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13 「強敵との試合」

 

 昼休み、紅葉はサッカー少年団の面々と次の試合について打ち合わせをすることになった。丁度、愛海とサッカーをする約束があったので、そのことを話すと愛海が一緒に付いてきた。途中で妹の楓と立花さんが楽しげにお喋りしているところに遭遇し、声を掛ける。楓が立花のことを雪お姉ちゃんだと紹介してくれる。


 妹のペアである雪お姉ちゃんというのが立花さんであることが判明し、紅葉はびっくりする。立花さん改め、雪お姉ちゃんも凄いびっくりしていたが、最後は楓も含め、四人で憩いルームに向かう。


 憩いルームに付くと、既に少年団の面々が揃っていた。見知らぬ男子たちに尻込みする楓の背中を押して席に着く。


(カエちゃん、友達千人計画発動だ)


 そう思っていたのは最初の数分だけであった。大山から紅葉のユニホームだと渡された、青のシャツと白のパンツを見た瞬間、嬉しさで何も考えられなくなってしまったのだ。一瞬で素っ裸になり、周りの悲鳴を無視してユニホームを着ていく。


 ちょっと、本当にちょっとだけぶかぶかな気もするが、やっぱりユニホームは格別だ。領家と丸い円で覆われた胸のエンブレムがダサカッコいいし、背中の14番という背番号はぶかぶかなせいで、若干、本当に若干、クシャッと寄れて見えづらくなっているが、そんなのは関係ない。紅葉はニコニコ笑顔が止まらない。


「お姉ちゃん恰好いい!」

「うん、すっごい似合ってるよ!」

「えへへへ! ありがとう!」


 紅葉のユニホーム姿を楓と愛海が褒めてくれる。嬉しすぎて、鼻血を出しそうになりながら紅葉は礼を言う。紅葉は皆の前でくるっと一回転する。皆がおおおっと、拍手してくれる。紅葉は嬉しくてぴょんぴょん飛び跳ねる。男子連中から笑いが起こる。


「はーい、そこまでね。それじゃあ、試合について説明するので、静かに聞いてね」


 雪お姉ちゃんがパンパンと手を叩き、はしゃいている紅葉たちをたしなめる。続いて手に持っている用紙を紅葉に渡す。楓と愛海が覗いてくる中、紅葉はその用紙に書かれた題名を読む。


「第四種埼玉県南部リーグ戦対戦表」

「お、紅葉ちゃん、漢字読めるんだね。偉いねぇ。そう、これは今私たちが参加しているリーグ戦の対戦表です!」

「おおおっ!」


 そんなものがあるのかと紅葉は感嘆の声を上げる。立花は紅葉に笑顔を向けながら説明をしていく。


「ナイスリアクション紅葉ちゃん! で、その対戦表の中に、浦和領家(うち)の名前があるのが分かるかな?」

「うん、あった! 下から二番目!」

「そう、それです。横に黒丸が五個ついてるのが分かりますか?」

「うん!」

「それが、既に対戦終了して、5連敗したことを意味しています。二個上の欄にある下関も全敗だから、同率最下位ね」

「えっ?」

「リーグ戦は九チームによる総当り戦二回を四月から十月にかけて行うの。うちは四月にあった試合で一度も勝てずに最下位になっちゃってるんだ。このリーグ戦の成績でリーグ選手権大会と全日本少年サッカー大会に出られるか決まるんだ。特に全少に出る為には四位までに入らないとダメなので、もう負けられないの!」


 紅葉は対戦表を見ながら聞く。白丸が勝ちを表し、勝ち点三なのだろう。一番上の浦和レッジとグルスタがそれぞれ全勝で勝ち点十五となっている。領家は残念ながら勝ち点0だ。十六試合中五試合消化済みで最下位。確かにもう負けられないなと考えながら、どうして一勝も出来なかったのか疑問を覚え問いかける。


「四月の時は七人で戦ったの? それで勝てなかったの?」

「いいえ、その時は九人いたわ。二人、諸事情により退団したのはついこの前なの。何とかリーグ戦に出る為に一人でもいいからって団員を探しているところに紅葉ちゃんが加入してくれたんだ。今は、紅葉ちゃんの選手登録が今週末の試合に間に合ったので、これから再出発って段階ね」

「うん」


(う~ん、うちって普通に弱小なのかな? 練習の時、皆結構上手いと思ったんだけどなぁ)


「それで、紅葉ちゃんの記念すべきU-12公式戦の初戦なんだけどね。Jリーグ下部の浦和レッジジュニアなんだ。う~んと、ちょっと強すぎる相手なんで、うちは防戦一方になると思う。紅葉ちゃんのポジションにはなかなかボールが回らないかもしれないけど、我慢してね」

「はい!」

「あと、その日は一日で二試合するから。午後から下関少年団とも対戦するんで、かなり大変だと思うけど頑張ってね!」

「はい!」


 (浦和と対戦出来るなんて! 嬉しすぎる!)


 紅葉は笑顔でその後のゲームプランや連携についての話し合いを聞いていた。当然、ユニホームを着たままその日は残りの授業を受け、帰宅したのであった。




 五月末、雲一つない絶好のサッカー日和、紅葉は与野八王子サッカーグラウンドのピッチに立っていた。ピッチの外は浦和レッジの保護者や関係者たちが詰めかけ、ガヤガヤと騒がしい空気に包まれていた。


「お姉ちゃん頑張って!」


 そんな中、一際大きな声援が飛ぶ。数少ない浦和領家少年サッカー団の応援だ。紅葉はピッチ横でお父さんと一緒に手を振っている楓の声援にブンブンと両手を振って応える。本当はお母さんも来たがっていたのだが、親が応援に来ない少年団の子たちを運ぶ関係で、車に空きがなく、来ることが出来なかったのだ。お母さんに観てもらう為、お父さんがビデオカメラで試合を録画することになった。


(うう~、久しぶりの試合だぁ! 楽しみだなぁ! しかも相手はあの浦和だし!)


 赤のシャツに白のパンツ、そして黒のソックス。お決まりのユニホームを着た浦和レッジの選手たちが全員で円陣を組み、気合を高めている。紅葉はセンターサークルの後ろで彼らの様子を羨まし気に眺める。


(うちも円陣して、気合入れればよかったよね? う~ん、次からやろうって言ってみよう!)


 各々のポジションに既に散った浦和領家(うち)。円陣組みたかったなぁと紅葉は少し残念がる。浦和レッジの選手たちがピッチに散らばる。


(それにしても、この人工芝すっごいなぁ! 本物みたい!)


 紅葉はぴょんぴょんジャンプして人工芝の感触を確かめる。浦和領家ボールからのキックオフだ。女の子立花とイケメン吉田がセンターサークルに入り審判の笛を待つ。


(あぁ、本当に試合だよ! 本当に嬉しい!)


 紅葉は幸せ過ぎて笑顔が止まらない。またこうしてピッチに立つ日が来るなんて夢のようだ。


(頑張るぞ! まずは一発、相手の油断しているうちに驚かせてやるんだ!)


 会場のざわめきが消えない。黒い服を着た審判が開始の笛を吹かない。あれ、なんでだろう、と紅葉が不思議に思っていると、審判が紅葉に近づいてきて声を掛けてくる。


「始めても大丈夫かい?」

「は、はい」


 優しく審判のおじさんに尋ねられ、紅葉はそこで気が付く。自分がさっきからずっとぴょんぴょん飛び跳ねていたことを。紅葉はちょっと顔を紅くしながら謝る。


「ごめんなさい!」

「うん、いい返事だね。落ち着いて頑張るんだよ」


 そう言うと、審判は緑色のカードを掲げ、紅葉に提示してくる。一瞬の静寂ののち、観客や監督、両チーム選手たちの笑い声がピッチに響く。


「お嬢ちゃん頑張れよー!」

「落ち着いてねー!」


 浦和レッジの保護者たちから、声援が紅葉に届く。紅葉はとりあえず、手を振って感謝を伝える。


(うぅぅ、ちょっと恥ずかしい。けど、初めて貰っちゃった!)


 まさか、試合を始める前にグリーンカードを貰うとは思わなかった。試合を始めるよ、という審判に笑顔ではい! と紅葉は答えるのであった。


 ピッと短い笛。吉田が横に軽く蹴り、そのボールを立花が後ろへ、インサイドで丁寧に転がす。


(うん、いいボール!)


 紅葉は助走をしっかり取り、スピードの乗った状態で右足一閃。ボールは弧を描いて相手ゴールに飛んでいく。通常のフィールド半分しかない8人制サッカーの狭さを利用しての不意打ちだ。四十メートル弱の距離を紅葉は正確に打ち抜いた。


 入れという紅葉の声援を背に、ボールは狙い通りゴール左上に到達する。しかし、そのボールを浦和キーパーが手で弾き出し、ゴールラインを割る。会場がどよめく中、紅葉は急いで左コーナーに走っていく。


(う~ん、やっぱりキック力がないからなぁ。弾丸で打てれば入りそうなのに。でも、コーナーだったしOKだよね!)


 サッカーにおいて弱小が強者と対戦する場合は始めに守備を固めることになる。実力差がある為にボールを奪えず、ボールを回されて防戦一方の展開になるのだから、最初から守る。間違ってはいないし、仕方ないのだが、それでは勝てない。


 紅葉は浦和レッジという強者と対戦するに当たって、守っての0-0で良しと言うチームメイトたちに奇襲で一点取ろうと進言した。第一の奇襲は失敗だったが、次で決めるとコーナーにボールをセットし、審判の笛を待つ。フォワードの女の子立花と坊主大山にデブ都築のバック陣三人がペナルティーエリア内で場所取りをする。眼鏡(していない)八滝とイケメン吉田がペナ外でこぼれ球を待ち受ける。ひょろい鈴木が最後尾で浦和フォワードのチェックに当たる。


 ――まず一点! 


 捨て身の先制攻撃を決めようと全員が紅葉のボールを待つ。シュートで終われず、カウンターになれば大ピンチ間違いなしだ。けれど、勝つ為にはどこかでリスクを取らなければならない。だったら、それを最初にやってしまおうと紅葉は提案した。試合に入り切れていないであろう相手を叩く。常に先手は取れないだろうが、この一瞬だけ、相手の意表を突き得点する。


(私のこと信じて練習に付き合ってくれた皆の為にも、ここで決めたい)


 浦和ベンチから盛んにマークしっかり、という声が飛ぶ。ゴール前は混戦で、敵味方入り乱れた状態ながら、浦和側はしっかり各人にマークを付けてきた。身長は百六十センチの大山が同じくらいで、後は全員浦和側の方が高い。素直に上げても弾き返されるだろう。


(当然ニアに低い弾道で来るって思うよね)


 笛がなる。立花たちがニアに走りこむ。浦和側もそれを阻止する為、さらに前に駆け込む。キーパーもニアに立ち、大きく手を上げ、構える。紅葉はゆっくりと助走を取り、高々と斜め上に蹴り上げる。


 右足側面全部を使ってボールの下横を思いっきり擦り上げたボールが立花たちの上を通過する。全員が見上げる中、ボールは大きく弧を描いて、誰にも触られることなく、逆サイドネットにパスっと軽い音を立てて突き刺さる。

 

 審判の笛

 静寂


「やったぁ!」


 紅葉は両手をバンザイして喜びを全身で表現する。このゴールは仲間全員で取ったゴールなのだ。皆が囮になってくれなければ入らなかっただろう。嬉しくて仕方ない。


 立花が紅葉に駆け寄って抱き締めてくれる。その他の選手たちも皆が紅葉のところに来て、頭をポンと叩いて褒めてくれる。会場全体から拍手が沸き起こる。


「紅葉ちゃん本当に凄い!」

「ありがとう、雪お姉ちゃん! でも、皆の協力があったから取れたんだよ!」

「え~、そっかなぁ? うん、じゃあ、そうしときましょう! よし、じゃあ、今度は私たちが紅葉ちゃんに実力を見せつけないとね! ねぇ、みんな!」

「「「おお!」」」


 浦和領家の面々が気合の入った表情で頷く。まだ前半二分、残り三十八分が本当の勝負だと彼らには分かっているのだ。


(絶対に勝つ! ……勝てたらいいなぁ)


 紅葉はこの後の展開を予想し、少しだけ弱気になる。しかし、その顔は楽しくて楽しくて仕方ないとばかりに光り輝いていた。



 試合のペースはあっという間に浦和レッジに握られる。攻める浦和レッジのシュートを領家側が身体を投げ出して弾き返す。しかし、セカンドボールをことごとく拾われ、またシュートが飛んでくる。ボールを奪い返しても、早い寄せに捕まり保持出来ない。


 攻め込まれ続けることで、中盤の二人が下がり、三バックに吸収されてしまっているので、奪ってもパスの出し所がないのだ。結局縦に蹴り出すしかなくなって、それを取られる。領家はフォワードの立花が中盤に下がり、5-1-1という苦しい形になっていた。当然、右前線に張っている紅葉にボールはまったく来ない。


 紅葉がすべきことは下がっての守備ではない。仲間たちを信じて、ボールが来た時に備えることだ。浦和のサイドバック一人を従え、紅葉はじぐざぐに歩き続ける。ボールが来た時、どう動けばフリーになれ、前を向けるか想像しながら、少しでも優位な位置取りを繰り返す。


 もし今ハイボールが来たら

 もし今足元にボールが来たら

 もし今裏にボールが来たら


 もちろん、ボールはちっとも紅葉のところへは来ない。今は大山がシュートを顔面ブロックして、そのこぼれ球を鈴木がクリアしたところだ。そのボールは浦和レッジが拾い、再び攻撃に入る。


(あっ、これ来るかも)


 浦和の選手に立花がトライしている。その斜め後ろに吉田がいる。その吉田と目が合ったのだ。吉田は立花のトライを嫌がり、浦和の選手が横パスするだろうボールを狙っているのだ。奪い次第紅葉にパスをする気だ。紅葉は敵陣にダッシュで走りこむ。不思議そうにしながらも、紅葉をマークしている浦和選手7番が付いてくる。


(う~、この子足が速いなぁ。余裕でついてくる)


 紅葉は今、完全にオフサイドの位置にいる。オフサイだぞと親切にも教えてくれる浦和7番にうん、ありがとうと答え、一気に元の位置に戻る。そこにボール奪取に成功した吉田からグラウンダーのボールが届く。


 足の長い浦和選手のパスカットを防ぐ為、ダッシュして確実にフリーになったのだ。それが上手くいったと紅葉は笑顔を浮かべる。浦和の7番が慌てて紅葉のチェックに来る。紅葉は身体を当てられる前に前を向き、浦和選手と向き合う。


 このボールは皆が一生懸命に守って、漸くここまで来たのだ。


(大事にしなくちゃね)


 紅葉は相手の間合いに躊躇なく入る。足が伸びてくる。右足でボールを引く。右足の甲で左へ押し出し、左足側面でボールの方向を前に。ボールと一緒に加速して一気に浦和7番を置き去りにする。


 しかし、あっという間に追いつかれ、隣に並ばれる。紅葉はそれを嫌がり、ドリブルを止める。稼げた距離は十五メートル。攻撃参加していたディフェンダーが慌てて戻ってきている。ペナルティーエリア手前の位置で再び相手と対峙する。今度は慎重に間合いを保持してくる。


(ペナ内に入ってシュート? ううん、間に合わない。囲まれて取られちゃうな……よし!)


 腰が引けている相手を見て紅葉はシュートを選択する。立った状態から、足首の力だけを使って左に三歩分ボールを蹴り出す。そして丁度三歩分の助走を付けて、ゴール左隅目掛けてコンパクトに足を振り抜く。相手が足を出してくるが、届かない。ボールはゴール目掛けて飛んでいく。


 しかしこのボールは外れてしまう。ゴールポストの左を通過して、ゴールキックとなる。


(う~ん、足が伸びてきたのが気になって巻きすぎた。この子、瞬発力もすごいんだなぁ)


 後ろを向いてボールの弾道を目で追っていた浦和7番のことを紅葉は素直に称賛する。足を出したところをフェイントで抜かれた後に、フェイントなしでシュートを打たれるのだ。ちょっと足を出すのを躊躇すると紅葉は思ったのだが、きっちりと足を出しブロックしてきた。


(やっぱりJ下部の子は上手いんだね。いいディフェンスする)


 紅葉は嬉しくなって笑顔になる。浦和の7番がそんな紅葉をじっと見つめてくるのに、当の紅葉は気付いていなかった。キーパーがゴールキックで再開したところで笛がなる。浦和領家サッカー少年団対浦和レッジジュニアは1-0と、浦和領家がまさかのリードで前半戦を終了したのであった。






 浦和レッジジュニア総監督の国木は前半0-1とリードされて、落ち込みながら帰ってくる選手たちをいつものヘラヘラ顔で出迎える。


「おー、ご苦労さん! 怪我してる奴はいるか。水しっかり飲めよー。終わったらこっち集合なぁ」

「「「はい!」」」


 控えの選手たちから水を渡され、それを飲みながら全員が国木の前に集合する。持ち込んだホワイトボードを使って動きの確認を始める前に国木は選手たちをからかう。


「それにしても、お前たちって嫌われてんの? 親に対戦相手の子を応援されるってどんな気持ち?」

「そりゃあまぁ、あんなプレーされれば、応援したくなるんじゃないんですか」


 ニヤニヤ笑いの国木に困った顔でキャプテンを務めるキーパー千里が答える。千里の次に、


「トップチームだってヒール役だし、俺たちが応援されなくたっておかしくないぜ!」


 フォワードの向山が拗ねた口調で言う。目立ちたがり屋の向山は相手の14番が目立ち、自身が目立てなかったことで、不貞腐れているのだ。性格さえ改善すれば、こいつは化けるのになぁと国木は笑う。


「おっ、上の悪口言うたぁ、いい根性してんじゃねーか! まぁ、いいけどな。んで、会場中のアイドルは抑えられそうか、坂下?」

「……いえ、自分一人だと厳しいと思います」


 国木の答えづらい質問に前半、相手の14番大井とマッチアップしていた坂下が悩んだ末、否定の言葉を発する。国木はそれを内心で褒め称える。出来ないのなら交代だ、と言われるのがサッカーだ。それは誰だって嫌だから、出来ますと根拠なく言うものだ。


「ほう……じゃあどうすれば止められる?」

「もう一人欲しいです。ボールカットに一人、足止めに一人。二人でなら完璧に止められます」


 満点の回答に国木は獰猛に笑う。ホワイトボードに背番号の入った磁石を配置していきながら、全員に指示を出していく。


「よし、安住! 坂下と2バック組んで14番を徹底的にマークな! 遠井、安田、中林が中盤だ。攻め続けろよ。遠井は、向こうの10番のチェック忘れるな。切り替え早くしていけよ。西藤を下げて中西と向山の2トップで行くぞ。中西はポストプレーだぞ、気張れ! 向山は中西から離れすぎんなよ! 後半はどんどん交代していくから控えの連中も準備しっかりな!」

「はい!!」


 全員が大声で答える。そして各コーチからの細かいアドバイスを別れて聞きに行く。国木はディフェンス二人、安住と坂下に声を掛ける。


「あれを止めるには身体寄せて潰しちまうのが早い。けど、あのガタイをお前らがチャージで潰せば十中八九ファウル取られるな。会場も味方に付いてやがるから、絶対イエローだぜ。そうなりゃ、あの正確無比なフリーキックでズドンだ。ボールを持たせないのが一番。でもまぁ、ボールはいつか渡るもんだ。そうしたら、どう止めるのが正解だと思う?」


 国木は選手たちに極力考えさせることにしている。その為、どうすべきか最初は教えない。自主性を尊重するなどという高尚な考えではないが、監督の言いなりにしか動けない選手なんて死んでも育てたくないと思っている。


「一人がディレイして、二人で挟みます」

「俺も坂下と同じ意見です」

「それがまぁ、正攻法っちゃぁ、正攻法だな。だか、それは二人同時にかわされる可能性があるなぁ、そうしたらアウトだ。他には?」


 安住と坂下が考え込み、やがて顔を見合わせる。お互い分からないかと視線で聞き合い、分かりませんと坂下が代表して答える。国木はもっとヒントを出し、考えさせたいと思ったが、ハーフタイムの残り時間を確認し、諦めて答えを言う。


「いいか、抜かされない為には間合いをしっかり保って、フェイントで重心を崩されずに、相手の一瞬の加速についていく必要がある。まぁ、言うは易しだけどな。それでだ、向こうの14番はちっこいから、間合いは狭けりゃ、加速も大したことない。必要な要素のうち二つもねーんだから、普通なら抜けないはずなんだが、抜いてきやがる。理不尽だが、仕方ねー。だったら、お前たちは勝っている部分で勝負しろ! 間合いをもっと取れ。抜かれたら追いつけ。フォローの位置を斜めに取って、もう一人はシュートコースを常にケアーしろ。いいな!」

「「はい!!」」


 ハーフタイムが終わり、選手たちがピッチに戻っていく。椅子にドカっと腰かけた国木にヘッドコーチの渡谷が、選手たちに聞こえないよう小さな声で話しかけてくる。


「坂下に代えて木村でよかったんじゃないですか? 一点ビハインドの状況で二人も14番にマークを付けるのは厳しいですよ」

「う~ん、渡谷ちゃんがそう言うんなら代えてもいいよ。お前がそう言うんならね、お前の責任で代えてみ」


 ヘラヘラ笑いながら国木がそう言うと、渡谷は眉を寄せて、困った顔をしながら謝ってくる。


「……はぁ、すみませんでした。でも、何でそんなにあの子を警戒するんですか? そりゃあ、シュートもドリブルも凄いですけど、木村は対人戦で滅法強いですよ。あの子でも簡単には抜けないと思いますが」

「まぁ、そうかもしれんし、そうじゃないかもしれん。だったら安全安心を取るのが監督ってもんでしょ? 渡谷ちゃん」

「何をまた。安全安心を取って0-1の敗戦なんかしたら、上から叩かれるって分かってらっしゃる癖に。総監の目から見て、そんなにあの子は凄いんですか?」

「……うん、ちょっと異常だね。坂下抜かれたじゃん? お前の目には坂下が不用意に足出して抜かれたみたいに見えてるんだろ?」

「ぐっ……違うんですか?」


 国木はぶかぶかのユニホームを着た少女が、坂下をあっさり抜き去ったプレーを脳内で再生しながら、渡谷に説明する。


「違うね。あれは、足を出させたんだ。坂下の絶対に取れるって間合いにボールを転がしてさ。そして、坂下の足に合わせてボール引っ込めてそのままかわしちまった。あの動作の間、あの14番は一度もボールも足元も見てないんだぜ。ずっと坂下の身体を見てたんだ。どういうことか分かるか? 坂下の動き次第で行動を全部変更する気だったってことだ。完全な後出しジャンケンが出来るんだろ。足が出れば引いて左から。足が出なければあの子の間合いになってフェイント、それで動けば逆。どうやったって抜かれるわけだ」

「そんなことが可能なんですか?」

「あ~、普通は無理だな。俺の知ってる限り、日本人でそんなこと平然とやってたのは一人だけだ。俺もそいつに散々抜かれた口でな。どうやりゃ抜かれないかビデオで研究しまくったよ。今の女房にはホモかって疑われるわ、結局、分からず仕舞いで、一対一にさせないっていう、どーしよーもない結論しか出なかったけどな」

「はぁ」


 国木は昔を思い出し、実に苦々しい顔になりながら、それでいて弾んだ口調で言葉を紡ぐ。渡谷はそんな国木の態度に興味を覚えたらしく、完全に聞き役に回っていた。


「そんな状態でそいつと俺はまた戦ったのよ。もちろん俺の惨敗だったわけだわ。悔しくて俺は試合後すぐそいつにどうやったら、止められるか聞いたわけだ」

「また、非常識な」

「おおよ! まぁ、俺のが先輩だったし、奴はそーゆーの気にしないたちだったからな。笑いながら言われたよ。一対一の守備と攻撃なら攻撃有利なんすから、そうならないようにするのがセオリーなんじゃないですか、ってな。もちろん、そんな一般論で俺が納得するわけない。ふざけんな! って一喝して、あいつの欲しがってたクライフのサイン入りユニホームをくれてやったよ」

「いや、一喝って……めっちゃ下手に出て、物で釣ってるじゃないですか」


 国木は試合中に何を話し込んでいるんだとも思ったが、押し込んでいる現状はアシスタントコーチの指示だけで十分かと渡谷に続きを言う。


「まぁ、細けーことはいいんだよ。そしたら奴は嬉しそうに、自分の止め方をベラベラ喋りやがった。なんてアホな野郎だぜって思いながら俺は聞いてたよ。奴が言うには、選択肢があれば、あるだけ抜きやすくなるっていうんだ。パスコース、シュートコースがあれば、ディフェンダーは無意識のうちにそっちにも気を配っているんだと。それらを全部潰してドリブルしか選択肢がなくなると途端に抜くのが難しくなるらしい。まぁ、そうだわな。でも、俺は奴がドリブルのみって時でも抜かれてるわけよ。他にも何かあるんだろって聞いたら、後は我慢比べだって言うんだ。先に相手を動かして、それを見ながら抜くから、動かないことが重要なんだと。攻撃側は時間との勝負だから、我慢されると時間切れで負けるって言われたよ。本当か嘘か知らんし、言われた通りに次は止めてやるって気合入れてたら、あっけなく死んじまいやがったから試せてねーんだけどな」

「うわぁ、日本代表センターバックにそこまで言えるって……『あいつ』はまぁ、そんな奴でしたねぇ。ですが、あの14番はあいつと同じことが出来るって言うんですか?」


 渡谷の呆れ返ったとばかりの表情を見つつ、そう言えば、渡谷も太一と同世代だったなと思い出して、少しだけ、しんみりとする。


「いや、そこまでは思わんけどな。あの間合いの制し方にドリブルの仕草、オフザボールの動きとどうにも、あいつと被って見えて仕方ねーんだわ。だから、過大評価しちまってるのかもなぁ」


 そこで、試合に動きがあった。向山がドリブルで仕掛け、鈴木をかわしてゴールしたのだ。話はおしまいだと国木と渡谷は立ち上がる。


「おっと、話してる最中に得点取れたみたいですね。中盤に疲れが見えますんで、安田と中林を交代させましょう」

「ああ、任せる。バック以外は順次全部代えてけ」

「はい」


 国木は現役を引退し、指導者の道を歩み始めた。選手を育てることの難しさを痛感する毎日だ。今、国木が育てている浦和レッジジュニアの中からトップ昇格を果たす選手は、一人現れればいい方だろう。その厳しい現実を知りながらも、子供たちは真剣にサッカーをしている。


 ――少しでも上手くしてやりたい。そしてサッカーを楽しんでもらいたい


 国木は真剣に思う。そして、楽しむ為には勝つことも重要だ。立て続けに向山が得点し、あっさりと逆転する。しかし、2-1のスコアで守りに入らず、さらに攻めるよう指示を出す。


 国木は逆転され、尚も激しく責め立てられている相手側、その中でただ一人笑顔を浮かべている14番を見つめる。サッカーが楽しくて仕方がないとその奇麗な顔に書いてある。保護者達が14番を応援したくなる気持ちに共感してしまい苦笑する。


 その14番にボールが渡る。坂下がドリブルでかわされる。すかさず14番の前に安住が立ちふさがる。その間に坂下が戻る。安住を抜いている間に浦和側がしっかりと守備陣形を敷く。肩で息をしながら、それでもクロスを上げてくる14番。そのボールを守備陣が弾き返し、カウンターに入る。


 あの子は諦めていない。ここで、追加点を取っておかないと拙い。そう選手たちも気付いているのだろう。それほどあの子のプレーは輝いていた。カウンターから追加点をあげ、3-1となる。そしてほどなくして試合終了の笛がなった。


 それでもあの子は笑顔のままであった。泣き笑いの変な顔であったが。




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