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25 「バイバイ」


 紅葉は毎日を楽しく過ごしていた。十月末にあった運動会では大活躍して、学校中のヒーロー、もとい、ヒロインになった。


 徒競走ではぶっちぎりの一番、全員リレーではアンカーを任され大逆転劇を演じ、玉入れでは手で投げるより蹴った方が入ることに気が付き、次から次へとシュートを放ち、会場を盛り上げた。


 十一月には紅葉の誕生日、そして楓のピアノコンクール全国大会が続けてあった。楓は以前の三倍は広いホールに泣きそうになりながらも、紅葉たち家族と美穂先生に見守られ、ピアノを弾ききった。


 結果は小学生低学年の部全国二位という堂々たる成績であった。終わればこっちのものだとばかりに、楓はコンクールなど大したことなかったと豪語し、紅葉の手料理に舌鼓を打った。


 その後、校長先生から全校生徒の前で表彰されることになり、楓は涙目になっていた。壇上から皆に一礼する楓の顔は、血の気が引け真っ青になっていた。


 その時、楓が流した涙は嬉し涙ではなく、恐怖からであったと知るのは十人くらいであろうか。楓のことをからかい半分励ましに来てくれたのは、同学年の姫花以外は皆年上だったけれど、着々と楓の友達が増えていることが紅葉には嬉しかった。


 紅葉は不機嫌な楓を慰める為、とりあえずいっぱい美味しいものを作ってあげた。料理の腕は楓のリクエストに応える為、メキメキ上達していった。


 楓は笑顔で紅葉の作った料理を食べていたが、もう二度とコンクールには出ないと固く決意したようだ。コンクールなんて大したことないけど、しばらくは修行に専念するわ、が楓の口癖になっていた。


 そんな楓に、コンクール入賞者にはご褒美としてリサイタルに出場する権利、と言う名の義務があることを、誰が伝えるかで美穂先生とお母さんが、紅葉に押し付けてきたのには困った。


 クリスマスにお正月、それから楓の誕生日と怒涛のイベントを家族や友達、少年団の皆と過ごした。毎日が本当に楽しく笑顔溢れるものであった。 




 少年団の方は、和博の友達が五人入ってくれたことで、来年以降も継続出来ることになった。帯同審判を常に務めてくれていた大山父と立花父が抜ける為、親たちの誰が審判資格を取って、試合に同行するかが問題になったようだが、皆が持ち回りでするということで落ち着いたらしい。


 四月から中学生になる皆はそれぞれ進路が決まったようだ。立花が、浦和レッジレディースの下部組織である浦和レッジレディースジュニアユースに、大山はグルスタジュニアユースにそれぞれ行くそうだ。八滝は中学受験で進学校に入学するが、これからも部活でサッカーをすると言っていた。


 新しく入ってくれた四年生を鍛えつつ、毎週練習や試合を楽しんだ。三月になり、立花たちを見送る卒団式では、保護者対子供でサッカーをした。紅葉は主役である六年生たちに、パスを出してアシスト役に徹するつもりでいたのだが、


「紅葉ちゃんのスーパープレーが見たい」


 という立花の発言に、全員が同意したことにより仕方なく、あくまで仕方なく、ボールを頭の上に乗せたまま全力疾走するという、神業ネタプレーを披露して拍手喝采を受けるのであった。


 最後はバテて全く動けなくなった大人たちを相手に、皆で鳥かごをしてさらに走らせた後、立花が豪快ミドルを突き刺して、試合は子供チームの快勝で終わった。親とのサッカーを通じたコミュニケーションは、楽しく笑顔の溢れるものであった。


 その後の食事会も和気藹々とした中で進み、卒団する三人がそれぞれ一言話す中で、全員が紅葉に感謝の言葉を紡いでいた。


 記念品を渡し、記念撮影も済ませ、卒団式が終了する直前、紅葉は皆にお願いする。


「えっ、紅葉ちゃん、ずっと円陣したかったの? それを早く言ってよ」

「つっても何で、今更円陣なんだ? つーか、何に対する気合入れだ?」

「まぁ、いいんじゃねー。このメンバー、最初で最後の円陣っつうのもさ!」


 皆が不思議そうな顔をしながら、肩を組んでいく。紅葉の隣になった立花と和博は、紅葉の為に中腰になり、キツイ態勢を強いられる。去っていく仲間に残る仲間、そして新しく入ってきた仲間がグルリと円陣を組む。


「で、紅葉、早く声掛けしろよ」

「えっ!? 私?」

「えって、こっちがえっ、だよ。お前がやりたがったんだろうが」

「う~ん、ちょっと待って、今考えるから」

「今から考えるんかい!」

「この態勢キッツっ、紅葉ちゃん、早めに決めよう」

「だいたいなぁ、俺たちは卒団だし、お前らだってそれぞれ目標が違うわけで、一体なんに対する円陣なんだ」

「はいはい、そーゆー、いちゃもんはいいから。紅葉ちゃんが浦和領家って言ったら続けて私たちが、ファイト! って言うのはどう?」

「無難だな」

「うっさい」

「大体、お前らそんな中腰するくらいなら、紅葉を持ち上げた方が楽なんじゃね?」

「えっ? なーる! 和博、紅葉ちゃんの脇に手を入れて、持ち上げるわよ!」

「はい、いつでもオッケーです!」

「せーの!」


 紅葉は立花と和博に持ち上げられ、ぶらぶら足を振りながら考える。


(う~ん、ただ円陣組んで皆で気持ちを共有したかっただけだからなぁ、掛け声なんてちっとも考えてなかったぞ……うん、まぁ何でもいいね!)


「うん、じゃあ、雪お姉ちゃんの案で行くね! それじゃあ! いきます!」


 ――浦和領家ぇ!


    ――ファイトぉ!!


 皆が肩を組んだままお互いの顔を見合う。もう一回しよう、という発言が相次ぎ、何度も何度も掛け声を発する。何が楽しいのかは分からなかったが、皆の顔には笑顔が溢れていた。


 浦和領家の伝統となる円陣はこうして生まれた。苦しい時、何度も肩を寄せ合い、笑顔を浮かべて繰り返されることになる。


 それは和博がキャプテンになり、全国一位になった時に優勝カップを持ち上げながら発せられたし、紅葉がキャプテンになり、四大タイトル制覇をした時にも行われた。


 そして、紅葉が卒団しても変わらず続いてゆくことだろう。







 紅葉は物凄く緊張していた。うるさいほど高鳴る鼓動を抑えるよう、グッと胸に手を当て、大きく深呼吸を繰り返す。最近付け始めたスポーツブラに包まれた胸の感触が、服越しに感じられる。服越しでも柔らかい自分の胸の感触に、何とも言えない違和感を覚える。


 大丈夫大丈夫、と何度も心の中で呟く。そして、勇気を振り絞って声を掛ける。


「こんにちは!」

「あら、こんにちは」


 紅葉の挨拶に妙齢の女性が笑顔で答えてくれる。紅葉は女性、御園咲(みそのさき)から目が離せなくなる。


 ショートの髪に少し気の強そうに見える大きな瞳、整った顔に薄っすらと施された化粧、綺麗とカッコいいの中間にある女性が咲だ、と紅葉は知っている。黒のトレンチコートにデニムを格好良く着こなしている。


(全然、変わってない……咲だ)


「ほら、大輝(たいき)も挨拶しなさい」


 紅葉が黙ってしまったので、咲は困ったように微笑んでから、咲の隣で紅葉を無視し、不貞腐れている少年に声を掛けている。少年、御園大輝は咲に言われ、渋々といった感じで紅葉に話しかけてくる。


「……悪かったな、女となんか試合したくないって言って。でも、次は絶対に負けないんだからな! 調子に乗んなよ!」


 紅葉は大輝の謝罪に微笑んでから、分かった、とだけ答える。咲に似て、負けん気が強いな、と思い嬉しくなる。


 紅葉はU-12日本代表の一員として、春休みに実施された欧州遠征に参加した。


 本来、U-12世代に日本代表はない。今回は、低迷する日本サッカー界の次世代育成の為、ナショナルトレセンU-12から選手を選抜して、親善試合を本場欧州ですることになったのだ。

 

 その趣旨からすると女である紅葉は、ナショナルトレセンに男子枠として選ばれているとはいえ、除外される。それに紅葉は、U-16女子日本代表に選出されており、国内での練習会に参加する予定が組まれていたのだ。


 U-17女子ワールドカップ出場権を得る為には、U-16アジア予選に勝たなくてはならない。紅葉は十二歳で、最年少ながら、U-16女子の起爆剤になると期待されていた。優先すべきはU-16女子代表なのは明白であった。


 けれど、紅葉はどうしても、この遠征に参加したいと協会に直訴した。練習会、それも初めての、に出ずにU-12に参加させてくれというのは無理がある。普通なら却下されただろう。


 ただ、普通以上に人気のある紅葉の影響力を懸念した協会は、紅葉の願いを聞き入れ、欧州遠征メンバーに紅葉を加えてくれた。という話を立花から聞き、紅葉は悪いことをしたなぁ、と申し訳なく思った。


 けれど、それでも紅葉は欧州遠征、イングランドに来たかったのだ。


 紅葉がどうしてもこの欧州遠征に参加したかったのには、サッカー以外に理由があった。欧州遠征では各国代表や名門クラブのU-12と対戦する。その中にU-12マンチェスシティが含まれていたのだ。


 マンチェスシティには大輝がいる。そして、大輝がマンチェスシティの一員として今度のU-12日本代表戦に出場する、という情報が紅葉のところに届いたのだ。


 紅葉が大輝のことを知ったのは小学五年の時である。大輝は名門マンチェスシティの下部組織を順調にステップアップしていることから、日本の将来を背負って立つ人材だと注目を集めていた。


 ただ、それだけだったなら、紅葉は大輝の存在に気が付かなかっただろうし、気が付いても何も思わなかっただろう。しかし、大輝があの牧村太一の実子であると言うことが、マスコミにリークされたのだ。


 マスコミはこぞって大輝を取り上げた。紅葉はそのことを知り驚愕した。そして、ネットを使って一生懸命に大輝と、その母親である御園咲について調べた。


 大輝についての情報は多く見つけることが出来たが、咲に関する情報はほとんどなかった。分かったのは、大輝が四歳からイギリスで母の咲と二人で暮らしていること。


 それは、咲がイギリスの日本人学校へ文科省の派遣教員として渡英し、二年の任期を終えた後に現地採用され、イギリスで教師を続けている、ということだけであった。


 咲は教師になるという夢を叶えたのだ。そのことが分かり、紅葉は本当に嬉しかった。


 そして、色々なことを想像した。あの時、咲は太一の子供を授かっていたのだろうか。そうだろう。咲が太一の死を悲しんだことは、想像するまでもないだろう。


 けれど、それ以上は想像出来なかった。咲は太一の子供をどんな気持ちで産んだのだろうか。どんな気持ちで育てているのだろうか。今、咲は幸せなのだろうか。


 考えても仕方ないことである。そう分かっていても、気になって仕方なかった。


 会いに行きたい。会ったところで、何も出来ないのは分かっている。自分が牧村太一の生まれ変わりだ、などという荒唐無稽なことを言うつもりはない。


 それでも、会いたいと思ってしまう。とは言っても、イギリスは遠い。いつか、一目だけでもと思いながら過ごしていたところに、今回の遠征の話と大輝出場があったのだ。


 U-12マンチェスシティとの対戦前、紅葉を見たマンチェス選手たちが口々に、女が出るのか、何人だ? 外人女に代表の座を奪われるなんて日本の男はレベルが低いな、と英語で言っているのを、紅葉は緊張しながら聞いていた。


 紅葉は美穂先生に英語を習っていたので、彼らの侮蔑の言葉を理解していたが、観客席に咲らしき人物を見つけて、それどころではなくなっていた。


 そして、事件が起こる。英語で紅葉のことをバカにしている分には問題なかったのだが、マンチェスシティには大輝がいた。大輝は日本語でお前みたいな女なんかと試合したくねー、と紅葉に言ったのだ。その発言に日本代表メンバー(チームメイト)が烈火のごとく切れた。


「てめー! 調子こいてんじゃねーぞ! 紅葉のスゴさを知らねー癖に!」

「ちょっと騒がれていい気になってんじゃねーぞ!」


 紅葉としては大輝の気持ちも分からなくないと思う。紅葉は今、百五十四センチ、四十六キロと同年代の女の子と比べれば、大きい方だ。それでも、目の前にいるマンチェスシティの面々は、皆紅葉より大きい。学年が一つ下の大輝ですら、紅葉よりも体格がいい。 


 それに紅葉は女だ。サッカーには激しい接触プレーが付き物だ。怪我の可能性は付きまとう。女に怪我をさせたくない、と思うのは元男の記憶があるので十分理解出来る。


「紅葉は俺とプレーしたくてイギリスまで来たんだぞ!」

「はっ? 俺にパスする為に紅葉は来たんだ、この勘違い野郎!」

「勘違いはてめーらだ! 紅葉は俺と離れたくなくてここまで来たんだ!」

「はぁ!?」


 紅葉が少し考え込んでいる間に、喧嘩相手が大輝からチームメイト同士に移行している。一体何があったんだ? と紅葉は首を傾げつつ、皆に声を掛ける。


「はいはい、そこまで! 私が女だからって言われるのはいつものことだよ。プレーで証明すればいいんだから、喧嘩しないの! それに私がここに来たのは大輝に会う為だよ。勝手に変なこと言わないでね!」

「……えっ!?」


 驚愕の表情をするチームメイトに紅葉は首を傾げる。どうしたの? と問いかけるが無視される。


「……御園ぉ、ぜってぇ、許さねー!」

「ああ、今初めて俺たちの気持ちは一致した。これが、紅葉がいつも言ってたチーム一丸になるって奴か」


 よく分からないが皆が一致団結し、勝利に燃えている。紅葉はとりあえず、微笑みながら、頑張ろう! と声を掛ける。皆が腹の底から声を返してくれる。


「御園ぶっ殺す!」


 どうやら、大輝は先ほどの紅葉に対する発言で、皆に恨まれてしまったらしい。ちょっと可哀そうだなと思ったが、まぁ、自業自得か、と気持ちを試合モードに切り替える。


 そうして始まった試合は日本代表の圧勝で終わった。紅葉自身は二得点二アシストとあまり調子が良くなかったが、チームメイトの気合が凄く、親善試合とは思えない気持ちのこもったプレーで、相手を圧倒していた。試合後、マンチェスシティの子たちから連絡先を聞かれたりして、国際交流をした後、紅葉は観客席へと走った。




 そして、紅葉は咲と十二年ぶりに再会を果たしたのだ。紅葉は、一度目を閉じ、十二年前の咲を思い出す。そして、目を開けて咲を見る。過去と現在の咲が合わさる。紅葉は微笑み、ゆっくりと問いかける。


 ――あなたは今、幸せですか?


 この問いに意味はない。幼馴染のことなど、見れば一目で分かるのだから。それでも、聞かずにはいられなかった。


 咲の回答を聞き、紅葉は一粒だけ涙を流す。紅葉は心の中で咲に声を掛ける。


 ――バイバイ、元気でね


 これからも紅葉の中に、御園咲という人物は残り続けるだろう。けれど、この瞬間、牧村太一として心の整理がついた。そして、大井紅葉として生きていく本当の覚悟が固まったのだ。


 早く帰って、楓の顔が見たいな、と紅葉は微笑んだ。無性に悲しかった。

 

 



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― 新着の感想 ―
[良い点] 前を向いて走れ! [気になる点] その時の子供が紅葉だって、知らないんだなあ [一言] 互いに現実に因縁があるのでそれについて話しても良かったのにとは。
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