30 「過去と未来の間に 前」
紅葉は静岡県で行われるU-19女子日本代表合宿に来ていた。合宿前日に連絡が来る、突然の選出であった。さすがの紅葉も驚いたが、慣れたもので、手早く荷物をまとめて新幹線に飛び乗った。
その際、なぜか一緒にレッジ広報相田が付いてきて紅葉は首を傾げたが、問題なく合宿施設J-STAPに到着した。
そして、すぐに嬉しい再会が待っていた。
「おーい、紅葉ちゃん! こっちこっち!」
「雪お姉ちゃん!」
紅葉を呼ぶのは立花雪奈、かつて浦和領家サッカー少年団で一緒にプレーした紅葉の大切な友達だ。紅葉はロビーのソファから立ち上がり手招きする雪奈のもとへ駆け寄る。
そして、片手を上げて待っている雪奈の手に思いっきり手を合わせる。パチンといい音を鳴らせ、
「いえ~い!」
「いえ~い!」
両手を身体の前でつなぎ上下させ、笑いながら喜びを分かち合う。
「いや~、いつかまた紅葉ちゃんと一緒にやりたいと思ってたけど、それが日本代表とはね! 本当に最高! 一緒に頑張ろうね、紅葉ちゃん!」
「うん、私もすっごい嬉しい! 頑張ろうね!」
雪奈が仙台に引っ越してから、二人ともサッカーが忙しく、会う機会がまったくなかった。二年ぶりの再会に紅葉は頬がほころんでとまらない。雪奈の目を見て、笑み崩れる。雪奈もニコリと笑い、続いて苦笑しながら言葉を紡ぐ。
「それにしても紅葉ちゃん、破壊力がどんどん増してくわね……おねーさん、女の子なのにちょっとドキっとしちゃったわよ」
「ん? 一生懸命練習してるからね! パワーもついてきたし、雪お姉ちゃんに最高のラストパス出してあげるからね!」
「いや、そーゆー意味で、ううん、何でもない! すっごい期待してるからね、紅葉ちゃんのパス!」
雪奈は小学六年生の時と同じショートの黒髪に、日焼けした精悍な面立ちが今も残っていた。そして高校三年生になり、より凛々しく、それでいて女性的な雰囲気をまとい美しくなっていた。
雪奈の成長した姿に、懐かしい気持ちを覚え、これからの期待感が込み上げてくる。
(また、雪お姉ちゃんと一緒にサッカーが出来る!)
見つめ合い、笑いあう二人にしびれを切らしたのか、声が掛かる。
「おうおう、ねーちゃんたち、そないイチャコラさらしてんと、はよワテラ紹介せーや」
「酒井、その変なしゃべり方ウザい。でも、そうね。ユッキー、早く私たちのこと大井さんに紹介してよ」
「それにしても、ネットで見るより綺麗やなぁ」
雪奈はごめんごめん、と謝った後、紅葉の手を引いて彼女たちの対面のソファに座る。
「え~と、この子が大井紅葉ちゃん、一年間だけだったけど同じサッカー少年団でプレーしてたんだ。ポジションは攻撃的なとこなら何でも出来るわね」
「そこらへんは知ってるから! それより私たちのこと紹介してよ」
「そっか、じゃあ右から、酒井静香さん、ポジションはセントラルミッドフィルダー、所属の仙台レディースだとボランチをやってるわ」
茶髪をバンダナで後ろに抑えている日焼けした女性がおどけながら挨拶してくる。
「どーも! 酒井でーす! 年の差とか気にしないで気軽にしずかちゃんって呼んでね!」
「はい! よろしく、しずかちゃん! 私も紅葉って呼んでくださいね!」
酒井は驚愕の表情を浮かべ、左右を見た後、ポツリと呟く。
「初対面で、しずかちゃんって呼んでもらえたの初めてなんだけど……マジカンドー」
「呼ばせといて、何が感動よ。ほら次は私ね! 私は大鳥梓、センターバックでキャプテンだから、分からないこととか、困ったことがあったら何でも言ってね。よろしく、紅葉ちゃん!」
ソファに深く座っていてもその体格の良さが分かる。身長が百八十以上あるだろう大柄な女性が、優しく微笑みながら挨拶してくる。紅葉も笑顔で答える。
「大鳥さん、よろしくお願いします!」
「自分で紹介しちゃってるじゃん。え~とね、大鳥さんは東テレ・ベレーザでもうレギュラーなんだよ」
雪奈が追加で説明してくれるのを紅葉は頷きながら聞く。
「じゃあ、最後、左側のこの子が私と同じフォワードの柳瀬もえさん。チーム一番の俊足で、この前、大阪レディースで初得点上げたんだよ」
紅葉と同じくらいであろうか、少し小柄な女性が、よろしくね、と挨拶してくる。紅葉も笑顔で挨拶を返す。
代表経験は前世でたくさんしてきたが、それが年上の女性たちとなると、今回が初めてである。少し不安であったが、雪奈に紹介された女の子たちは皆優しそうであった。心配が杞憂であったと紅葉は胸を撫で下ろす。
(千景が色々と脅してくるから、ちょっとビビッてたけど、まったく必要なかったや。うん、すっごく楽しい時間になりそうだね!)
――と、思っていた時期が私にもありました!
今、声を大にして言いたいのはたった一つだ。千景、あなたの言っていたことは間違ってなかった。
(疑ってごめん、千景)
紅葉は心の中で千景に謝りつつ、目の前の光景に頭を抱えたくなる。初日のトレーニング終了後に、ささやかながら紅葉の歓迎会を開こうと雪奈が提案してくれた。
雪奈が監督の東条に相談し、夕食後に、食堂でお菓子を食べながら談笑する許可を取ってくれ、それを皆に伝えた。
そして、夕食後の今、食堂に残っているのは雪奈と酒井、大鳥、柳瀬、近藤、楠木、成田そして紅葉だけであった。
チームメイトの半数以上が食後の筋トレがあると言って、あっという間に食堂から去ってしまったのだ。空席には空のコップとお菓子が虚しく並んでいた。
(う~ん、挨拶が返ってこなかったのは聞こえてなかったんじゃなくて、無視されちゃってたのか。トレーニング中もまったく視線を合わせてくれなかったし、何というか嫌われてる?)
「あははは、皆食後にすぐ筋トレかぁ、練習熱心だねぇ~」
「そうだなぁ~、って、んなわけあるか! はぁ、まったくあいつらは! 本当にごめんね、紅葉ちゃん!」
雪奈が苦笑いを浮かべつつ、お茶を濁そうとするが、大鳥がバッサリとチームメイトたちの不義理を糾弾し、紅葉に謝ってくる。
「え~と、気にしないでください。でも私何かしちゃいました?」
「いや、紅葉ちゃんのせいじゃないのよ。今ちょっとチーム内がごたごたしててね」
大鳥が申し訳なさそうにチーム内で起こっていることを説明してくれる。
「四月のアメリカ遠征で日本は全敗しちゃったんだ。それで、U-16のころから代表監督をしてた茂庭監督が首になって今の東条監督に代わったの。監督が代わると選手も代わるでしょ? 紅葉ちゃんもだけど、ここにいるのって、私以外全員東条監督になってから召集された子たちなの。え~とね、私たちの世代ってもともと評価低いのよ。U-16は中国と朝韓統一チームにボロ負けして、U-17ワールドカップ出れなかったしね。キャプテンの私が言うのもアレだけど、八月のU-19アジア選手権もあんま期待されてないって皆知ってるんだ」
自嘲するように微笑みながら大鳥が暗い声で続きを言う。
「それでも、茂庭監督と一緒に一生懸命やってきたんだ、って思いがあるんだよね。私たちが弱いから監督は首になっちゃったのにさ。悪いのは私たちなんだ。それはあの子たちも分かってるんだよ。でも、理屈じゃないんだよね、きっと。どうしても東条監督や新しく来た選手を受け入れられないんだろうね。私がしっかりチームをまとめないといけないのに、チームはバラバラでこんな状態になっちゃったんだ」
ごめんね、と紅葉に頭を下げる大鳥に、紅葉は微笑みながら言葉を返す。
「大丈夫だよ。私たちを受け入れてもらうのなんてとっても簡単だから。ねっ、だから泣かないで」
紅葉は俯く大鳥の頭を優しく撫でながら、ちょっとだけ安堵する。そして、それがおかしくて笑ってしまう。
(もう、やっぱり千景の言ってたこと嘘だったじゃないか! 何が、チーム内にはお局様がいるから、紅葉はイジメられるね、だ。みんなに無視されたから、千景の言うこと信じちゃったじゃないか、ほんとに私のバカ!)
大鳥が顔を上げ、紅葉に聞いてくる。それに紅葉は自信満々に答える。
「簡単……紅葉ちゃん、どうすればいいの?」
「うん、試合に勝てばいいんだよ。今、みんな、自信をなくしちゃってるんだ。でも、試合に勝てばすぐ自信を取り戻せるよ。それに、私たちがその試合で勝利に貢献出来れば、信頼してもらえる。勝たせてくれるなら、新しい監督に従おうって思える。だから、試合に勝てばいいの」
――ね、簡単でしょ?
紅葉は気楽に言い切る。
(本当はバラバラになったチームで勝つのってすっごく難しいんだけど、まずは後ろ向きになった気持ちを絶つところから始めないといけないんだ)
「ちょうど明日は富士枝高校とトレーニングマッチがある。相手は男子だし、選手権に出場してる強豪だけど、絶対に勝たないとダメだよ。ここでもし負けたら、このチームは終わっちゃうかもしれない」
チームが崩壊したら土台から立て直すのが鉄則だ。中途半端に監督や選手を代えたところでチームは蘇らないし、かえって再建は遅くなる。
(それに、勝つだけじゃ足りないんだけど、それは監督に任せればいいかな。ふふっ、燃えるね!)
「逆境だからこそ、ここで踏ん張れれば、私たちもチームもすっごく成長出来るよ!」
――ラッキーだね、私たち!
紅葉は弾む声音で皆に言いつつ、この状況の代表に呼んでくれた東条監督に心の底から感謝する。
そして、微笑みながら周囲を見回すと、皆が呆然とした表情で紅葉を見つめていた。
翌日、富士枝高校との試合が行われた。試合は三十分の三セット行われ、紅葉は第二セットと第三セットに出場予定であった。
一セット目は既存メンバーのみ、二セット目は新メンバー中心、三セット目に新旧混合メンバーが出るチーム編成に、紅葉はクスリと笑う。監督の意図が丸わかりだ。
(監督もどうにかしようって頑張ってるんだね。あとはその期待に応えるだけだ)
始まった試合をストレッチしながら観る。4-3-3の女子日本代表と4-2-3-1の富士枝高校の対戦は、圧倒的に富士枝高校が攻める展開になった。
ボールへの寄せのスピード、球際の強さ、走力、フィジカルの差がボールポゼッションに如実に現れていた。日本代表は一方的に攻め立てられ、立て続けに三点を失う。
(うん、たしかに、これはチームが崩壊してるね。実力的にはそこまで差なんてないけど、チーム力が最も必要な守備の連携がまったく取れてないや)
U-19女子日本代表に選ばれている選手たちの、個々のレベルはかなり高い。高校男子全国レベルの富士枝高校より、パス精度や展開力などは勝っているだろう。攻守の切り替え、連携面の部分で、粗削りな高校生の隙をつけば、勝てない相手ではないだろう。
結局、日本代表は一セット目の三十分間で五点を失い、紅葉たちの出番となった。
両者とも一セット目と同じフォーメーションであり、紅葉は4-3-3の右ウィングに入った。雪奈が中央、左に柳瀬と並び、中盤は三人がフラットに右から楠木、酒井、今井と並ぶ。
最終ラインは右サイドバックに近藤、左サイドバックに新貝、センターバックに大鳥と増渕、キーパーは成田が入った。
十一人中七人が新加入の選手だ。皆、代表に呼ばれて一月しか経っていない。紅葉に至っては一日だ。連携面は手探り、簡単な約束事しか確認出来ていない。
(でも、大丈夫。やってるうちに分かり合えるのがサッカーだからね)
試合開始の笛が鳴る。日本代表ボールから開始だ。雪奈からボールが紅葉のもとへ。紅葉はそのボールをダイレクトで思いっきりゴール目掛けて蹴る。
五十メートルの距離をボールが山なりに飛んでいく。相手キーパーが慌ててバックステップを踏む。ジャンプ。手を伸ばすが、その上をボールが通過する。
――油断しちゃダメだよ?
相手キーパーへ心の中で呟く。ボールがゴールへ吸い込まれるのを確認してから、高々と右手を持ち上げる。
観客がざわつく中、皆が慌てて集まり、紅葉を祝福してくれる。
「代表初ゴールおめでとう!」
「うん、でも、これからだよ! さあ、どんどん点取ってこう!」
「ええ!」
このゴールで日本代表は一気に追い上げムードになった。前線三人のプレスと連動したいい動きで、中盤の酒井が、相手ミッドフィルダーからボール奪取に成功する。そして即座にショートカウンターへ。
酒井から下がり目の位置にいた紅葉へボールが供給される。紅葉、雪奈、柳瀬の三人に相手は四人、そのうちの一人、相手左サイドバックが紅葉に、あとの三人が雪奈と柳瀬に付きつつ下がっていく。
紅葉に並走してくる相手サイドバックは男だ。紅葉より二十センチ近く大きい。当然だが、フィジカルでは勝てない。右サイドを全速力で駆け上がりながら、相手の出方をうかがう。
(ん? なんで、身体を当ててこないんだろう? もしかして、私が女だからって遠慮しちゃってるのかな?)
傍を走るだけで、まったく止めに来ない相手の心情を察知し、紅葉はサイドからクロスを上げるつもりであったプランを変更する。
(ごめんね、紳士君。でも、勝負の世界は非情なんだよ、たぶんだけど)
紅葉はドリブルしていたボールを追い越した後、急停止する。相手サイドバックが紅葉に合わせて止まったのを確認し、左足のかかとで後ろから転がってくるボールを背中越しに蹴り上げる。
相手サイドバックが、紅葉の背後から飛んできたボールをボケっと見上げている隙に、紅葉は再加速して、相手の背後、ゴール側へと進む。ボールが相手の上を通って紅葉の前方へ降ってくる。
ドリブルを再開。後ろから回り込もうとしてくる相手サイドバックを手でブロックしつつペナルティエリアへ侵入する。これで、後ろにいる相手はファウルを警戒して何も出来ない。
相手センターバックがシュートコースを切りながら突進してくる。雪奈と柳瀬にはマンマークが付いている。
ゴール目掛けて真っすぐドリブルし、相手守備陣の視線を紅葉に釘付けにさせる。そして相手センターバックに接触する直前に、ゴールを見たまま、ちょこんと斜め後ろへボールを出す。直後、走り込んできた酒井が豪快なミドルをゴール左隅へ叩き込む。
「しゃぁああっ! みたか!」
「ナイゴ! しずかちゃん!」
紅葉が酒井にお祝いを言うと酒井が思いっきり紅葉に抱き着き、パンパンと背中を叩きながらお礼を言ってくる。
「紅葉! お前サイコーだな! ナイスパスだぜ!」
ありがとう、と紅葉は微笑みながらその称賛を受け入れ、
「でも、まだまだこれからだよ! どんどん行こう!」
「もっちろんだ! また決めてやるぜ」
「紅葉ちゃんあたしにパスしてよ~!」
「今のは私のがいい飛び出ししてたよ! 次は私にパスしてね!」
ワイワイと皆が主張し始める。ヤレるという自信が出てきた証拠だ。紅葉は皆に、ベンチにも聞こえるように大声で叫ぶ。
「さあ、逆転しよ!!」
「おお!!」
皆が呼応して叫ぶ。
(うん、これなら大丈夫そうだ)
結局この後、紅葉は相手の徹底マークにあい、オーバーヘッドの一得点と雪奈への一アシストしか追加出来なかったが、チームは7-6と逆転に成功した。
(今の私に六十分はなかなか厳しいなぁ、最後は足が止まっちゃったよ……でも、みんな自信を取り戻せたみたいでよかった)
昨日はまったく話しかけてこなかったチームメイトが紅葉に謝り、そして盛んに話しかけてくるようになっていた。笑い声がそこかしこで響いている。
(でも、これだけじゃまだ、ダメなんだよね)
試合終了後のベンチで紅葉は監督の東条へと話しかける。
「監督、質問していいですか?」
「何かしら?」
全員が紅葉たちのやり取りを聞いているのを確認してから、紅葉はゆっくりと問いかける。
「このチームの目標は何ですか?」
東条が一瞬驚いた顔をした後、笑いながらはっきりと答える。
「そんなの決まってるじゃない。当然、世界一よ!」
「U-19は通過点ってことですか?」
「もちろんよ! U-19アジア選手権に勝って、U-20ワールドカップに出る。U-20ワールドカップに勝って、世界一。そうしたら、今度はフル代表で世界一を目指す。私はそれを目指せるメンバーを集めたつもりよ」
「はい、ありがとうございます!」
さすが東条監督だ、と紅葉は内心で微笑む。紅葉の意図をすぐに理解して的確に答えてくれた。
(チームには自信が必要だけど、それだけじゃ足りない。チームの目標を全員で共有して、達成しようとするのが本当のチームなんだ。勝利の後の高揚感でこう煽られたら、もう、みんなその気になっちゃうに決まってるよね! チームメイトの感情をコントロールする。うん、私ってすっごい悪党だなぁ)
紅葉は己の成果を確認する為、若干後ろめたい気持ちになりつつ、チームメイトの顔をコソコソ見る。そして、全員と視線が合う。
「あれ?」
紅葉と視線のあった全員が、苦笑というのだろうか、困った顔というのだろうか、そんな感じのちょっと照れくささを感じさせる笑みを紅葉に向けていた。
そんななか、キャプテンの大鳥が紅葉にお礼を言ってくる。
「ありがとう、紅葉ちゃん! あなたの言いたいこと全部分かったよ! ねぇ、みんな!」
「うん、こんな年下の子に心配させて、本当に情けなさすぎだな、私たちは」
「これから再出発だ!」
皆が力強い言葉と紅葉の気遣いに対する感謝の言葉を口々に言う。チームの雰囲気は完全に変わっていた。
全員がいい顔つきをしている中、一人紅葉だけ、
――うう、めっちゃバレバレだったみたい
頬を真っ赤に染めて恥ずかしがっていた。