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32 「梅雨空に歌い響け 紅葉の涙」


 それは五時間目、国語の授業中であった。


 来たかも、という曖昧な感覚。でも、たぶん来ているのだろうという確信。授業にまったく集中出来ない。


 授業が終わった瞬間、ポーチを持ってトイレへ急行する。個室に入り、恐る恐るショーツを確認する。


「……やっぱりかぁ~」


 ショーツについた茶色の血を見つめ、紅葉は重いため息を吐く。


(そろそろだとは思ってたけどさ……うぅ、ついにかぁ)


 妹の楓から遅れること二年、紅葉にもついにアレが来た。


 楓は生理の度に腹部の痛みや腰の痛みを訴え、物凄くイライラして不機嫌になる。紅葉が背中をさすりながら大丈夫か聞くと、お姉ちゃんもそのうち分かるよ、と毎度実にいい笑顔で笑うのだ。


 その楓の笑顔を見て、生理恐ろしい、と思わずにいられようか。


(あぁ、やだなぁ……あれ? でも、今のとこ、痛いとこはないな。う~ん、ちょっとお腹に違和感があるかな?)


 出血はほとんどない。ナプキンを装着し、トイレから出る。廊下でぐっと身体をのけぞらせたり、ジャンプしたりして、身体の具合を確認する。


(ちょっと身体が重い? あとは、どうだろう……ボール蹴ってみないと分かんないや)


 散らばった髪の毛を整えながら視線を周囲に向けると、そこには驚いた表情の同級生たちがいた。何事かと注目されていたらしい。それから、笑いながら手を振ってくる。


 紅葉は失敗したと頬を赤らめながら、手を振り返す。


 うん、ナプキンズレた。


 紅葉はいそいそとトイレへ戻る。



 学校が終わり、家へと帰る。楓は吹奏楽部での練習がある為、一人だけでの帰宅だ。それが紅葉にとってはとても寂しい。


 家に帰るとすぐに、お母さんが用意してくれた軽食を食べる。この後、レッジランドで練習があるのだ。お母さんと雑談をしながら食べ進め、デザートのヨーグルトを食べ終わったところで、紅葉は意を決して報告する。


「お母さん、あのね……」

「ん? 何かしら」

「え~と、その、さっき初潮がね、きたみたいです」


(うん、こーゆーの、言うのって、なんかめっちゃ恥ずかしいぞ)


 お母さんと視線を合わせられない。チラチラとお母さんの顔をうかがってしまう。けれど、お母さんは、そうよかったわね、と何事もなく、優しく微笑んでくれる。


 普段通りのお母さんの態度に、紅葉はなんだかとてもホッとする。


 生理の準備は万全だ。先に来た楓の時に、紅葉も一緒になってお母さんからいろいろと教えてもらっている。とはいっても、生理中に激しい運動、サッカーをする紅葉としては不安は尽きない。


「今日の練習は大丈夫そう?」

「うん、たぶん大丈夫だと思う、かな?」


 不安そうな顔になっているのだろうか、お母さんが優しく声を掛けてくれる。


「そうね。紅葉にサッカー休みなさい、なんて言ったら、それこそ病気になっちゃうでしょうからお母さんは言わないわ。でも、最近ちょっと疲れてるみたいだから、無理だけはしないこと。約束よ」

「……うん、無理しない。約束する!」

「いい返事ね。じゃあ、しっかり楽しんでらっしゃい」

「うん!」


 お母さんに励まされて、不安だった心が少し軽くなる。そして気が付く。


(う~、どうも私、気分が不安定になってるかも。せっかくサッカーしに行くのにこんなんじゃ、ダメダメだ。気持ちを変えないと!) 


 明るい話題は、と考え、すぐに思いつく。


「そうだ! 明後日の試合、お母さんも応援に来てくれるんだよね? 今のところ先発予定だから、私頑張るね!」

「あら? よかったわね。この前まで途中出場するかもって話だったのに、スタメンになれたの?」

「うん、左サイドハーフの持田さんが怪我しちゃったんだ。その代わりに私が選ばれたの。こんなに早く公式戦に先発出来るなんて思ってなかったから、今からすっごく楽しみ!」

「そう、よかったわねぇ。無理せず、いっぱい楽しんでらっしゃい」

「うん!」


 お母さんと一緒に笑いあう。紅葉の心は急浮上だ。試合のことを考えるだけでワクワクが止まらない。そんな紅葉に、お母さんが、


「……う~ん、じゃあ本番に備えて今日からタンポンして行きなさい。今はまだナプキンでも平気かもしれないけど、こういうことは早めに慣れておかないとね」

「うっ…………うん」


 紅葉は頬を引き攣らせながらなんとか返事をする。


(タンポンかぁ。そうだよね、必要だよね……はぁぁ)


 ――本当に女の子になったんだなぁ


 元男の記憶を持つ紅葉としては、何とも言えない気持ちになりながら、トイレへ向かう。トイレでどったんばったん悪戦苦闘した後、お母さんへ行ってきますと大きな声で挨拶をして、微妙な表情を浮かべながら家を出る。



     

 紅葉が浦和レッジランドで練習を始めて二か月ちょっと。二週間でジュニアユースからユースへ昇格し、さらに二週間でトップチームへ。そこからトップチームへ帯同しつつ、ユースの試合に出る日々を二週間。


 合間にU-19日本代表合宿もあり、サッカー漬けの楽しい毎日を過ごしてきた。そしてついに明後日の駒場、対東テレ・ベレーザ戦で紅葉のなでしこリーグデビューが決まった。


 上のカテゴリーへ行けばそれだけレベルが上がる。より早く、より激しく、より厳しく。判断を早くしなければ間に合わなくなる。これまで通ったパスが通らなくなり、フェイントがかからなくなり、シュートコースを消される。


 チームプレーの重要度が増す。個人一人一人のタスクがより複雑で膨大になっていく。すべてがどんどんシビアになる。


 これまで通じていたものが通じなくなること。これまで求められなかったことを求められることで、己の足りないもの、欠点が浮き彫りになる。


 監督やフィジコが紅葉専用のプランニングをしてくれる。プランに沿って練習し、新たな環境へ適応する為の調整をする。


 紅葉は元サッカー選手だ。自分に最適なトレーニング方法を選んでやっているつもりであった。けれど、かつてよりサッカーは物凄く進歩していた。


 すべてを数値化出来る環境、紅葉の時代もデータ化し分析されていたが、それが比べ物にならないほど発展していた。


 紅葉は右利きだが赤ちゃんの頃から訓練することで、左右の足で遜色なくボールを扱えるようになっている。フィジコの車屋は紅葉のデータを見て、紅葉の体の歪みを指摘してくれた。


 練習では両足とも等しく使っているつもりであったのだが、現実は左足をより多く使っていたのだ。苦手な方をより訓練してしまう、という無意識的な行動ではないか、とのこと。


 左足を多く使うことで、より左足に筋肉がつき、バランスが崩れ、僅かに骨盤が歪む。紅葉自身ではまったく自覚出来ない僅かな歪みが、データにすることで視覚化されるわけだ。


(サッカーって身体の歪みやすいスポーツだから、物凄く注意して身体作りしてきたのに。まさか、右足じゃなくて左足の方を使いすぎてたなんて、気付けないよね~)


 フィジコの車屋には、こんなに歪みの少ない選手は初めてだと驚かれたが、それでも歪みがあるのは事実だ。トップパフォーマンスを発揮し、故障の原因を潰す為に早速修正せねば、と紅葉は矯正ストレッチを開始したのであった。


 ほかにもデータに基づき、最適なダイナミックトレーニングやコーディネーショントレーニングを行っている。


 そして、今の紅葉は成長期だ。四月から二か月で四センチ身長が伸びた。百五十八センチ、四十八キロと凄いペースで育っており、紅葉としては嬉しさと少しの不安を感じていた。


 変化する身体に、感覚を合わせる為の調整が、間に合わなくなりそうなのだ。昨日の感覚でシュートをするとスイートスポットからボールがズレてミスる。ドリブルの最中に歩幅が合わず、こけそうになる。


 典型的なクラムジーの症状だ。今の紅葉は、身体の成長と自身の感覚を、毎日何とか摺合せることで、スランプになることを防いでいる状況だ。

 

 そんな危ういバランスではあったが、それでも身体が成長すれば出来ることは増える。そしてそれは、日々成長を実感出来るという、サッカー選手にはたまらない瞬間でもあるのだ。


 ――もう毎日が楽しくて仕方ない!


 紅葉はニコニコで日々を過ごしていた。


 とはいえ、サッカーバカの紅葉をもってしても、次から次へとチームをかえて試合に出続けるのはかなり疲れる。


 チームにフィットする為、各選手の特徴を覚える作業。チーム内で与えられたタスクをどうクリアすべきか考える作業。チームメイトと仲良くなる為の気遣いなどなど。ジュニアユースA、ユースB、ユースA、U-19女子日本代表、そしてトップチームと、二か月でチームがかわりすぎてヘトヘトであった。


 もう無理だとギブアップ宣言をしたくなることもある。それは、


(名前全然覚えられないよ!)


 そう、チームメイトの名前を覚えられなかったのだ。紅葉は最初にチームメイトの身体特徴とプレースタイルを覚える。そしてあだ名をつけ、それから時間を掛けて名前を覚える。


 けれど、名前を覚える前に昇格してしまう為、全然仲間の名前を覚えられなかった。


「大井さん、おはよ!」

「今日も一日頑張ろうねー!」


 ロッカールームに入るやいなや先輩たちから挨拶される。紅葉は笑顔でハキハキと挨拶し、返事を返す。


「おはようございます! はい、頑張りましょう!」


 声をかけてくれたチームメイトの名前は分かっていないけれど、顔とポジション、利き足と性格は大体把握している。日常会話とサッカーで困ることはない。


(でも、申し訳ないなぁ。こんなに仲良くしてくれるのに……やっぱりしっかり名前覚えなくちゃダメだね)


 先輩たちの隣でおしゃべりをしながら着替える。


「来週から梅雨入りだって、ヤになるねー」

「ねー、でも、明後日は晴れでしょ! よかったね、大井さん!」

「あっ、そっか、先発決まったんだもんねー、雨じゃなくてよかったねー」


 紅葉は着替えを一旦中断し、ポケットにしまってあるカンペをこっそり取り出し、二人の名前を確認する。


 ユースのサイドバック菅原とゴールキーパーの田所だと名前が判明する。菅原菅原、田所田所と念仏のように唱えながら、紅葉は二人にお礼を言う。


「二人ともありがとう! 頑張ります! あと、私的には雨の日の試合も好きなんで、雨でもいいかなぁって。ずぶ濡れになってボール蹴ってると、テンションがいつもより上がる感じ? あれ好きなんです」

「あはははっ、それはちょっと分かるかも! 非日常感ってヤツなのかね。びしょびしょで走ってるとテンション確かに上がるわ。練習で雨は絶対イヤだけどね!」

「私は練習でも試合でもヤだよ。雨だと視界は悪いし、スリッピーだと守りづらいし、いいことゼロじゃん」

「あぁ、まぁ、キーパーはそうだろね。まぁ、どっちにしろ梅雨はイヤだわ。大井さん、私たちも明後日試合だから、駒場には行けないけど、めっちゃ応援してるから! 頑張ってねー」

「そうそう、頑張ってね、大井さん! 活躍してレギュラー奪取だよ」


 真剣な表情で二人の先輩が、紅葉の手をグッと握って応援してくれる。紅葉はそれが嬉しくて仕方ない。


(自分たちだって上に上がりたいって思ってるだろうに。新参の私が先に上がってもこうして応援してくれるんだ。すっごいいい子たちだよ。今の私はレッジ下部組織の代表でもあるんだね。頑張らなくちゃ!)


「はい、頑張ります! 菅原さんと田所さんは関東リーグの埼玉国際大学戦、頑張ってくださいね!」

「もちろん、大井さんが来てから、私ら、負けなしの絶好調だもんねー。絶対優勝してみせるよ!」

「いやまぁ、その大井さんがいなくなっちゃうから、どうなるかわかんないけどね。でも、そうだよね。大井さんがいなくなったら、勝てなくなったって言われないように頑張るよ~」

「あぁ、大井さんにボールが渡ったら何の心配もなく攻撃参加出来たあの安心感! それがなくなると思うと残念すぎるわ!」

「あはは、確かになぁ。私もディフェンスラインを上げる指示出しを注意しないとなぁ」

「一家に一台とまでは言わないから、一チームに一人、大井さんは必要だわ! 大井さん、分裂しないかね?」

「分裂するなら、超ほしいわ! 大井さんほどピンポイントで蹴り分けられる子がいたら、キーパー練がはかどってしかたないだろうなぁ」


 紅葉は二人の会話に笑いながら、分裂は無理ですね~、と答える。テンション高い女子の会話になると、紅葉はたいてい聞き役に回ることになるのだ。


 いつの間にか二人の会話が監督への愚痴になっているのを聞き流しながら、髪の毛を後ろでまとめ終える。準備が整った紅葉に、


 ところで、大井さん? この紙は何かな? と紅葉の前に紙の束を突き付けてくる田所。


 いつの間にか、カンペを発見されていたらしい。紅葉は、とっさに言い訳も思い浮かばず、皆の名前を覚えていないことを、正直に白状することになったのであった。


 しかし、そのことはなぜかもう皆知っていたらしい。怒られるどころか、楽し気に笑われてしまった。それどころか、こんなにまでして覚えようとして偉いねぇ、と逆に褒められてしまった。


 そんな感じでお喋りをしながら、着替え、ロッカールームを後にする。練習時間までまだ時間があったので、軽くストレッチをしてから三人でパス練習をする。その後、ピッチに来たジュニアユース、ユースの選手たちが紅葉たちのパス練習に次々と加わっていく。


 和気藹々とした中でボールを蹴るのは本当に楽しい。けれど、紅葉の顔は少し強張っていた。


(マズいかもしれない)


 大丈夫大丈夫と何度も呟き、紅葉は大きく息を吸い込む。そしてゆっくりと吐き出す。空っぽになったお腹に不安だけが残った。



 

 なでしこリーグ一部は十チームで構成され、ホーム&アウェイで年間十八戦が行われる。試合にエントリー出来るのは十八名。その中に下部組織チームの選手を五名まで登録出来る。紅葉はこの下部組織枠での出場である。


 中断期間前、最後の第九節、六位の浦和は、浦和のホーム、駒場で首位東テレ・ベレーザを迎えての大一番だ。東テレは中盤をフラット気味にした4-4-2で、日本代表選手を七名抱えるなでしこリーグ屈指の強豪だ。


 センターフォワード轟木と、セカンドトップ猪狩のコンビは破壊力抜群であり、また、守備陣は経験豊富な松尾とU-19日本代表でキャプテンを務める大鳥のセンターバックが安定した高パフォーマンスを発揮している。ここまで八戦で七勝一引き分けの勝ち点22、十七得点五失点と無類の強さを発揮している。


 対する浦和は故障者続出が響き、三勝二引き分け三敗で勝ち点11と苦戦を強いられており、優勝争いよりも降格争いに巻き込まれそうな不調の中にいる。


 その為、東テレ戦ではホームながら、現実的には引き分けで良し、といった守備的な戦い方を監督は想定しており、控え選手を仮想東テレに見立て、守備練習に多くの時間を費やしていた。


 今は敵陣でボールを奪われた場合を想定して、紅葉たち先発組が守備側、控え組が攻撃側となって、守備練習を行っている。


 紅葉は、トップ下を置かず、守備に長けたダブルボランチを中盤の底に配した4-4-2のフォーメーションにおいて、左サイドハーフに入っている。


 ゾーンで守備をする際に、紅葉は左サイドバック佐々木と左ボランチ源と協力することになる。試合では東テレの右サイドハーフ佐川とのマッチアップが想定されている。


 大前提として、自分の持ち場である左サイドをまずは抜かれないこと。一番はそこだ。次は、佐川がボールを持った時、もしくは、佐川にボールが渡りそうな時にアプローチすることになる。


 監督の指示は引いてしっかりラインを作ること、穴を作らないことを強調したものだ。4-4のラインを作り、佐川にボールが渡ったら詰める。佐川から他にボールが移動したら即座にラインへと戻る。そして、他の選手とフォローし合って左サイドを守り抜くことが求められている。


 控えチームが東テレの攻撃パターンで最も多い左サイド(紅葉から見て右サイド)からの崩しを開始する。フォワード薩摩、ボランチ鳥取と右サイドハーフ大泉が中を切りながら、ディレイをかけ、攻撃速度を遅らせる。


 紅葉は、仮想佐川役であるレッジ右サイドハーフ保田との距離に気を付け、右にいる源と速度を合わせながら、自陣深くまでバックしていく。


(もうちょっと詰めときたいけど、監督(ボス)のオーダーは守備ラインの維持だからなぁ)


 紅葉は小走りで戻りながら、首を振り振り、全体の動きを一生懸命に確認していく。


 ボールが右バイタル手前まで運ばれる。ワンツーで抜け出した控え組24番がドリブル中にルックアップする。


 24番と紅葉の視線が交錯する。


(今、あそこからの視点だとパスの出し所は………フォワード二人は消されてる。戻す? ううん、こっちのスペースへ蹴れるって考えたな!)


 24番の視線から紅葉はパスの位置を予測する。紅葉の六メートル前、保田への横パスをカットする為、一気に加速。


 って、ダメだ!


 慌てて急ブレーキ。保田の横でパスカットするのに、僅かに足が届かない。それが、分かった為に行動を変更する。


(絶対届くと思ったのに! 身体が言うこと聞かない! って、そうじゃない、今はそんなこと考えちゃダメ。リカバリーするんだ。中途半端なとこに飛び出しちゃってる。どうする?)


 紅葉の身体は紅葉の回答を待つことなく、ボールが保田へ収まるのも確認せず、反転してバックステップを踏む。


 ギリギリで保田の前へと身体を移動させることに成功。さらにバックステップを踏んで保田との距離を取る。

 

 そして、ボールを持った保田と二メートル弱の距離で相対する。紅葉はボール、保田の足元、身体、そして瞳を同時に見つめる。


(仕掛けては来ない。パス一択。後ろから来るサイドバック17番へのパス? それとも17番をデコイにして中のフォワードへパスする気かな?)


 保田の態勢と呼吸、そして視線から保田の行動を予測する。それから、頭の中で紅葉の後ろにいる敵フォワードがどう動くか想像する。ボールを受ける為に動くのだから、敵フォワードの選択肢は限られてくる。


 センターバックがいるから左右には動かない? うん、そうすると、二択だ。もらいにくるか。抜け出すか。足元へのパスか、スペースへのパスかの違いだけ。パスの通る軌道は前後にズレるだけで、左右にはほとんどズレない。


(うん、だったら……)


 紅葉は保田のプレーを誘導することに決める。外を切るフリをして中へボールを蹴らせる。そこをかっさらうのだ。


 保田を追い越してくるサイドバック17番、そこに視線をやり、少し位置をワイド、17番へのパスコースを塞ぐ位置へ。そしてゴール側、中を開ける。


(うん、成功!)


 保田の左右に揺れ動く視線を見て成功を確信する。


 保田が横を駆け抜けていく17番へとパスを出す、フリをするキックフェイント。紅葉はそれに引っかかったフリをしてさらに一歩左へ。


 保田の足がボールの右を通り過ぎ、空を切る。そしてもう一度、今度はゴール中央へとパスをする為に足が動き出す。紅葉は保田のキックモーションが始まる、その一瞬前に、蹴られるだろう右側へと飛び出す。


(完璧!)


「大井ぃ! 中切れ! 中!」


 保田がボールを蹴るちょうどその半瞬前、紅葉が動いた直後、監督である草薙からの指示がピッチに響く。


 その声はあまりにタイミングが悪かった。紅葉はすでに保田から出されるパスを絡め取ろうと、思いっきり右へとスライディングしながら足を投げ出していた。もう態勢を変えることなど出来ない。


 そんな紅葉と違って、保田は監督の声に反応出来てしまう。振りかぶっていた右足をグッと堪えて、地面に付け、態勢を立て直すと、完璧に態勢を崩している紅葉を抜き去っていく。


(うぅ、そんなぁ~)


 紅葉は立ち上がり、保田を追う。保田は冷静にセンターバックの山越を引き付けてから、フォワードの道場へとパスを出す。そしてフォワードの道場がしっかりとゴール右隅へとシュートを決めたのであった。


 紅葉は一度がっくりと項垂れた後、顔を上げ、気合を入れ直し、声を張る。


「すみませんでした!」


 紅葉のところを完璧に崩されての得点だ。紅葉は大声で周囲に謝る。ドンマイ、という声が四方から返ってくる。それにお辞儀しながら、再挑戦をお願いする。


「もう一回お願いします!」

「よっしゃ! じゃあ、もう一回! いいですよね、監督!」


 チームキャプテンであるボランチの源が紅葉の言葉に賛同の声を上げてくれる。監督もそれに頷く。


「お、おおっ、そうだな、じゃあもう一回だ! 大井、今度は不用意に飛び出すなよ! それと外じゃなく中をしっかり切るんだぞ!」

「はいっ!」


(身体がいつものように動かないなら、それを想定して動けばいいだけだ。次は失敗しない!)


 生理が最後の引き金となって、完璧にクラムジーになってしまったのだろう。


 このスランプは一時的なものだ。焦ってはいけない。平常心だ。今の自分を受け入れて、出来ることをするんだ、と言い聞かせる。


(大丈夫大丈夫)


 紅葉は心の中で呟きながらプレーを続ける。守備練習をその後三度行い、三度とも何とか周囲と連携を取って無難に守り切り、ほっと安堵する。  

 

 休憩時間に重い体を引きずってトイレへと向かう。そこでタンポンを交換しながら、大きなため息を付く。


「はぁぁ~、もう! 身体が動かない! ちっともサッカーに集中出来てない! うぅ、最低だよぉ」


 女の身体だからクラムジーになったんだ、と一瞬考えてしまった。


 そんな考えが浮かんだ自分が信じられず、そして何よりも許せなかった。


 紅葉の頬に涙が流れた。


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