、と皆が紅葉を励ます。





 ――も~意味わかんない!!!!!


 涙目になった日和の絶叫が闇夜に響いた。




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