11 「サッカー少年団」
土曜日、紅葉はお父さんと一緒に小学校に向かった。どんな服装で行くのか紅葉はまったく確認していなかった為、学校の体操服を着ていく。ソックスにレガード、そしてタオルや水筒の入ったバックをお父さんが持ってくれる。紅葉は大切なサッカーボールを持って、お父さんと手を繋いで校門をくぐる。
「あれ、あそこにいる子供たちがそうかな?」
「うん、そうだと思う」
黄シャツに緑パンツの練習着を着用した子供たちと、黒ジャージを着た大人が校庭の中央にいた。しかし、人数が少ない。数えると子供は七人しかいない。彼らは腕を肩の後ろに持っていき上体を反らしている。ストレッチをしているようだ。
「まだ、選手が揃ってないのかな。よし、紅葉、挨拶に行くよ。準備はいいかな?」
「うん!」
「いい返事だね。よし、ダッシュだ!」
「負けないよ!」
ダッシュで近づいていくと皆の視線が紅葉たちに集中する。黒ジャージのおじさんがこちらに歩いてきて、声をかけてくる。
「おー!! 大井監督ですな! お話は息子から伺っています! この度は本当にありがとうございます! もう、感謝してもしきれませんわ! わはははははははは!!」
黒ジャージを着た、でっぷりとした体格の坊主頭のおじさんは、そう言って豪快に笑う。その愛嬌ある顔をしばし見た後、紅葉は隣に立つお父さんを見る。丁度、同じコースを辿って紅葉に視線を向けたであろうお父さんと視線が合う。二人とも同時に首を傾げる。お父さんは気を取り直して挨拶する。
「え~と、大井です。この度は娘の紅葉を入団させて頂くことになりました。可能な限り、ボランティアや運営を手伝いたいと思っておりますのでよろしくお願いします」
「おお、これはご丁寧に。ご存知かと思いますが、私が大山です。今は臨時監督をやっていますが、大井監督が来てくれましたので、コーチをやらせて頂くことになりますな! 力を合わせて浦和領家サッカー少年団を立て直しましょう! おっ! 君が紅葉ちゃんだね! 話は聞いてるぞぉ! 期待しているからね!」
そう捲し立てるように話すとおじさん、大山は屈み、紅葉の頭をくしゃくしゃと撫でる。紅葉は頭にハテナマークを浮かべながらも事前に言うと決めていた挨拶を大声でする。
「大井紅葉です。よろしくお願いします!」
「おお、しっかり挨拶が出来るんだね! うんうん、さすが、大井監督の娘さんだ!」
「ちょ、ちょっと待ってください! 私が監督というのはどういうことですか? 何か勘違いなされてませんか?」
「……はっ?」
大山は硬直した後、百面相のように顔の表情を変えたと思ったら、突然大声を出す。
「おい正孝! どういうことだ! お前、大井さんが監督してくれるって言ってたよな!? 大井さんまったく知らねーって言ってるぞ!」
ストレッチをしていた一団の中から坊主頭の少年が走って近づいてくる。紅葉はその顔に見覚えがあった。お昼休みにやったサッカー大会で審判役を務め、その後、この場に紅葉を誘った男、大山であったのだ。大山正孝はすぐに反論する。
「父ちゃん! 俺は小一にすっげー上手い奴がいて、少年団に入ってくれる。その子供を育てた親父さんも少年団を手伝ってくれるってちゃんと確認取ったぞ!」
「だがお前、大井さんは何も知らねーって言ってるぞ!」
「おい、大井! 俺聞いたよな。お前の親父、ボランティアで手伝ってくれるって!」
「聞いた。けど、監督なんて言ってなかったよ?」
紅葉がそう答えると、俺も聞いてないと真顔で答える大山正孝。お父さんであるらしい大山監督が、ばっきゃろーと息子を叱る。そして頭を掻きながら謝罪してくる。
「いや、ほんとーに! 申し訳ありません! 息子がすごい上手い子を育てたお父さんが手伝いに来てくれる。指導してもらって俺もレベルアップだなんて言うもんで、わたしゃぁ、てっきり新監督になってこのチームを立て直してくれるもんだとばっかり思っちまいまして! いやぁ、お恥ずかしい」
「いえ、何か行き違いがあったようですので、お気になさらないでください」
大人二人が頭を下げあう。大山監督は助かります! と大声で破顔する。
「ところで、大井さん。改めてお願いなんですが、監督になって頂けませんか? 私が暫定監督をしているんですが、下手の横好きでして。とてもとても指導なんて出来ないんですよ。大井さんサッカーは?」
「一応中学高校としてましたが」
「えっ!? お父さん、サッカーしてたの?」
驚く紅葉の頭を撫でながらお父さんが言葉を続ける。
「ですが、私も指導なんてとても出来ませんよ。大変申し訳ありませんが、引き受けることは出来そうにありません」
「そうですか……実はうちのチーム、色々とありまして、今、団員が七名しかおらんのです。それで、大井さんちの娘さんが入れば丁度八名になって試合に出られると。それで喜びすぎて、考えが飛躍しちまったようです……ところで、大井さん。ご協力は頂けるんですよね?」
「え、ええ、もちろんです。可能な限りお手伝いさせて頂きますよ」
「おおおっ! そうですかそうですか! ありがたい! では、まずは4級審判とD級コーチの資格取得をお願いします! もちろん、講習費用は団費から出ますんで! 娘さんの為にぜひご協力お願いします!」
「え、えぇ、はい」
「おっと、では詳しい話はまた後で。練習始めないといけませんからな。紅葉ちゃん、うん、トレシュー履いてるんだね。脛当てはあるかい? そうか、じゃあ、おじさんと準備体操してから、脛当てしようね。あっ、大井さんはぜひご見学していってください」
「はい!」
「わかりました。娘をよろしくお願いします」
紅葉は大山監督の指導を受けながら、入念にストレッチをする。その間に団員七名がそれぞれ自己紹介をすることになった。
大山は坊主頭が特徴でCB背番号2。
八滝は眼鏡が特徴でMFの背番号4。
立花はこの少年団紅一点の女の子でFWの背番号10。
ここまでが小学六年生だそうだ。
佐野はとにかくデカいのが特徴でGKの背番号1。
鈴木はひょろいけどCBで背番号3。
吉田はイケメン顔でMFの背番号6。
都築はちょっと小太りのCBで背番号5。
この四人が小学五年生で、計七名で少年団全員なんだそうだ。
実際は趣味だったり、兼務するポジションだったり色々と言っていたのだが、紅葉は聞き流していた。監督である大山の教えるストレッチが予想以上にしっかりしていて、やりながら覚えるのに忙しかったのだ。
(坊主に眼鏡に女の子にデカいにひょろいにイケメンにデブ! 覚えた!)
酷い覚え方であったが、サッカーを一緒にしていれば自然と名前は覚えるものだ。問題はない。紅葉はストレッチしながら、自己紹介をする。するとそれを聞いていた女の子立花が坊主大山に食って掛かる。
「あんた、ほんっっっっっっとうに最低ね!! こんな小さい子入れてまで試合に出たいの? 痛い思いするのはこの子なのよ! まじ死ね! くそ野郎!」
「いや、待てって! 俺だって普通の小一なら誘わねぇーて! こいつはまじキレッキレなんだよ! それに小さいドリブラーの方がCBとしたら止めづらいんだぞ」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! 信じらんない! 止めづらい? あんたみたいなゴリラにぶつかって行くってどういうことかわかる? あっという間に吹っ飛ばされるのよ。気付いたら宙舞ってんの! こけ方悪けりゃ、すぐに打撲か骨折よ? それを止めづらい、ですって!? どこまでゴリラ脳なのよ! ほんっとゴリラは動物園に帰れ!」
ヒートアップする女の子立花を眼鏡八滝がなだめるように話に入る。
「おい、落ち着けって! マッサーだって、本気でこの子を試合に出そうなんて思ってないよ。な? マッサー!」
「お、おおう」
「分かってるって! お前の狙いは親だろ? 小一の女の子がサッカー好きってことは、その親は完全にサッカーオタだからな。しかも、その子が上手いってことは、教え方もいいってことだ。分かるか、立花。女の子を釣ってコーチを得る。感覚だかなんだかで点取るお前みたいなFWと違って俺たち守備陣はここを常に使ってサッカーしてるんだ。なぁ、マッサー?」
頭をトントンした後、眼鏡をくいっと持ち上げ眼鏡八滝は坊主大山の肩を叩く。
(ええっ! 試合に出してくれるって言ってたのに!)
その話を聞いて紅葉は頬を膨らませ、坊主大山を睨む。女の子立花も本当かと視線で問う。その他の団員たちも大山に視線を向ける。
「お、お、おおおおおう」
大山は皆の視線を一身に浴び、どもりながら何度も頷く。そして引き攣った笑顔を浮かべつつ周囲を見回す。
「なんだその返答は、トドか? それにその表情何だ? えっ……もしかして、お前マジであの子を試合に出そうとしてたのか?」
「…………」
「「「…………」」」
その問いに沈黙する坊主大山、周囲も一様に押し黙る。女の子立花がポツリと死刑ね、と呟く。男子全員で大山を取り囲み、両腕をガッチリ抑え込む。グルグルと腕を回して近づく女の子立花。待て! 俺は無実だ! と絶叫する坊主大山。そこに紅葉が声を掛ける。
「あの! 私も試合に出たいです!」
一発ストレートを叩き込んだ女の子立花が紅葉の前に来て微笑みながら答える。
「うん、試合出たいよね。でも、ごめんね、うちのチームは五、六年しかいないんだ。だから、紅葉ちゃんとは一緒に試合出来ないの」
「出来ます! みんなと一緒に試合やりたい!」
立花は笑顔で紅葉の頭を撫でながら、優しく首肯する。
「うんうん、紅葉ちゃん、いっぱい練習してきたんだよね。そーゆー自信は試合でとっても重要だからね!」
紅葉は笑顔ではい、と答える。立花も笑顔で偉いともう一度頭を撫でてくる。それから、期待でキラキラ目を輝かせる紅葉の顔を見て、困った顔をする。そして、諭すようにゆっくりと紅葉に話しかけてくる。
「うんとね、お姉ちゃんも紅葉ちゃんとサッカーしたくないわけじゃないんだよ? でもね、危ないの。試合になるとみーんな目の色変えてぶつかってくるんだ。紅葉ちゃんの体格だとすぐ吹き飛ばされちゃうんだよ? でね、紅葉ちゃんくらいの時期ってまだ骨が弱いの。すぐポキッて折れちゃうんだよ。痛い思いしちゃうでしょ。そうならない為に、サッカーは年代別に細かく区切って大会をするんだ。だからね、一緒の大会には出れないの。ごめんね」
立花の言葉には思いやりがあった。紅葉のことを思って言ってくれているのがしっかりと伝わる。立花の言う通りなのだろう。三倍近い体重の子たちとぶつかり合う。怪我をする危険はどれほどであろうか。
でも、これは願ってもないチャンスだと紅葉は思うのだ。紅葉の年齢でU-12の大会に出れるなんて、この廃団寸前のチームくらいであろう。上の年代のスピードとパワーにガチンコで挑戦出来るのだ。通用するにしろ、しないにしろ、その経験は紅葉を間違いなく成長させる。そう確信する。
――まずは、私の力を認めさせなくちゃいけない!
紅葉は心の中で紅葉の身を案じてくれた立花にお礼を言い、そして、その忠告を無視することに謝罪する。
「勝負させてください! それで私が勝ったら、みんなと一緒に試合に出させてください!」
「え~と……マジ?」
「マジです!」
でもね、紅葉ちゃん、とさらに説得しようと話しかけてくる立花を遮るように坊主大山が大声を出す。
「いいじゃねーか! やってやろうぜ! それで、負ければこいつだって納得するんだし、勝てば俺たちと一緒に試合に出れるって証明になるんだ。なぁ、お前ら!」
「はぁ、お前は何でそう単純なのかね。この子が傷付くとか考えられないのかな、まったく! でもまぁ、せっかく来てくれたゲストがそう言ってるんだから、やってやるかね」
眼鏡八滝が眼鏡を外しながら、腰に手を当てて言う。格好つけんな! 視力2.0のくせにメガネすんな! とヤジが飛ぶ。あぁ、なんつったぁ! と喧嘩を始める眼鏡なし八滝たち。
「俺は嫌っすよ。こんなガキと勝負なんて。まして負けたら一緒の試合に出る? そんな恥ずかしいこと出来ません」
イケメン吉田が反対を表明する。だよねぇ。なぁ、それにあんな可愛い子に怪我とかさせちゃったらヤバいもんなぁ、とひょろ鈴木にデブ都築が賛同する。そして、皆が監督ではなく、女の子立花を見る。どうやら決定権は立花が握っているらしいと紅葉は察知し、立花を見つめながらもう一度真剣に頼む。
「お願いします!」
「……はぁぁ、わかったわよ! やってあげましょう! 勝っても負けても恨みっこなしだからね」
先に視線を逸らしたのは立花の方であった。仏頂面で紅葉の頭を撫でてくる。はい、と大声で紅葉は立花に返事を返す。結局その言葉が決め手となり、紅葉は試合出場を掛けて勝負することになった。
勝負内容をどうするかという話は紅葉の提案が採用された。八人制サッカー用ゴール使用で、キーパーとバック三名の計四名を相手に紅葉と立花が攻める。三回やって一度でも得点すれば紅葉の勝利。
何で一番反対している私が紅葉ちゃんの味方をしなくちゃいけないの、と立花が紅葉に質問する。それに紅葉はこれからチームメイトになるフォワード同士だからと笑顔で答える。そっかぁ、と立花は苦笑を返してくる。
紅葉はこの勝負内容が通った時点で勝利を確信していた。四対二と数的不利に思えるかもしれないが、実際は違う。キーパーはまず人数のうちに入らないので除外する。フィールドプレーヤー三人のうち一人は紅葉に、そしてもう一人は立花にマンマークで付くことになるだろう。残った一人はどちらもフォロー出来る位置に付きつつ、子供ではなく立花をより警戒した位置取りをするはずだ。
そうなれば、こちらのものだ。立花をゴール左端に寄せて立たせ、紅葉は右から攻める。こうすれば、紅葉が一人ドリブルでかわすだけで、相手フォローは間に合わず相手側はキーパーのみになるのだ。後は、フリーになった紅葉が冷静にゴールを狙えば終わりだ。
問題があるとすれば紅葉が相手バックをかわすことが出来るかだが、こんなに有利な設定にして負けるようなら、それこそ試合に出る実力がないということだ。
前を向いてスピードの乗った状態でドリブルを仕掛けられる。パスもシュートもドリブルも選択肢がある状態でディフェンダーと一対一。かわし切れなくてもシュートが打てる。三回もチャレンジ出来る。
(こんなに有利な設定で負けるわけない!)
ハーフウェイラインから紅葉がドリブルを開始する。立花がダッシュでゴール前中央に行く。紅葉が上がりきったところで、ゴール左側に移動するよう打ち合わせでお願いしたのだ。
相手はGKデカい佐野、バックラインは右からひょろい鈴木、坊主大山、デブ都築という順でラインを形成している。紅葉のボール運びを邪魔しに来ない。簡単にペナルティエリア右前まで到達する。立花がゴール左へと移動し、鈴木が付いていく。都築が紅葉に接近してくる。
(うわぁ、壁だ)
近づいてくる都築の大きさに紅葉は内心びっくりする。都築の身体で視界が一気に悪くなる。キーパーと大山がどこにポジショニングしているのか分からなくなる。
(威圧感が凄い! でも大丈夫)
紅葉は右に大きく踏み込み、少しボールを右に出し、都築が釣られて身体を右に倒すのを確認しながら、即座にアウトサイドで左に切り返す。スピードの乗った完璧なマシューズフェイントでかわし切ったと確信する。
しかし、左に蹴り出したボールを紅葉は慌てて引き戻す。完璧にフェイントに引っかかったはずの都築の右足が横なぎに振るわれる。足ごと、刈られるところであった。
(危なっ! そっか、大きいと間合いも広いんだ)
態勢を立て直した都築と停止した紅葉が対峙する。紅葉は少し困る。相手を抜くのには一歩遠い。けれど、相手はこちらのボールに足が届く。身体の大きさ、足の長さでここまで間合いを制されてしまうのかと驚く。
(でも、隙だらけな守備だなぁ。ちょっと遠いけどいけそうだ)
都築の守備はあまりにも足を開きすぎている。紅葉は股抜きを狙う。紅葉はキックフェイントからのダブルフェイントで左、右、左とボールを大きく動かし、そのままボールを都築の正面、股下に蹴り出す。ボールの動きに合わせて、右、左、右とステップを踏んだ都築の重心は大きく右側に崩れている。紅葉にとって右、都築の左側を紅葉は通過していく。
都築をかわしたことで視界が開ける。股抜きで前に転がしたボールを追いながら状況確認をする。
(えっ!?)
「読んでたぜ!!」
大山が笑いながらこちらに猛然と突っ込んでくる。早すぎる。キーパーの位置はニア。ボールと合流する。シュート体制に入る。しかし、大山は目の前だ。シュートコースの左半分を消されてしまう。キーパーが右を消している。
――くっ!
立て直すかどうか瞬時の判断、その半瞬に立花の姿を捉える。紅葉はボールを内側に引き込み、左から突っ込んでくる大山をルーレットでいなし、外に膨らむように逃げる。大山が一瞬で紅葉に追いついてくる。並走される。紅葉は間髪入れずにファーへ低い弾道のセンタリングを上げる。
紅葉はキック力がない為、跳ねるように全身を使わないと強いボールが蹴れない。右足を思いっきり振り抜き、空中で態勢を崩しながらボールの行方を追う。次の瞬間、衝撃、視界が暗転する。
どうやら大山のショルダーチャージを受けたようだ。吹っ飛びながら受け身を取る。身体を丸め頭を守る。地面に叩きつけられる。息が出来ない。けほけほとせき込みながら、勢いよく上半身を持ち上げる。
(ゴール入ったかな?)
それだけが、気になった。立花の動き出しは完璧だったように思う。紅葉のボールもドンピシャだったはずだ。紅葉はせきが止まり、呼吸を二度した後、声を張り上げる。
「入った!?」
紅葉の確認の声に応えるものはいなかった。