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20 「楓と雪奈の戦い 前」

 

 リーグ戦後半二日目はサンタバFCとの対戦であった。九月の半ば、台風が関東を掠めて過ぎ去った翌日、突き抜ける青空の下、試合は行われていた。三十度を超す暑さの中、紅葉はベンチから立ち上がり、濡れタオルで汗を拭いながら選手たちを応援する。


 紅葉はスタメンとして出場し一得点二アシストの大活躍で前半十分に和博と交代していた。試合は後半十分、7-1と浦和領家が大差でリードしており、勝ちを確実なものとしている。


「みんなぁ! もう一点取れるよぉ! 練習通りにしっかり! パス繋いで!」


 紅葉の声に応えるかのように、浦和領家がパスを繋ぎながら相手陣内に攻め入る。


(うん! いいね! どんどんよくなってるよ!)


 センタリングがサイドバックの鈴木から中央へ上がる。それに合わせようとゴール前に飛び込む立花と和博。その二人にサンタバの守備陣が全員引き付けられる。二人と守備陣の上をボールが通過していく。ファーに流れたボールをしっかり上がっていたボランチの八滝が頭で合わせて8点目を決める。


「やったぁ! ナイッゴ! メガネ!」

「ナイスゴール! みんな最後までしっかりなぁ!」


 ガッツポーズしながら、こちらに駆け寄ってくる八滝とチームメイトたちに、紅葉とお父さんがそれぞれ大声で祝福の言葉を贈る。八滝は大山に捕まり、押し倒された後、全員からバチバチ叩かれる。紅葉もブンブン手を振って八滝のことを祝う。八滝は手荒い祝福を受けた後、紅葉に手を振って持ち場に戻っていく。


「本当にいいゴールだったねぇ、お父さん」

「ああ、完璧な流れだったね。それにしても、試合を通してチームがよくなっていくのが分かるって凄いことだよなぁ」

「うん、でもまだまだだよ! このチームはもっともっとよくなるよ!」


 もしも、自身が今の場面にいたらどう動くのが正解だったかを想像しならが、紅葉はそう断言する。相手のレベルを浦和レッジだと想定すると今のセンタリングはクリアされるだろう。こぼれ球をいかに拾えるか。そして、そのボールをどうゴールするか。


(もしも私がこぼれ球を拾おうと思ったら相手より一歩、ううん、二歩は先に動き出さないといけない。そうじゃないと追いつかれて並ばれて体を寄せられて倒れちゃう。一歩なら事前準備と反射神経の勝負だけど、二歩リードするにはそれだけじゃ、絶対に無理だ。ボールの転がり先をとにかく早く予想する? う~ん、難しそうだ……でも、やるしかないんだ。よし、今まで以上にボールと相手の動きを確認してみよう! それでボールの行先を予想して最適なポジション取りだ! うん、出来る気がしてきた! よし、じゃあ、先に追いついたら、どうだろう? 私はキック力がないからシュートを蹴るのに、大きく振りかぶらないといけない。混戦でそんなことしてたら、すぐ足が伸びてきてブロックされちゃう。また抜きだったり、ループだったり、色んな場面を想定してシュートイメージをしておかなくちゃダメだな……くぅ、楽しくなってきたぁ!)


「そうかぁ。まだまだでもっともっとかぁ。紅葉は厳しいねぇ……あっ、紅葉、ラスト三分出るかい?」

「…………」


 真剣に考え、笑顔を浮かべる紅葉にお父さんの声は聞こえなかった。このまま浦和領家対サンタバFCの試合は紅葉が出場することなく8-1で浦和領家が快勝して終了した。


 勝ち点31でトップの浦和レッジ、勝ち点28で二位のグルスタ、勝ち点21で三位の浦和大林、勝ち点20で四位に三門、勝ち点17で五位に行町十鳥、浦和領家は勝ち点15の六位、勝ち点を三上積みし、着実に五位を射程圏内に収めることに成功した。


 試合後、汗を拭き、ユニホームから練習着に着替え、ピッチ脇のスペースでクールダウンをしながら、浦和領家の面々ははしゃぎまくっていた。


「五連勝だぜ! 俺たちマジで強くね、マッサー?」

「ああ! このまま行ったら優勝だな! 間違いねー!」


 八滝と大山が背中合わせでストレッチをしながら馬鹿笑いする。


「だな! ヤバい強さだよな俺たち!」

「このまま勝ちまくって、プレーオフ進出、県南、県体、そして全国だぜ!」

「おおっ!」


 二人の全国発言に他の皆もストレッチをしながら嬉し気に笑いあう。そこに立花が突っ込みを入れる。


「あんたたち、浮かれるのもいいけど、調子に乗りすぎないようにね! 大体、残り五試合全勝したって、うちは勝ち点30までしか届かないのに、何が優勝よ! 浦和レッジはもう勝ち点31あるんだから、優勝は絶対に不可能じゃない」

「おいおい、勢いの話をしてるんだから、そうくだらない茶々入れるなよ。なぁ、八滝!」


 立花の突っ込みにやれやれと肩をすくめながら、八滝に同意を求める大山。それに当然だと言わんばかりに、裏切る八滝。


「いや立花のいう通りだ、マッサー! お前は何でそんな楽観的でアホなんだ!」

「……えっ? お前が俺たち強いって……」


 愕然とした表情をする大山に、実にいい笑顔を浮かべ、メガネをカチャリと装着し、八滝が解説をする。


「いいか、マッサー。そもそも、残りの五試合には、浦和レッジジュニアにグルスタFCっつう超強豪が残ってるんだぜ。J下部と強豪街クラブにはまぁ勝てんだろうな。二敗は覚悟しなくちゃいかんだろう。そうすると他を勝って三勝すると仮定しても、勝ち点9プラスだから、最終的には勝ち点24になるわけだ。他チーム次第だけど、三勝二敗でギリギリ四位に入れるかってとこなんだぜ。もし、取りこぼししようものなら俺たちは四位になれないだろうな」

「まじか……確かに厳しいな」


 大山が難しい表情で呟く。八滝は頷きながら、


「まぁ、今の俺たち超強いから、楽勝だろうけどな!」


 そう言って両手を腰に添え、決めポーズをしながらニヤリと笑う。それに、


「かっこつけてんじゃねぇ、メガネ」

「視力2.0の癖にメガネすんな、メガネ」 


 という小声が飛び、


「あ゛あ゛っ!?」


 喧嘩のようなじゃれあいに発展する。立花の仲介により、このいつものコミュニケーションが終わったところで、一人静かに柔軟体操を続ける紅葉を見て、八滝が疑問の声を上げる。それに、立花が笑いながら答える。


「ところで、紅葉はどうしたんだ。めっちゃ落ち込んでるけど?」

「ああ、紅葉ちゃん。今日のプレー時間少なかったでしょ? 後半、試合に出るか監督に聞かれたのに、考え事してたらしくて、出そこなっちゃったんだって。それで、ショックを受けてるみたい」

「なに、そんなことでずっとあんな泣きそうな顔してんの? どんだけ、試合出たいんだ、あいつは」

「まぁ、大丈夫よ。見てなさい」


 そう立花は八滝に言うと、紅葉に声を掛ける。紅葉は試合に出るチャンスを凡ミスでフイにし、物凄い後悔しながらストレッチをしていた。


(もっと上手くなれる。こうすればよくなるっていうアイデアがいっぱい出てくるのに、それを試すチャンスを逃すなんて。うぅ、私のバカ)


「紅葉ちゃん、監督が審判する試合始まるよ。それに試合はグルスタ対三門の好カードだよ。しっかり観ないとね」

「……うん……うん? おおぉ! お父さんだ! カッコいい!」


 ピッチ上を黒で統一されたウェアを着たお父さんがキビキビ走りながら試合を裁く様を見て、紅葉は歓声を上げる。


「ねぇ、和君! お父さんが審判してるよ! うわぁ、こんなことなら、お母さんとカエちゃんにも来てもらえばよかったね!?」

「紅葉、何言ってるの? 母さんも楓もほら、あっちに来てるよ」

「えっ? あっ! ほんとだ!」


 紅葉は和博の指さす先を見る。ピッチ反対側にいる観客の中に、最近知り合ったチームメイトの親たちがいた。その女性たちに交じって、お母さんと楓もいる。というより、お母さんと楓を囲むようにママさんたちは陣取っている。お喋りするお母さんに隠れるように縮こまっている楓に紅葉は大きな声で呼びかけながら両手をぶんぶん振る。


「おーい!! カエちゃーん!! お母さー、っン~ンンン!?」

「はい、紅葉静かにしようね。試合を邪魔しちゃダメだからね」


 後ろから和博に身体を抑えられ、手で口を塞がれながら注意を受ける。紅葉は口を塞がれたまま頷いて和博に分かったと伝える。和博がそれを確認して手を放してくれる。


「ぷはぁ、ごめんなさい」

「うん、俺こそごめんな。いきなり、口塞いだりしてさ」


 二人で謝りあっているところに立花が声を掛けてくる。


「和博ナイス! 紅葉ちゃんはいるだけで、目立つ子なんだから。しっかり大人しくさせとかないとね! 紅葉ちゃん、楓ちゃんたちとは後で合流しようね。今はしっかり、ライバルの分析をしなくちゃ!」

「はい」

「うん」


(カエちゃん、知らないお母さんたちに囲まれて完全に涙目だ。ちょっと可哀そうだけど、頑張って!)


 紅葉は断腸の思いで視線を楓からピッチに移す。試合は始まったばかり。緑のユニホームを着たグルスタFCと、オレンジ色のユニホームを着た三門サッカー少年団がボールを蹴りあっている。ボールが互いのゴール前を行き来する一進一退の攻防、どちらも身体を張って懸命にプレーしている。選手、監督、控え、観客、皆が声を出している。粗削りながら、両チームとも特色のあるしっかりとしたサッカーが展開されている。


(うんうん、いいよね、こういう真剣勝負の雰囲気! ああ~、私も試合したいなぁ。あっ、今の10番のポストプレー、ナイスだね。やっぱりポストプレーはあれくらい体格がないと厳しいのかなぁ。でも、ボールのファーストトラップと身体の入れ方次第で私にも出来ないかな? 強引に奪いに来たら上手く吹っ飛べばファウル貰えるし、そうじゃなきゃ、ボールを常に相手の足の届かないところに維持すればいいだけだし、出来る気が……う~ん、でも、吹っ飛んでもファウル取られなかったらダメだから、審判次第になっちゃうか。ジュニアユースでチャージはどこまで取るんだろう? よし! 後で、名審判のお父さんに聞いてみよう!)


「うちの日程は、来週、下関とグルスタ相手に二試合。再来週に行町十鳥、それで、最後に三門と浦和レッジの二試合なの。八滝の言ってた通り、四位を目指すとなると、相手次第だけど三勝以上必要になると思う。この中だと下関、行町十鳥には絶対勝たないとダメね。三門もかなり強いけど、何とか勝つ。それで、グルスタと浦和レッジには引き分けを目指すって感じになるわ。って、紅葉ちゃん、まったく聞いてないわね」

「ええと、すみません。紅葉はサッカーのことになるとすぐ集中しちゃって。今日も父さんの初審判を観に、母さんと妹が来るって言う話はしてあったんですけど、上の空で聞き流してたみたいだし」


 立花の紅葉に向けた説明に、紅葉ではなく、和博が申し訳なさそうに謝り、釈明する。立花は苦笑いで、和博に気にするなと言ってから、紅葉の後ろに移動し、がばっと紅葉に抱き着く。


「わぁっ! って、雪お姉ちゃんどうしたの?」

「ふふっ、紅葉ちゃんの目にはこの二チームがどう映ったかな? グルスタは浦和レッジに後半戦で引き分けてる強豪だし、三門も選手層が厚いいいチームよね。うちは勝てるかしら?」


 後ろから覆いかぶさるように抱き着かれ、耳元で囁くように聞かれる立花の言葉に、紅葉は少し考える。試合は三門が攻め、それをしっかりグルスタ守備陣が弾き返し、グルスタがそのままカウンターで得点するという展開で、2-0とグルスタが力を見せ付けている。


 木陰とはいえ、夏の午後、気温は三十度近い。立花の身体から発散される制汗スプレーの甘い香りと熱気が紅葉を包む。紅葉は体重を立花に預け、試合を観ながら思ったまま感想を言う。


「うん、勝てるよ。三門はあの左サイドから攻めてる6番がキープレイヤーなんだろうね。攻撃はいつも6番のところから始まってる。あそこを抑えちゃえば、後は今のうちなら互角以上にやりあえるはずだよ。問題はグルスタの方かな。グルスタはわざと6番をフリーにして攻めさせて、相手が前がかりになったところをカウンターで得点しているんだ。選手は皆大きくて足の速い子を並べて中盤を省略、ゴリゴリのフィジカルサッカーだね。奪って前に蹴ってシュート。シンプルなサッカーって本当に強いんだよ。うちはとにかく走り負けないこと。ボールの競り合いに躊躇しないこと。何度カウンターを食らっても、攻め続けること。カウンターを恐れないこと。それが出来れば、いい勝負になると思うし、勝てると思うよ」

「……な、なるほどっ」

「ん? どうかした、雪お姉ちゃん?」

「いやぁ、あはははは、紅葉ちゃんってすっごい賢いんだなぁってびっくりしちゃった。正直、意外」


 すごいねー、と笑顔で紅葉の頭を撫でてくる立花に、八滝が突っ込みを入れる。


「お前、分析力で小一に負けたからって笑って誤魔化すなよ!」

「うっさい! てか、この子天才過ぎでしょう!? 私が小一の時なんて鼻水垂らしながらお団子サッカーしてたわよ! 戦術のせの字もなかったもん! てか、あんただって一緒にお団子サッカーやってたじゃない!」

「ふっ! まぁあの頃は俺も若かった。だが、お前と違って俺は成長した。小一に戦術眼で負けるお前と一緒にしないでくれ!」


 メガネの蔓をクイッと持ち上げた後、八滝は得意げに紅葉に話し始める。


「紅葉、グルスタの連中の腕にリストバンドが巻かれてるだろ? あれが何かわかるか?」

「ん~、なんだろ? 分かんない」

「あれはな、選手の各種バイタルや位置情報、スプリント回数なんかを読み取るハイテク合成繊維なんだぜ。あのリストバンドから発信された情報を指揮官が確認して、選手交代や作戦を決めたりするわけだ」

「へぇ~、凄いねぇ! あれがあればプロみたいなデータ分析が出来るってことだね!」


 紅葉が羨望の眼差しを向けながら、八滝は物知りだねぇ、と言うと、立花がそんなの誰だって知ってる常識じゃん! と紅葉からの称賛を浴び、鼻高々になっている八滝を攻撃する。それに八滝は、


「んじゃ、お前。何であれが流行らなかったか知ってるか?」

「えっ? そ、それは……高かった、から?」

「ぶっぶー! はぁ、お前は本当にブァカァ! だなぁ。まぁ、嗅覚だか錯覚だか分からんもんに頼って、サッカーしている奴は所詮こんなもんだぜ。いいか、紅葉。お前はこいつみたいになっちゃダメだからな!」


 紅葉は八滝に何と答えていいか困ってしまう。紅葉の胸に回されている立花の腕がギュッと締まる。紅葉の背中に抱き着いたままの立花の身体から、振動が伝わってくる。


(うわぁ、雪お姉ちゃん、めっちゃ怒ってる。てか、締め付ける力、強すぎ。すっごい苦しいんだけど。メガネはすぐ調子乗るんだから! うぅ、どうしよう)


 怒りゲージマックスらしい立花と得意満面の笑みを浮かべる八滝、困って何も言えない紅葉。そんな状態を打破し、立花の締め付けにより酸欠で失神しそうになっている紅葉を救ってくれたのは、


「雪お姉ちゃんをバカにするな! 変なメガネしてる癖に!」


 楓の大声による罵声、ではなく、楓の隣、正確には楓に押し出され、楓の半歩前にいるお母さんであった。お母さんは楓を叱り、八滝に話しかける。


「こら、楓! え~と、八滝君よね。本当にごめんなさいね。それと、うちの紅葉と和博がいつもお世話になってます。あと、この子がどうしてもこっちで応援したいって言っていて、お願い出来ないかしら?」

「あ、いえ、その。気にしないでください。え~と、分かりました」


 母さんこっち来んなよなぁ、と和博が恥ずかしそうに呟いている。和君思春期だなぁ、と紅葉は思いながら、紅葉から離れた立花が楓と仲良く話始めるのを大きく深呼吸しながら聞く。


「そう言えば楓ちゃん久しぶりの応援だけど、もうピアノコンクール終わったの?」

「ううん、来週の日曜日。でも、もう課題曲は完璧に弾けるようになったから、先生が気分転換にこっち来ていいって言ってくれたの!」

「そっかぁ、来週かぁ。頑張ってね! 楓ちゃん!」

「……うん」


 楓は心底嫌そうに立花の応援を受け止める。立花が困ったように笑うのを聞き、紅葉は話題の転換を図る意味も込め、お母さんと楓に笑顔で声を掛ける。


「お母さん! カエちゃん! お父さんの審判姿カッコいいね~!」

「興味ない」

「う~ん、ちょっと身体が重そうだし、隠しているけど、あれは体力の限界ね。息が完全に上がってるわ。

子供たちより体力がないのはどうかしら」

「えぇ! そんなことないよぉ!」


 二人の辛い評価に紅葉は反論を試みるも、あっという間に話題を変えられてしまう。


「まぁ、お父さんのことは置いておくとして、紅葉の活躍する姿を観れて、お母さん本当によかったわ。ねぇ、楓?」

「うん! お姉ちゃんカッコよかった!」


 格好良かったわよとお母さんにも言われ、頭を撫でられ、紅葉は嬉しさいっぱい笑顔を浮かべてお礼を言う。


「うん! ありがとうカエちゃん! お母さん! 今日はちょっとしか試合出れなかったけど、来週はもっといっぱい試合に出て、うんと活躍するから観ててね!」

「ええ、頑張ってね」

「頑張ってね、お姉ちゃん!」


 試合とお父さんそっちのけで、家族の団欒をする紅葉たち女性陣に立花が不思議そうな声で聞いてくる。


「あれ? 私たち来週の日曜試合なんですけど……楓ちゃんのコンクールも来週の日曜なんですよね?」

「「「えっ?」」」


 固まる紅葉たちに立花が苦笑しながら、さらに聞いてくる。


「コンクールは何時からなんですか?」

「え~と、楓の開始は十四時からだったと思うわ」

「あ~、そうですかぁ。うちは午前が九時からと午後は二時からなんで、丁度試合中かぁ。楓ちゃん、応援には行けないけど頑張ってね!」

「……いや」

「えっ?」

「……いやなの! お姉ちゃんが来ないならコンクール出ない!」

「え~と、楓ちゃん?」

「いやったら、いやなのぉ!! お姉ちゃんがいるから出るんだもん! お姉ちゃん見ててくれるって約束したんだもん!」


 いち早く紅葉は楓のことを抱き締め、背中を優しくさする。楓は言葉にならない嗚咽を漏らしながら紅葉に縋り付き泣き続ける。


「カエちゃん、大丈夫だよ。私がカエちゃんに嘘付いたことあった? コンクールの応援にちゃんと行くから。だから、大丈夫。一緒にコンクールをやっつけよう!」


 紅葉は優しく何度も楓を励ます。楓は、お姉ちゃん傍にいてくれる? と何度も確認し、うん、絶対に傍にいてあげるという紅葉の言葉を何度も聞いて、やっと泣き止む。目を真っ赤に腫らした楓をお母さんに預け紅葉はチームメイトの前に進み出る。  


「みんなごめんなさい!」


 紅葉は頭を深々と下げて謝る。そんな紅葉に皆が、


「謝ることないわよ、紅葉ちゃん。私の分まで楓ちゃんのこと応援してきてね!」

「そうだぞ、お前が一人抜けたくらいで、今の俺たちは負けねーからな! 気にすんな!」


 立花と大山が励ますように言う。鈴木たちがそうだ、そうだと頷く。


「監督と和博はそっち行かないよな? だったら、まぁ後は任せとけ、ちび」


 吉田がぶっきらぼうに励まし、その言葉に八滝が確認を取る。


「和博、お前は行かなくていいん? いや、行かれたら困るけど」

「え~、いや、俺と父さ、監督は楓から必要とされてないんで、こっち出ます。紅葉、俺、紅葉の分まで頑張るからな!」

「んじゃ、まぁ、何とかなるか。つ~か、お前んち、事前に話し合いとかしないわけ? コンクールと試合の日が重なったらすぐ気付くだろう、普通」

「いや、コンクールの話が出ると、楓が不機嫌になるんで、家ではコンクールの話題は禁止みたいな感じになってたもんで。そのすいません」

「あ~、まぁ、ありゃあ、相当嫌そうだったからな。そりゃ仕方ないか。よし、紅葉! 後は任せろ!」


 紅葉は皆の言葉に嬉し涙を浮かべて、お礼を言う。


「みんな、ありがとう!」


 こうして、紅葉の次節試合欠場が決まった。ぴっという力強い笛の音が三回鳴り響き、グルスタFC対大門サッカー少年団の試合は3-0とグルスタFCが強さを見せつけ、クリーンシートで試合を締め括った。


 


 大井康夫の初審判は誰にも注目されることなく終了した。それは審判にとって最高の仕事をしたことを意味する。初審判としたら完璧でしたよ、と第四審判を務めていた立花父に褒められた康夫は充実した表情を浮かべながら、立花父と一緒にチームへ合流した。


 しかし、誰も何も言ってこないことに康夫は少し寂しさを覚える。康夫自慢の娘である紅葉なら必ず、お父さんお疲れ様、と元気に出迎えてくれると思っていたのだ。紅葉は出迎えてくれるどころか、こちらに来てもくれない。そのことに少なからずショックを受けながら、康夫は紅葉のところに向かう。そこで、


「お父さん、私たちがいなくなっても、しっかりね! 負けちゃダメだよ!」

「えっ? 紅葉それどういう……」


 下から真剣な表情で見上げ話しかけてくる紅葉の顔は、いつもの笑顔は全くなく、悲壮な面持ちで溢れていた。これはただ事ではない、一体何があったんだと混乱する康夫に紅葉がヘーゼル色の大きな瞳を涙で潤ませながら話しかけてくる。


「和君はお父さん側だから、和君と力を合わせてね! 何かあったら、電話、はマズいのか、うん、こっちからたまに連絡するから! カエちゃんとお母さんのことは私に任せて! くじけちゃダメだよ!」


 一筋の涙が紅葉の白い頬を伝って流れる。それを拭くことなく紅葉は康夫を見上げてくる。康夫は混乱しながら紅葉の言葉を脳内で反芻する。


 いなくなる。負けるな。父側に和博、母側に楓と紅葉。電話はするな。挫けるな。


「えっ!? えっ? まさかそれって、もしかして、りりりり離、婚? ……も、紅葉と楓はお母さんと一緒に行くってことかい!?」

「えっ? リリリリリ、コンって何? よく分からないけど、私はカエちゃんとお母さんと一緒に行くよ。ごめんなさい、お父さん」

「そ、そんな、待ってくれ! 一体どうして!?」


 康夫は混乱したまま、周囲を見回す。そこには目を真っ赤に腫らした楓をあやす妻の姿が映る。その姿は父との分かれを悲しむ娘とそれを慰める母のように康夫には見えた。呆然とする康夫に、


「大丈夫! 私がいなくても、何とかなるよ! お父さんのこと皆信じてるんだから! 今までしてきたこと、胸に手を当てて思い出すんだよ! ね!」

「ま、待ってくれ、そ、そんな、胸に手を当てても心当たりなんてないんだ! ご、誤解だ!」

「そんなことないよ! お父さんがやってきたこと皆が覚えてるんだから! そんなこと言っちゃダメだよ! お父さん頑張って! 私も悲しいけど頑張るから! じゃあ、お父さんまた!」


 そう言うと、紅葉は楓たちの方へ走っていってしまう。康夫はその姿を呆然と追った後、頽れるように地面に膝を付く。僕は一体何をしてしまったんだ、と地面に向かって呟き、絶望する。   




「……すれ違いって怖いわね」

「いやさ、さすがにあれは監督可哀そうだろ。せっかく初審判上手くやってきたのに、これとか酷すぎるぜ。誰か、教えてやれよ」

「でも凄いな紅葉は。あんな切羽詰まった悲しそうな顔で言われたら俺も勘違いしそうだよ」

「あぁ、それは、紅葉ちゃんにとって試合に出られないことは死ぬほど悲しいことだから。よく泣くの我慢してると思うわ」

「なるほど。まぁ、それより監督に早く立ち直ってもらって来週の打ち合わせしないといけないんじゃないっすか」

「じゃあ、キャプテン。代表して言ってこいよ」

「いやぁ、あれは話しかけにくいわねぇ」

「だよねぇ」

「そうっすねぇ」

「よし、様子見」

「異議なし」

「了解」

「了解」

「了解」

 

 康夫の誤解が解け、立ち直るのはもうしばらく先になる。帰宅した康夫は紅葉と一緒にお風呂に入り、誤解を招いたお詫びに背中を流してもらう。そして、お父さんすっごく格好良かった、と一緒に湯船に浸かりながら、紅葉に褒められ、康夫は笑顔を取り戻す。


 温かいお湯に浸かりながら、紅葉とお喋りをする。途中、お母さんからの差し入れである特製ハーブティーを二人揃ってコクコクと飲み干す。


 はふぅ、と二人揃って吐息をつき、身も心もリラックスするのであった。




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