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12 「自慢のお父さん」

 

 誰もが言葉を失って唖然としていた。


 大井康夫(おおいやすお)はその中でいち早く復帰を果たす。衝撃自体は横で大口を開けている大山監督たちと変わらない。いや、それ以上に受けていたのだが、如何せん、娘の破天荒っぷりは耐性が付くほど見てきた。正直に言えば、あぁ、またか、という感じもある。


 康夫とて、紅葉がこんなにサッカーが上手いとは思っていなかった。ドリブルで上級生を抜き去った時は、眼鏡の少年と同じくらい驚いた。紅葉がどんなフェイントをしたのかすら分からなかった。流れるようにボールが紅葉の足の裏を数度往復し、いつの間にか紅葉は少年の横を悠々と通過していく。


 紅葉の倍はあろうかという少年はバランスを崩して手を地面につき、紅葉を追うことも出来ない。顔の整った少年がマジかよ、と漏らす気持ちがよく分かる。


 そしてボールと合流した紅葉に猛然と坊主頭の少年が突っ込んでいく。危ないっ! と叫んだ大山監督と同じ気持ちであった。しかし、紅葉はクルリと一回転し、突っ込んできた少年をあっさりとかわしてしまう。そしてドリブルでサイドを駆け上がり、クロスを入れる。


 ボールが足に吸い付いて離れない。動作一つ一つが流麗でぎこちなさがない。突破からの状況判断の早さと実行力。それをしているのが、身長が一二〇センチちょっとしかない子供なのだから、驚かないほうがおかしい。


 紅葉を指導したのが康夫だと少年団の面々は思っているようだが、断じて違うと康夫は言いたい。あの子の先生は犬なのだ。紅葉がボール遊びに夢中になっているのを見て、様々なボールを買い与えたのは康夫だ。スカパーのサッカーチャンネルを登録したのも康夫だ。しかし、それだけだ。康夫は紅葉とボール遊びすらしたことがないのだ。


 もちろん、康夫も紅葉とボール遊びがしたかった。康夫とて、高校時代はインハイに出場したことがあるほどのサッカー好きなのだ。だが、康夫が紅葉とボール遊びをしようとする度に我が家の愛犬ジョンが邪魔してきたのだ。紅葉も康夫になど目もくれずジョンとばかり遊ぶのだ。ぐぬぬである。楓がジョンの尻尾を掴んで振り回した時は思わず、ナイスと思ってしまったほどだ。


(それにしても、犬に指導されてこんなに上手くなったって誰が信じるんだろうか)


 正確なクロスを上げ、チームを組んだ少女がヘッドでゴールに叩き込むのを見て、天才かよ、と眼鏡の少年が叫んだのも同意せずにはいられない。しかし、次の瞬間に時が止まる。


 ボールを蹴った直後の紅葉に坊主の少年が接触したのだ。少年は紅葉のドリブルを止め、クロスを上げさせまいと身体を押し付けたのだろう。だが、タイミングが悪かった。紅葉は蹴り足と軸足両方が地面から離れていた。そこに斜め横から力が加わったのだ。


 物凄い勢いで紅葉は吹き飛んでいった。空中で横に二回転していたと思う。そして地面に叩きつけられてバウンドして、そこでも一回転して、やっと止まる。


 悲鳴が上がった。皆が慌てて紅葉の方へ駆け寄ろうとした。そんな時に、ガバっと上半身を持ち上げて、入った!? と元気に聞かれるのだ。リボンが解け、後ろに纏めていたブラウンの髪がぐちゃぐちゃになって紅葉の顔を半分覆い、その間から見える大きな薄い色素の瞳をらんらんと輝かせているのだ。口もとから出血したらしく、白い肌は赤く濡れ、白い体操服は砂で茶色になっている。


 皆の足が止まり、一様に紅葉のことを凝視する。皆のその異様な態度に紅葉は何も気付かなかったらしい。あれ、ダメだった? と、呑気に聞いてくる。止まった足を動かし、康夫は紅葉の元に向かう。屈みこみ、ハンカチで口元の血を拭う。


「紅葉、どこが痛い? 頭は打ってないかい?」

「どこも痛いとこないよ、お父さん……あっ、唇切ったみたい、イタい」

「他にはどうだい。身体で痛いところは本当にないのかい? 頭はクラクラしない?」


 康夫は紅葉の乱れた髪を整え、唇の傷が浅いことを確認し、そっとハンカチを切れた唇の端に当てる。砂を払ってやりながら、何度も痛みがないか確認する。


「う~ん……大丈夫!」

「そっか、大丈夫か」

「ねぇ、お父さん、さっきのはゴールしたの。ダメだったの?」


 紅葉の頭の中には勝負のことしかないらしい。苦笑しながら、ゴールしたよと答える。やったぁと歓声を上げる紅葉に、康夫は紅葉の周りに集まって心配そうにしている少年団の子供たちを見回し、しばし考えて自身の意見を言うことにした。


「勝負には勝ったけど、本当に重要な部分は紅葉の負けだよ。どうしてか分かるかい?」

「? わかんない」


 小首を傾げる紅葉の頭を優しく撫でながら、言う。


「この勝負は紅葉を試合に出すかどうかを決めるものだったよね?」

「うん」

「じゃあ、何で皆は紅葉を試合に出したくないって思っているんだったかな?」

「私の実力不足と、後は小さくて怪我しやすいから……あっ!?」

「うん、そうだね。実力の方を問題にする以前のこととして、皆、紅葉のことを心配して試合に出さない方がいいって言ってくれてたんだよ。でも、紅葉は試合に出たいから、この勝負をして、そして勝った。でも、紅葉は怪我をしちゃったね? 皆の心配した通りになっちゃった」

「……うん」

「紅葉は勝負に勝つことじゃなく、皆と一緒にゲームをしても大丈夫だって証明しなくちゃいけなかったんだ。だから、紅葉の負けだよね?」

「うん」


 項垂れる紅葉の頭を撫でる康夫に女の子、立花が食って掛かる。


「ま、待ってください! でもゴールしたんだから、紅葉ちゃんの勝ちでしょう!? それに、紅葉ちゃんはドリブルとアシストで通用することを証明したわ! 全部大山のファウルがいけないんだから、紅葉ちゃんは悪くないわ!」


 理不尽だと全身で表現するかのように凄まじい剣幕で立花は康夫に抗議してくる。この子は紅葉の味方なんだなと康夫は感謝しながらも立花の言葉を否定する。


「ありがとう、立花さん。でも、大山君の寄せはアフターでファウルだったけれど、それ以外は正当なものだったよ。もちろん、小柄な選手相手にあれをやって、相手を倒せばレッドが出るけれどね。それでもこんなに飛ばされて、怪我をしちゃったのは紅葉が小さかったからだよ」

「じゃあ、どうすればよかったんですか! 私たちは点を取りましたよ! それにそれじゃあ、紅葉ちゃんはどんなに頑張っても試合に出れないってことじゃないですか!」


 そんなのって酷すぎると泣きそうに呟く立花を見て、この子が何を感じ、考えているのか、何となく察する。康夫は悪いことをしたなと内心で反省しながらも続ける。


「仮定の話になっちゃうけど、紅葉がディフェンダーを抜こうとせずに、そのままアーリーを上げていたらどうだったかな? たぶん、得点は出来なかっただろうね。じゃあ、一人かわした時点で即座にクロスをしていたらどうだろう。これは入ったかもしれない。クロスじゃなく、強引にシュートを打っていたらどうだろう。キーパーが弾いたこぼれ球を立花さんが詰められたかもしれないね。もちろん、全部結果論だし、その行動によって怪我をしたかもしれない。それでも、怪我をしない未来はあったと思うな。どうだい、紅葉?」


 紅葉は真剣な表情で自身のプレーを振り返り、泣きそうな顔になりながら頷く。この子の素直な性格は親バカかもしれないが、本当に凄い才能だと康夫は思う。


「……うん。私は自分で点取ってやろうって思ってた。お姉ちゃんは囮だって決めつけてた。シュートコースがなくなって初めてお姉ちゃんのこと気付いて、クロス上げたの。独りよがりのプレーだった。ごめんなさい」

「いいのよ、そんなこと! 実際いいクロス上げてくれたでしょ! 紅葉ちゃんは勝負に勝った! 私たちと一緒にプレー出来るって証明したの! ねぇ皆もそう思うでしょ!?」

「……ありがとう、お姉ちゃん」


 全員が立花の意見に頷き、そうだそうだと康夫を非難してくる。紅葉が立ち上がり、泣いている立花の目元を拭っている。康夫は、立花のおかげで話が実に都合のいい方向にいったことを感謝しながら、皆の方に身体を向けて深く頭を下げる。そして娘の為に、図々しいお願いをする。


「ということで、うちの娘を皆さんと一緒の試合に出してやってくれませんか? 足元の技術は認めてもらえたと思います。身体が小さいことで怪我をしやすいかもしれませんが、ボールを持ちすぎないようにして、危険なプレーを選択しないよう、考える力を身に着けさせます。もちろん、皆さんに迷惑をいっぱいかけるでしょうし、怪我もするかもしれませんけれど。お願いします」


 反対の言葉は上がらなかった。



 紅葉は大事を取って練習を見学することになった。康夫の隣に座った紅葉は目をキラキラ輝かせながら練習風景を見ている。紅葉が康夫を見上げて、三度目となるお礼を言ってくる。


「お父さん、ありがとう」

「どういたしまして。でも、これからが頑張りどころだよ」

「うん!」


 紅葉は嬉しくて嬉しくて仕方ないらしい。ソワソワしっぱなしだ。練習を見て、康夫を見て、また練習を見る。その仕草が本当に可愛らしく康夫も笑顔になってしまう。


 立花がシュート練習で豪快にミドルを突き刺し、紅葉に向かってVサインを送ってくる。紅葉は大喜びで手を振っている。この子はきっと年上ばかりのチームにも直ぐに馴染むんだろうなぁと康夫は確信する。


 それでも、大切な娘だ。不安は尽きない。楽天的な紅葉に少し忠告をしておこうと思い至り、話しかける。


「なんで立花さんが紅葉のことをあんなに擁護してくれたか、分かるかい?」

「えっ? え~と、一緒のチームで戦って、仲良しになったから!」


 紅葉は笑顔で言い切る。それが答えなような気がしてくる。


「それもあるかもしれないね。でも、僕が思うに、彼女は差別に対して反感を覚えたんだと思うよ。きっと、女の子だってことで、嫌な思いをしてきたんじゃないかな。女なんかと一緒にサッカーしたくないっていう差別を受けて、悔しい思いをして、それでさっきの紅葉に自分の体験を重ね合わせていたんじゃないかな。どんなに頑張って、結果を出しても女だから認められない。そんなことがあったんだと思う」

「本当なの?」


 紅葉は酷い、と口をへの字にして怒っている。優しいこの子には信じられないのであろう。


「違うかもしれないけどね。だけど、そういう差別をする子はいるんだ。紅葉は女の子で小さいからいろんなこと言われると思う。それに紅葉は見た目も目立つからね。でも負けちゃダメだよ。誰が何と言おうと紅葉は僕の自慢の娘なんだから」

「うん! どんなこと言われても、大丈夫だよ! 私にはいっぱい味方がいるんだぞぉって言い返す! お父さんにお母さん、カエちゃんに和くん! 他にもいっぱい!」

「うん、お父さんはいつだって紅葉の味方だからね!」

「えへへへっ、ありがとうお父さん…………ああっ!?」

「どうしたんだい?」


 娘の言葉にしんみりしていたところに突然の大声、康夫は驚きを隠して紅葉に聞く。紅葉は心底困り果てた顔をしながら、おずおずと切り出してくる。


「早速なんだけど、カエちゃんに毎週土日はサッカーでいなくなるって、お父さんから伝えてくれる?」

「……いや、それは自分の口から言おうね」

「う~ん……無理!」

「僕だって無理だよ」


 楓の泣き顔と駄々を捏ねる様が容易に想像出来、康夫は頬を引き攣らせる。隣では紅葉も困ったように笑っている。


 楓と紅葉は妻が望んだ通りに本当に仲の良い姉妹に育ってくれた。しかし、ものには限度というものがあると思う。楓は紅葉に対して我儘ばかりを言う。普通なら紅葉は楓を嫌いになってしまいそうなものだが、紅葉は楓にお願いされると笑顔になってホイホイ言うことを聞くのだ。


 仲の良い姉妹だが、二人は実の姉妹ではない。紅葉の見た目が普通の日本人であったなら、そのことを二人が成人してから伝えることが出来た。だけど、紅葉の見た目がそれを許さないだろうことは分かり切っていた。両親が日本人なのに自分だけ髪の色も目の色も違うのだ。


 紅葉にどうして、と聞かれたらどう答えようかと妻と何度も話し合い、聞かれたら正直に全て教えようという結論になった。


 そしてその時はすぐ訪れた。康夫はその場にいなかったが、後から聞いた話だと、楓が幼稚園から泣きながら帰ってきたそうだ。とにかく手が付けられない状態で、紅葉の言うことすら聞かず、泣き続けていたらしい。

 

 妻は何があったのか紅葉に聞くと、紅葉は困った顔をするばかりで教えてくれなかったという。泣き疲れて寝てしまった楓と困り顔の紅葉を、学校から帰ってきた和博に面倒を見るよう頼み、妻は夕飯の支度を始めた。


 事態が動いたのは夕飯が出来る直前であったそうだ。妻が見たのは、大泣きする楓とその隣で困ったように立ち尽くす紅葉。紅葉の髪は黒とブラウンがまだら模様に入り交じり、酷いことになっていた。紅葉は康夫の白髪染めを使って自身の髪を染めたそうだ。なぜ、こんなことをしたのと妻が聞くと、


「美鈴ちゃんにどうして姉妹なのに髪の色が違うのって言われたの。姉妹じゃないんでしょうって。カエちゃん、それ聞いてずっと泣いちゃってたから、おんなじ色にすれば泣き止むかなって思ったの」


 紅葉は泣きながら抱き着いてくる楓の背中を優しく撫でながら続ける。


「だけど、私の髪見たら、もっと泣いちゃったの。私のせいで、お姉ちゃんの奇麗な髪の毛が汚れちゃったって」


 ごめんなさい、と泣きながら謝る楓と、もらい泣きして目を真っ赤にしている紅葉を見て、妻は全てを伝えることを決めたそうだ。康夫は妻から早く帰って来てほしいと連絡を受け、急いで帰宅した。泣きはらした真っ赤な目の姉妹が並んで座る前で、康夫と妻はゆっくりと真実を伝えていった。


 紅葉は妻の妹の子供であること。二人は従妹に当たること。毎月お墓参りに行っているのが、紅葉の母親の墓であること。紅葉の本当のお父さんが誰であるかは分からないこと。幼い子供にはショックなことであったろう。きちんと理解出来ているかも分からない。


 紅葉は何も言わない。ただ、楓のことを心配そうに見ていた。楓が震える声で聞いてくる。


「もし、本当のお父さんが出てきたらお姉ちゃんはどうなっちゃうの? いなくなっちゃうの?」

「大丈夫だよ。紅葉はうちの子だから、いなくならないよ」

「誰が何と言おうと、あなたたちは私たちの子供よ」

「私はずぅっとカエちゃんのお姉ちゃんだからね!」


 三人が続けて答える。それにしても紅葉はあっけらかんとしていて、ちゃんと理解しているのか不安になってしまう。けれど、賢い紅葉のことだ。しっかり理解し、お姉ちゃんとして楓に不安を与えないようにしているのだろう。


「うん」


 楓が頷く。そして紅葉のことを見つめて言う。


「お姉ちゃんはずっと私のお姉ちゃんだよ!」

「カエちゃん! うん、カエちゃんもずっと私の妹だからね!」


 あの時は本当に感動したものだ。妻は号泣していたし、康夫も泣いてしまった。それから、姉妹は以前にもまして仲良しになって、やがて紅葉の髪の毛も元の色に戻った。ただ、何というか、仲良くなり過ぎた気がしないでもないのだ。いや、いいことなのだろう。でも、あれはちょっと拙いレベルなのではないだろうか。



「とりあえず、帰りにケーキを買って帰ろうか」

「うん、モンブランがいいと思う」


 紅葉と練習後の試練をどう乗り越えるか真剣に相談する康夫であった。



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