17 「夏休みと練習試合」
夏休みである。紅葉は毎日を脅威のハイテンションで過ごしていた。朝五時に起き、お父さんとジョギングをし、一緒にシャワーを浴び、会社に見送る。その後はお母さんと兄の和博に朝の挨拶をしたら、和博と一緒に近所の公園へ向かう。
そこでラジオ体操だ。誰よりも元気に切れのある動きで第二までしっかり体操を終えたら、おじさんの元にスタンプを貰いに行く。楓の分のスタンプも一緒に押して貰い、和博と手を繋いで家に帰る。それから、お母さんと和博の三人で朝食だ。ごはんをお代わりし、いっぱい食べたらちょっとだけ休憩する。
そして庭で和博とリフティングの練習だ。ピカピカに磨かれた宝物のボールを一度も地面に落とさずリフティングを続ける。そして、リフティングをしながら、和博に指導をする。
「リフティングは下を向いてやっちゃダメなんだよ。背中を丸めないで、あごをしっかり引くと遠くまで見えるでしょ? その視界にボールを入れてリフティングするの。ルックアップして状況を常に確認出来る状態でプレーするのはサッカーの基本なの。リフティングの為のリフティング練習は絶対にしちゃダメなんだよ」
「なるほど。つっても、蹴る瞬間にボールを見なかったら変な方に行っちゃうよ?」
紅葉はボールを高々と蹴り上げ、それを肩で受け止める。そして、そのボールをヒールで蹴り、また両足で交互に蹴りつつ話し始める。
「もちろん、蹴る瞬間はボールをしっかり見ないとダメだよ。最初と最後はしっかりボールを見る。でもそれ以外の時間はボールから視線を切って周囲を見なくちゃ。相手はどっちから近づいてくるのか。味方の位置は。パスするの。ドリブルするの。シュートするの。ファーストタッチには全部決まってて、どこにボールをトラップするか考えておかないといけないんだから。リフティングの先にファーストタッチコントロールがあるんだよ。だから、それを考えながらリフティング練習しなくちゃね!」
「なるほどなぁ、でも紅葉はお喋りしながらリフティング出来て凄いな」
「えへへ、そうかなぁ、あっと」
褒められたことで足元が狂い、身体から離れた位置にボールが飛んでいく。それをダッシュで追い、地面すれすれで蹴り上げる。ふぅ~、と一息つきつつリフティングを続ける。
「あっ、あと、場面を想像しながらリフティングするのはお勧めだよ。試合だと状況がどんどん変わっていくでしょう? その度に考えて、即断しなくちゃいけないから。今ここで足が伸びてきたらとか、囲まれた状況とかを想定して、ボールの蹴る位置とか強さを瞬時に変えられるようにリフティング練習するの」
「難しすぎだなぁ、俺には」
「大丈夫だよ。すぐ出来るようになるよ」
「おう、頑張る」
「うん!」
三十分ほどリフティング練習をしたら、家の中に入る。早朝とは言え、暑い中での練習でしっとりと汗ばんでいる。濡れタオルで身体を拭き、服を着替える。それが済むと朝のメインイベント、楓を起こす作業に取り掛かる。
ベッドで幸せそうに寝ている楓をしばし鑑賞する。早く起こさないとお母さんの雷が待っている。けれど、こんなに気持ちよさそうに寝ているのを起こすのは可哀そうだなぁと悩む。
昨日も遅くまでピアノの練習をしていたのだろう。楓はやれば出来る子なのだが、残念なことに好きなこと以外やる気がまったく出ないのだ。今は毎日ずっとピアノを弾くのに熱中している。
ピアノを弾くのにも体力が必要だよ、というピアノの先生のアドバイスでいやいや姫花の通っているフィットネスクラブに紅葉と一緒に通っているが、基本的にぐずってトレーナーを困らせている。
紅葉は一大決心をし、楓に声を掛ける。
「カエちゃん、おはよう! 朝だよ! 起きようね? ほら、身体持ち上げるよー」
「ん~……おはようお姉ちゃん……」
瞼を開けないで、夢の中といった様子ながら返答がある。そんな楓の身支度をしていく。ぼさぼさの髪を丁寧に梳き、パジャマを脱がせ、お揃いのキャラTシャツと黒のハーフパンツを履かせる。
「ほら、顔洗って朝ごはん食べよう? 急がないと、愛ちゃんもうすぐ来ちゃうよ」
「う~、うん」
ぼけ~とした状態の楓を引っ張って、洗面所、そしてテーブルへと導く。ご飯をノロノロと頬張る楓の横に座り、奇麗な黒髪をサイドで三つ編みにしていく。最近の紅葉は楓の髪弄りが趣味となっている。
両サイドの髪をゆるふわ三つ編みにし終えたら、今度はそれを後ろ側に持っていき、白のリボンで纏める。簡単三つ編みハーフアップの完成だ。両手の親指と人差し指を合わせて四角窓を作り、覗き込む。楓の顔と髪型をチェックする。
(うん、完璧!)
「カエちゃんすっごく可愛いよ! 我ながら完璧だね!」
「うん、ありがとうお姉ちゃん!」
楓が嬉しそうに微笑んでくれる。紅葉はそれが本当に嬉しくて、ニコニコしながらどういたしましてと答える。そこに、玄関のインターフォンが鳴る。は~い、いらっしゃいと答えながら、お母さんが玄関に向かう。
「あっ、きっと、愛ちゃんだ! カエちゃん食べ終わった? よし、じゃあ、お片付けしとくから、カエちゃんは歯磨きしてきて!」
「うん」
「あと、リュックの中に返す本とCD、それと勉強道具が入れてあるか確認してね」
「は~い」
それから、慌ただしく準備を済ませ、二人は小学六年生の友達、愛海と一緒に家を出る。紅葉は左手で楓と手を繋ぎ、右手で新品の日傘を差し、それをクルクルと回転させつつ、二人の上に影を作る。隣を歩く愛海がそんな二人に声を掛けてくる。
「紅葉ちゃん、その日傘可愛いね。今日の楓ちゃんの髪型もとっても可愛いくて似合ってるわ」
「うん、いいでしょ! これいつもお姉ちゃんが結ってくれるんだよ! ……あと、この日傘はお兄ちゃんがお姉ちゃんに買ってあげたの。まぁ、お兄ちゃんのセンスは悪いけど、お姉ちゃんは何でも似合うからね!」
「あ、はははは、そうなんだぁ」
楓は髪型を褒められ、上機嫌になるも、一緒に褒められた日傘は和博が紅葉に買い与えたという一点でもって気に入らないらしい。声のトーンの上がり下がりが物凄いことになっていた。何とも言えないその回答に愛海が困ったように笑う。
紅葉は交通量の多い通りであった為、少しびくびくしつつ二人の会話を聞いていた。愛海は中学受験が控えている。夏休みは夏期講習に勉強合宿で大変だと笑いつつ軽い口調で言っていた。
けれど実際は笑いごとではなく、とても大変で重要な時期なのだろう。こうして紅葉たちに付き合って遊んでくれることに深く感謝しながら図書館を目指す。
(私が外人って呼ばれてるのを、虐められてるんだって思って、それを止める為に一生懸命クラスメイトにお願いしてくれたり、こうやって私たちの面倒を見てくれたり、愛ちゃんって本当に優しくていい子なんだよね……必ず愛ちゃんの力になれるような立派な大人になって、恩返ししなくちゃね!)
図書館では談話スペースに座ってお勉強だ。紅葉の一学期通知表は二重丸、よく出来た、ばかりであった。問題は楓だ。二重丸は音楽のみ。後は丸と三角しかなかった。積極性の箇所はすべて三角、頑張ろうの評価であった。
先生の所見欄には、『学校に慣れてきてお友達も出来たようで安心しました。二学期はもっと色々なことに積極的に挑戦できることを期待しています』 と書かれていた。それを見たお母さんは、若いのによく出来た先生だと担任の先生を絶賛しつつ、こんなに無理してオブラートに包まないでもよかったのにと苦笑を浮かべていた。その後、通知表のことなど興味ないといった表情の楓にもうちょっと頑張りなさいと叱咤していた。
その話が大井家に遊びに来ていた愛海に伝わると、愛海は二人の家庭教師をしますと申し出てくれたのだ。そして、家では集中出来ない楓の為に図書館へ通うようになった。愛海指導の元、夏休みの宿題である算数ドリルを黙々とやる。途中途中で愛海が解りやすい解説や、面白い話をしてくれ、気分屋の楓も何とか集中力を維持して勉強に励むことが出来ている。
午前中しっかり勉強をしたら、愛海にお礼を言い、紅葉はサッカーの本を、楓はクラシックのCDをそれぞれ借りて家路につく。家に帰ったらお昼ご飯をいっぱい食べ、楓が弾くピアノの音を子守唄代わりにお昼寝をする。
お昼寝後は、水曜はピアノ教室、火曜木曜はフィットネスクラブに通う。それ以外の時間は兄の和博とサッカーの練習をしたり、楓のピアノを聞いたり、借りてきたサッカーの本を読んだりして、充実した夏休みを過ごしていた。
そして、土日は浦和領家サッカー少年団の練習日だ。浦和領家の団員は現在九名しかいない為、紅白戦が出来ない。パス練習やシュート練習、四対四練習などを行っているが、やっぱり八人対八人の実戦形式練習も必要である。監督になったお父さんは、近隣サッカーチームに片っ端から練習試合を申し込んでくれた。そのおかげで、毎週色々なチームと対戦を繰り返せている。
八月の始め、連日三十度を超す暑さの中で浦和領家はまた練習試合をしていた。この日、紅葉はゴールキーパーとして出場することになった。ピッチに散らばる皆の背中を後ろから眺めつつ、声を張る。
「みんなぁ、後ろは私に任せてガンガン攻めてねー!」
紅葉はグローブを付けた両手をパンパンと合わせて、その感触を確かめる。子供には色々なポジションを経験させる。お父さんは基本に忠実な指導を心がけてくれているのだ。
(さすが、お父さん!)
紅葉はキーパー初体験が嬉しくて笑顔を浮かべながら、やる気十分であった。
「いや、めっちゃ心配なんだけど。大体お前、バー届くの?」
センターバックを命じられたイケメン吉田が紅葉に話しかけてくる。紅葉は首を傾げた後、その場でジャンプしてみる。紅葉の伸ばした手は残念なことにクロスバーにかすりもしない。今度は助走をつけて、再びジャンプする。それでもまったく届かない。それを見た吉田がため息交じりに言う。
「ほらな。上狙われたら終わりじゃねーかよ」
「う、うん」
(確かに、上に来たら弾き出せないなぁ。これは拙い。何かいい手は……そうだ!)
閃いた! と、困った表情から一転笑顔を浮かべ、紅葉の顔がゴールポストに向かう。そしてポスト目掛けて走り出そうとした瞬間、吉田が紅葉を羽交い絞めにして抑え込む。
「待て! お前の考えはわかった! だけどそれは絶対にするな!」
「え~、いける気がするよ!」
「絶対無理だ! 第一、このゴールは固定式じゃねーからな! ポスト蹴ったら動くかもしれないし、めっちゃ危ないだろ!」
「そうかなぁ、漫画だとこう、ぐわぁっ、どごっ、ばしっ、って感じでセービングしてたよ?」
「漫画だからだろ、阿呆!」
紅葉の頭を軽くチョップする吉田。そこにもう一人のセンターバック、女の子立花が監督との話し合いを終え、近づいてくる。
「こら吉田! 紅葉ちゃん虐めない! 紅葉ちゃん、大丈夫だからね! 私たちがビシッと守備するから!」
「い、虐めてねーすよ!」
「うん! 頑張ろうね!」
「はい、頑張ろう! ほら吉田!」
「……うす。それで立花先輩、監督は何でこんな無茶な起用するのか教えてくれましたか?」
「あ~、ダメだった。自分たちで考えてみなさいだって」
「そうっすか。了解です」
「まぁ、色んなポジ経験させようってのは普通だけど、今回はねぇ……ちょっとやりすぎよね」
立花が苦笑しつつ困惑顔で呟く。紅葉としてもそれは同意せざるを得ないところだ。今回の布陣はゴールキーパーに紅葉、センターバックに攻撃的選手の吉田と立花、中盤の真ん中にゴールキーパー佐野、サイドバックコンビ都築と鈴木がセンターハーフとして並ぶ。
トップはセンターバックの大山と守備的ボランチの八滝の二人だ。2‐3‐2という練習したこともない攻撃的フォーメーションを、さらに本職からかけ離れたポジションの選手たちが、ぶっつけ本番で挑む。さすがにこれは無謀である。たまにはこんなのも面白いよね、と笑っているのは紅葉だけであったらしい。皆を代表して立花が監督に意図を聞きに行ったが、教えてもらえずに戻ってきたのだ。
そんなこんなで始まった試合は案の定というか、分かり切っていたというか、防戦一方の試合展開になる。相手の雑司ヶ谷南少年サッカー団のミスと守護神紅葉のセーブに助けられ、得点こそ許していないが、決定機を何度も作られていた。
また、中盤の佐野が横パスをカットされ、カウンターを食らう。相手はパスカットしたミッドフィルダーとフォワードの二人。こちらは吉田と立花、そしてキーパー紅葉の三人で迎え撃つ。吉田がドリブルする選手に近づく。その吉田を相手はワンツーで難なくかわしてくる。立花がどちらにチェックにいくか迷っている間に、敵は立花のところまで辿り着く。
「雪お姉ちゃん! 右の選手チェック!」
「りょ、了解!」
紅葉が立花に指示を飛ばし、自身は左のドリブルをしている選手に突っ込んでいく。ペナルティーエリアに入る手前で紅葉は敵前三メートルまで詰める。上に浮かされても、両脇を抜かされても、小さいが股の下を抜かされても一点取られてしまう、キーパーにとっては絶体絶命の状況だ。
普通は相手が足を振りあげ、蹴ると分かるまでは勢いよく突進し、蹴る瞬間に左右でヤマを張り、倒れ込みつつ身体全体を使ってブロックする。
けれど、紅葉は倒れ込んだりしない。相手の目と身体の動きをじっと見つめる。目の動きとステップ、そして重心のブレから相手の動きを推測する。
(んっ、今度は左に大きく蹴り出して流し込む気だな。さっき右に蹴って失敗したのが効いてるのかな。ちょっと慎重になってるみたい)
相手がキックフェイントから右、紅葉にとっての左に大きく一回蹴り出したところを紅葉は先回りして足を伸ばしボールを奪う。そのまま、ドリブルで駆け上がる。
「みんなぁ! 上がってぇ!!」
そう叫びながら、前線の動きを確認する。大山はポジショニングが悪く相手ディフェンダーとぴったり被っている。なんだか、相手ディフェンダーをマークしているみたいな立ち位置に、さすが、生粋のセンターバックだと紅葉は内心で笑ってしまう。
もう一人のフォワード、八滝は右に開きつつフリーとなっている。相手中盤が紅葉にチェックに来る。安易に突っ込んでくる相手をルーレットでかわし、直後、紅葉は思いっきりロングフィードを出す。そのボールは山なりながら、完璧に八滝の胸に収まる。
「いっけぇぇぇ!」
紅葉の声援に後押しされ、八滝はワントラップでシュートを放つ。そのボールは相手ディフェンダーの足に当たり、ブロックされてしまうが、実に惜しい攻撃であった。紅葉のパスが山なりであった為に、ディフェンダーに詰める時間を与えてしまったのだ。
紅葉は惜しい!! と大きな声で残念がっていたのだが、その間にボールは相手側に渡り、攻撃が開始されていた。それに気付き、慌てて紅葉はゴールに戻る。けれど、人が走るより、ボールの転がる方が早い。2タッチで中盤から前線に渡ったボールは紅葉を追い越し、無人のゴールに吸い込まれていった。
ハーフタイム。紅葉の攻守両面の活躍で前半を0-1で終えた浦和領家は、ベンチで給水と濡れタオルを使ってクールダウンを図る。熱中症対策として試合中ドリンクタイムを設けているが、それでも夏の暑さは子供たちにとって危険だ。
「気持ち悪くないかい? 立ちくらみは? とにかく、身体を冷やしてスポドリをいっぱい飲むんだよ!」
「はい!」
皆の様子を一通り確認したお父さんは、大丈夫そうだねと微笑んでから、皆に問いかける。
「それで、どうだったかな? いつもと違うポジションをやってみて」
「すっごく楽しかった! あっ! それでね! キーパーやってて気付いたんだけどね!」
真っ先に笑顔で答えた紅葉を八滝が遮るように発言する。それに立花が噛み付き、皆が一気にヒートアップしてしまう。
「おい、そこのバカ娘を黙らせろ! 軽率なプレーしといて楽しかったはダメだろ!」
「何がバカ娘ですって! それに紅葉ちゃんのファインセーブがなかったらどれだけ点取られてると思ってるのよ!」
「いや、確かに、あの一対一で全部止めまくるのには恐れ入ったが、そもそもお前ら守備がザルすぎるだろ? 何回、同じやられ方してんだよ。俺らならやらせないぜ、なぁマッサー」
「そうだ! もっとどっしり構えろよお前ら。なんであんな簡単に突っ込むんだよ。下手糞すぎるぜ」
「はぁっ!? それはこっちのセリフなんですけど、あんたたちのポジショニング何なの? そんなに点取りたくないの?」
喧嘩に発展しそうなところをお父さんがパンパンと手を叩いて止める。
「はい、そこまで! でも、みんな色々とアドバイスしたいことがあるみたいだね。じゃあ、それを試合中にしてみようか?」
「そんなの無理です!」
皆を代表して立花が意見する。その立花にお父さんが優しく問いかける。
「どうして無理なのかな?」
「試合中にそんな余裕ありませんよ!」
「う~ん、確かに余裕は少ないね。でも、一言二言なら声を掛けられるよね? もっと右とか、飛び込むなとか。そういった声を皆で掛け合ってみよう。それと、離れていると声は届かないよね。もっと選手間の距離を縮めようか」
「監督、言われたことはやります。でも、せめて今回の理由を教えてください」
立花の懇願にお父さんは困ったように鼻を掻いた後、一つ頷いてから話し始める。
「う~ん、そうだね。理解してやってもらった方がいいか。えとね、うちのチームは攻守が連動してないんだ。攻撃陣は攻撃だけ、守備陣は守備だけしかしていない。それじゃあ、強いチームには通用しないよ。皆で攻めて皆で守る。もちろん、攻撃陣の守備参加と守備陣の攻撃参加は、根本的にやり方も考え方も違うんだけどね。今回の異なるポジションで、普段していないポジションの子がどういった状況下で戦っているか理解してもらいたかったんだ。分かったかい? うん、じゃあ後半は、今しているポジションにはどんなフォローが必要か考えてプレーしてごらん。そして本来のポジションに戻った時、どう動けば助けになるか想像しながらプレーしなさい」
お父さんが立花、吉田、大山、八滝の顔をそれぞれ、見回しながらちょっとだけ挑発するように尋ねる。
――君たちなら出来るでしょう?
と。皆がそれに、はいっ! と力強く返事するのを確認し、お父さんは笑顔で頑張ってと答えた後、今度は中盤の子たちを見ながら説明を始める。
「あと、中盤の子たちはまた別の課題があったんだ。キーパーの佐野君には自分もフィールドプレーヤーの一人だってことを認識してもらいたかったんだ。キーパーの君がパス回しに参加出来るようになればフィールド上で数的有利を最も簡単に作れるんだからね。そして、サイドバックの都築君と鈴木君は今回サイドハーフをやってもらっているけれど、本来のサイドバックの時でもそれくらい高いポジションに上がってプレー出来るようになってもらいたいんだ。君たちのスムーズな攻撃参加こそ、攻守の連動に不可欠な要素だからね。そして、佐野君とのパス回しは君たちが一番多くすることになるからね。それで、君たち三人を中盤にしたんだ。プレッシャーの強い中盤でパス回しが出来るようになれば、バックでのパス回しは簡単に感じられるはずだ。大変かもしれないけど、頑張ってごらん」
はい、頑張ります! と口々に応える三人。その顔には理解とやる気が漲っている。そして、次は紅葉の番だ。お父さんが紅葉を見つめてくる。
(私をキーパーにした理由は何だろう!? うわぁ、楽しみだよぉ!)
「紅葉はキーパーどうだった? 楽しかったかな?」
「うん、すっごく楽しかったよ!」
「そっかぁ、うん、よかった。後半は和博と交代だから、しっかり応援するんだよ」
ポンポンと紅葉の頭を叩くお父さんに、まさかの交代宣言を食らい、紅葉は愕然とする。せめて、理由が知りたかった、と項垂れる紅葉を不憫に思ったのか立花が紅葉の擁護に回る。
「か、監督、紅葉ちゃんはその、すっごく頑張ってましたよ。それを交代させるのは可哀そうでは?」
「あ~、いや、この暑さだから、ちょっと休ませるだけだよ。また、紅葉には出てもらうから。だから、紅葉は集中切らしちゃダメだよ」
「……うん!!」
「それに、何ていうかな。本当はいっぱい点取られて、守備の難しさと声掛けと連携の重要性を君たち攻撃陣に体験してもらいたかったんだけど、紅葉がキーパーだと変な誤解をされそうだから、交代させとこうと思ってね」
「あ~~、なるほど」
紅葉以外の全員がうんうんと頷いて同意を示した。
紅葉の抜けた浦和領家は後半、もう一点取られるも、全員が活発に声を出して選手同士の距離間が狭まり、パスが回るようになる。そしてサイドハーフ二人が攻守両面に顔を出すようになると試合のペースは領家に一気に傾いた。2‐2の同点になったところで、大山と交代で再投入された紅葉が決勝点を上げ、浦和領家は逆転勝ちを飾ったのであった。
試合後、小学校の前の木陰で皆がお父さんを待つ。お父さんは練習試合をしてくれた相手の監督に最後の挨拶をしているのだ。その間に、紅葉は大山母と立花母に飴を貰いながら、かまわれていた。
「本当に上手い子が入ったって娘が何度も言うものだから、観に来たけど、まさかこんなに可愛い子だったなんて、本当にびっくり!」
「ですよねー! それもお父さんが監督さんまで引き受けてくれて、うちの旦那も肩の荷が降りたって大喜びしてるんですよ。おまけに息子さんまで入ってくれて、こんなにいいニュース久しぶりですよね! もちろん、一番は紅葉ちゃんが加入してくれたことよ! 今日もおばさん、あんなに凄いプレーが観れて大満足しちゃったわ! ありがとう紅葉ちゃん!」
「ええ、本当に! 前の監督さんのせいで、試合を観に来る気にならなくなって、もうこの少年団は駄目だって皆さん辞めていった時が嘘みたいですわ! 完全復活も目前じゃないかしら。ねぇ紅葉ちゃん!」
「ですわねー! これなら、他の奥さんたちも戻って来てくれるわね! ちょっと連絡してみますわ!」
「えぇ、えぇ、それがいいわ!」
とにかくよく喋る奥様方の会話に紅葉は参加出来ず、目まぐるしく替わる話手を追うので精一杯であった。とりあえず笑顔を浮かべてよく分からない会話に頷きを返す。そんな紅葉を救ってくれたのは眼鏡八滝であった。大山息子を生贄に紅葉を召喚した八滝は悪かったと紅葉に頭を下げる。紅葉は心当たりがなく、きょとんと首を傾げ聞き返す。
「何のこと?」
「ハーフタイムにお前のせいで点取られたって言ったことだよ。ひでぇ言い方だったし、それにあれはお前のせいじゃなかったしさ。完全な八つ当たりだった。本当に悪かった」
「あぁ~! でも、気にしなくていいよ!」
何のことか分かり、納得しながら紅葉は笑顔で答える。
「いや、お前……少しは気にしろ……ってまぁ、お前らしいのかな、それが」
脱力しながら、やれやれと頭を振る八滝を見ながら、紅葉は八滝のお前という呼び方に一つ思い至る。
「あっ! じゃあ、和君のこと、お前とか、大井兄じゃなくて、ちゃんと和君って呼んであげて! そうしたら許してあげるよ!」
「……はっ? 許すって、おま、気にしないって言ってたじゃねーか!?」
「許してないよ~。でも、名前ちゃんと読んでくれたら許すよ!」
(呼び名が重要だって愛ちゃんから教えてもらったんだ。和君だって和君って呼ばれて仲間の輪に入りたいだろうしね! 副ボスの眼鏡にお願いすれば皆が和君って呼んでくれるようになるよ! 完璧だね私!)
「……はぁ、おーい立花! 聞いてたか! そーゆーことになったぞ!」
「オッケー! 兄妹で入部してんだからしっかり名前で呼んであげなくちゃね! でも、和君って呼ばれるの、男子としてはちょっと嫌かしらね? 和博って呼び捨ての方がいいかしら?」
立花に尋ねられ、和博が盛んに頷いて肯定する。
「はい! それでお願いします」
「了解! 改めてよろしく和博!」
「よろしくな! 和博!」
「よろしく、和博」
「は、はい!」
ボス立花の了解を得たことで、あっという間にチーム内全員が和博と呼ぶようになるのを聞いて、紅葉は笑顔を浮かべる。
(和君が照れて顔真っ赤にしてる。うんうん、よかったね、和君!)
そんな紅葉に八滝が、
「これで許してくれるか、も、紅葉!」
ちょっとどもりながら、そう紅葉のことも名前で呼んでくれる。八滝の照れが紅葉にも移ったのか、何だか紅葉も恥ずかしくなってくる。夏の暑さとは別に顔を紅くしながら、紅葉は、
「うん、許す!」
そう満足気に答える。